14系欧風客車「サロンエクスプレス東京」に名古屋から浜松まで乗務した後、折り返し浜松から定期列車の補助としていったん名古屋まで乗務し、その日の深夜(暦日では翌日未明)に、また東海道本線を名古屋から浜松まで、205系電車に乗務しました。山手線の103系電車置換え用に新製された車両を回送する目的の列車です。
昨今よく行われる機関車に牽引されての輸送ではなく、自力回送でした。
1985年(昭和60年)9月20日(日付は乗務開始駅である名古屋駅基準)
東海道本線 回9110M
運転区間 大阪~品川
乗務区間 名古屋0:38~浜松3:58
クハ205-18 南シナ
モハ205-52 南シナ
モハ204-52 南シナ
サハ205-35 南シナ
モハ205-53 南シナ
モハ204-53 南シナ
サハ205-36 南シナ
モハ205-54 南シナ
モハ204-54 南シナ
クハ204-18 南シナ
9/19品川電回A3-11
近畿車輛出場車の新車回送で、この列車の運転区間は大阪からとなっていますが、回9926Mを継承していました。名古屋を出ると豊橋までノンストップで、豊橋で10分停車。この間に急行銀河に道を譲りました。
そのあとは鷲津で1時58分から3時40分まで1時間42分も停車するダイヤでした。回送ですから停車中は何もすることがありませんでした。この一番眠い時間帯を、車内で眠らないよう努めなくてはなりません。乗務員は眠気防止のためいろいろと工夫するものですが、その日の私は、初めて見る新車205系を見学するということで、充分に眠気防止ができたのでした。長時間停車時間中に写真を撮りました。今回の記事中の写真については、すべて乗務当日の撮影です。
運転室で目立つのは、当時の国鉄電車では見たことがない造り付けのブレーキハンドル。そしてマスコンハンドルも横軸式。これまでの電車の助士席側にあるはずの手ブレーキハンドルもない。速度計は見慣れないATC対応で、見どころ満載でした。しかし私は運転士ではないので、こうした外観上の違いしか理解できなかったのは残念なところです。
車両の外観も、今では当たり前となったステンレス製でしたが、当時の国鉄車としては珍しいと感じました。
また、この205系はATC区間の山手線で使用されるため、、当時の国鉄で一般的だったATS-S形保安装置はなく、この回送に備えて「可搬式」のATS-S形が仮に取り付けられていました。車内にそのボックスが鎮座し、運転室床下(連結器右下)に、その車上子が取り付けられているのが正面からの写真からわかります。新製時にはスカートもなかったのですね。
字幕の内容は「中央線、山手線、京浜東北線、横浜線、南武線、中央総武緩行線」内に所在する数十の駅名がずらりと並んでいました。この車両たち、すでに山手線からは退いているはずですが、今はどこに配置されているのでしょうか。調べておりませんが、再会したいと思っています。
この月の予備勤務では、何本か臨時列車に乗務できましたが、この列車で終わりになり、また定期列車に乗務する毎日に戻りました。
この記事へのトラックバック
- 東海道本線 205系
- Excerpt: 205系電車は、界磁添加励磁制御と軽量ステンレス車体の採用により、省エネルギー効果は201系より優れ、103系の66%のエネルギーで運行できるようになった。
- Weblog: ぱふぅ家のホームページ
- Tracked: 2013-05-22 19:17
- JR西日本 205系は 201系より省エネ効率が高い
- Excerpt: JR西日本 205系は 201系より省エネ効率が高い【更新】リンク更新
- Weblog: ぱふぅ家のホームページ
- Tracked: 2015-08-31 07:59




この記事へのコメント
京阪快急3000
当時の国鉄の新車、205系の回送業務に携われたのですね。
この205系も、当時の国鉄としては斬新な性能やデザインで、こと当時の山手線では優遇されたかと思います。
関西でも後に東海道・山陽緩行線に投入されました。
当時の自分の「憧れの車両」でもありました。
JR東になってから2000年代に入ってからでしたしょうか・・・。山手線用の205系は、一部の車両は先頭車化改造がなされ、101系や103系が配置されていた路線へ散らばって転出されました。
一方、JR西では民営化後に阪和線向けにモデルチェンジ車「1000番台」が配置され、東海道・山陽緩行線の車両(0番台)も、一時期阪和線に異動しましたが、現在は再び異動し、東海道本線(JR京都線)や福知山線(JR宝塚線)の普通列車として活躍しています。
しなの7号
205系と211系、いずれも国鉄末期からJR化後にかけて製造された過渡期の車両と言えると思います。
両者は首都圏の国鉄(→JR東日本)に多数配置されましたが、現在も205系はJR西日本に、211系はJR東海にも在籍していることは、全国組織だった国鉄の名残と言えましょう。
すでに活躍の舞台は、華やかなところではなくなりつつありますが、国鉄世代として末長い活躍を期待したいと思います。
貨車区一貧乏
205系さすがに新車だけにきれいですね。
私としなの7号さまと「乗務した車両」という接点があるとするなら緩急車と、この205系だけかもしれないです。
仕事で乗ったかかプライベートで乗ったかは、わかりませんが可能性はありますよ^^。
205系は103系の後継として、はじめて空気バネの車両(コキフを除く)に乗務できるといことで嬉しい反面、乗務員室は金魚鉢状態で、おなかの具合が下り本線通過^^;状態になったらどうしよう?なんて考えていましたけど大丈夫でした…
室内のシートの色は、当初はこの色でしたし、私の現役時代にはスカートもなかったので、写真は非常に懐かしく感じました^^。
来年あたりでしょうか 私の元乗務線区からも205系の引退が決まったそうです。そのうち上京してお別れ乗車してきます。
しなの7号
205系、貨車区一貧乏様と同じ車両に乗務していた可能性は十分にありますね。このころ大量に205系が新製されて、このダイヤで関西方面から首都圏への回送がたびたび行われていました。このときを含め、私は2回205系回送に乗務する機会がありました。
それ以前の国鉄車両は113系2000番台、103系ATC車、キハ40系、117系、いずれも閉鎖的な環境の乗務員室になっていましたから、211系に初めて乗務した時、金魚鉢状態の乗務員室に戸惑いましたが、205系も211系と同じ世代の車両ですから、似てましたね。
トシ@グッズマニア
JRマークとスカートのない205系0番台、とても懐かしいです♪
兵庫~品川の新製回送、現在なら間違いなく甲種輸送となるとこですが、当時は全て「自社線内」ですから自力回送ですね。
それも、もう少し遅い時期なら「車略」となっていたのではないでしょうか?
さて、当該車両の現況ですが、両クハとモハの-52,-54ユニットは、4/1付では中原電車区に所属して、南武線で運用されているようです。
一方、モハ-53ユニットとサハは当該ナンバーでの配置が確認できませんでした。
JR化後の転配で改造されて運転台が取り付けられたり武蔵野線用の5000番台になっているかもしれません。
JR東は改番を伴う改造に際してモハのユニット組み替えなど複雑なやりくりをしているようですし、元番号に関係なく改造順に新番号を割り当てているので、現番号から種車を特定するのはほぼ不可能になっています。
しなの7号
このときから、約1年後の 61.11ダイヤ改正から、EB装置付の回送列車などは、車掌省略になりました。
該当車両の現配置区所を調査いただき、ありがとうございました。大変参考になりました。
現在は南武線で活躍中でしたか。活躍場所が特定されたのであれば、四半世紀ぶりの再会を期待して久しぶりに南武線に乗ってみたいと思いますね。
なばなの里
写真の205、先日お世話になりました。
東北へ渡り津波で被災してしまった仲間も居るので、この思い出の車両、まだ活躍していてよかったですね。
しなの7号
目撃情報?ありがとうございました。
南武線カラーになって活躍する、かつて乗務したことがある車両を見たい思いが強くなります。
乗務したことがある車両で、現役車は少なくなりましたからね。
津波で被災した車両が、乗務した車両でないのかも気になるところです。(もう1度新車回送に乗務する機会がありましたので…ただ、その時のナンバーは記録していません。)
ポンパ
同様に、サハ-35も仙石線M3編成の先頭で石巻寄クハ205-3103。サハ-36も同編成の仙台寄クハ204-3103の模様です。
しなの7号
ご教示ありがとうございましたm(__)m
自分が東海道本線で乗った車両が、まさか仙石線で活躍していたとは、意外でした。こちらも再会したいです。
被災した車両を私は存じませんが、当該車両でなければ…と思います。
さがみ号
いつも楽しく拝見しております。
車掌車について調べ物をしていてたどり着き、体験談の豊富さに引き込まれて愛読させていただいておりましたが、たまたまわかりそうな話題でしたのでコメントさせていただきます。
東日本大震災の被災車両まとめページによると、仙石線205系のM1編成は被災していないようです。
http://jreastreplace.wiki.fc2.com/m/wiki/東日本大震災関連
小学三年の頃民営化があり、徹夜でテレビをみながらさみしい思いをしていた世代です。
山手線に205が入ったころで、たまに山手線を使っても103系ばかり、しかも一部非冷房車がまざったりしていた記憶があり、205は憧れの的でした。
何時の間にか南武線や武蔵野線に移動していて、南武線でたまに乗るとシートのクッションがへたっていたりしてすこし寂しさを感じています。
しなの7号
ご覧いただきましてありがとうございます。コメント中のリンク先にたどり着けませんでしたが、自分が乗った205系は無事だったのですね。調査ありがとうございました。
205系は登場時は色分けされたロングシートが新鮮でしたね。
国鉄最後の夜、私は徹夜もすることなく、記録はビデオに任せて早々に寝てしまい翌日からの再就職先への初出勤に備えました(^_^;)
kayo
「甲種輸送」で新しい車両が運ばれているのを見るととても夢が広がります。205系は自分で走っていったのですね、驚きました。歴史的な瞬間に立ち会われたようすをお伺いできてとても感動しました。
山手線は何度も乗りましたがそのころは鉄道ファンではなく、きっと205系にも乗っていたのに残念なことでした。本当に再会してみたいですね。座席は茶色でしょうか、とても趣がありますね。
京都駅で205系に会える日がますます楽しみになりました。
しなの7号
国鉄時代の新車回送では、こうして自力で回送されるケースが多かったです。国鉄自社車両なのですから、今のように別会社のJR貨物に輸送してもらう必要がなく、自前で乗務員だけ確保すれば、貨物列車を仕立てるより、そのまま自力で走ってしまうほうが輸送コストもかからず、合理的であったのでしょう。
国鉄末期の車両では117系や119系も茶色シートだったわけですが、205系ではロングシートの着座位置を促す意味で中央部1人分だけをベージュ系にしたようです。
関西地区で装いを新たにした205系にも、ぜひ乗ってみたいです。
111TC-112MC-113TMC
今月の鉄道ファン誌に205系特集で載ってますよ❗️
中原、川越、宮城野へ分割転出改造された見たいですね。
しなの7号
ご教示ありがとうございます。
近年はほとんど雑誌を買いませんので存じませんでした。
店頭に出向いてみます。旅先での再会の楽しみがまた増えます♪
111TC-112MC-113TMC
docomoでしたら、dマガジンで見れますよ❗️私はそこで拝見しました😄
まだ、国内に要るみたいですが、時期にジャカルタへ行ってしまうかも😞
早目に再開する事をお祈りしております✨
しなの7号
あいにくdocomoではないもので
雑誌はときどき月遅れで図書館で目を通しています。輸出されることが多いですから、国内にまだ残っていても安心できないですね
ありがとうございました
仙石線
https://4gousya.net/jr/4406.php
https://4gousya.net/jr/4401.php
しなの7号
E233系が仙石線を走る時代になろうとしているのですね。ちょっと仙台まで行くことは難しそうですがご教示ありがとうございました。