【387】 公園のシロとヨーコ(前篇)

京都の街の中、ゴーカートが走る大宮交通公園に、かわいい機関車と小さな客車のような車両がなかよく連結され保存されています。
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機関車はC-160。富山のメーカーで製造され、京都府北部にあった加悦鉄道(かやてつどう)という小さな私鉄で働いていたものです。そしてもう1台の小さな客車のような車両は、実は客車ではなく、旧国鉄の貨物列車のいちばん後ろに連結されて、車掌さんが乗務するための車両で「ヨ6720」といって貨車の仲間です。ここではC-160は「シロ」、ヨ6720は「ヨーコ」と呼んでおきます。

「シロ」とは私がこの機関車と車掌車の存在を知るきっかけとなったブログ「虹色鉄道」の管理人であるkayoさんが、そのナンバーから命名されました。「ヨーコ」のほうは、私の命名です。「ヨ」という形式名から勝手に名付けたものですが、国鉄時代は「ヨメサン」とも呼ばれたりしていました。

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その公園は京都のまちの中にありました。ここへ来るこどもたちは、ゴーカートにのったりして遊びます。シロとヨーコはいつもそのこどもたちをみています。ゴーカートにあきると、こどもたちはシロとヨーコのところへきて、のったり、まわりで遊んでくれます。

その2台が公園へきてからはじめて雨が降った日のことでした。公園に、こどもたちがだれも遊びに来てくれないので、たいくつしていた2台は、おはなしをしていました。
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シロがヨーコに声をかけました。
「きみはだあれ?どこから来たの? 」
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ヨーコは
「わたしはヨーコ。ここへ来るまえは毎日毎日、日本じゅうを旅してた。あなたは?」とこたえました。
「ぼくはシロっていうんだ。ここへ来るまえは、鉱山で貨車をおしたりひいたりしてたんだけど、あたらしいディーゼル機関車が来たから、もうはたらかなくていいって・・・。そのあとその鉱山もなくなってしまったんだ。どうなっちゃうんだろうと思ってたら、ここへつれてこられたんだよ。」
「わたしはある日、国鉄の人から、きみはもう走らなくていいっていわれたの。ほかのみんなといっしょに操車場のすみっこにいれられて、来る日も来る日もお仕事をもらえなかった。そうしていたら、わたしだけ大きなトレーラーにのせられて、ここへつれてこられたわ。」

シロとヨーコはこの公園では、連結器でつながれているのですが、ここへ来るまでは、まったくべつのところで、べつの仕事についていて、おたがいのことはなにも知らなかったのでした。
この公園にきてからも、2台は動くことができませんでした。線路は2台分の足もとにしかれているだけで、前でも後でも、少しでも動こうとすれば脱線してしまうからです。2台は走ることができなくなって、とてもさみしい思いをしながら、こどもたちを見ていたのでした。

「もうぼくたちは自由に走れないんだ」
「そうね。いつもいっしょに走っていたなかまの貨車たちとも会えないし、自由に走れる線路にもどりたい。」
ヨーコは泣いていました。シロも泣きたい気持ちはおなじでしたが、2台は、生まれも育ちもまったくちがっていたので、それまでおたがいの思いも知りませんでした
それどころか、それまでシロはヨーコのことを、へんてこな客車だなあと思っていたし、ヨーコはシロのことを、ここへ来るまえにひっぱってくれた大きなデゴイチにくらべて、なんて小さくてたよりない機関車なんだろうとさえ思っていたのでした。
でも、こうしてすこしずつおはなしをしていくと、おたがいに通じるものがあることがわかってきたのでした。
「ヨーコは日本じゅうを走りまわっていたっていうけど、どんなお客さんをのせてたんだい?」
「わたしにはお客さんはのらないわ。いつも貨物列車のいちばん後にぶらさがってたから、のってくれたのは車掌さんだけだったわ。そりゃあ、はじめはお客さんにのってほしかったけど、わたしのやくめが事故をおこさないようにするためのたいせつなお仕事とわかったら、そんなことは思わなくなったの。
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でも国鉄の人は、貨物列車は機関士さんだけがのればいいことになったから、車掌さんがいらなくなるから、わたしもはしらなくていいんだっていってたけど、わたしにのっていた車掌さんたちはどうしてしまったのかしら。」
「ぼくはヨーコのように日本じゅうを走ったことなんかないし、毎日毎日鉱山から出る鉱石をいっぱいつんだ貨車をおしたりひいたりしてただけだった。でもそんな急カーブや急坂があるようなところには大きな機関車なんかはいってこられない。小さい体だからこそできるたいせつな仕事とわかったから、ぼくしかできない仕事と思ってやってきた。」
2台は、それまでおたがいにまったく知らないところで生きてきたのに、にたようなわけで仕事をうしない、ぐうぜんにもこの公園でであったということに気づいたのでした。シロはヨーコのことをへんてこな客車と思っていたのをもうしわけなく思いましたし、ヨーコもシロのことを小さくてたよりない機関車だと思っていた自分をはずかしいと思いました。それからは、おたがいとてもなかよくなって、さみしいとも思わなくなっていったのでした。

(【389】公園のシロとヨーコ(後篇)に続く)

この記事へのコメント

  • ★乗り物酔いした元車掌

    ★いいですねぇ。
    メルヘンな感じ、童話作家になれますよ。

    ボクが列車掛になったときは、
    本線は、機関車乗務が基本で、
    緩急車に乗務した記憶は、あんまりありません。
    乗務したのは、コキフくらいです。
    もっとも、見習いだけですぐ
    田舎の区所へ異動しましたけど、

    その区所の担当する貨物では、緩急車乗務でした。
    1交番2回、上下1本ずつ、
    短い区間を乗務するだけでした。
    そのころは、もう、ヨ8000だけでした。
    2013年06月27日 06:02
  • 京阪快急3000

    しなの7号様 おはようございます。

    とても素敵なおはなしでした。
    後編を楽しみにしております。
    2013年06月27日 06:21
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。なんだか「シロ」と「ヨーコ」の会話が聞こえてきそうですね。わーい(嬉しい顔)絵本でも作れそうな雰囲気で、ほのぼのとします。私も列車とは常に心の中で会話しておりますが…
    2013年06月27日 07:11
  • しなの7号

    >>乗り物酔いした元車掌様
    >>京阪快急3000様
    >>鉄子おばさん様

    自分は「ヨメサン」にはずいぶんお世話になりました。そのなかで「ヨ6000」は在来型車掌車の中での完成型といえると思います。彼女は国鉄改革の生き証人です。
    ここでは「C-160」本人?は口にしていませんが、彼は戦時中の大江山ニッケル鉱山の強制労働の実態を知っているであろう生き証人です。2台とも、小型でかわいい車両ですが、日本が経験した重い過去を知る者たちであることをみなさんに知っていただけたらと思っています。
    ご覧いただきありがとうございました。
    2013年06月29日 08:32
  • kayo

    しなの7号さんこんばんは。
    私の記事をご覧くださって、シロ、ヨーコさんと会われ、そしてこのような素晴らしい物語を綴られたことを本当に嬉しく思います。しなの7号さんの彼らへのあたたかい思いのおかげで、私も大きな力をいただくことができます。それがたくさんの人にとってもそうであることを信じます。
    シロとヨーコさんははじめはお互いのことをこのように思っていたのですね…彼ららしく、微笑ましいです。今はとても仲が良いのですね。きっとそうだと思います。
    きかんしゃトーマスのような世界は、完全に架空の世界ではなく、実際の電車、機関車同士、そして彼らと人間との間にも、対話やこころの交流はあると信じています。それが鉄道や人の命を大切にする心を生み、安全につながると思います。しなの7号さんの物語も、シロとヨーコさん、彼らの友達の市電たちがもっと大切にされ、子供たちに囲まれることに必ずつながると思います。
    本当にありがとうございます。つづきも楽しみにしています♪
    2013年06月29日 23:22
  • しなの7号

    kayo様
    貴ブログ「虹色鉄道」で大宮交通公園の2台のことを知ることができました。感謝します。
    そして「虹色鉄道」を知るきっかけは言わずもがな、旧国鉄117系電車でしたね。私が中京地区では破格と思われる新車としてデビューしてから約5年乗務してきて愛着がある117系にも感謝です。
    シロのなまえの引用ほか、快諾していただきありがとうございました。
    2013年06月30日 06:58
  • Kayo

    しなの7号さんこんばんは、ご無沙汰しています。
    シロが加悦に移動となりました。体調を崩していたとはいえ移ってから3か月もあとに知って情けなかったです。ヨーコさんがどうなったのかまだ知らず、無事でいてほしいです。機関車の解体情報が相次ぐ中、夢に見ていたシロが整備される日がやっと来て救われてよかったと思います。個人的には自宅から近いところから少し遠くに行ってしまったさみしさがまだ大きいです。大宮交通公園も工事のようすを見るとかなり姿を変えそうです。様々な思い出がよみがえります。中でもしなの7号さんにお越しいただけたことは大切な思い出です。本当にありがとうございます。加悦にはシロにとって悲しい思い出も多いかと思いますが新しいお友達もできて楽しく過ごしてくれたらと思います。そんな姿をまたしなの7号さんにもご覧いただけたらと思います。私も会いに行ける日を希望にしています。
    2019年12月19日 19:08
  • しなの7号

    Kayo様 こんにちは。
    シロの近況についてご連絡ありがとうございます。
    大宮交通公園はリニューアルされるのですね。シロに関しては里帰りだと知ってうれしく思っています。保存場所は加悦鉄道資料館(旧加悦駅舎)のようですが、やや離れたところには加悦SL広場があって22年も前に子供たちを連れて行ったことがあります。シロへの再会も兼ねて、久しぶりに丹後の地を訪ねてみたいです。
    ヨーコのほうはどうなるのか心配ですね。長く一つ屋根の下で暮らしてきた2人の別れの会話を想像すると、悲しみがこみ上げてきます。せめてリニューアルされた公園で整備されるなり、よい引取り先が見つかるなり、この先彼女が幸せな生涯が送れるよう祈っています。

    体調を崩されていたとのことですが、どうかご自愛くださいませ。
    2019年12月20日 16:03
  • しなの7号

    つい先日、Kayo様よりシロが大宮交通公園から移転したとご教示いただき、なぜ移転先が他の僚機たちが集う加悦SL広場でなく加悦鉄道資料館なのかと疑問に思っていたのですが、12月23日になって、「加悦SL広場が2020年3月末で閉園を検討している」との報道がありました。決定事項ではないにせよ、加悦SL広場のほうは存亡の危機であることがうかがえますので、資料館のシロは安泰でも、他の車両たちの今後の動向は気になるところです。
    2019年12月26日 09:36
  • しなの7号

    やくも3号様 こんにちは。
    近況報告ありがとうございました。今はこんな状況ですか。リニューアルされてN電はそのまま残る?としても、画像を拝見する限りでは、ヨ6720は見当たらず、どうなってしまったのでしょうね。
    2020年01月18日 15:52

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