【299】 乗務した車両:ユーロライナー(2)その国鉄時代

ユーロライナーは国鉄時代に誕生した車両でしたから、編成端のスロフにはJNRをデザインした国鉄のシンボルマークが掲げられていました。なにぶんにも外部色が明るいグレーだったので、ステンレス地色のそのマークはあまり目立ちません。
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写真は分割民営化まもないころ、まだJNRマークが取り外されず残存していた頃のものですが、後にこのマークは取り外されました。

さて、ユーロライナーには、その軽快な塗色に合わせた色の専用機関車が用意されました。
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EF64 66です。サイドはラインがユーロライナーと揃えてあり、機関車と客車の調和がはかられ、EF65P型と20系寝台車のコンビのように素敵だと思いました。
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もう1両がDD51 592でした。こちらは非電化区間用でした。正面の塗り分けラインは側面からの連続性がありませんが、これは列車への視認性の制約で、塗り分けラインを変えざるをえなかった結果ということを聞いたことがあります。
こうして機関車を専用機として塗色を合わせるということはジョイフルトレインとしては初めてのことで、ユーロライナーに賭ける名古屋鉄道管理局の思いが伝わってきました。しかし、国鉄時代は必ずしも専用として運用されず、地元中央西線でEF6466との共演を期待して写真を撮りに行ったものの、しばしば裏切られる結果になったものです。

このユーロライナーは、団体専用として使用されるだけでなく、多客期には一般用の臨時列車としても使用されることがありました。普通列車の車内でも、新型車両を使用した臨時列車を紹介する車内放送を実施するようにと、放送文例が車掌区報に示されて「皆様にユーロライナー赤倉号についてご紹介させていただきます。云々~」と、PR放送をしたこともありましたが、認知度は高いとは思えず、放送だけで、この特別な車両をどこまで表現できたかも疑問でした。

ユーロライナーは当初は編成単位で使用されましたが、のちに一般用としての使用方法として、編成を分割のうえで、一般の座席車12系や14系と併結して運用されました。
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たとえば、この写真のように両端の展望スペース付オープンスタイル車は信州方面への臨時赤倉号として、またコンパートメント車は九州方面臨時金星号として、それぞれ14系座席車に併結し、グリーン車として運用されたこともありました。

このほかカートレイン名古屋として、廃止された熱田荷物基地の跡地を利用し、また同様に不要となった荷物車マニ44をユーロライナー塗装にしたうえで、自動車を積載して、同時に乗客はコンパートメント車でくつろぎながら九州へ行けるという、いわば陸地のフェリーとして東小倉までの運用も開始されました。
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ユーロライナーは誕生から2年足らずで、国鉄分割民営化を迎え、JR東海に引き継がれました。

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