先週の続きになります。
1980年(昭和55年)10月のダイヤ改正で、私が所属していた車掌区に、西名古屋港までの定期貨物列車の乗務行路ができ、初めて私が乗務した西名古屋港線の貨物列車の編成は次のとおりでした。
1980年10月10日
東海道本線(稲沢線~西名古屋港線)564列車
運転区間 稲沢~西名古屋港
乗務区間 稲沢12:24~西名古屋港13:30
DD51 889(稲一)
ヨ 13560 高タソ (車票なし)
ハワム 87786 八戸貨物~西名古屋港
ハワム281785 三重町 ~西名古屋港
ハワム185528 三重町 ~西名古屋港
ハワム 81257 三重町 ~西名古屋港
ト ラ 74403 中津川 ~西名古屋港
ト ラ 74184 春日井 ~西名古屋港
ハワム 82395 北 沼 ~西名古屋港
ワ ラ 15052 新守山 ~西名古屋港
ワ ム 62578 新守山 ~西名古屋港
ハワム 86496 新守山 ~西名古屋港
ハワム 87902 新守山 ~西名古屋港
ハワム183382 新守山 ~西名古屋港
ト ラ 72848 小名浜 ~西名古屋港
コ トラ 52372 小名浜 ~西名古屋港
ワ ラ 16326 笹 津 ~西名古屋港
ハワム283602 本八戸 ~西名古屋港
ワ フ 35052 大スイ (車票なし)
荒子川鉄橋の現況です。ここをのろのろと貨物列車は走っていったのでした。
西名古屋港線の乗務に当たっては、無線機など列車掛の必需品のほかに、ここだけに必要な特別な持ち物がありました。
それは、先週の記事で書いたように、踏切用の交通信号機の押しボタンが格納してあるボックスの蓋を開けるための「カギ」でした。これがないと、乗務している意味がないのです。
「カギ」は車掌区での出発点呼の時に無線機といっしょに渡されました。万一の事態に備えて、笹島駅と西名古屋港駅にもスペアキーが用意されていました。
この列車には、示した編成表のように最後尾のほか、機関車の次位にも緩急車が連結されました。途中の「交通信号機」の押しボタンを押すために列車掛は前寄りの緩急車に乗車していたのです。
列車は始発の稲沢駅を発車すると、東海道本線の貨物線(通称稲沢線)を経由して名古屋駅では東海道新幹線のすぐ横のあたりの線をすり抜けて旧笹島駅(貨物駅)へ。ここからが西名古屋港線で、開業したばかりの高架線を少し走って名古屋貨物ターミナル駅で停車しました。名古屋貨物ターミナルから先は通票閉そく式でしたので機関士が駅の助役氏から通票を受け取ってから発車しました。高架から地上に降り、昔ながらの単線を時速30㎞という低速で運転されました。これは大型のDD51であるが故の速度制限ではなく、この区間では全形式の機関車に対しての最高速度として規定されたものでした。要するに線路規格が極端に低いということなのでしょう。当時の名古屋鉄道管理局管轄区域内で、本線上での最高速度が30㎞という線区は西名古屋港線以外にはありませんでした。
のろのろ走る列車は、「交通信号機」付の踏切の手前で停車します。そこには「列車停止標識」が線路わきにありました。このような標識です。
その近くには交通信号機を「赤」にするための押しボタンを格納してあるボックス(矢印)があります。
先日アップした名古屋臨海鉄道(繰り返しますが名古屋臨海高速鉄道「あおなみ線」とは別会社の貨物鉄道線です。)に現存する「交通信号機」付踏切にも、それと思われるボックスがありましたのでご覧ください。その上にある照明の下に見える四角い白いものは「列車停止標識」ではないかと思われますが、裏側しか見えていなので反対側からでないと確認ができません。
列車掛は車掌区で渡されたカギで、その蓋の南京錠を開錠して、中の押しボタンを押すのです。道路側の信号が「赤」になると表示灯でそれが判るようになっていましたが、列車用の「信号」や「標識」の類は「列車停止標識」のほかにはなく、自動車が止まったことを確認したら機関士に「出発の指示」(事実上発車合図と同じ)をして発車させる取扱でした。機関士は盛んに汽笛を吹きながら、ゆっくりと広い道路を横断していきました。
1日に4回しか赤にならない交通信号機ですから、止められた自動車の運転手は、のろのろと踏切を通過していく汚い貨物列車を恨めしそうに見ています。列車が踏切を通り過ぎると交通信号機は自動的に青になりました。
下は、そんな踏切のひとつ「稲永踏切」があった場所の現況写真です。
現在の名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)の稲永駅があるところです。
私がここへ乗務するようになるさらに昔、まだ名古屋市交通局に路面電車があったころ、この踏切には、その路面電車との平面交差があったといいます。路面電車との平面交差で現役として有名なのが松山市内の伊予鉄道高浜線・大手町線の平面交差です。参考にその写真も貼っておきます。
こうして終点の西名古屋港駅に着きましたが、駅には操車掛が配置されていたので、私たち列車掛は入換作業をする必要もなくて、折り返しの時間は暇でした。貨物駅ですので、駅の周囲には倉庫が立ち並ぶばかりで、広い道路はあるものの、時間つぶしをする喫茶店も近くにはなく、まったく退屈な場所でした。
雑草が生えた構内の隅のほうには休車や廃車になった貨車がたくさん放置され、そのなかに車運車の試作車ク9100という貨車がめずらしい貨車が放置されてました。、一見ク5000と似ていましたが、2車体連接の3軸車という珍しい構造でした。カメラを持っていけばよかったのですが、そんなこともなく記録できなかったは残念です。もっとも雑草に埋もれ、他の廃車や休車の貨車群にも囲まれていて、まともに写真を撮れるような状態でもなかったように記憶しています。そのほかにもコキ1000という海上コンテナ専用車も多数放置されていました。
現在、この駅から1㎞ほど行ったところには、名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)の野跡駅がありますが、当時その近くに列車掛同期のY君の家があったので、西名古屋港へ乗務するときに、駅まで遊びに出て来んか?と呼び出したこともあり、Y君も快く応じてくれたので、そういう日は彼と話をして過ごし、退屈せずに約1時間半の折返し時間を過ごすことができたものでした。この貨物駅は廃止後に名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)の車両基地として利用されています。





この記事へのコメント
しげぞう@
実は、しなの7号様のブログで一番最初に拝読した記事が、このブログ記事です。某大型掲示板に、列車停止標識のレスがあり、何方かが参考記事としてこのブログのリンクを貼っておられたのでした。身近な場所での事例であったため、興味津々拝読させていただくことになりました。西名古屋港線も、すっかり様変わりしてしまいましたね。この、踏切用の標識のある信号機の作動方法がよくわかりました。名古屋臨海鉄道の踏切でも、係員が出向いて踏切を通過していく動画がありましたよ。ということは、このような形態の踏切は、全て同じような手順を踏んで作動させるものなのでしょうか?名古屋臨海鉄道の知多線などは、かなり列車本数が多いけど、毎度係員が出向くのでしょうか?もしご存じでしたら、ご教示願います。
これからも宜しくお願い致します_(._.)_
しなの7号
私は国鉄の西名古屋港線の事例しか経験していないので、他社(JRも含みます)の取扱については知る立場にはなく、存じていません。
今の鉄道のことで自分も知りたいことは多々ありますが、近年は公開されることはほとんどありませんね。仮に私が知っていることがあっても、他社の内部取扱を公にすべきではないと考えますので、本文にもコメントにも書くべきでないと思っております。悪しからずご了解ください<(_ _)>
しげぞう@
いつもありがとうございます。
確かに、鉄道事業は機密事項も多く、内部の方でも簡単に漏洩させる事は、よろしくないですね。申し訳ありませんでした_(._.)_
昨今はSNSの普及で、色々な情報が出回りますが、明らかにルール無視をしているような記事も見かけます。鉄道を好きな者として、最低限のルール遵守と、現場へ迷惑をかける行為は控えなければいけないですね。
これからも宜しくお願い致します_(._.)_
しなの7号
ご理解いただきありがとうございました。
すでに消滅して30年にもなろうとしている国鉄のことは、歴史として知っていただきたいことが多々あるわけですか、現在鉄道事業が引き継がれたJRほかの鉄道会社のことは、自分の撮影や乗車記録的なこと、趣味誌などで公然となっていることは、これまでもブログにアップしておりますが、それ以外のことについては書かないようにしているつもりです。むしろ「今はこうですよ」などというコメントがあったりすると、アップするかどうかを管理者サイドで判断させていただかざるを得ない場面もございます。