先週の続きになります。
1985年の秋、まだ登場して間もない名古屋鉄道管理局の看板列車「ユーロライナー」乗務のお話です。
写真はそのとき名古屋鉄道管理局が発刊していたポケット時刻表です。非売品で、駅や旅行センターで配布したり、我々国鉄職員が業務用に使用していました。(似た内容のポケット時刻表も鉄道弘済会から発刊され、管内のKIOSKで発売されていました。)
そして裏表紙もこんな感じで、とにかくユーロライナー一色で埋め尽くされています。その見返し部分にも、当時の国鉄で発売していた目的地フリータイムのツアー「エック」の広告となっており、ユーロライナーを使ったツアー商品が掲載されていました。内容は一泊二日のコースで、このようなツアーでは個室のグループ独占使用の設定していたのかもしれません。しかし一般の電算発売に関しては実際に乗務した者みんなが、個室の発売方法を問題点として認識していました。そこで遅ればせながら、その冬から信州方面へ運転されるようになった「ユーロライナー赤倉」号から「コンパートユーロきっぷ」という企画乗車券が発売されるようになったのでした。それは乗車券・急行券・グリーン券をセットした1室1枚の切符で、1人から個室の定員(4人または6人までの2種類)まで同額で、部屋をその定員の人数で利用すれば割安になるという設定でした。翌年春以降の「ユーロライナーのりくら」では「ユーロライナー赤倉」同様に「コンパートユーロきっぷ」が発売され、部屋売りが可能になったのでした。
(車内ではこの取り扱いはありません。)
実は見習以来初めての高山本線乗務が、このときの「ユーロライナーのりくら」でした。初めての線区で初めての車両とくると、緊張するものですが、そうばかりでもないのでした。ベテランの車掌長氏が一緒にいるという安心感もありましたし、高山本線には何度も私的に乗車したことがありました。並行する国道41号線を自動車でいつも走ったりもしていましたので、地理的なことはよくわかっていました。私が当時特急しなの号で何回でも乗務していた中央西線と篠ノ井線に比べると、この列車に関して言えば、なんと低速でゆったりとしたダイヤなのかと思ったのでした。同じような山岳線区である中央西線は電化され、振り子電車381系が高速で揺れまくりながら疾走し慌ただしい思いでしたが、定員が少なく車内改札も早々と終わってしまえば、高山本線のこの急行はDD51が懸命にカーブを繰り返しながら山中の勾配を登って行くのを私は最後部のスロフの乗務員室からぼんやり眺めていられるくらい余裕なのでした。
早くから高山本線はCTC(列車集中制御)区間になっていました。岐阜を出ると美濃太田と飛騨金山以外の駅では運転関係に従事する駅員はいなかったために、車掌が出発信号機の現示を確認し、無線機によって出発合図を送っていました。
「下り9913列車 発車~」
それに応えてDD51の汽笛が響きます。国鉄に入ったばかりの私が、乗務掛(荷扱)のころに同乗していた専務車掌(荷扱)の人がやっていたこの出発合図を、やっと新鋭の急行列車でできるようになったんだとの思いもあったのでした。無線機を使った出発合図はこうした機関車牽引列車でしか経験できず、電車列車や気動車列車では味わえませんでした。
13時10分、名古屋から3時間42分も要して終点高山についた車掌長Kさんと私は、到着点呼と折り返し乗務の上りのユーロライナーのりくら9904列車の出勤印を押すため高山車掌区に立ち寄ったあと、昼食のため街に出ました。
折返しの発車時刻は15時14分。列車の乗務まで2時間ほどあるので、食事にはほどよい時間です。高山駅では操車掛が配置されているので、機関車の前後付け替えの入換作業(オカママワシといいました)を車掌がやる必要はなく、ゆっくり食事をしてきてもまだ時間がありましたので、2人で記念撮影会となりました。
そのあと、発車時刻近くまではユーロライナー車内で過ごしました。4号車のカフェラウンジでは日本食堂のクルーの方が休憩中で、コーヒーを出していただき、一服です。
聞くと、ユーロライナー専属で乗務されているそうで、団体列車で遠路まで行かれるとのことでしたが、かなりきついお仕事のようでした。
カフェラウンジと座席や個室に用意してあったメニューを見ると、常備メニューは喫茶軽食酒類とつまみの類で、ランチの類は予約制のようでした。
折返し、名古屋へ向かう上り列車は、高山と下呂からの乗客が大部分です。
停車駅は、下呂、飛騨金山、美濃太田、岐阜、尾張一宮、名古屋の順で、名古屋着は19時05分。
下り列車より少し時間がかかっていて所要時間は3時間51分。
下り同様、このほかに行き違いの「運転停車」が飛騨一ノ宮、飛騨小坂、上呂、下油井、坂祝と5か所(下りは2か所)もありましたのでやむを得ませんが、高山を30分以上後に発車した定期急行「のりくら8号」に、岐阜で「オカママワシ」をしているあいだに途を譲るダイヤで、急行が急行に追い抜かれるというものした。
このころの名古屋~高山間の所要時間は、特急「ひだ」(キハ80系)で、だいたい3時間かかるのが相場でしたが、現在はキハ85系で2時間10分台で結ぶ列車もあります。ずいぶん速くなったものだと思いますが、それにもかかわらず、高山本線は高速自動車道の整備で苦戦を強いられる状況のようです。自分に言わせれば速いとか遅いとかは問題でなく、ユーロライナーのように時間はかかっても鉄道の旅を、すばらしい沿線の風景を眺めながらの旅程を楽しむことの価値を皆さんに認めてほしいと思います。
車窓派?の自分としては、高山本線や中央本線の車内で寝ている乗客の神経がわからないとさえ思うのです。ただの鉄道贔屓なのかもしれませんが、やはり変な価値観が私にはびこっているのでしょうか。








この記事へのコメント
京阪快急3000
「下り9913列車 発車~」
かっこいい響きですね。
「ユーロライナー」は、自分は本の写真でしか見た事がございませんが、「素晴らしいリゾート列車」だと思います。
「時間はかかっても鉄道の旅を、すばらしい沿線の風景を眺めながらの旅程を楽しむことの価値を皆さんに認めてほしい」・・・。
おっしゃる通りですね!!
C58364
地元高山線でのユーロ乗務のお話、興味深く拝見しました。
紙写真を探したら撮影時期は不明ですが那加駅で上り普通DCを待たせて通過している下りユーロの写真がありました。ヘッドマークを付けた一般色のDD51-1037に牽かれています。
ユーロ色DD51の登場前かピンチヒッターかは分かりません。
単線で結構優等列車の本数が多い高山線で運転される臨時列車は、信号場が増えたとは言えのんびりしたダイヤにならざるを得ないのでしょうね。機関車牽引列車は加速が悪いので余計にのんびり感じますし。
下り列車に乗っていて白川口を過ぎ山間部に入ると車内が静かになり、皆様が瞑想の世界に入られるのは私も経験しています。せっかく山紫水明の地に入ったのにもったいないと思いますね。
しなの7号
おはようございます。
DD511037一般色の高山本線での活躍記録は貴重なものですね。
高山本線でも中央西線でも、列車の旅だと景色がよくなっていたころに皆さん夢の中ということが多いです。車掌長の沿線案内放送も「うるさい」とのご意見すらあり、不特定多数の乗客が混乗する列車での難しさを感じるものですが、こういうリゾート列車では特に車窓の楽しんでいただきたいものです。
>>京阪快急3000様
おはようございます。
貨物列車や客車列車の無線機による出発合図は、いかにも自分が列車を発車させているという気になるものです。
鉄道の楽しみ方にも種々あります。自分の鉄道とのつきあい方も、単に「乗る撮る」中心から変わってきていることを自覚しています。車窓に惹かれるようになったのも、その変化の一つです。
トシ@グッズマニア
汽車旅の良さが世間一般に見直された時、鉄道の復権成るのだろうと信じたいです。
九州や東のリゾート列車たちがそのキッカケになって欲しいものです。
北恵那デ2
★乗り物酔いした元車掌
ローカルで4時間かかる、
そんな乗務をしたことがあります。
行き違いの停車も15分とかが数回。
特急に抜かれると20分停車
そんな、のんびりとした乗務でした。
1回目の15分停車のとき
お客様は、ホームに降りてたたずんだり、
駅前のJAの売店へ買い物に出たりと
楽しんでおられましたが、
2回目、3回目ともなると、
ダレも降りてこなくなりました。
そんな、懐かしい思い出よみがえりました。
しなの7号
特急中心のスピード時代に青春18きっぷが流行したように、所要時間を度外視した鉄道旅本来の旅を好む方は少なからずあると思います。新たなリゾート列車の成否は鉄道会社がその企画を育てていく意欲次第でありましょう。
>>北恵那デ2様
「くしろ湿原ノロッコ号」には乗車経験がありますが、あれはDLの推進運転が面白いなと思いました。こういう感想はいかにもヲタク的ですね。高山本線ではこの手の列車は特急の本数が多くてダイヤ設定が難しいでしょうか? 飯田線のトロッコも廃止されて久しいですが、定期列車併結でもいいので、一般の旅人が車窓を楽しめる列車の設定がほしいと思います。不便で地元民に見向きもされない交通機関になっていく鉄道であっては、いい企画があっても、その地域のバックアップすら受けられなくなってしまいますね。
>>乗り物酔いした元車掌様
その長い停車時間を売り物に利用できる企画がほしいものと思います。そういうところで地元とタイアップできると面白い列車ができそうです。
「木曽路クルーズ」は今後に向けて育てていくとよい企画だと思います。紀勢本線には、今でも長時間停車する普通列車があって、自分には楽しめるんじゃないかと思います。一般の方は?と言われると…???
鉄子おばさん
しなの7号
おはようございます。
伯備線電化31年ですか。381系やくもも31歳ということになるわけですが、長寿ですね。非電化時代のやくもはキハ181系でしたが、これも地元中央西線のしなのと同じで、特急やくもには親近感があります。
やくも号乗車40回達成おめでとうございます。私のしなの号乗務回数を追い越されるのも時間の問題かと。
そういえば、専務車掌になってから、高山本線の乗務に備えて名古屋~高山間を1往復乗り鉄に行ったことがありました。そのときは、どうせ乗るなら、ファンというより尊敬していた大先輩の乗務列車にわざわざ合わせました。
鉄子おばさん
しなの7号
旅行ですと列車を最後まで見送ることは(意外かもしれませんが)あまりないです。なぜなら、自分の旅行は分刻みの忙しい旅行であったりすることが多いからです。
見送っていたら、乗り継ぎの列車に乗り遅れかねません
でも「降りたくない病?」が発症することはあります。そもそも列車は終着駅まで乗りたいです。信州からの帰路のしなの号の場合は最寄駅を通り越して終点名古屋まで乗ってから帰るようなことはあります。
終着駅の車掌氏の放送を聞きたいという理由もあります。「今日はしなの号をご利用いただきましてありがとうございました。またのご利用を心からお待ちしております。~鉄道唱歌のオルゴール~」