【311】 思い出の乗務列車3:専貨5799~5899列車

東海道本線5799列車~中央本線5899列車は、長野県内への飼料輸送のための専用列車でした。
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ホキ2200形式車で組成され、飼料用トウモロコシの類を輸送していました。
この列車は名古屋臨海鉄道という貨物鉄道会社の「知多」という貨物駅から東海道本線笠寺駅に乗り入れてきました。
いったん東海道本線5799列車として稲沢まで運転され、中央本線直通の5899列車と名前を変えて折り返しました。中央本線に入り、塩尻で辰野行き車両を切り離し、終着駅は篠ノ井でした。このうち私の乗務区間は笠寺~稲沢~中津川間でした。

名古屋臨海鉄道の機関車に牽引されて、笠寺駅へ到着する列車です。
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ここから乗務が始まるのです。
名古屋臨海鉄道の機関車は切り離され、代わりに稲沢第二機関区のEF65が連結されます。
この列車はここまで名古屋臨海鉄道を運転されてきたのですが、国鉄としては笠寺駅が始発駅です。先週ご紹介した富田駅での三岐鉄道から引き継ぎ同様、列車掛は笠寺駅で乗務検査をはじめとする、始発駅ですべき作業をすべてやりました。
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それでは、ある日の編成をお目にかけましょう。

1980年(昭和55年)8月12日
5799列車
笠寺17:34~稲沢18:02

EF65 106(稲二)
 ヨ  6171(盛アソ)
ォホキ 2269 知多~篠ノ井
ォホキ12493 知多~篠ノ井  
ォホキ13013 知多~篠ノ井
ォホキ12241 知多~篠ノ井
ォホキ12685 知多~篠ノ井
ォホキ12901 知多~篠ノ井
ォホキ12897 知多~篠ノ井
ォホキ12462 知多~篠ノ井
ォホキ12905 知多~篠ノ井
ォホキ12913 知多~篠ノ井
ォホキ12835 知多~篠ノ井
 ワフ35826(西コフ)
ォホキ12976 知多~辰野
ォホキ12679 知多~辰野  
ォホキ13014 知多~辰野
ォホキ 2287 知多~辰野
ォホキ12757 知多~辰野
ォホキ12231 知多~辰野
ォホキ12684 知多~辰野
ォホキ12766 知多~辰野
ォホキ 2451 知多~辰野
 ワフ35304(天シク)
現車23 延長換算35.0 換算103.2

牽引機「EF65 106」は分割民営化の際にJR東海へ引き継がれ、のちにユーロライナー塗装になりましたが、この当時は国鉄色であったことは言うまでもありません。
専用列車は稲沢では一般の貨物列車のようにヤードを経由しませんので、わずか11分の停車時間で機関車の付替のためだけの停車ということになります。稲沢から進行方向が逆になり、私も乗務車両が、最後部だったワフからそれまで最前部だったヨに変わりました。
EF65 106は切り離され、代わりに反対側に連結されたのはEF64 48(篠)とEF64 49(篠)の総括重連でした。
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5899列車と名前を変えた列車は18:23に稲沢を発車し、途中新守山駅で旅客列車の待避で30分以上の停車をする以外は、中津川まで無停車でした。
東海道本線内でEF65は、この列車の場合牽引定数は120となっていて、1200t牽引が可能でした。中央本線に入ると険しい山間部に線路が敷かれていて、急勾配もありますので、EF64重連をもってしても、多治見以北の牽引定数は110。すなわち1100tしか牽けないわけです。
編成の末尾に換算103.2と記しましたが、この列車はほぼ定数いっぱいの重量であることがわかります。

新守山以外にも、中津川以北で単線区間での行き違いや旅客列車に追い越されるための待避がありました。編成が長すぎると停車時に列車が本線上にはみ出してしまい、行き違いや追い越しができなくなりますので、長さの制限もありました。
この列車の場合は「延長換算36両(2軸車1両=8mとして換算:8×36=288m)以内」という制限(大桑駅待避時の線路長による)があり、編成長がそれ以下になっていないと事故になるのです。
上の編成では「延長換算35.0」とあり、長さのほうも制限ギリギリということがわかります。
中津川には20:55着。ここで、この先の列車掛に引き継いで仮眠ということになります。

この列車は3両の緩急車のほかは、すべて「ホキ2200」という形式のホッパ車でした。
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貨車は一般に黒っぽい塗装が多く、それは汚れが目立たないようにされた結果なのでしょうが、このクリーム色の外観は貨車としては異例の明るい色でした。かつては比較的ポピュラーな形式だったホキ2200も見なくなって久しいものです。

この列車は篠ノ井行と辰野行の間に緩急車が必ず1両入ります。私が当時住んでいた実家は線路からは離れていましたが、風向きによっては列車の音がよく聞こえてきました。
ガタガタッ、ガタガタッ、ガタガタッ、ガタッタンタンガタッ、ガタガタッ、ガタガタッ、・・・・・ガタッタンタン
休みや明けで実家にいると、中間の緩急車のところで一瞬リズムが崩れ、またガタガタッが続くこの列車の音がすると、ああゴーパーキュウキュウだなあ。今日は誰が乗ってるのかなと考えると同時に、その音で時刻もわかるのでした。

この記事へのコメント

  • トシ@グッズマニア

    ホキ2200の専貨、懐かしいです。
    子供の頃、矢田川橋梁の近くに住んでいて、矢田川の堤防からよく見かけました。

    専貨Bはおろか、最近は専貨そのものが限られた路線でしか見られなくなり、本数もめっきり減ってしまいましたね。
    それでも名臨鉄の白ホキや美濃赤坂の赤ホキ、関西本線や中央西線のガスタキなど、名古屋地区は比較的専貨を多く見られる、恵まれたエリアでしょうか。
    2012年09月11日 14:00
  • しなの7号

    トシ@グッズマニア様
    JR移行後1996年、夜明けの矢田川橋梁で64-0単機牽引の返空のタキとホキ2200とで組成された上り列車を撮ったことがあります。ちくま号の直前でした。
    2012年09月11日 17:00
  • 貨車区一貧乏

    こんばんは
    東京南局大川駅常備のホキの模型、私も購入しました^^。
    前出のセメント専貨は意外に無縁でしたが、ホキ2200は交番検査もしましたし、乗務した列車でもありました。

    優等生で殆んど故障の無い車両で制輪子の摩耗も少なく、検査修繕を担当する私たちは非常に助かりました。
    一度だけホッパーの開閉部が故障したことと、制御弁不良で弁交換したくらいでワムやトキに比べるとメンテの労力は雲泥の差がありました。

    こちらでは、飼料運搬の大型トレーラーをよく目にします。
    あぁこれがホキの後継者になっているんだと一人納得しています(涙)
    2012年09月11日 23:03
  • しなの7号

    貨車区一貧乏様 おはようございます。
    首都圏では大川駅常備のホキ2200が定番でしたね。模型はワムのような単純な造形でないのにうまく再現されていると思います。実車は制御弁とか、一般的に床下にある機器が床上にあったりするので、メンテは楽だったということでしょうか。
    実車は小樽市総合博物館にも保存されていたと思います。一度訪問しましたが、多くの展示車両があり過ぎで
    ホキ2200をゆっくり見ないままタイムアウトでした。
    2012年09月12日 07:20
  • デキ501

    しなの7号様、こんばんは

    ホキ2200といえば、比較的地味系の車体色が多い
    貨車達の中でも肌色?と比較的目立つ存在でした。
    南局や千葉局からの大規模な専貨は知っていましたが
    名局からも長野県内陸部への大規模輸送が
    あったとは知りませんでした。
    それにしても組成中全てがホキ2200の専貨
    さぞ圧巻でしょうね、私も一度は乗務して
    みたかった、私達の乗務範囲では
    巴川口か大川常備車が多くても数量程度でしたから。
    また、構内掛時もヤード留置中の彼らの
    近くに行くと、飼料というか穀物独特の
    臭いが漂っていた思い出があります。
    2012年09月12日 23:45
  • 貨車区一貧乏

    こんばんは
    再コメ失礼します
    交検の件ですが、ホキやコキは制輪子がレジン製がほとんどで、鋳鉄製の制輪子より減りが少なく制輪子交換の頻度が少ないこと、コロ軸であること、パレットなどで荷物をフォークリフトで出し入れ不要といった要因でホキやタキは上廻りの破損がほとんど無い、これらが要因でしょうか。それに比べトラ、トキの上廻り(特にアオリ戸)の修繕は一苦労でした^_^;

    追伸
    205系とのお別れに今日の夕方北斗星に乗って東京に行く予定でしたが、江差線でコキによる脱線事故発生の関係で青函が不通でウヤになってしまいまして(+_+)代替のホテルや飛行機の手配で疲れました。
    2012年09月13日 03:03
  • しなの7号

    デキ501様 おはようございます。
    ホキ2200は遠くからでも識別できたので、一般の貨物列車に連結されていると目立ちましたね。専用貨物列車になると緩急車の存在が目障りなほど、明るい感じの列車でした。
    そうそう、匂いもしましたね。
    2012年09月13日 07:05
  • しなの7号

    貨車区一貧乏様
    そういうことでしたか。解説ありがとうございました。
    実際に検修に関わっていないとコキ50000はレジンだったことは、覚えていますがホキ2200もレジンだったのか全く記憶にございません(+o+)。

    青函不通ですか(゜o゜)
    事故があると国鉄時代は早期開通のため全力を注いだものですが、最近は警察や国交省の調査が最優先ですね。
    物事の考え方も時代とともに変わってきたことを感じずにはいられません。しかしコキが事故の当事者とは、原因が気になるところです。
    205系への再会にあたっていきなりのトラブルで大変でしたね。今後の旅程が何事もなく、205系との再会を楽しんできていただけますよう祈っています。
    2012年09月13日 07:17
  • くろしお1号

    しなの7号様、おはようございます。ご無沙汰して申し訳ありません。
     今回のような貨車や貨物列車の記事、そして読者の皆様のコメントを拝読すると、貨物に携わった方々が培ってきた「文化」が、とてもよく伝わってきます。
     旅客列車に比べると地味ではあっても、ずらりとつながれた重量感ある貨物列車を組成したり、酷使される車たちをいたわる姿を思い浮かべると、国鉄は数え切れないほど多くの専門技能者の集団であったのだ、と今更ながら認識しています。
     運転士(機関士)の世界でも、ブルトレなど旅客列車では、衝動のないノッチやブレーキ扱いのエリート専門家。電車は、如何に短いブレーキ距離で停止目標に合わせるアクロバット隊。そして、特に貨物列車はかけ増ししかできない(効いているブレーキを少し緩めることは不可、一旦全部緩んでしまう)困難なブレーキで有効長一杯に重い列車を止める。また、連結器の遊間を使った上り坂途中からの発進。最もテクニックを有した職人さんでした。
     しなの7号様にも、旅客、荷物、貨物(まるで通教の科目ですね!)と、きっといろいろな車掌テイストを持って乗務されていたことでしょう。それぞれを比較したエピソードなども、機会がありましたらご披露下さい。
    2012年09月15日 09:29
  • うさお

    しなの7号様 こんにちは
    ホキ2200飼料輸送貨物、全車両がホキとは圧巻ですね。EF64牽引というのもいいです。
    東北線では貨物にちらほらと混じっていたのしか覚えていません。
    高崎線の倉賀野にはビール工場の専用線にホップ輸送用で止まっていたのは見たことがありましたが、あっという間に絶滅してしまいましたね。
    私も小樽市博物館に行きましたが、キハ82やらマニ30にばかり心を惹かれてしまい記憶に残っていません。
    2012年09月16日 12:47
  • しなの7号

    くろしお1号様 こんにちは。
    国鉄が存在したころ、おっしゃるとおり、それぞれの仕事には熟練者がいて、その職人芸を見ることができたものです。
    今のように車両、設備とも進化によって、アナログ的な人間の判断や技術など伴わなくとも一定の結果が導き出されることは、すばらしいことで、歓迎されることでしょうが、そのことによって、かつて職人芸を磨きそれを生きがいにしていたような仕事に対する思い入れや研究心が希薄になってしまってきたようにも私は思うのですが…
    2012年09月16日 13:29
  • しなの7号

    うさお様 こんにちは。

    ホキ2200ばかりで組成された貨物列車をEF64重連が牽く列車は、今なら恰好の被写体だと思います。時間的に夕刻の発車なので、夏場なら、清州あたりで撮れたと思うのですが。
    小樽の保存車、他の役者たちがあまりに有名人ばかりなので、存在感をアピールできずかわいそうですが、末永くその姿を後世に残してほしいものと思います。
    2012年09月16日 13:36
  • kimaroki9600

    こんにちは、こちらの記事を拝見し、Nゲージで是非再現したく車両を調達しております。
    ホキ2200について管理局名が表示されておりますが、名古屋付近なので「名」の物だけでしょうか、他の管理局の物も含まれていたのでしょうか、御存知でしたら御教示頂ければ助かります。
    2019年03月05日 12:33
  • しなの7号

    kimaroki9600様
    ここに書いたこと以外は確認しようがございません。お役に立てず申し訳ございません。
    2019年03月05日 19:41
  • kimaroki9600

    ありがとうございました。
    「思い出の乗務列車」読ませていただいております。
    しなの7号様の体験記楽しみにしております。
    2019年03月05日 22:24
  • しなの7号

    kimaroki9600様
    「思い出の乗務列車」をご覧いただきありがとうございます。ほぼ書き尽くしましたが、いつになるかわからないながら、あと少しだけですが書くつもりはありますので、よろしくお願いいたします。
    2019年03月06日 15:02
  • 木田 英夫

    しなの7号様、おはようございます。5月21日、中央西線を走った車両20にて教えて頂いたリンクからこちらに入りました。

    実例を交えた今回の記事で、「そんなに長くないのに重連?」ではなく、中央西線の状況により、この長さの貨物列車でも重連で引かなければならないということ。よくわかりました。
    何度か特急しなの号で通ったことのある中央西線。電車の傾き具合からカーブのきつい路線とは思っておりましたが、急勾配という印象は正直あまりありませんでした。関ヶ原の件のコメントで「新垂井経由の迂回線は、今日でも貨物列車にとっては必需品」との指摘も頂きました。機関車牽引の列車、重量貨物列車にとっては、急カーブよりも急勾配の方が手ごわい相手。電車にとっても案外そうなのかも知れませんね。

    いつもありがとうございます。木田英夫

    追伸
    今回のクリーム色一色のホッパー車編成。編成表をよく見ると車掌車を除いて丁度20両。レサ編成の記事の写真と重ね合わせて、1.機関車は貫通扉付きの重連型、EF65の1000番代の重連。2.車掌車は外してホッパー車20両。3.クリーム色の車掌車は??なので、ここはJR仕様で最後尾の車両に赤い反射板2枚。などと余計なことも想像してしまいました。すみません。

    そして、この貨物列車が目的地に着くのは翌朝でしょうか。「深夜の木曽路を人知れず往く夜行貨物列車」。家内の祖母の葬儀に出席するため安中へ向かうとき、夜行急行ちくまで深夜の木曽路を通ったことを思い出し、なんとも言えない気持ちになりました。
    2022年05月25日 07:59
  • しなの7号

    木田 英夫様 こんばんは。
    自動車とは違って、電車に乗っていて急勾配を体感するような区間は少ないですね。蒸機時代に四苦八苦で越えていった急勾配でも、今の電車は軽快に登って行ってしまいます。中央本線に急勾配急曲線が多いのは急峻な地形によるのはもちろんですが、明治時代に全線開通した古い路線であることも一因ではないかと思います。

    中央西線の飼料輸送はJRになってからも続いていました。1991年版の貨物時刻表によれば、
    列車番号:5775~5879
    時刻:笠寺18:14―18:39稲沢19:03―23:01塩尻3:23―4:56篠ノ井
    となっていて、この記事にある列車とほぼ同じ時間帯に運転されていたようですが、時刻表に書かれた編成内容は「飼料・石油」とあり、石油専用列車と統合されたものと思われます。
    EF65は名古屋から中津川までは臨客牽引で中央西線に入線したことがありますが、適材適所という言葉どおりで、EF65は重連といえども、少なくとも木曽路での使用は無理なのではないかなあと思います。

    そして中央西線から夜行旅客列車がなくなってしまった今でも、深夜にEF64-1000重連やEH200が牽引する石油類輸送の貨物列車が設定されています。しかし、もう実家がありませんので私が深夜にその走行音を聞く機会はなくなりました。
    2022年05月25日 20:12
  • 秋津のOB

    またも失礼します。河合製ホキ2200が4両ありますがもう少し集めてみるのも面白そうですね。

    さて当記事の編成を見ると緩急車が両端と中間の3両。乗務位置は後部緩急車と推測します。そうなると残り2両は無人のままと思いますが、そんな緩急車は夜間走行中だと消灯したままだったのでしょうか?

    昨今のNゲージ車掌車は車内灯組み込み可能、もしくは装備済みの製品が出てます。今更ながら夜間走行の貨物列車で複数の緩急車が入っていたら、全車とも車内灯は点けておくのか、乗務位置以外は消しておくのかが気になりました。

    模型として眺める分には車内灯が点いた緩急車は絵になりますが、さりとて列車掛が乗務していない緩急車まで点いているのも妙な気もします。ググったらドンピシャな情報は無く、当方は国鉄時代の貨物列車を夜に見たこともなく。

    そうなれば経験者に聞くのが最適解と判断しました。
    2022年10月15日 19:46
  • しなの7号

    秋津のOB様
    列車掛の乗務位置は原則最後部緩急車で、複数の緩急車が連結される場合でも、列車掛は1人だけですから、無人の緩急車の室内灯は消灯しています。ただし入換作業等が各駅で続く列車では、その区間だけは作業の関係で最前部の緩急車に列車掛が乗務することもありました。その場合は最後部の緩急車は尾灯のみ点灯させ、室内灯は消灯ということがあり得ますが、このような専用列車では最後部以外の緩急車に室内灯が点灯しているのは不自然だと思います。
    2022年10月15日 21:13
  • 秋津のOB

    >しなの7号様

    ご指南ありがとうございました。

    ぶっちゃけ模型列車での緩急車は1両で充分でしょうが、中間や機関車次位に繋いだ実例もあり、夜行運転もあったゆえ今更ながら疑問を持ったものです。

    車内灯を入れる緩急車は殿とし、組み込んでないか電飾自体がない旧い製品は中間または前部緩急車にする方が無難ですね。

    そういえばtomix版のレムフ10000は車内灯と尾灯が標準装備ゆえ、編成両端にレムフを繋げる場合はKATO製旧仕様で遊ぶとしましょう。tomix製ヨ8000旧仕様の尾灯基盤などを合わせて片方のレムフの両端尾灯のみ点くように改造したものです。もう片方は色差しのみです。
    2022年10月18日 10:39
  • しなの7号

    秋津のOB様
    貨物列車では、途中駅で列車掛が入換作業をする列車とか、途中で進行方向が変わる列車には前後に緩急車が連結されました。この5899列車は中間にも連結されていますが、途中2回進行方向が変わり、辰野行を切り離した後に必要だからだと思われます。ほかにも所属区への回送とか新聞輸送のために緩急車が中間に連結されるケースはありましたが、前のコメントで書いたとおり、入換作業を伴う貨物列車以外は無人なのが一般的です。レアケースになりますが、特大貨物や甲種輸送、動物の輸送など特殊な貨物を輸送する車両の伴車として最後部以外に連結された緩急車に付添人が乗車することはあり得ます。しかしそこに室内灯が点灯して尾灯が点いてしまったらまずいですね。
    ところでレムフ10000が前後両端に連結された列車を見たことがありませんが、実際にあったのでしょうか。
    2022年10月18日 20:07
  • 木田 英夫

    しなの7号様、おはようございます。
    朝早くから割り込みで失礼致します。

    前後に車掌室(レムフ)を繋いだレサ編成、私も見た記憶はありません。西ノ宮〜芦屋間で見ていた上り列車では、最後尾にレムフがついていたと思います。

    ところで、このレサ編成ですが、レムフが1両の場合、九州に戻る時の車掌室の位置はどのようになっていたのでしょうか。

    1.そのまま折り返し。車掌室は機関車と向き合う。
    2.こちらの他の記事の通り、車掌さんの乗務位置は原則列車の後部であるから、編成からレムフを切り離し、何らかの方法で向きを変えて、改めて最後部につなぐ。
    3.レムフの向きを変える手間を省くため、切り離したレムフをそのまま最後部につなぐ。(最後の車に車掌室はあるが、最後尾ではなく、隣のレサと車掌室が向き合う。)

    或いは、昔「特急つばめも利用した塚口駅」のように、どこかの分岐点のある駅まで回送して、編成ごと向きを変える?

    などいろいろ考えられますが、実際はどうだったのでしょうか。模型の世界であれば、片手で簡単に向きを変えられますが。

    電車のように両側に運転台(車掌室)のない貨物列車はどうするのだろうと思い、コメントさせて頂きました。木田英夫
    2022年10月19日 10:33
  • 秋津のOB

    >しなの7号様
    鮮魚特急のレムフは全11両と少なめでして、『とびうお』『ぎんりん』運用分に検査予備も勘案すると2両繋ぎはかなり少なかったと思われます。

    されどGoogle先生に「レサ10000」と聞いたら、1974年4月2日に吹田〜東淀川の鉄橋を過ぎる返空の鮮魚特急10連?両端レムフの写真がヒットしました。他にはレムフの前後にレサが連結されたのも。

    かなり古い鉄道ファン誌にセノハチを上がる鮮魚特急の最後尾、レムフが連続2両でぶら下がっている写真も見た覚えがあります。機能上は1両で充分なのでしょうが運用の都合で2両入る場合もあったと判断します。

    鮮魚特急がレサから冷蔵コンテナに置き換えられた直後はレムフがコキフ代用で編成両端に繋がっており、その頃の写真もありました。その写真だと両方のレムフ車掌室が編成内側へ向いた姿です。

    ただしレサ10000系のみで鮮魚特急を担っていた頃の写真だと、レムフ車掌室は下り側を向いた姿しか確認できていません。貨物の緩急車なら向きは自在に連結できるものだろうとも思いますが…。

    鉄道ジャーナル誌の列車追跡シリーズで(確か吹田操車場がメインだったような……)解結貨物にレサが1両だけ入った記録もあります。やはり貨車ゆえかなり柔軟に連結された場合もあったと考えております。……長々とすいません。
    2022年10月19日 17:04
  • 秋津のOB

    連投で失礼します。

    >木田さま

    先のコメントのため色々と鮮魚特急の写真に目を通しました。それらの比較からしますとレムフ1両の場合は連結位置を最後尾に付け替えますがレムフ自体の方転しなかったと判断します。上り列車は車掌室が編成後端に、下り返空だと車掌室はそのままレサ側を向く写真が多かったのです。

    レムフ最晩年のコキ編成組み込みだと、先述のように編成両端のレムフは車掌室を編成内側へ向けた写真があります。
    2022年10月19日 17:24
  • 木田 英夫

    秋津のOB様 こんばんは。

    早速の情報提供ありがとうございました。
    上りはいつも夕方に見ることができたのですが、下りは全く見たことがありませんでした。おそらく通過時間の関係だったと思います。

    模型の世界では、手で持ち上げて簡単に方転できますが、(老眼にとってはその後線路に乗せるのが一苦労。リレーラーがないとほぼ不可!)こちらのレサ編成の記事を読んでいるうちに、実車ではどうしていたのだろうと、あのようなコメント投稿いたしました。

    今後共宜しくお願い致します。木田英夫
    2022年10月19日 19:13
  • しなの7号

    木田 英夫様 こんばんは。
    列車を組成するとき、一部例外を除き緩急車を最後部に連結しなければならないと規定されていましたが、緩急車の乗務員室の向きについての規定はありません。緩急車には乗務員室があり、ほかにブレーキシリンダ、ブレーキ管の圧力計、緊急停車のために使う車掌弁、手ブレーキが設備されなければなりません。100km/h走行するための緩急車(レムフ10000とコキフ10000)には、さらに元空気ダメ管の圧力計と電磁ブレーキの通電確認をするための表示灯も必要でしたから、鮮魚特急には一般の緩急車を使用することもできず、九州へ折り返す際は入換作業で往路のレムフ10000の連結位置を前後付け替えていたものと考えます。
    2022年10月19日 20:19
  • しなの7号

    秋津のOB様
    お調べいただきありがとうございました。折返し時の組成方の考え方は私も同じです。編成の両端にレムフを組成しておけば折り返すときの手間はかからないのですが、レムフ10000は数が少なく編成最後部に1両だけで運転することを基本としていたのかもしれないですね。
    レムフの向きもおっしゃるように下り向きに乗務員室というのがデフォルトだったと思いますが、10000系には電磁ブレーキの引き通しがあるとは言っても電車のような向きの固定はしていないので、晩年のコンテナ化後にあるように向きが変わっていても不思議ではないと思います。
    10000系貨車を一般の貨物列車に連結することも可能ですが、当然その貨物列車の最高速度でしか走れません。レムフ10000をコキフ10000に代用しても100㎞/h走行が可能ですが、コキフ50000やヨでは電磁ブレーキが使えないので速度制限がかかります。
    2022年10月19日 20:19
  • 木田 英夫

    しなの7号様、秋津のOB様、おはようございます。
    一鉄道マニアの初歩的な(或いは子供じみた)質問に、詳しく解説頂きありがとうございました。

    貨物列車の車掌車が廃止され、代わりに赤の丸い反射板。車掌さんの乗務位置は機関車の後ろの運転台ということは鉄道雑誌の記事等で知っておりましたが、こちらのウェブログによれば、車掌さんの乗務自体も無くなっているとのこと。

    最近大阪駅で見たのですが、丹波路快速が終点大阪に到着し、清掃会社のスタッフが車内点検を終えると、車掌さんは室内灯を消して運転台から離れて行きました。以前からなのかも知れませんが、回送列車でも車掌さんの乗務は無くなっているのかもしれません。

    時の流れが早く感じるのは、単に年のせいだけではないですね。正に「昨日の常識は今日の非常識」……。
    いつもありがとうございます。木田英夫
    2022年10月21日 10:52
  • しなの7号

    木田 英夫様 こんばんは。
    初歩的な質問とは思っていません。鉄道ファンの知っている分野と、そこで働き列車の運行に従事する職員が知るべき分野とが相違するだけのことであって、立場上の違いに過ぎません。鉄道ファンの方が常識として知っていることであっても、鉄道職員どうしで話題にもならない無関心なことや、まったく知らないことはいくらでもあり、その逆もまた同じことです。

    国鉄末期(61.11)以後、EB装置、列車防護無線、列車無線が完備したことによって理屈上の話であれば運転保安要員は運転士一人で可能になっています。その結果、旅客列車でのワンマン化が進展して、JR九州のようにワンマン特急列車まで走っています。
    2022年10月21日 20:35

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