ユーロライナーに賭ける期待の大きさを示すように、グッズの販売もされました。
乗車記念の刺繍ワッペン。
写真ではお判りにくいですが、台紙右上に「国鉄承認番号」が記されています。
こちらはネクタイピン。いぶし銀仕上げで、編成中央のカフェラウンジ車で購入できました。これはお気に入りの逸品でしたので乗務中もよく着用していましたが、あいにく紛失してしまったので、同僚がユーロライナーに乗務したときに2個目を買ってきてもらいました。退職後は通勤にも使っておりましたが、これもまたどこかで落としてしまったので、JRの車掌さんにお願いして買ってきてもらった3個目という、いわく付きネクタイピンです(^^ゞ
カフェラウンジ車ではこうした記念品のほか、食事や飲み物の提供も行っていました。
写真は、カフェラウンジ車と、その他の各車座席に備え付けのメニューです。
裏面はメニューと取扱グッズの値段が書かれていました。
このカフェラウンジ車は、食堂車を示す形式「オシ」とはならず、「オロ」とグリーン車扱いでした。グリーン車とはいえ、定員外車両とされるフリースペースとなっていまして、カラオケ装備のミニステージもありました。全車に流すBGMや車内設備の案内ビデオはこの車両から日本食堂の乗務員が取り扱うことになっていました。
デビュー時には記念入場券も発売されました。
バブル景気のはしりとも言える国鉄末期には、民営化をにらんだ営業施策が取られ、このようなジョイフルトレインは全国で誕生しました。そんなジョイフルトレインを取り上げたムックの表紙になったこともありました。
(以上2枚の写真は1987年11月 日本交通公社出版事務局刊 「乗ってみたい面白列車ジョイフルトレイン」の表紙と該当ページを撮影したものです。)
国鉄始まって以来の改革が進みつつあったわけで、続々と誕生したジョイフルトレインは、それまでやれなかったことをやろうという国鉄内部の意識の現れでもあったのでしょう。
現在のJRの状況は、そうしたお祭り騒ぎも終わって落ち着いた状態ということなのでしょうか。
JR東海は機関車も客車も在籍しない鉄道会社になってしまい、夜間名古屋駅に次々とやってきたブルートレインも皆無になってしまいました。こういうことになるとは、そのころには想像もできませんでした。









この記事へのコメント
おんたけ号
こんにちは。
掲載写真の「デビュー記念乗車券」、小生も持っています。
貴兄のは中津川⇒ですね。小生は名古屋⇒です。
券面に記載の「国鉄線」が泣けます。
いつかは、と判っていたけど、ついに国鉄時代よりJR時代が長くなって
しまい、へんてこなデザイン、目を疑うようなカラーリングの車輛ばかり
(特に東のJR)で、残念です。
救いは地元オレンジのJRは、初期を除けばGD賞やローレル賞受賞の車輛
を世に出しているので、これからも国鉄色(フォントや新幹線カラー等)の
継承と同じく続けて欲しいものです。
以上、失礼しました。
しなの7号
金額式乗車券面の「国鉄線」表記が「東海会社線」に変わったときには、かなりの違和感があったものです。国鉄時代よりJR時代が長くなっても、国鉄の債務返済は続くよどこまでも…ですね。おそらくユーロライナーなどジョイトレの改造費もその一部になっているんじゃないでしょうか。
国鉄リバイバル塗装の列車があちこちにあり人気があるようです。郷愁の想いとともに、車両デザインや塗装パターンにも普遍性があったからだと思っています。