【386】 思い出の乗務列車25:臨時急行「ユーロライナーのりくら」(前篇)

1985年11月は、臨時列車にはよく乗務しました。
天王寺鉄道管理局(竜華客貨車区)のお座敷列車に乗ったその日の深夜、2度目となる205系電車の新車回送列車に乗務しましたが、その行路は【293】臨時列車の乗務(17):205系電車新車回送の記事でご紹介した時刻と全く同じでしたので、その記事は今回省略とします。

その月はさらに一般客扱の多客臨時急行列車の乗務へと続きました。
その一つが名古屋~高山間に運転された臨時急行「ユーロライナーのりくら」でした。
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この年の夏にデビューしたばかりの欧風客車ユーロライナーは、主に団体用として使用されましたが、多客時には臨時急行列車として使用され、個人の行楽客用にも「みどりの窓口」で指定券を発売し、乗車することができました。ユーロライナーについては、以前のブログ記事「乗務した車両:ユーロライナー(1)~(5)」で5回に分けてご紹介しましたが、その中でも
【297】乗務した車両:ユーロライナー(1)そのデビューと概要
【299】乗務した車両:ユーロライナー(2)その国鉄時代
が、参考になろうかと思いますので、よろしければご覧ください。

さて、私が急行「ユーロライナー高山」に乗務したのは11月23日の祝日(土曜日)でした。

運転区間・乗務区間 名古屋~高山
1985年(昭和60年)11月23日
東海道本線~高山本線 9913列車
臨急客「ユーロライナーのりくら」

DD51 592(稲) 
1.スロフ12  名ナコ ロザ(開放席・展望車)
2.オ ロ12  名ナコ ロザ(個室)
3.オ ロ12  名ナコ ロザ(個室)
4.オ ロ12  名ナコ ロ (定員外 ラウンジ車)
5.オ ロ12  名ナコ ロザ(個室)
6.オ ロ12  名ナコ ロザ(個室)
7.スロフ12  名ナコ ロザ(開放席・展望車)
(岐阜から逆編成)

高山で折り返し 9904列車
臨急客
機関車・客車とも同一編成

機関車は専用塗装になった稲沢機関区のDD51592号機でした。この列車は前月の10月12日から11月24日の毎土休日に運転され、全車グリーン車指定席であるにも関わらず、連日ほぼ満席の盛況でした。

指定席がある列車の乗務前には、マルス端末機から出力された「車内発売割当通知書」(通称ハツホ)で、その列車の指定席発売残数と、車内割当として車掌が発売してもよい数とその席番を販売センターから通知を受けるのです。その日もほぼ完売でした。車掌同士の会話では「今日はゼロゼロ。よう売れとるわ。」などと言いました。「ゼロゼロ」とは「残数0車内割当0」を意味します。
完売で車掌持ちの席もないというわけです。

ハツホとはこういうものでした。(その日のものではありません)
この列車に関しては、開放席(1号車と7号車)と個室車(2.3.5.6号車)とがありましたので、別葉で出力されていました。
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上の図は開放席のハツホです。
「00/0000」とあるのは、6時40分現在空席がなく、車内割当もない完売状態を示します。「ゼロゼロ」は、これが語源と思われます。
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こちらは個室車のハツホです。(コ)は個室車を現しているものと思われます。
「04/0010」とあり、6時40分現在空席が10席。4席を車内割当として乗務中に車掌が売ってもよいことを示します。その車内割当の席番は
グリーン指定席2号車12番C席
グリーン指定席3号車 9番C席
グリーン指定席3号車10番C席
グリーン指定席5号車14番C席
ということになります。
このほか万一の重複販売に備えて、「ユーロライナーのりくら」の場合は4人用個室が1室だけ電算システムからはずされ、調整用に確保されていました。重複発売がなければ、車掌はこの調整用1室を活用することは可能でした。

当日の担当乗務員は車掌長(チーフ)Kさんと専務車掌の私との2人でした。
名古屋発は9時28分。行楽にはほどよい発車時刻が設定されていました。
停車駅は以下のとおりで、
尾張一宮・岐阜・(各務ヶ原)・鵜沼・美濃太田・(白川口)・飛騨金山・下呂・高山
の順でした。()内の駅では運転停車と言って、単線のための行き違い停車であって、ドアは開きません。
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ほとんどの乗客は始発駅の名古屋から乗車されるので、盛況のなか発車しました。
7両編成の中ほど4号車はカフェ・ラウンジ車です。ここも「オロ」でグリーン車扱いとなっていますが、事実上は「オシ」として食堂車としてもよい車両ですので、定員外となっています。その他の6両の定員は各車30名ずつで、定員は普通の特急の半分にも満たないので、2人でかかれば車内改札も早々と終わります。それにこういう列車には、ビジネス客の多い特急のように、とりあえず買った安い切符だけ持って乗ってこられたり、全くの無札の飛び乗り客というのはあまりなく、ほとんどの方がきちんときっぷを買ってきていらっしゃるものですから、車内改札の能率もよいというわけです。

車内改札をするときに、車掌が一人一人の行先を記録しているのに遭遇して、それをご存知の方もおありかと思います。席番が書かれた紙片に乗客の降車駅を記入しておいて、途中駅からの乗車客の把握や、車内での指定席変更の場合に役立てるわけですが、ユーロライナーの場合は、個室車があることと、開放席車も座席配置が特殊(1人席と2人席が混在する。)なので、専用の座席表が車掌区に用意されました
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左が個室車、右が開放席車の座席表です。上の○の中に号車番号を記入して、マスの中に乗客の下車駅を記入しておくのです。この表から、個室車のうち、
2番、7番、12番が、それぞれ4人室
4,5番、9.10番、14、15番が、それぞれ6人室
ということがわかります。
開放席車は3~6番の部分は通路が窓側にあることがわかります。1.2番席がありませんが、この部分はフリースペースの展望席でした。7~12番のD席は1人掛の座席であることもわかりますが、3~6番は新幹線のような3人掛ということではなくて、窓側のA席が独立して1人掛の席でした。

ここで、前に書いたハツホの車内割当の内容をもう一度見て、座席表と照合してみましょう。
2号車12番C席は4人室、
3号車 9番C席と10番C席は同じ6人室、
5号車14番C席は6人室、
と、いうことがわかります。車掌はこの座席表に車内割当の該当席番のマスの中に○印をつけておきます。

しかし、個室に1~2人分の席が空いているとは言っても、飛び込み客をそこに案内するのは躊躇するものです。それ以前に、このときは個室に対して「部屋売りをしていなかった」というのが大問題なのでした。
実際に車内改札をしましたら、グループ客の中に1人別の客が紛れ込んでいたというケースが複数あって、乗客同士で相部屋でもいいですよと納得してくれれば、そのままでよいのですが、こちらとしては「4人部屋を3人で指定券取ったんだから仕方ないですよ」としか説明できないというのは困ったものでした。
指定券を売る国鉄側は、個室であることを理解せずに売る。買う側も個室とは知らずに空席があったから買った。ということなのでしょうか。

ここで前述の調整用に1室あった個室をうまく活用するわけです、
K車掌長の活用方法は次のようなものでした。

開放席に乗っている4人グループ客に、個室があるけどどうですか?と声をかける。
たいてい追加料金も要らないのなら移りたいという。
で、調整用の4人室に案内する。
開放席が4席空くので、個室に紛れ込んだ1人客を案内。

これで、
個室に移ったグループ客に喜ばれ、
個室に3人とか5人で指定を取った客に喜ばれ、
個室に紛れ込んでいた1人客に喜ばれる。

また、この日は1人だけでしたが、名鉄から乗り継いで鵜沼駅から、とりあえず来た列車に乗ったらこの列車だったという飛び込み客の男性がおられました。美濃太田までのごく短距離の利用なのに、全車グリーン車のこんな列車にわざわざ当たってしまうとは不幸な乗客ではありましたが、カフェラウンジ車の座席に座ってもらった男性客は割高なグリーン料金にケチをつけるでもなく、変わった列車があるものだねと、思いがけず乗ったユーロライナーをしきりに褒めて、十数分の短い旅を楽しんで?降りて行かれたのでした。

この記事へのコメント

  • C58364

    おはようございます。
    この時期は転勤したばかりで鉄を中断中でしたが、偶然 サロンエクスプレス東京が岐阜に入線してきた時は驚きました。見慣れない欧風客車に周りのサラリーマンと一緒に覗きこみましたが、乗客の皆さんは悠然と構えておられたのが印象的でした。
    その少し後にユーロライナーがデビューしたのですが、東京車や大阪車の塗装のけばけばしさ(失礼)に比べ落ち着きとスマートさがあり好きになりました。
    車掌さんは車内改札で初めて指定席状況が分かると思っていました。ノリホは知ってましたがハツホですか。
    ワイドビューひだの指定席車内で車掌さんから指定席を求めている方を見かけたことがあります。その方は途中駅から乗車されましたが車内に入ると迷いなく座られました。調整用席をご存知の常連さんだったようです。
    ユーロ個室のバラ売りは困ったもんですね。私はチラシか何かでグループでの個室利用のPRを見た記憶がありますが、当然 個室単位の販売だと思いました。他人に割り込まれたグループ客やグループ客の中に放り込まれた一人客はどちらも戸惑いますよね。旅の楽しさ半減です。
    ジョイフルトレインと銘打ち国鉄が力を入れた車両ですが何かチグハグな感は否めませんね。
    結局、困ったのは乗客と車掌さんとは何をか言わんやです。
    K車掌長さんのご努力で大勢の乗客が思いっきり旅を楽しめることになり良かったですね。
    名鉄さんは指定席車が少ないこともあり車掌さんが行先をメモされていますが、近鉄さんは特急が全車指定なので携帯端末で分かるようで指定券チェックはありません。
    私的にはどちらの方法もありだと思います。
    2013年06月24日 07:30
  • 上野大熊猫

    おはようございます。今回もとても興味深い内容でした、ありがとうございます。列車の車掌さんが「粋」な対応をしてくれると、後々まで良い思い出として残ります。上手く「調整された」彼らにも、きっと良い良い思い出としてユーロライナーが残るのでしょうね。

    少し話が逸れてしまいますが、「臨時急行」についてです。

    国鉄末期~JR初期は、急行という種別を上手く活用していたように感じます。臨時列車はダイヤのスキマを縫うため足が遅く、「特急としたら怒られるかも?」という後ろめたさがあったのかも知れませんが、今のJRでは開き直りとも言えるような、快速より遅い特急がザラにありますので・・・足も遅い、車内販売もない、オルゴールも鳴らないような列車(更に、車掌さんが通勤列車と同じ制服!)は、せめて「急行」として特急より格下であることを白状して欲しいと感じています。特急は、特別な急行なのですから・・・

    長文、失礼致しました。
    2013年06月24日 08:16
  • しなの7号

    C58364様
    高山本線は観光路線だけに、多種多様なジョイフルトレインが入線しましたね。ユーロライナーは地元車だけに、その代表格といえましょうが、団体列車が中心で個人需要のリゾート列車には成長できませんでした。最初期の様子は本文での内容どおりで、営業サイドの詰めが甘く、お客さんも現場も困ってしまったというのが実態でした。

    調整席は、あくまで重複発売の調整用なので無札旅客のためのもではありません。しかし常連でいつも空いている席を把握している乗客は当時からありました。
    2013年06月24日 08:19
  • しなの7号

    上野大熊猫様
    この「調整」は個室車ならではの手法です。ただ、一般の列車でも、窓側の席をご希望されたり、陽当りの関係などでも調整席を利用することはありました。
    特急に関して言えば、格が確実に落ちたのはL特急が登場したころではないかと思います。それ以後は「特別急行」と呼べる特急列車は確実に減っていったと思います。そもそも駆出し専務だった自分が特急に乗務している時点で、もう「特別」ではないですね。
    普通列車より遅い「臨時急行」には、実はこのユーロライナー乗務の翌日に乗務する機会がありました。近日中にそのこともUPするつもりでおります。
    2013年06月24日 08:33
  • ★乗物酔いした元車掌

    ★ぼくは着任してからしばらくの間予備班でしたが、
    普通班でしたから、
    こういった列車には縁がありませんでした。

    ユーロライナーは好きでした。
    こういった車両はもう、考えないのかな。
    そういえば、キハ80系改造の
    「リゾートライナー」(だったと思う)も
    ありましたよね。
    2013年06月24日 11:17
  • しなの7号

    乗物酔いした元車掌様
    ジョイフルトレインは、鉄道会社の育てる意気込みがないと長続きしないように思います。
    リゾートライナーのほうは分割民営化後の改造車両でしたので、あいにく馴染みがないのです。
    2013年06月24日 20:01
  • 北恵那デ2

    たいへん専門的な?という印象かな、部外者にとってはそう感じる記事ですネ。ところで高山本線で撮影中に塗装変更直後のDD51 592に突然出会い、興奮状態で必死に追い抜き撮影した思い出があります。それ以前にこのカマの存在を自分が知っていたのかどうかの記憶はありませんが。ただEF64でもそうでしたが、必ずしもユーロ塗装の機関車がユーロライナーを牽くとは限らないし、逆に普通の12系の臨時をユーロカラーの機関車が牽いたりもしてましたね。ただ当時は「鉄道ダイヤ情報」で調べて出かけましたが、まともに撮影できたジョイフルトレインはあまり無かったですね。
    2013年06月24日 22:24
  • TOKYO WEST

    マルス端末のなかでも駅・エージェントの営業所等に配置されない唯一の機種が、ハツホ出力用のDT形端末装置でしたね。そういえばかつての下りムーンライトながら号は、横浜駅での日替わり、指定席設定区間の違い(1~3号車:東京・名古屋間、4~9号車東京・小田原間)に起因する誤案内・誤発行が多発し、調整席で対応しきれないケースもあったようです。そういった日はハツホも当然0ですので、熱海で引き継ぐまでヒヤヒヤだったようです。
    一方現在、某新幹線では普通車指定席の調整席を全廃している(グリーン車は存置)など、乗務員の苦労や心配の種は尽きないようです。
    2013年06月25日 01:29
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    今回は指定席の舞台裏みたいな部分をご紹介しましたので、こんな内容になってしまいました。
    個室車に乗務する機会はそうあるものではなかったですから。
    ユーロ色の機関車が用意されたにもかかわらず、当時は客車と一体になっているとは思えない運用でしたね。自分もユーロライナー赤倉で66号機がなかなか登板してくれず、撮影先で何度も期待を裏切られた思い出があります。
    2013年06月25日 05:43
  • しなの7号

    TOKYO WEST様
    あれはDT形端末っていうんでしたか。形の名前は存じませんでしたが、車掌区にマルス端末ができたというのでちょっとびっくりした思い出があります。端末機がなかったころや中小車掌区の場合、ハツホは他所で出力したものを取り寄せたり、模写電と呼ばれるファクスで写しを受信したりしていたと記憶しています。
    いわゆる「ダブリ」では苦労した話を先輩からよく聞きました。国鉄時代のことしかわからない私ですが、ムーンライトながら号など、いかにも人為的ミスによって車掌が困るケースは想像に難くないです。一般に人気のある列車は、内部ではお荷物的な存在で、縮小化されていってしまう例のようにも思えます。
    2013年06月25日 05:43

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