【290】 中山道宿「駅」巡り10

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。
最初に次のようにルールを作りました。

1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。
2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。
3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。
路線バスは使用可。
4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。
5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。

このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。
写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。

【288】中山道宿「駅」巡り9の続きになります。

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第46次 大井宿
大井宿の最寄り駅は恵那駅です。
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恵那駅は以前は宿場町「大井」をそのまま名乗っていましたが、1963年(昭和38年)11月1日に恵那駅に改称されました。「恵那市」に合わせる形で改称されたものと思われます。
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沓掛宿とは異なり、恵那市「大井町」として地名は今も残っています。
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大井宿には、敵の侵入を阻むために道を直角に折り曲げた「枡形」が6ヵ所あって中山道最多です。
木曽路を抜けた後も中山道はアップダウンを繰り返しますが、大井宿を出ると槇ヶ根峠で、ここが名古屋方面への下街道との追分で、中山道は国道19号線と中央本線という2つの大動脈から離れていきます。
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追分の道標です。画面では見づらいですが、「右 西亰、大坂  左 伊勢 名古屋 道」とあります。上にある鳥居は伊勢神宮を表しているのでしょうか。西亰は京都、大坂は大阪のことです。

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第47次 大湫宿
中山道は槇ヶ根峠で下街道と分かれ、鉄道とは離れてしまい寂しい道が連続しますが、東海自然歩道にも指定されハイキングにはよいところです。
大湫宿の最寄り駅は中央本線の釜戸駅ですが、数kmも離れています。釜戸駅からの道が中山道に突き当る宿場のはずれに、瑞浪市コミュニティバスの大湫バス停があります。
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鉄道が離れた場所に敷設されたことで、静かな宿場跡の雰囲気が残ります。
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このあとも中山道は東海自然歩道として整備され、石畳が残る琵琶峠を越えます。
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第48次 細久手宿
山の中の小さな集落が細久手宿です。
大湫宿同様、鉄道からはかなり離れた山間部です。やはり瑞浪市コミュニティバスのバス停があります。
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昔の旅籠が、まだそのままで旅館を営んでいました。
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2つ前の大井宿を出てからは公共交通機関が利用しにくい地域ですが、その分、昔の街道の雰囲気は味わえます。一里塚もほぼ完全な形で残っていました。
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第49次 御嶽宿
ここまで来ると里に出たという感じがします。
最寄駅は名古屋鉄道広見線の終着駅の御嵩駅です。
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ここからはしばらく坂道もない平野部の道が続きます。

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第50次 伏見宿
伏見宿の最寄り駅は名古屋鉄道広見線の明智駅です。
同名の駅が同じ岐阜県内の明知鉄道にもありますが、全く別の場所です。
こちらの伏見宿最寄りの明智駅は、東濃鉄道(現在の東濃鉄道とは別会社)の「伏見口」駅として大正時代に開業しています。その後東美鉄道となり、名古屋鉄道に合併されたあと、1982年(昭和57年)に明智と改称されました。
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伏見を名乗るバス停も見かけませんでした。信号機には伏見の名がありました。
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このあとは『中山道宿「駅」巡り11』へ続く予定です。

この記事へのコメント

  • 南駒ケ岳

    中山道も待ちに待った御嵩が登場しました。6月の初旬に自宅からロードバイクで行ったばかりです。御嵩駅前の中山道では宿場の景観を使って町おこしに力を入れています。自転車の行路では名鉄広見線と並走します。久しぶりに「撮り鉄」。一時間に片道2本の赤い電車を追っかけました。
    可児、御嵩間は廃線話しがあり、今年度中には地元御嵩町などからその方向性が示されそうです。
    2012年07月06日 20:51
  • しなの7号

    南駒ケ岳様 おはようございます。
    中山道宿駅巡りも後半に入りました。大井から御嶽にたどり着くまでは、自転車利用を検討したほど公共交通機関がありません。結局は徒歩にこだわり3回に分けて歩きましたが、アップダウンが続く道程でした。
    名鉄の御嵩駅が見えたときホッとしました。道中八百津線の廃線跡も見ましたので、レールバスのことを思い出しましたし、御嵩ではいもむし電車のことを思い出します。この線がこの先どうなっていくのか心配です。
    鉄道ができて、中山道が衰退し、その鉄道も廃止の危機という時の流れと社会の変化。そして中山道を使った町おこし。鉄道も使った町おこしを期待するのは勝手な考えでしょうか。
    2012年07月07日 08:43

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