東海道新幹線に初めて「のぞみ」が走ったとき、その一部列車が名古屋駅を通過するダイヤとされ、「名古屋飛ばし」と言われ話題になったことがありました。その後のダイヤ改正では「のぞみ」の全列車が名古屋に停車するようになり、それが今日まで続いています。
ところが、名古屋駅を通過してしまう在来線の列車は、今でも存在します。どんな列車かお解りでしょうか?
答えを言ってしまえば、何だそんなことかいうことになるわけですが…
正解は貨物列車群です。中京地区の貨物ヤードが稲沢にあったことと、名古屋駅に対応する貨物駅は隣接する笹島駅(現在は名古屋貨物ターミナル駅に移行)であるため、旅客駅である名古屋駅に貨物列車が停車する必要はないので、通過するのは当然なのです。
しかし考えてみると、首都圏や近畿圏の大駅では貨物線が別にあって、まったく貨物列車の姿を見ることもない駅すら存在します。名古屋駅でも、中央本線や関西本線の列車はホームがない線路を通過していきますが、東海道本線の貨物列車に限っては、乗客がごった返すホームに接した本線上を通過していきます。このような大駅はそれほどないようにも思います。
例によって前置きが長くなりましたが、私は昭和54~56年頃に列車掛として貨物列車に乗務していました。このときも、異常時でもなければ名古屋駅で停車することはありませんでした。しかし例外的に、名古屋駅を始発駅とする貨物列車が1本ありました。それは新聞輸送のために深夜に設定された名古屋~笹島間の列車でした。
その列車は「271列車」で、名古屋を0時44分の発車でした。すでに中央西線・関西紀勢線・高山線への新聞輸送のための荷物車を従えた「きそ・紀州・のりくら」といった夜行列車が出て行ったあとで、乗客もほとんどいない名古屋駅ホームでは、東海道本線のクモニ83と我が関西本線271列車への新聞の積み込み作業が行われていたのです。
271列車はDD13形ディーゼル機関車に牽く有蓋緩急車「ワフ」1両だけの貨物列車でした。
日中は見ることのできない深夜ならではの名古屋駅で、旅客ホーム上のワフは場違いな印象を受けました。単なる入換車両のようにも思えるこの貨物列車は常に1両「編成」で、それも車掌車「ヨ」でなく貨物室がある「ワフ」に限定されていました。
1980年(昭和55年)4月26日
関西本線271列車
運転区間 名古屋~笹島
乗務区間 名古屋0:44~笹島0:49
DD13 310(稲一)
ワフ35567 (金イト)名古屋~加佐登・亀山
現車1 延長現車1.0 換算1.2
名古屋~笹島間はわずか1.3㎞の短距離でしたが、笹島駅ではこの「ワフ」を待っていた、稲沢始発亀山(操)行貨物267列車に継送されて、他の貨車とともに、こんどはDD51に牽引されて深夜の関西本線を走りました。
名古屋駅で積み込まれた新聞は朝刊各紙で、新聞の行き先は「加佐登・井田川・亀山」でした。新聞の積込位置は決められていて、加佐登と亀山行の新聞は貨物室に区分して積み込まれ、無人駅である井田川行の新聞は車掌室に区分積載されていました。
この列車は、以前ブログ記事で紹介した1915Dの後に名古屋駅を出るわけですから、さらに遅い締切の新聞を積んでいました。1915Dで亀山で取り卸す新聞は、列車や自動車便に載せ替えてさらに遠方(主に伊賀地方)へ運ばれるものだったのに対し、この271列車から亀山で取り卸される新聞は亀山近郊の配達分であろうと思われます。
年末年始やお盆休みなど、多くの貨物列車は運休になります。専用貨物列車などは計画運休として予め運休日が決められ、一般の貨物列車も貨物の需要によって随時運休とされたので、旅客列車の車掌と違って貨物列車の列車掛は盆正月は休めることが多かったのですが、この列車に限っては、新聞休刊日(1月2日)以外は運休にはならないので、交番表でその時期にこの列車に当たると、たった1区間の乗務のため、深夜に当直の内勤者がいるだけのひっそり閑とした車掌区に出勤することになるのでした。年越しの日の乗務は、特に家庭がある人は嫌がりますが、寮生活の独身者で郷里へ帰るあてのない人のなかには、嫌がる人に代わりに乗務志願して交代した話もありました。決められた勤務時間や勤務ルールを逸脱しなければそれもOKで、代わってもらった人は、車掌区の近くの皆が行きつけの喫茶店のコーヒーチケットで御礼をするというような暗黙のルールみたいなものが乗務員の間でありました。
この記事へのコメント
デキ501
ゴールデンウィーク、お盆、年末年始の休みは
列車掛の特権みたいなものでしたね。
特に年末年始は電車組に羨ましがられるような
勤務形態になり親戚、近所からは「一番忙しい
時にも関わらず遊び呆けて、だから国鉄は赤字
なんだ」と肩身の狭い思いもしました。
ただヤード間の解結列車(通称だらこー)だけは
何本か運転され、なかには始発から終点まで
緩急車一杯なんて事もあり、一体何の為に運転
したのか分からないような列車もありました。
換算1,0と単機のようなこの列車
加減して運転しても各駅、早通早着で
機関士さん曰く「転がりも悪く、時間を
捨てるに困る」とよくぼやいていたのを
今でも思い出されます。
しなの7号
私が列車掛時代に過ごした車掌区は貨物と荷電だけを担当していまして、旅客関係の乗務員は配置されていませんでしたので、車掌区に出勤した時の年末年始のさみしさと言ったらありませんでした。
貨物は年末年始に出勤になっても、仕事そのものはヒマ、多客輸送で大忙しの旅客列車とは別世界でしたね。
トシ@グッズマニア
直接ホームに停まる姿は見ませんでしたが、たいてい1両、時折2両をDE10が牽いて名古屋と笹島を行ったり来たりしてましたね。
貨車区一貧乏
解結通知書、ゴム印で押している様式は、初めて見ました。駅側も同じ編成だから、最初から作っておいた感じがしますね^_^;レアですね(o_o)
列車掛の時は、確かにウヤが多かったですね。しかしながら石油タンクは減便してましたが、何本か運転してました。
私は実家に帰るために特急指定券取るのも面倒だし、出勤を希望してました。勤務地の近くの港では新年に変わる0時に停泊中の船舶が一斉に汽笛を鳴らします。食事の心配さえ無ければ年末年始もなかなかオツでした。
しなの7号
おっしゃるように「ゴミ車」のワムは名古屋駅名物でしたね。私が貨物列車に乗務しているころは、「じんあい運搬車」と車体に書かれた古いワム90000が用いられ、こちらは名古屋から笹島までは「貨物列車としてではなく構内運転(入換)」で移動し、笹島から八田まで、本文中の271列車同様、稲沢始発の貨物列車に連結されていました。
名古屋駅から出たゴミを直接トラックに載せて搬出する場所がないため、旅客ホーム先端でワムにゴミを載せて、当時地平駅だった八田駅までワムで輸送し、そこでトラックに積み換えていたのでした。
しなの7号
全部ゴム印を使用して記載された解結通知書はこの列車ならではです。ワフの車票も作り置きのようで、当日に日付と車両番号を手書きしていたのでしょう。車票の品名「新聞」と行先が2駅併記というのも珍しいと思います。
余談ながら、本文中に掲載した車票は、亀山の操車場で別の列車の始発検査中、不要になったこの車票が雨に濡れて線路に捨てられているのを見つけ拾ったもので、乗務当日のものではありません。
また、他の列車でワフに乗務した際に、過去日付の車票が乗務員室内の机の上や石炭入れに放置されていることがあり、何日か前にこの運用に就いたのだなとわかりました。
私は列車掛のとき2回正月を迎えていますが、2回とも年越しは家で迎えることができました。
一斉に鳴る船の汽笛を聞いて新年を迎えるというのもいいものですね。船員や港湾関係者でも職場で越年する方があるのだなあと、別業種ながら一体感も感じますね。