1985年(昭和60年)3月に国鉄では全国的なダイヤ改正がありました。60.3(ロクマルサン)ダイヤ改正と言われ、近距離列車の増発が行われるかわりに編成両数が削減されたり、長距離急行の廃止も行われました。
私が乗務していた中京地区でも同様で、そのダイヤ改正では東海道本線の岡崎~名古屋~大垣間のデータイムには15分間隔での運転実施や名古屋駅での乗車ホームを方面別に極力統一するよう工夫され、従来の国鉄の体質からの脱却が盛り込まれていました。
改正されたダイヤには、一部に無理があったようで、朝の東海道本線上りの名古屋以東の列車で、乗客が集中して運転に支障をきたす列車が発生しました。その対応策として、休日を除く毎日、大垣~名古屋間の普通列車を岡崎まで延長運転する形で1本増発されました。
この年の4月、私は久しぶりの予備勤務でしたが、たいして目新しい列車に乗ることもなく過ぎていましたところ、この臨時列車は予備要員での対応になったので乗務することになったのでした。
1985年(昭和60年4月30日)
東海道本線9422M(名古屋で定期列車422Mを継承)
運転区間・乗務区間 名古屋7:55~岡崎8:37着
使用車両 117系(名カキ)6両
(目新しい車両でもなかったので編成をメモしませんでした。)
この列車は岡崎到着後に折り返し回9489Mとなって大垣まで回送されました。
東海道本線 回9489M
運転区間・乗務区間 岡崎8:48~大垣10:48着
使用車両 117系(名カキ)6両
乗務員もそのまま折り返し、大垣までの乗務でした。
回送なので気は楽です。しかもダイヤ改正後に急遽設定した臨時列車なので、ダイヤ設定にも無理があったのか、途中の木曽川駅で長時間停車がありました。当時の私は117系に常時乗務していましたが、回送列車の行路には乗務したことがなかったので、この日はカメラを持参しました。そして木曽川駅の長時間停車中に字幕をいじって撮影してみました。木曽川駅での着発線は下り1番線で旅客用のホームがありません。変な字幕が出ていてもお客さんに影響はありません。
まずは回送から、いつも乗務している「東海ライナー」用の「快速」表示を出してみます。
列車番号の表示も、当時いつも自分が乗務していた3122Mにして撮影です。
次は通常は表示することがほとんどない「団体」を表示してみました。
今なら勤務時間中にこんなことをしていては、それこそ職務怠慢で処分の対象になってしまうのでしょうが、そのころはそんな時代ではありませんでした。こうした回送列車の長時間停車中の乗務員は、乗客が座席に捨てて行った新聞でも読みながら、客室内で寛いでいるのが当たり前であったように思います。
当時の大垣電車区に所属していた117系に入っていた先頭の種別表示字幕は、15コマの表示が可能でしたが、「回送・試運転・臨時・団体・普通・快速」の6種類しか表示がなくて、あとは空白になっていました。
このなかで「快速」だけが絵入りでした。
この「快速」字幕はJR化後の2009年に、飯田線の佐久間レールパークのイベントで再現されました。
そのときの画像です。デザインは忠実に再現されていたようですが、これは字幕でなく、シールを貼りつけたもののようでした。
それにしても、絵入りの快速表示は、当時の国鉄としてはずいぶん洒落たものでした。このデザインのままで、JR東海移行後もしばらく使用されていました。
当時乗務していた中京地区の117系については過去のブログ記事「【97】 乗務した車両:117系電車(1)中京地区への導入」から【99】まで3回連載で記しましたので、よろしければそちらもご覧ください。



この記事へのコメント
kayo
こちらの記事のことをお伝えくださってありがとうございます。
拝見して、数日嬉しい気持ちでいっぱいで過ごしていました。しなの7号さんの117系への愛情が伝わってきて感動しました。東海と関西とでは、入っている方向幕が違うのですね。快速の表示はとても珍しく感じました。
「団体」はこちらでは黒地に白の字で、初めて見たときの感動を思い出しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/35712187.html
昔は運転室に子供を少し入れて下さったりする運転士さんもいらっしゃったり、今とは違う雰囲気だったことを聞いたことがありますが、そのことをあらためて感じました。いい時代ですね…鉄道員さんたちとお客様の距離がそのように近くなれば、安全にもつながると思います。
117系との思い出を大切にしてくださっていること、いつも励ましとなります。本当にありがとうございます♪
しなの7号
ご覧いただきましてありがとうございました。
同じ国鉄でも、新製時から東海地区と関西地区とでは仕様が微妙に異なっていました。
そして年を経ると117系にもいろんな仕様が生まれましたが、国鉄「マロン」色を越える仕様はありませんね。
この時代でも、私のように勤務時間中に写真を撮ったりしていた車掌もいたわけですが、お子さんやファンのみなさんへの個人的サービス的な行動もできた時代でした。
参考までに拙ブログ記事になりますが、こんなサービスもできた時代だったのです。
↓
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201008article_5.html
Kayo
現在京都鉄道博物館で新快速の展示が開催されていて、117系のトップナンバーも何日か来ていたのですがコロナのため訪問を控えました。新快速の方向幕はシールだったようです。どんな資料が展示されているか気になりますが、切り取られた座席が展示されていてちょっと胸が痛みます。久しぶりにこちらの記事を拝見して癒されました。
大宮交通公園のメンバーが全員保存されて、シロも今にも動き出しそうに整備され、N電もとても大切にされて奇跡に驚く日々で、さみしさもだんだん和らいできました。
コロナが落ち着き気軽に乗車できる日が待ち遠しいです。
しなの7号
ブログをお引越しされたことに気付かず、見られなくなっていたので、どうされたのかと思っていましたが、117系ともどもKayo様もお元気なようで何よりです。
京都鉄博では現役の車両が展示できるようになっているのでいいですね。今回の展示で国鉄時代の前頭幕をシールで表現したのは、本文にある中部天竜駅での展示と同じ方法ですね。
大宮交通公園で長く集っていた面々が各地に散ってしまったのは寂しいことだったと思いますが、それぞれの地で大切に保存され、訪れる人々の心を癒してくれることと思います。何も心配することなく、彼らに安心して再会しに行ける日が来ますように。。。