【328】 思い出の乗務列車11:武豊線948Dのキニ28

先月は4週も続けて「キニ」を併結した急行「紀州5号」のお話をしてしまいました。
就職した直後に約3年経験した荷扱の仕事は、汚い労務職ながらも、印象に残っていることも多いので、つい長話になってしまいました。
その「紀州5号」では、私はキニ26に乗務掛(荷扱)として乗務していたわけですが、その後、列車掛を経て約2年後、車掌として「紀州5号」の間合い運用の普通列車に乗務することになりました。それが名古屋始発で東海道本線から武豊線に直通する948Dと、その折り返しの953Dでした。
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間合い運用においては荷物車キニは回送で、まったくその存在価値はありませんでした。そのときの編成の例を示します。

昭和56年10月19日

東海道本線~武豊線948D
運転区間 名古屋18:02~武豊19:04
乗務区間 名古屋~武豊

3 キハ57    1 名ナコ
4 キハ65  510 名ナコ
5 キハ57   10 名ナコ
6 キハ57    3 名ナコ
7 キロ28 2309 名ナコ
8 キハ58  443 名ナコ
9 キハ65  506 名ナコ
- キニ28    1 名ナコ

(3~5号車 名31  6号車~キニまで 名11)

948Dは、夕方名古屋を出る通勤列車で、当時は武豊線専用のキハ35の運用に割って入るような形で運転されました。朝も同様に2往復(「急行かすが・平安」と「急行のりくら1号・おくみの」)の急行間合い長大編成が入線していましたが、荷物車キニが連結されていたのは、夜の1往復だけでした。
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私が荷扱で紀州5号に乗務していたころ使用されていたキニ26は、古いキハ55系の改造車だったので、私が列車掛になったときとほぼ同じ時期に当たる1979年初めに高松へ転属して行き、車掌として乗務した948Dに連結されていた荷物車は、キロ28の改造で新しく誕生した「キニ28」でした。キニ28は国鉄では5両しか改造されなかった珍車で、改造車ではありましたが、種車キロ28から流用されたのは足回りだけで、車体は新造でした。正面形状と運転室部分はキハ40系列車と同じ形態で、側面と荷物室はマニ50に近似の形態でした。名古屋第一機関区には、キニ28 1と2の2両が配置されていました。
このキニ28の写真を私は撮っていません。しかし、同時期にキロ58から改造され常磐線で活躍していたキニ58が「碓氷峠鉄道文化むら」に保存されています。外観はキニ28と非常によく似ていますので、そこで撮った写真を代用として貼っておきます。
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キニ26時代と同様に、急行編成での運用しかありませんでしたが、外部塗色は最初から首都圏色と通称される朱色5号でした。

余談になりますが、キニ28の姉妹車とも言えるキユニ28が、高山本線用として美濃太田機関区に所属していましたが、改造時期が2色塗の一般色から首都圏色への移行時に重なっていたために、初期車は下の写真(高山本線での撮影)のように、一般色で登場しました。
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しかしキニ28の改造が始まったのはキユニ28より少し遅かったので、キニ28には一般色は存在せず、全車が首都圏色で登場しました。この下の写真もキユニ28ですが首都圏色で、同様に高山本線で撮影したものです。首都圏色と急行色とのちぐはぐな競演の雰囲気だけでも味わっていただくとしましょう。
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948Dでは、回送で全く意味をなさないキニ28の直前の車両の9号車が私の乗務位置でしたから、キニ28の室内も容易に見ることができました。
何も積まれていない荷物室内に入ってみると、その2年前まで新聞と格闘していたことを思い出しました。この編成は武豊を1往復した後、深夜905D紀州5号になりました。その列車には後輩の乗務掛が乗務し、新聞を積み込まれて東紀州路の新聞配達に活躍していたのでした。
(下の写真も「碓氷峠鉄道文化むら」に保存されているキニ58の荷物室内です。)
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この記事へのコメント

  • 103おやじ

    こんばんわ、始めまして。103おやじと申します。
    武豊線、母方の親戚が半田在住なので、馴染み深い路線です。
    母方の祖父が、亀崎駅の駅長だったので、電化前に訪問したいです。
    武豊線で一番思い出あるのは、「急行のりくら」の間合いの普通列車のグリーン車乗車です。
    85年頃、ありましたよね?
    2013年02月23日 21:50
  • しなの7号

    103おやじ様 はじめまして。
    コメントありがとうございました。
    亀崎駅長様のご子息様!ですか、由緒正しき国鉄の家系とは畏れ多くございます(笑)

    「急行のりくら」間合いの列車については、拙ブログではこちら(【94】武豊駅からズームイン!!)https://shinano7gou.seesaa.net/article/201011article_4.html)でご紹介したことがございます。この列車には数々の思い出があるので、いずれ改めて拙ブログでご紹介する機会があろうかと思います。いつのことかわかりませんが(・・;)
    2013年02月24日 07:05
  • しゅう

    はじめまして。思い出を模型で再現しようと調べている中、この記事にたどり着きました。武豊線の長大編成について沢山書いてくださり、ありがとうございます。子供の頃、武豊線の線路沿いに住んでいました。イカツイ長大編成を見るのは、いつもワクワク胸が躍る瞬間でした。朝は長大編成の轟音で目覚め、夕に荷物車を付けた列車を公園で見送っては、家に帰宅していました。修学旅行も名古屋まで朝の長大編成でした。長大編成がのりくらに変身することは、武豊の子供達にもよく知られていましたが、夕の編成が関西に向かう夜行だったり、あの赤い荷物車が空っぽだったなんで、全く知りませんでした!折り戸の車両(キハ65)はエンジン音が他と違うなーと子供ながらに観察していましたが、その謎も解けました。私にはワクワクした思い出しかありませんが、他の記事にもお書きになられているような運用面のご苦労が相当あったのですね。興味深い記事をありがとうございます。
    2019年03月02日 23:48
  • しなの7号

    しゅう様
    コメント投稿ありがとうございました。
    今では考えられないような列車でありましたが、私には忘れられない列車です。あのころ自分が仕事で乗務していた列車を見たり乗ったりされた方にご覧いただけて、こんな列車が遠い国鉄時代には日常にあった記憶が共有できていることを、とてもうれしく思います。ありがとうございました。
    2019年03月03日 07:19

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