半年以上前、ココに『新シリーズ「思い出の乗務列車」として列車別に、主に定期列車について思い出話を綴りたいと思っています』と書いたことがありましたが、今回はその第2回目という位置付けで、乗務した国鉄時代の貨物列車のことを綴りたいと思います。
国鉄時代の貨物列車は一般的には、ヤード方式といって、貨物列車は各駅で連結解放を繰り返し、操車場などのターミナル駅のヤードで方向別、駅別に組み替えるといった中継作業をはさむ方式で、輸送に時間がかかるだけでなく、いつ目的地へ着くか不明確なのが一般的でした。
このことについては【28】列車掛1:国鉄時代の貨物列車で、書きました。しかし、大量集約輸送できる貨物は、1列車を専用として運転できますから、「専用貨物列車」がありました。現在の輸送形態で、タンク車などを連ねた貨物列車が、まさにこれです。そうした専用列車として運行されていた一つにセメント輸送が挙げられます。
セメントや石灰石の輸送は、今でも行われています。これらは輸送単位が大量かつ重量物であり、鉄道輸送に適した貨物だと思うのですが、徐々に鉄道輸送からは離れつつあり、最近では限られた区間でしか見ることができません。
国鉄時代に、私は三岐鉄道の東藤原から発送されるセメント輸送列車に、国鉄富田駅から関西本線内で乗務していました。組成されていた貨車はホキ5700やタキ1900といった形式が主流で、旧小野田セメント株式会社が所有し、車籍は国鉄に属する「私有貨車」でした。
現在、旧小野田セメント株式会社は合併を繰り返し、太平洋セメント株式会社になっています。小野田セメント所有のタキ1900は一般的な黒の外装でしたが、富田を午後出ていく5294列車は淡緑色に塗られた「セメントターミナル株式会社」所有のタキ1900主体の列車でした。
この列車には富田から稲沢までの区間に乗務していました。
セメントターミナル株式会社は、国鉄と複数のセメント会社の出資によって設立されたセメント輸送会社でした。現在も存在する会社ですが、鉄道貨車によるセメント輸送は2007年に廃止しており、この色の貨物列車を見ることはできません。
この列車はここまで三岐鉄道を運転されてきたのですが、国鉄としては富田駅が始発駅ですので、列車掛は乗務検査をはじめ、始発駅ですべき作業をすべてやります。
始発駅における列車掛の仕事内容は以前に「【34】列車掛4:発車前の作業」で紹介しましたので、興味のある方はそちらをご覧いただくこととして、ここでは省略とします。
この列車の組成は、先頭から「ヨ+セメント積車(西浜松行+浦川及び元善光寺行)+ヨ」という編成で、このうち西浜松行の車両が「セメントターミナル株式会社」所有のタキ1900でした。
実際に浦川及び元善光寺行が連結されていることは少なく、乗務するたび、両端のヨ(ワフも共通運用なので、ワフの場合もある)以外は「セメントターミナル株式会社」所有のタキ1900主体の列車でした。
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1980年(昭和55年)3月11日
5294列車
富田12:42~稲沢14:35
DD51 890(稲一)
ヨ 14094(南ツソ)
コタキ112053 東藤原~西浜松
コタキ112045 東藤原~西浜松
コタキ112002 東藤原~西浜松
コタキ112056 東藤原~西浜松
コタキ112005 東藤原~西浜松
コタキ112015 東藤原~西浜松
コタキ112050 東藤原~西浜松
コタキ112054 東藤原~西浜松
ワフ 29816(天カメ)
現車10 延長換算14.0 換算46.0
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1980年(昭和55年)9月9日
5294列車
富田12:42~稲沢14:35
DD51 746(稲一)
ヨ 14530(盛アソ)
コタキ112018 東藤原~西浜松
コタキ112043 東藤原~西浜松
コタキ112046 東藤原~西浜松
コタキ112013 東藤原~西浜松
コタキ112017 東藤原~西浜松
コタキ112010 東藤原~西浜松
コタキ112009 東藤原~西浜松
コタキ 81918 東藤原~元善光寺
コタキ111947 東藤原~元善光寺
ホキ 25767 東藤原~元善光寺
ワフ 35158(秋アソ)
現車12 延長換算17.0 換算57.0
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編成を2つ掲載しました。
上は西浜松行の「セメントターミナル株式会社」淡緑色車ばかりの編成例。
下が約半年後に乗務した元善光寺行が付いた編成例で、元善光寺行は普通の黒色車両でした。
それにしても、ホキ5700形式車1両と緩急車を除くとすべてタキ1900形式なのですが、ナンバーだけを見ても形式はまったくわからないですね。
列車は関西本線内は弥富・蟹江・笹島に停車しましたが、当時蟹江はすでに貨物営業はしておらず、停車の理由は行違い待ちでした。弥富と笹島も貨物営業をしていましたが「解結禁止」の制限があり、この5294列車は、まったくのセメント専用列車でした。
こうした専用貨物列車は、入換作業の手間もなく、「オイシイ」列車でした。この列車が稲沢につくと勤務開放で翌日は休みだったので、気楽な列車の一つでした。
この列車は、稲沢で機関車も列車掛とも交代となり、約1時間停車ののち、列車番号を変えて折り返し東海道本線を上って行ったのです。
三岐鉄道対関西本線のセメント輸送はまだ健在で、機関車も愛知機関区のDD51ですから、富田駅や四日市駅周辺では国鉄テイストを感じることは可能かと思われます。両駅ともひさしく下車したことがありませんが、出かけてみたいスポットであります。
この記事へのコメント
デキ501
今回は専貨の話題ですね。
私も列車掛時代はセメント、石油の専貨には
多々乗務しました。解結貨や普貨と違い
途中駅での入れ換え作業も無く好きでした。
二俣線、金指からの住友
清水港線、巴川口の小野田
秩父鉄道、武州原谷からの秩父
西武鉄道、東横瀬等々
常備駅表示の貨車ばかりでした。
現在乗務したセメント専貨はもう全て
廃止、でも荷降ろしした駅では
サイロを使い現在もトラックにて
輸送している所もあります。
一括大量輸送の鉄道はもう時代遅れ
なのでしょうか?
しなの7号
国鉄時代にはセメント輸送は広い範囲で行われていましたね。鉄道セメント輸送が、これほど先細りになるとは思いませんでした。
常備駅の記録は、基本的に緩急車しかしなかったことが、車票の積荷の記録をしなかったことと並んで、今になって悔やまれます(T_T)
うさお
こんにちは
セメント列車は結構見かけたものでしたが、もう既に無いのですね。
西浜松のセメントターミナルは新幹線から見えますが、ヨ8000が数両留置されたままになったままですね。
あそこだけ時間がいつ見ても止まっているように感じます。
しなの7号
セメント積のタンク車・ホッパ車は全国的に見られたのですが、ほんとに限られた地域でしか運用されていないですね。
西浜松は、乗務で何度も行った場所で、たまに新幹線に乗ると必ず見下ろすスポットです。
うさお
こんばんは。
西浜松までが乗務区間だったのですね。
浜松駅近くには東京○○分、大阪○○分の看板がありますね。のぞみ号が出来る前のひかり号の時間ですが・・・・。
関西本線はDD51の天下なんで嬉しいです。
四日市に出張で行った際にDD51が止まっていて、写メを撮りまくりました。
しなの7号
いやぁ、貨物列車の乗務員時代は、東は東静岡まででした。詳細は「【30】列車掛2:乗務範囲と緩急車」に記しております。
DD51、未だに近くで姿が見られるのはうれしいです。運転したわけではないですが、入換で誘導したりしましたから思い入れは深いですね。
あのエンジン音がたまらんです(^◇^)