【284】 中山道宿「駅」巡り7

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。
最初に次のようにルールを作りました。

1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。
2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。
3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。
路線バスは使用可。
4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。
5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。

このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。
写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。

「【271】中山道宿「駅」巡り6」からの続きになります。

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第31次 洗馬宿
塩尻まではJR東日本エリアでしたが、これよりJR東海エリアに入ります。
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静かな無人駅です。これから先、木曽谷の小駅には似た感じの木造駅舎が多くあります。
宿場に入る直前には善光寺西街道との追分があります。
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宿場内は火災のため江戸時代の建物は少なく、また本陣や脇本陣には素晴らしい庭園があったといわれていますが、それらも鉄道の建設で跡形もなくなってしまったということです。
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宿場を通り過ぎると一面のススキがきれいでした。
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第32次 本山宿
本山宿のJR最寄り駅は日出塩になるわけですが、日出塩は本山の塩尻寄りにある別の集落であって、本山宿そのものには中央本線の駅は造られませんでした。そこで、バス停の写真になります。宿場中心部にある「本山仲町」停留所で、塩尻市の地域振興バスの路線です。
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駅がないからでしょうか。江戸時代の宿場町らしい街並みがわずかですが残されています。斜交屋敷といって街道に斜めずらすように家々が建っているのが特徴です。
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さて、この宿を過ぎると険しい谷間が続く木曽路に入っていきます。
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第33次 贄川宿
これより南、馬籠宿までは木曽路と呼ばれます。この間には11の宿場があります。
最初は贄川宿です。
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贄川宿の直前には婦女の通行とヒノキの白木搬出取り締まりのための贄川番所があり、建物が復元されています。
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宿場は火災のため古い家屋はほとんど残っていないようです。
宿場をあとに、さらに進むと木曽漆器の街「平沢」の街並みを通り抜けていきます。
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第34次 奈良井宿
この宿場の先に立ちはだかる鳥居峠を控えた奈良井宿は、木曽で最も栄えた宿場だったということです。
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古い街並みが残り、見所も多く観光地としてにぎわう宿場です。
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この先の鳥居峠は難所で、和田峠とともに太平洋と日本海の分水嶺になっていまして、標高1197mあります。
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第35次 薮原宿
鳥居峠の麓にあるこの宿場町は名産「お六櫛」で知られます。野麦峠を越えて飛騨へ向かう街道との追分でもあります。
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ここから中山道に沿う川は木曽川です。
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中山道はこの先、加納宿(岐阜市)近くまで約150kmの間、木曽川に導かれるように、一部区間を除いて木曽川水系の地を巡っていくのです。

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「【286】中山道宿「駅」巡り8」に続きます。

この記事へのコメント

  • hmd

    しなの7号さん、こんばんは。ご無沙汰しております。
    木曽路に入りましたですね(^^) 木造の町並みですから、大火があったか、どうかが、今の保存状態に大きく影響していますですね。斜交屋敷、初めて知りました。また参ります(^^ゞ
    2012年06月17日 22:02
  • しなの7号

    hmd様 おはようございます。
    やはり、木曽路は中山道でもいちばん旧街道らしさが残っている部分です。斜交屋敷は「はすかいやしき」と読みます。
    洗馬宿で、鉄道建設のため立派な庭園が潰されてしまったことを知りました。何度も鉄道で通ったところなのにそんな歴史も知らずにいました。公共工事で無くなってしまった財産というものは身近にもあるものですが、無くなってしまえば、時とともに忘れ去られてしまうものですね。
    2012年06月18日 06:26

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