【366】 臨時列車の乗務(20):天王寺鉄道管理局の12系お座敷列車

品川の81系お座敷、沼津の12系お座敷「いこい」、宮原の「14系サロンカーなにわ」と2日間で立て続けに乗務したあと休みを1日はさんで、またお座敷列車の乗務がありました。

こんどは天王寺鉄道管理局所属の12系お座敷車でした。
画像

写真は中央西線での撮影ですが、乗務時のものではありません。

1985年(昭和60年)11月19日
関西本線9224列車

DD51 749(稲)臨A652
スロフ12 808 天リウ 紀伊 
オ ロ12 816 天リウ 和泉
オ ロ12 815 天リウ 河内
オ ロ12 814 天リウ 大和
オ ロ12 813 天リウ 伊賀
スロフ12 807 天リウ 伊勢

名古屋から逆編成
中央本線 9725列車
EF64 66(稲) 臨A634

運転区間 奈良~名古屋~中津川(恵那~中津川間回送)
(奈良以西は列車番号、運転区間等不明)
乗務区間 亀山11:58~13:25名古屋14:01~15:39中津川

中津川から回送逆編成
中央本線 回9726列車
※機関車・客車とも同じ
運転区間 中津川~名古屋
乗務区間 中津川16:11~17:50名古屋 

天臨41 木曽路恵那峡探勝と妻籠の旅(240名)

亀山からの乗務でした。関西本線はすでに電化されていましたが、DD51ディーゼル機関車の牽引でした。名古屋から中央本線部分を担当したEF6466はユーロライナー専用塗色に塗り変えられて間もないころでした。

当時この専用機は、意外にもユーロライナーとの組み合わせが少なく、こうして関係のない列車の先頭に立っていることが多く感じられました。
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写真のEF6466が牽引しているのもユーロライナーではなく、ナコ座と呼ばれるお座敷列車です。

さて、このとき乗務した天王寺鉄道管理局所属の12系お座敷列車は、この当時は12系座席車と同様の青い塗装で愛称もなく、単に「お座敷列車」と呼ばれていたようです。このときは竜華客貨車区の所属だったのですが、翌1986年には国鉄改革の一環で、竜華客貨車区が廃止されたため和歌山電車区に所属が移され、「ワカ座」と呼ばれるようになりました。
このお座敷列車の改造タネ車は、12系座席車の初期車でした。その対照番号は以下のとおりです。

スロフ12 808→元スハフ12 2
オ ロ12 816→元オ ハ12 4
オ ロ12 815→元オ ハ12 3
オ ロ12 814→元オ ハ12 2
オ ロ12 813→元オ ハ12 1
スロフ12 807→元スハフ12 1 

トップナンバー車が2両含まれていて、しかも連番ですね。
さらに、この編成は国鉄分割民営化後の1989年には室内外とも大改造を施して、「いきいきサロンきのくに」と命名されたお座敷列車にリフレッシュしています。
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写真は、そのリフレッシュ後の姿で、中央西線恵那駅を通過中の様子です。
まるで別の車両のように見えます。

残念ながら、この車両も2007年には廃車となってしまい、今では見ることができません。

この記事へのコメント

  • デキ501

    しなの7号様、こんばんは

    DD51牽引の列車に貨物、臨客に限らずたくさん乗務されたようで羨ましいです。私達の乗務区間では少運転の
    DE11牽引貨物以外殆どがEL牽引列車ばかりでした
    起動直後に噴き出す黒煙はまさに当時既に廃車になっていたSLに共通するものがあったような・・・
    それにしても12系も見なくなりましたね。
    個人的には、空調運転をしなければ車軸発電で用が足りた12系は静かなので好きでした。発電用エンジンの高負荷時運転の音といったら騒音以外の何ものでもなかったですから。
    2013年04月16日 22:03
  • しなの7号

    デキ501様 おはようございます。

    DD51は、未だ乗務区間だった関西本線名古屋口では貨物牽引の主役として活躍していて、まるで生きた化石みたいに思えます。
    あの起動時の力行音も軽快な惰行音も、前部緩急車でいつも聞いていただけに、たまに走行シーンに出会うと、それは懐かしくて感涙モノです。12系の発電エンジンも国鉄就職前の蒸気撮影時代からうるさいなあと思っていたのですが、今、近くでそれを聞く機会がないので、今後耳にする機会があれば、うるさいという感覚より先に、きっと懐かしさが先に出てくるように思います(^_^)/
    2013年04月17日 05:47
  • C58364

    こんばんは。
    大変なお仕事(部外者の私にとってはうらやましい限りですが)をされていたのですね。同じ形式でも管理局が変わると、機器扱いなど細かいところで違いがあったりして大変だったでしょうね。
    12系は空調を使わなければ車軸発電でOKだったのですか。いつ12系に出会っても発電エンジンの大きな音を聞いていますので驚きです。発電エンジンを使わない時もあるのですね。
    名古屋から関西線亀山までDD51牽引の旧型客車列車に乗ったことがありますが、駅に着く度に車内がシーンと無音状態になり寂しくなりましたね。
    2013年04月17日 22:47
  • しなの7号

    C58364様 おはようございます。
    基本的に12系は室内灯までは蓄電池から給電できましたが、14系は発電エンジンによる給電でした。これらの改造によるジョイフルトレインのサービス電源は発電エンジンによっていましたが、編成ごとにサービス機器の設備が違いましたので、車掌室にはマニュアル本が常備されていたりもしました。団体列車では基本的にサービス機器は添乗員が扱い、車掌は扱いませんでした。
    カラオケが使えない。ビデオデッキが壊れた。などと添乗員から言われても添乗員がわからないことは車掌にもわからない。故障時は良く言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったり。
    2013年04月18日 06:20
  • しげぞう@

    しなの7号様 こんばんは。夜分過ぎる時間に失礼します_(._.)_
    お座敷列車には乗車した機会は有りませんが、12系客車にはよくお世話になりました。と言っても、この地方で乗ったのは、夜行ちくま号だけで、あとは関西地区ですが。夜行のきそ号の最晩年も12系で、昼間は名古屋機関区?に留置されていたのを、何度か見掛けた事があります。12系のトップナンバーを見たことが無いなと思ってましたが、ようやく理由がわかりました(笑)
    また宜しくお願い致します。
    2015年11月24日 02:54
  • しなの7号

    しげぞう@様 こんにちは。
    12系は今でもその気になればSL列車で乗れる貴重な客車ですね。笹島の横には客操と呼ばれる留置線群があって、12系はじめ様々な客車や気動車がスタンバイしているのは、関西本線に乗るときの車窓ビューポイントでした。今でもそれは同じですが、客車の姿はなく一部に架線が張られ電車の姿を見るようになりました。
    2015年11月24日 15:41

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