2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。
その行程中は一切、自家用車やタクシー等を使わないことにしておりましたので、路線バスを幾度も見かけ、時には利用したりもしました。
今回も路線バスにスポットを当ててみましょう。先週の続編になります。
路線バスは、その地方ごとに運行する会社が違っていたりしますので、その車体色もさまざまです。特に列車から降り立った駅前に、その地方独自の車体色を纏った路線バスの姿を見たときには、遠くまで来たということをしみじみ感じたものです。
西から東へ向かって紹介していきます。
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おんたけ交通
おんたけ交通株式会社は、本社が長野県木曽郡木曽町のバス会社で、主に木曽地区の路線バスを運行しています。
中山道の旅では、南木曽駅と妻籠のアクセスに利用したのですが、その路線は、その後自治体運営のコミュニティバスに移管されています。
上の写真は2005年9月29日 薮原で撮影したものです。
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下諏訪町コミュニティバス「あざみ号」
「あざみ号」は長野県諏訪郡下諏訪町のコミュニティバスで、その運行はジェイアールバス関東諏訪営業所が受託しています。このバスにも中山道の最難所、和田峠踏破の際に、乗車しました。その当時はジェイアールバス関東和田峠南線も一部区間が存続していたのですが、後に完全撤退し、今では諏訪側からの和田峠への公共交通機関は「あざみ号」だけになってしまいました。
2006年11月2日 下諏訪で撮影。
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JRバス(1)
ジェイアールバス関東株式会社は、関東地方を中心に乗合バス・貸切バス事業を行うJR東日本グループの会社で、東日本旅客鉄道が100%出資する完全子会社です。長野県内にも路線を持っていて、中山道歩きで利用したのは横川駅~軽井沢駅間(碓氷線)と、上田駅~長久保~上和田(和田峠北線の一部)でした。
この写真は2005年8月13日に上田での撮影。
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JRバス(2)
ジェイアールバス関東株式会社は1987年の国鉄分割民営化時点では東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の関東自動車事業部だったのですが、1年後の1988年にはバス部門分割子会社化された会社です。
こちらもジェイアールバス関東のバスですが、なんと国鉄バス時代の塗装で、国鉄バスのシンボルつばめマークまで付いていました。
同社小諸支店長久保営業所で2005年8月26日撮影。
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上電バス(1)
上電バスは、私が中山道歩きをしているころに、長野県にあったバス会社でした。ネーミングからもわかるように、東急グループの上田交通傘下でした。その後、2009年10月に東急グループおよび上田交通傘下から離脱し現在は「上田バス」となっています。
写真は上田駅前で2005年8月13日の撮影。
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上電バス(2)
上電バスのルーツである上田交通が東急グループだったことを思わせる旧塗装のバス。
写真は上田駅前で、上の写真と同じ2005年8月13日の撮影。
この日は、忘れられない日でして、和田宿と長久保宿へ行くつもりで、青春18きっぷで朝1番の列車で出かけました。上田までたどり着き、ここからJRバスに乗り換えようとしたところで、当日が土曜日だったのに土休日ダイヤであることにはじめて気が付きました。あてにしていたバスは土休日には運転されていませんでした。その次のバスでは、青春18きっぷだと、その日のうちに家に帰って来られないのでした。
選択肢は、
1.帰路に特急を利用する
2.長野県内で一泊する
3.あきらめて上田から引き返す
この三者のどれかを選ぶ必要があったのですが、その日は、「いちばん収穫がないかわり、一番経費のかからない」3番を選択したのでした。したがって、上田駅前で今回掲載した上電バスの2枚と、JRバスのうち上の1枚の写真を撮っただけで、目的地まで行かずに、上田でリタイアした日だったのでした。
そういうことから、タイトルの「中山道歩きで見たモノいろいろ」は偽りで、この3枚の写真に限っては「中山道歩きにいくつもりで、途中で挫折したときに見たモノいろいろ」というのが正しいタイトルになります(^^ゞ
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バスについて、私は素人なので、本文作成に当たりWikipediaとバス会社各社のオフィシャルサイトなどを参考にさせていただきました。
犬も出歩けば…バスを見かける乗ってみる?
街道歩きでは歴史的なモノを見る以外にも、見て、または乗って楽しめるバスがあるのです。
このシリーズ、来週(木曜日)に続きます。
この記事へのコメント
京阪快急3000
路線バスの記事、興味深く拝見させていただきました。
今回登場した「おんたけ交通」のタイプのバスは、現在では見る事の出来ない「古いタイプのバスだ!」と思いました。
以前ある方のブログの拝見したのですが、最近では「交通バリアフリー法の改定」から、従来の「ツーステップタイプ」は無く「ノンステップかワンステップ」のタイプしか残っていないとの事でした。
あくまでも、ご参考までになさって下さいませ。
しなの7号
時の流れは早いもので、この中山道宿場巡りを始めたのは7年も前のことです。おっしゃるような交通バリアフリー法のほか、自動車NOx・PM法の関係で、バスは数年で大きく変化したことを、地元のバスを見て感じます。ここにご紹介したバスのうち、現在生き残っているバスも、かなり限られてくると思います。
ふくいん交通
今回も、ローカル色豊かな面々ですね。
特にJRバスの旧国鉄カラーが非常に懐かしいですね。
バスには、鉄道車両と違った面白さがあるのですよ。
例えば…
ボティの長さ
扉の位置や種類(前扉に中扉や、前扉に後扉、中扉や後扉が、折戸や引扉等…)
一両のバスは、シャーシメーカーとボディメーカーの組み合わせで出来ているのです。
JRバスの一枚目の写真は、日産ディーゼル(現UDトラックス)のシャーシに、富士重工のボディの組み合わせになります。
以前の日記に、レールバスの記事があったと思いますが、そのレールバスのボディが富士重工製で、エンジンが日産ディーゼルですので、同じ組み合わせになります。
二枚目の写真は、シャーシが日野自動車で、ボディが同系列会社の、日野車体の組み合わせです。
日野車体は、その全身の会社(帝国自動車工業)の頃から、国鉄納入の指定メーカーでした。
富士重工も、日野車体より遅れましたが、やはり、国鉄納入の指定メーカーでした。
駆け足で書き込みさせていただきました。
不充分な説明、ご容赦ください。
しなの7号様のバスを見る目が、少しでも変わっていただけたら、望外の喜びです。
しなの7号
コメントありがとうございます。
中山道の旅では、鉄道に関係ないものでも、目についたものを、とりあえずデジカメで撮って来ました。
その一つが路線バスですが、地元である名鉄バスばかりを見ている目で、おんたけ交通の名鉄色の車体を見ると、本家?の名鉄バスともどこか違うぞということは感じ取れましたが、なにぶんにも素人なので、ぱっと見てもメーカーまではわからないのが実情です。
以前にも書いたことがありましたが、知識が増えれば増えるほど車窓から見えるものも興味を持って眺められ、旅の楽しみが倍増するものです。
ご教示ありがとうございました。
ふくいん交通
おんたけ交通の車両を見て、名鉄バスの車両との違いを感じ取れれば、しなの7号様も、バスマニアとして十分やっていける素質があると、私は思いますよ
おんたけ交通をはじめ、名鉄グループは、長い間三菱のバス100%でしたが、数年前から、日野のバスの導入が始まりました。
名鉄本体のみならず、先日訪れた、大井川鐵道にも、日野のバスを確認することが出来ました。
因みに、今回の日記にUPされているおんたけ交通のバスは、私が高校に入学した年(昭和59年)にデビューした、エアロスターMだと思います。
正確な形式は判りかねます。
こちらでも、エアロスターMの存在を確認することが出来くなってしまいました。
鐵分薄めの時にばかり書き込みをしていますが、以前の日記にも、クモニ83や、中央西線の103系の乗務のお話…
乗務員の食事の手配のお話等…
興味のあるお話が沢山あります
よろしくお願いいたします
しなの7号
素人が書くバスの話ですので、間違い等ございましたら遠慮なくご指摘ください。
私は宮脇俊三の「ローカルバスの終点へ」は大好きな著作です。ローカルバスも廃止になっていく現状を見ると、出かけた先ではなるべくバスを利用するようプランを考えています。
バスのお話はあと2週続けさせていただきます。
中央西線
名鉄バスに混じって運転されていたのを思い出しました。
SLがまだ健在だった頃、武並駅でボンネットバスを見た
記憶があります。子供なりにガタガタバスと呼んでいました。
しなの7号
地元の東濃鉄道や北恵那交通のバスは、この中山道の旅の中では写真に撮ってないので、登場しません(^_^;)
多治見から国道19号線を内津峠を越えて名鉄バスセンターへの路線バスもなくなって久しいですね。
子供のころに、東濃鉄道のボンネットバスに乗車した思い出があります。私どもは「犬バス」と呼んでいました。