今や、夜行列車そのものが少なくなってしまいました。
自分自身は、夜行列車の雰囲気は非常に好きなのですが、好きなだけにほとんど車内では眠れません。そのため翌日がきついので、今では交通機関として好んで利用することはありません。そのかわり、「わざわざ乗る」ことを目的として夜行を使ったことは、過去には何度かありました。
夜行列車では特別な放送があります。いわゆる「おやすみ放送」と「おはよう放送」です。
私の場合、退職後でも実際に乗客として夜行列車に乗ると、その放送を聞くのが楽しみで、その放送を聞くことこそが、その列車に乗る目的のひとつだったりします。
私が国鉄に就職して乗務掛(荷扱)をやっていた当時(1976年)には、所属した車掌区が担当していた夜行列車のうち、581、583系電車の特急金星(名古屋~博多)と中央西線の「きそ」に寝台車が連結され、もっぱら寝台車に乗務する乗務掛(客扱)という職種も残っていました。(のちに乗務掛(客扱)は廃止)また、以前紹介したように荷扱で乗務していた紀勢本線「紀州」のほかにも、高山本線「のりくら」が座席車のみの夜行急行として運転されており、いずれも私が所属していた車掌区の車掌長(客扱)や専務車掌(客扱)が乗務していました。しかし、これらの列車は「きそ」以外、私が専務車掌になる前までに次々と廃止されていったのでした。
自分が専務車掌として夜行列車に乗務するチャンスが訪れた1984年の時点でも、最下位班の私には夜行列車の行路の設定はなく、所属した車掌区で受け持っていた夜行列車は、上位班の交番上にあった中央本線上り急行きそ2号と、主に予備勤務者で対応する季節列車167系電車の「ちくま・くろよん」の併結列車だけになっていました。(定期列車の「ちくま」はその後も長く寝台車を連結して運転されましたが、長野車掌区の担当でした。)「きそ2号」はこのときすでに12系客車化されていて寝台車の連結はなくなっていましたし、その後の60.3ダイヤ改正で列車そのものが廃止されました。61.11ダイヤ改正時には「ちくま・くろよん」も、季節列車からさらに運転日が限定される臨時列車に格下げされて、私が夜行列車に乗務できる可能性はなくなったかに思えました。
そんな中での340M東京行は、途中の浜松までの乗務ではありましたが、唯一夜行列車として「おやすみ放送」ができる列車でありました。(上の写真は340Mと共通運用された急行東海です。)
2人乗務だったので、本来こうした車内放送は上位班の先輩が行うものですが、11両もの長い編成でグリーン車が2両付いている関係で上位班の先輩は車内に入りっぱなしになるので、この列車に関しては、打ち合わせて、車内放送は最後部運転室に乗務する下位班の私どもに任されることが多くなりました。
やや時刻は遅く0時を過ぎていましたが、快速運転になる豊橋駅を発車したところで以下のような放送を入れました。
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「みなさん、ご乗車ありがとうございます。普通列車の東京行です。列車は全部で11両つないでおります。先頭が11号車で、10号車、9号車の順で一番後ろが1号車です。そのうち5号車と4号車は特別車両グリーン車です。グリーン車は本日満席となっておりまして、空席がございませんので、ご承知願います。
この先は快速運転となりまして、次の停車駅は浜松です。
すでに深夜に入っておりますので、明朝の横浜到着10分前まで、緊急の場合を除きまして放送によるご案内は、この放送をもちまして中断させていただきます。それでは途中の停車駅と到着時刻を改めてご案内いたします。
次の浜松には0時49分、静岡1時48分、富士2時24分、沼津2時42分、熱海3時12分、小田原3時31分、大船4時01分、横浜4時15分、この横浜駅到着前から再び放送によるご案内をいたします。横浜を出ますと、品川には4時33分、新橋4時38分、終点、東京には4時42分、東京には4時42分の到着です。
途中駅でお降りのお客様、お乗り過ごしがございませんよう、くれぐれもご注意ください。
それから、お弁当やお飲物のお買い物をされるお客様にご案内いたします。お弁当などのお買い物は静岡駅をご利用ください。静岡では7分間の停車時間がございます。そのほかの駅ではホーム売店は営業しておりません。また停車時間もわずかとなっていますのでホームに降りられないよう予めご承知願います。
最後にお願いです。夜行列車ではときどき盗難の被害がございます。お手持ちの貴重品、特に現金財布類は、かならず身に付けてお休みくださるようお願いいたします。上着の内ポケットに貴重品を入れたまま帽子掛に掛けておくのは大変危険です。充分ご注意ください。
それではごゆっくりお休みください。次は浜松、0時49分の到着です。」
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じつはこの放送の前後に、あの鉄道唱歌のオルゴールがほしかったのですが、あいにく165系ではサロ165の車掌室しか、オルゴールの設備がありませんでした。私の乗務位置である最後部のクハ165では、オルゴール入りの放送ができませんでした。あのオルゴールがあると、旅の気分がずいぶん盛り上がるものです。わかる人にはわかると信じていますが、大多数の乗客は車内放送など全く聞いていないことは、長年の経験で充分にわかっているので、そんなことは、ただの自己満足のこだわりの世界ということで、まあいいでしょう。。。
国鉄乗務員生活の総仕上げみたいな東京行き夜行列車。こうした特別な放送は、私の場合は趣味の世界があったので、特に戸惑うことはありませんでしたが、この時期は分割民営化を控え、人事異動がはげしい時期でした。夜行列車も削減され、経験者も少なくなってきつつありました。放送に限らず夜行列車など特殊な列車における仕事すべてにおいて、当時の私はJRに国鉄の「よい伝統」が継承されていくのだろうかと疑問に感じることもありましたが、長距離列車がここまでなくなってくると、今の時代にそのような伝統など不必要になってしまいました。四半世紀の時の流れは、鉄道のみならずこの世のすべてを新しい色に塗り変えていったものだと感じています。



この記事へのコメント
上野大熊猫
私は、停車駅と到着時刻の案内が、長距離列車に乗っているんだ、と実感できて大好きです。
最近は女性の車掌さんも増えていますが、やはり老練な「おじさん」の声の方が旅情はありますかね?
新型車両では自動放送が幅を利かせていますが、合間に肉声の放送があると嬉しいものです。
放送の前後に入る、「コッ!」という雑音も聞ける機会がだいぶ減り、寂しく感じています。
そんな事を想いながら、読ませて頂きました。
しなの7号
はじめまして。いつもご覧いただきましてありがとうございます。
車内放送への想いは、まったく私も同じです。
旅行で長距離列車に乗ったとき、年輩の車掌氏による落ち着きはらった肉声で、これから乗っていく停車駅到着時刻が放送されるときがワクワク感が一番高まります。
肉声の場合、内容に個人差があって、必ずしも素晴らしい放送に巡り合うとは限りませんが、自動放送の場合は、聞き取りやすい反面、無味乾燥ですね。
コメントありがとうございました。
中央西線
残ってますね。大ミハ時代の急行比叡は懐かしいです。
中央西線
比叡で聞いたのはこれです。サロ165のでしょうか?
しなの7号
今日明日あおなみ線で運転中のSLが牽引しているのが京都の12系客車だと思います。客車内ではハイケンスのオルゴールが流されているのでしょうか。
拝聴しました。比叡のは鉄道唱歌ですね。電車特急・急行は鉄道唱歌で、この機器の形も色も、もちろん音色も懐かしいです。
貨車区一貧乏
この頃は列車掛の廃止、余剰人員、転換教育で車掌へと異動の時期で、何かと揺れ動いていた時期でした…。
私は、最後まで「列車」には縁が無かったので、放送の醍醐味を味わうことができませんでしたが、滑舌の悪い私には不向きかなと思っておりました(^_^;)
大垣からの電車は、私たちが始発の用意や初電に乗務しているときに追い越されて行くのを記憶しています。
また、東京から上野方面への乗り換え客も目につきました。
それと、新橋から築地市場への出勤者も利用したでしょうね
しなの7号
お返事の投稿をしたつもりでしたが、手違いで遅くなり申し訳ありませんでした。
私がこの列車に乗っていたのは、国鉄最末期で、すでに退職を決めていたころでした。ある意味複雑な気持ちで乗務していました。
この列車が東京に着くと一斉に国電が動き出しましたね。乗客として東京へ行ったときは、4時台なのに街が動いている東京は、名古屋のような田舎とは違うなという気がしていました。
0系
夜行列車ですか・・・。少なくなりましたね。
以前は全席自由席でしたが、いつしか指定席になってました
ま、時代ですかね・・・。
しなの7号
夜行列車そのものが、珍しくなってしまいました。生活スタイルが変化して、たとえばかつてなかった24時間営業や深夜まで営業するスーパーが増えたのに、夜行列車は減ってしまう。なんか納得しかねます。ニーズに合った輸送形態で、むしろ増えてもおかしくないとさえ思うのですが、その需要は夜行バスに転嫁してしまったのでしょう。
しげぞう@
夜行列車もめっきり少なくなりましたね。名古屋を起点とする夜行列車がなくなって、もう何年になるのでしょうか?夜行列車自体、あまり利用したことは無いのですが、大垣夜行の上りには、一度だけ静岡まで乗ったことがあります。ちょっとわけありで、家に帰りたくなかった時に、ひとばんの宿がわりにしました。残念ながら、車内放送は覚えてないですが、妙に興奮した記憶があります(笑)165系はサロにしかオルゴールが無かったんですね。道理で末期の中央西線や関西線のローカル列車でオルゴールが聞けなかったはずです( ̄▽ ̄;)
また宜しくお願い致します_(._.)_
しなの7号
三河在住の人で、名古屋で飲んで酔っぱらって帰るときは、東京行には乗らないようにしていたという話を聞きます。
言うまでもなく、寝過ごして東京に連れて行かれたという経験者が多々あるわけですが、下りと行き違う前に気が付けば翌朝、そのまま出勤できます。しかし、下りでまた寝過ごして、木曽川鉄橋の音で目が覚め、岐阜からまた上り列車に乗って名古屋へ戻ったという人がいました。