【364】 臨時列車の乗務(19):お座敷列車「いこい」と「サロンカーなにわ」

1985年(昭和60年)11月は、スロ81系お座敷列車に乗務した後も引き続き団体臨時客車列車の乗務が続きました。

まずは、スロ81系お座敷列車に乗務して浜松に着いたあと乗務員宿泊所で泊り、早朝に隣の高塚駅まで定期列車の補助で行き、そこから静岡鉄道管理局の12系お座敷列車「いこい」に乗務しました。
東海道本線で名古屋まで下り、中央西線に入って中津川までの行路でした。
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1985年(昭和60年)11月17日
東海道本線9431列車
EF65 1108(新)臨A127(11/15)

スロフ12 811 静ヌマ 狩野川
オ ロ12 821 静ヌマ 富士川
オ ロ12 822 静ヌマ 安倍川
オ ロ12 823 静ヌマ 大井川
オ ロ12 824 静ヌマ 天竜川
スロフ12 812 静ヌマ 豊 川
名古屋から逆編成
中央本線 9823列車
EF64 50(篠) 臨A335(11/16)

運転区間 高塚~名古屋~塩尻(高塚~舞阪間回送)
乗務区間 高塚7:15~9:46名古屋10:09~中津川11:21

(静臨100)晩秋の白樺湖の旅(240名)

この団体輸送に備えて、編成は前日から機関車ともども高塚駅に留置してありました。高塚駅はこうした一時的な留置によく使われる駅でした。
この列車は、舞阪から豊橋までのほとんどの駅で停車し、その都度、募集した団体のお客さんが乗車されました。また、車掌が交代した中津川では弁当の積み込みが行われたので、この列車では団体列車ではあるものの、ドアを開けたうえで他区乗務員に引き継ぎました。
団体列車の場合、客扱は添乗員が担当しますので、車掌は接客しません。長距離を走る列車であっても寝台列車のように車掌が列車とともに長距離乗務をする必要性はないので、乗務エリアごとに決められた担当車掌区の車掌が乗り継いでいくことになっていました。このときのように団体の始発地から乗務すると、添乗員の方から、団体客に配るお菓子の詰め合わせ袋などを頂戴することもありました。少し食べて、乗継の車掌に残しておいてあげたりもしました。

「いこい」には静岡鉄道管理局管内を流れる川の名前が各号車につけられていました。
「いこい」をはじめとする12系座席車改造のお座敷列車は、12系座席車そのままのブルーに白線を入れた塗装の編成が多く存在していました。そのため走行写真を撮っても写真からは一般の12系と違いがあまり判りませんでした。
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このころの中央西線にはこうした団体臨時列車はほんとうに多かったのだなと思います。この日も、中津川まで「いこい」に乗務した後に、名古屋への折り返しで乗務したのは2度目の「サロンカーなにわ」で、私の中津川での折り返し時間は約2時間。昼食を食べて一息つくに程よい時間で、まるで効率的な乗務員運用のために引かれたダイヤのようでした。

1985年(昭和60年)11月17日
中央本線 9814列車

EF64 44(篠) 臨A335(11/17)
1.スロフ14 703 大ミハ
2.オ ロ14 706 大ミハ
3.オ ロ14 707 大ミハ
4.オ ロ14 708 大ミハ
5.オ ロ14 709 大ミハ
6.オ ロ14 701 大ミハ
7.スロフ14 704 大ミハ

(大臨55)関西○○会 信州昼神温泉の旅(220名)
運転区間 中津川~名古屋~大阪(中津川~恵那回送)
乗務区間 中津川13:13~名古屋14:50

「サロンカーなにわ」については
【164】臨時列車の乗務(6):EF58牽引「サロンカーなにわ」前篇

【166】臨時列車の乗務(7):EF58牽引「サロンカーなにわ」後篇
で、その紹介をしましたので、今回は編成記録だけにとどめておきます。
前回の「サロンカーなにわ」への乗務区間は東海道本線でしたが、今回は中央西線。ふだん通勤で使っている線区を、サロンカーで乗務するというのも、新鮮でいいものでした。当時は塗色も現在とは異なり、窓周りはゴールド塗装でした。
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(今回の写真は、いずれも中央西線での撮影ですが、乗務時のものではありません。)

この記事へのコメント

  • トシ@グッズマニア

    こんにちわ。
    昔名古屋駅のホームの詰所の黒板に書かれた「車略」の文字を思い出しました。
    2013年04月08日 10:20
  • しなの7号

    トシ@グッズマニア様
    「車略」? 
    申し訳ないですが、私は知らないのです(-_-;)
    2013年04月08日 20:05
  • トシ@グッズマニア

    まだ局報(→運転報)の存在を知らなかった頃、詰所の黒板を見て臨時列車の発着を確認していたんですが、
    回8103レ 名~岐 15:15 18 東下本 ロ•ロフ6(12系) 車略
    といった記述がされていました。
    2013年04月10日 12:04
  • しなの7号

    トシ@グッズマニア様
    その例ですと12系臨客の回送のようですし、車掌への車扉閉扉合図省略の意味でしょうか。
    2013年04月11日 12:32
  • くろしお1号

    しなの7号様、こんばんは!
     沼津にもお座敷客車があったことを、初めて知りました。振り返ってみると、国鉄末期からJR初期にかけて、本当にいろいろなジョイフルトレインが誕生したのですね。
     時代は流れ、その殆どは歴史の中に埋もれていきました。プライバシーがますます尊重される時代、せっかく一杯呑んでくつろいでいるのに、途中駅で退避や行き違いで長い時間停車して、ホームの旅客から丸見えでは、確かにどちらも気まずいですよね。
     フェリーのホームページを見ていると、水平線を眺めながら食事はおろか入浴まで…港を出れば完璧なプライベート空間!九州のななつ星が、どのようにこの空間を保っていくのか、とても興味があります。
     「車略」…現在では、回送列車など「車掌乗務省略列車」のことですが、当時もそのような扱いがあったのかは、記憶が曖昧です。
    2013年04月11日 20:37
  • しなの7号

    くろしお1号様 こんばんは。
    沼津のお座敷は、スロ81系の時代から配置がありまして、12系は2代目になりますね。あまり特徴がないお座敷列車でした。

    「車略」という言葉が今も生きているんですか。と、すれば、トシ@グッズマニア様が黒板をご覧になった時期が国鉄最後のダイヤ改正「61.11」以後であれば、「車掌乗務省略」で説明がつきます。列車無線・EB等完備した「臨時に運転する回送客車列車・試運転列車・工事列車・配給列車」が原則車掌乗務省略になったのは、そのダイヤ改正以後だったからです。当然、その改正以降、私は臨時回送客車に乗務する機会はなくなり、そのまま4か月後に鉄道を去っていますので、そういった用語を知らなくても何ら不思議はないですし。
    と、いうことで、「車掌乗務省略列車」という意味で捉えます。ご教示ありがとうございました。
    2013年04月11日 22:30
  • トシ@グッズマニア

    お二方のご指摘通り、JR化後の事でした。
    編成写真ばかり撮ってた学生にとっては車掌の有無はあまり関心がない事でしたが、他の記述に比べて少し大きめに書かれていた事が多かったので印象に残っています。
    2013年04月13日 12:38
  • しなの7号

    トシ@グッズマニア様
    問題解決ですね(^_^)
    国鉄は、今の常識が通じないほどの昔だったことを思い知るいい例になりました。私も生きた化石みないなもので、今の鉄道界の常識がわかりません(-_-;)
    2013年04月13日 18:11

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