【310】 永住の地への旅立ち…D51 688

先週「【307】保存鉄道車両訪問9:D51777・D51849・D51688」で、岡崎市に保存されている旧中津川機関区所属のD51688のことについて触れました。今回はこの機関車の現役末期から保存地岡崎へ回送されていくまでのことを綴ってみたいと思います。
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前回の記事で掲載した履歴を見ますと、この機関車が青森機関区から中津川機関区へ転属してきたのは昭和46年10月12日、廃車された昭和48年6月16日まで、その中津川機関区在籍期間は1年8ヵ月にすぎません。これまで保存機関車を何台もご紹介し、履歴も書いてきましたが、長きにわたって中央西線に在籍した機関車には思い入れが強いものです。その意味において、私は688号機のことを「他所者」的な意識を持って見ていたのは事実です。
しかし、私がこの機関車に出会う確率は高かったように思います。

よく出会うということは、調子がよくて稼働率がよかったのかもしれませんが、どうもそれだけではないような気もします。それはこの機関車の形状に特徴があり、「ナンバーを見ることなくこの機関車が特定できてしまう」ことで、妙に印象付けられてしまったというのが現実なのかもしれません。

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上の写真は青森から中津川へ回送された直後の姿です。しばらくの間、回送されたままの姿で放置されていました。炭水車の上に大きな重油タンクが居座っています。こうした装備のD51は中津川では見ることがなく珍しく思って撮った一枚です。運用に当たってはこの重油タンクは取り外され、煙突には長工式集煙装置が新たに取り付けられましたが、このほかにも688号機には外観上の大きな特徴が2つありました。一つは機関士側の除煙板(デフレクタ)の下部が切り取られていること。あと一つは、前照灯の隣に副灯が付いていて2灯であるということでした。この特徴は写真を後で見ても特定が容易で、冒頭に掲載しました木曽川の鉄橋を渡る姿でも、ピンボケ画像であるのにもかかわらず、除煙板の形状が確認できます。
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副灯のほうは使用されていなかったようで、レンズも磨かれず真っ黒でした。先週の記事の「木曽路D51号」の写真を再掲しました。それがわかります。

こうして短い中津川時代を過ごし、中央西線全線電化開業を翌月に控えた時期に廃車となりました。

中津川機関区に在籍していたD51は電化完成によって、ことごとく廃車または転属になり、明知線と中津川駅構内入換用のC12が3両在籍するだけになりました。役目を終え、火を落としたD51がたくさん放置されて、機関区もひっそりとしてしまったのです。そんななかで、1両だけきれいに再塗装整備されつつある機関車がありました。
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ナンバーは付いていませんが、特徴から688号機と判ります。機関区敷地の奥のほうで少しずつ輝きを増していく姿を、私は通学の列車の車窓からいつも見ていました。どこかへ保存されるための整備だろうということは、その様子からわかりましたが、何処へ保存されるのかは最後まで私は知りませんでした。それに特に遠方に保存される機関車の場合は、保存場所に据えつけられてから整備されるのが一般的でしたので、このように整備してから保存場所に向かうということは、あまり聞いたことがありませんでした。

整備が完了したと思われた夏のある日、動きがありました。D51688は、構内入換用のC12にエスコートされて、機関区を出て、駅構内へ向かいました。
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C12から切り離されました。取り付けられていたナンバープレートは模造品でした。中津川を去る日の姿です。
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この日688号機は夕方の上り稲沢行貨物列車のEF64次位で回送されていきました。
夕暮れの非常に悪いコンディションでしたが、自力ではないものの地元でD51の走行シーンを見ることは、ほんとうに最後だろうと思ったので、その走行写真を撮りました。
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保存地岡崎で再会したのが1997年でしたので、この時から25年後でした。それから、また15年が経ってしまいました。再び訪ねてみたいと思っています。

この記事へのコメント

  • 中央西線

    副灯といえばD51238もでしたね。こちらは珍しい苗穂製でしたね。
    2012年09月08日 13:26
  • しなの7号

    中央西線様
    238号機については「【305】保存鉄道車両訪問8:D51238・D51402・D51549」で先月ご紹介しました。
    688号機、238号機ともに中央本線電化によるSL廃止間近の時期に中津川に転入してきた機関車でした。
    2012年09月08日 21:48
  • 岡崎保存協力会

    記事を見て私共の知らない688号の珍しい写真とともに経歴を詳しく解説いただきうれしいとともに大先輩に感謝いたします。毎月磨き続けて今年で40年になります。一度岡崎をお訪ねください。第二日曜9時から活動しております。会長
    2013年01月28日 22:23
  • しなの7号

    岡崎保存協力会様

    こちらこそ、ご活動のご苦労に感謝いたします。
    この機関車を、私たち撮影仲間はロッパッパと呼んでいました。岡崎の地で美しく保存されている姿を拝見したいと思いつつ、時間が過ぎてしまっています。
    私的な現状では、しばらく訪問することができませんが、いずれ再会を果たしたいと思っております。
    ご案内のコメントありがとうございました。
    2013年01月29日 06:12
  • 岡崎保存協力会

    弊会には、元機関士専務車掌駅長などの会員がおり清掃中に若者の質問に答えてくれます。古い資料が手元にありませんので来月の総会に[310]の記事を紙コピー資料として会員に配布したいのですがご許可いただけないでしょうか。会長
    2013年02月09日 08:54
  • しなの7号

    岡崎保存協力会会長様
    お若い方々に、688号機の記録として、事実を知っていただければ、私としてもこの上ない喜びです。
    どうぞ、お使いくださいませ。
    2013年02月09日 12:46
  • D51688号蒸気機関車保存協力会

    「しなの7号管理人様」
    以前コメントを差し上げ、掲載写真の会員への公開をお許しいただきました。その際はご配慮ありがとうございました。
    弊会が毎月愛しく磨いている688号は今年で公園に来てから50周年の記念の区切りを迎えました。現在保存協力会創立と688号公園設置の50年記念誌をまとめております。誌面に掲載する資料を市民の皆さまからも寄せられ、688号が岡崎駅に到着する様子の8mmフィルムも発見されました。貴殿の中津川発の上記掲載の写真は、岡崎に到着したEF64次位のままの編成でした。大変貴重なシーンですので是非50年誌に掲載したくご許可いただきたくお願いを申し上げる次第です。岡崎には昭和48年7月28日に到着していますので、当日の朝に中津川を発したのでしょうか?撮影日時がおわかりでしたらお教え願います。また、他のシーンの写真も使わせていただけないでしょうか?
    現在、南公園は大幅リニューアル中で688号もシートで覆われていますが、2か月に1度ではありますが清掃・整備を続けております。長文で失礼します。会長
    2024年08月23日 18:30
  • しなの7号

    D51688号蒸気機関車保存協力会様
    D51 688が岡崎に来てから50年とは月日が経つのは早いですね。D51 688の現役時代が30年と少しくらいですから、保存期間のほうがすっかり長くなっていたのですね。長きにわたる清掃・整備活動をしていただいたからこそ、この機関車の今があるわけで、改めて感謝です。
    もちろん50年誌への画像使用は構いません。

    D51 688の中津川から旅立ったのは、岡崎到着の前日7月27日の夕刻18時台でした。日の長い時期でしたが、かなりコンディションが悪い状態になり不鮮明な画像で申し訳ありません。

    この記事末尾を「再び訪ねてみたいと思っています。」で結びましたが、その後2018年12月に21年ぶりに南公園に再訪しました。中津川時代の装備を壊すことなく、大切に整備されていることをうれしく思いました。
    2024年08月24日 20:32

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