【362】 臨時列車の乗務(18):EF62牽引スロ81系お座敷列車

1985年(昭和60年)9月の予備勤務で乗務した臨時列車までは、これまでに紹介してきましたが、その翌々月の11月~12月にかけて、また予備に指定されたので、臨時列車に乗務する機会がありました。
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この年の11月に入って乗務した最初の臨時列車は、旧型客車列車の生き残りとも言えるスロ81とスロフ81で組成されたお座敷列車でした。
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1985年(昭和60年)11月16日
東海道本線 8106列車
運転区間 (長浜)米原~辻堂

EF62 38(関) 変A45
1.スロフ81 2114 南シナ 鳥越
2.ス ロ81 2125 南シナ 湯島
3.ス ロ81 2126 南シナ 深川
4.ス ロ81 2128 南シナ 花川戸
5.ス ロ81 2127 南シナ 向島
6.スロフ81 2113 南シナ 柴又
(南東臨413)湘南地区お座敷列車北陸路の旅(245名)
       
乗務区間 名古屋16:18~浜松17:56

列車のスジは2か月前に乗務した14系欧風車「サロンエクスプレス東京」に乗務したときとまったく同じでした。

この車両はスロ81系などと通称されました。(このブログ上でも以下スロ81系と記述します。)
鋼体化客車オハ61からの改造された1等車オロ61を、さらに冷房化改造したグリーン座席車スロ62とその緩急車スロフ62を、お座敷列車に再改造した車両でした。12系以降の新型客車と大きく異なるのは、自動ドアではない点と、冷房用電源こそ各車に装備しているものの暖房用電源が客車そのものにはないことでした。暖房を必要とする場合は、2種類の方法がありました。それは機関車から電気を供給してもらう「電気暖房」と、機関車から蒸気を供給してもらう「蒸気暖房」のいずれかでした。いずれの場合もその電源や蒸気を供給する設備を持った機関車が必要になりました。
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時は11月。気温によっては暖房も必要な時期ですので、このときも牽引する機関車は、電気暖房用電源を装備している下関運転所のEF62が指定されていました。EF62はEF58の置換え用として信越本線から転属してきた機関車でした。それまで東海道本線の主役だったEF58は蒸気暖房用のボイラーを装備しており、過去に乗務していた荷物列車も蒸気暖房でしたが、その置き換えによって東海道・山陽本線筋の臨時列車や荷物列車も電気暖房化されていました。

当時の団体用お座敷車や欧風車は、そのほとんどが12系か14系の改造車で、東海道、山陽本線では大多数がEF65PFに牽引されていました。かつては他にもいくつかあったお座敷列車スロ81系は少数派となっていて、この品川客車区の編成と、もうひとつ宮原客車区の編成の2本だけが残っていました。
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写真は、そのもう1本残された宮原客車区のお座敷列車で、中央西線での撮影です。機関車はEF64ですが、このEF64にも、こうした電気暖房用電源を持った車両が約半数ありました。余談ながら、このころはEF64が東海道本線筋で旅客用に使用されることはありませんでした。

電気暖房用電源を装備したEF62は、スロ81系臨時列車のほか、通常は同様に暖房電源を必要とする東海道、山陽本線の荷物列車に使用されていました。このころは荷物列車も終焉間近なころで、荷物車のほうも電気暖房の設備を持たない車両は廃車され、マニ50やマニ44といった新しい車両が中心になっており、電気暖房対応の車両だけが残っていたのでした。
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乗務したスロフ81は前述のように、もともとは中間車で車掌室がないオハ61の改造車でありました。後付の車掌室の窓は客室と同じ上昇式で、一般に乗務員室に採用される下降式の落とし窓ではありませんでした。立って列車監視をするには不向きで、腰をかがめて不自然な姿勢になってしまうのでした。さらに通路を挟んだ反対側は物置で窓すらなく、列車監視は客用デッキへ出て行わざるを得ませんでした。
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品川客車区のスロ81系は、その翌春に12系改造による「江戸」と愛称が付いたお座敷列車に置き換えられましたが、その後は水戸客貨車区に転じ「ふれあい」と名付けられて分割民営化以後も生き延びました。末期は外部塗色が「ぶどう色2号」と呼ばれる旧型客車らしいブラウンにグリーン帯を配した装いに改め、1990年まで活躍したのでした。
私にとってはこの車両への乗務は唯一の機会で、EF62に乗務する列車を牽引してもらったのもまた、この時だけでした。同時に旧型客車への最後の乗務となりました。

この記事へのコメント

  • 中央西線

    昔、中津川機関区に暖房車なるものが存在しましたが
    古い写真で名古屋多治見間に運用されていたクリル式EF60
    に牽引されたPC列車の機関車次位に連結されてました。
    2013年04月02日 20:37
  • しなの7号

    中央西線様
    中津川電化直後は、EF60に代わって電暖装備のEF64が入線したにもかかわらず客車の電暖化が間に合わず、暖房車が活躍していました。
    2013年04月02日 21:35
  • トシ@グッズマニア

    こんにちわ。
    電暖対応車は元番号+2000だから、判別は比較的容易でしたね。
    2013年04月03日 12:37
  • しなの7号

    トシ@グッズマニア様 こんばんは。
    旧型客車が保存車以外は全滅状態ですから、そういう番台区分も伝説の世界になってしまうのでしょうね。
    2013年04月03日 18:15
  • トシ@グッズマニア

    まだ小学生の頃、名古屋駅で写真を撮っていて、日に何度かやってくる荷物列車の中に入っている茶色い車両を見ても、当時はまだ番号区分のことを知らなくて、2000番未満の若番車がちっとも来ないのを不思議に思ってました(笑)
    2013年04月05日 07:34
  • 北恵那デ2

    頭の中には電車という概念が無く、全て機関車の牽く客車なり貨車なりというおじさんにとりまして、こういう記事はうれしいものです。それにしても里に下りたEF62は、本来の業務と異なる仕業で故障が多発したとのこと。もし客車による列車がその後も活況だったならば、電気暖房付きサイリスタチョッパ機関車ED63なるものが製造されたのでしょうね。また、余剰EF70を直流化して活用する案もあったとのこと。さあ16番模型で実現させようかといろいろ考えてしまいます。
    2013年04月05日 17:54
  • しなの7号

    トシ@グッズマニア様
    自分が知っている昭和57年ごろ名古屋で見るマニやスユニは、ほとんど電暖対応車で、東海道・関西本線関係で電暖対応区間に入らない運用に限って非電暖車が見られる程度でした。
    2013年04月05日 20:41
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    列車とは機関車が牽引するものだった時代も、日本の旅客列車では一部を除き、過去のものになろうとしていますが、国鉄が元気だったとしたら旅客用機関車も登場したのでしょうし、EF66がブルトレを牽引するようにはならなかったように思います。

    Nゲージの世界ではKATOの黎明期に、EF65のリリース前にEF70の青塗装車が発売されていたそうですよ。
    2013年04月05日 20:54
  • 北恵那デ2

    暖房車は確かにEF64投入後もひと冬かふた冬動きましたね。懐かしいですね。NゲージのKATO(当時は関水金属でしたが)は、C50やらEF70といったマイナーなところからスタートしましたね。そういえばEF70の青色ってのがありましたね。話が違いますが、3月いっぱいでEF64の0番台の運用が終了したようですね。最後は生粋の稲沢っ子の67号機だったんですね。
    2013年04月05日 22:14
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    JR貨物のEF64 0番台にもついにこの時がやってきましたねえ。67号機には自分が乗務した列車を牽引してもらったこともあるので、思い入れがありますが、もちろん国鉄一般色のころです。66号機がユーロ色になって登場した国鉄末期からしばらく、1番違いの67号機は目立たないカマだなと思っていましたが、広島更新色になってからは個性派に転じ人気者になりましたね。
    このカマは電気暖房用の設備がないグループでした。
    2013年04月06日 06:39

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