機関車はC-160。富山のメーカーで製造され、京都府北部にあった加悦鉄道(かやてつどう)という小さな私鉄で働いていたものです。そしてもう1台の小さな客車のような車両は、実は客車ではなく、旧国鉄の貨物列車のいちばん後ろに連結されて、車掌さんが乗務するための車両で「ヨ6720」といって貨車の仲間です。ここではC-160は「シロ」、ヨ6720は「ヨーコ」と呼んでおきます。
「シロ」とは私がこの機関車と車掌車の存在を知るきっかけとなったブログ「虹色鉄道」の管理人であるkayoさんが、そのナンバーから命名されました。「ヨーコ」のほうは、私の命名です。「ヨ」という形式名から勝手に名付けたものですが、国鉄時代は「ヨメサン」とも呼ばれたりしていました。
【387】公園のシロとヨーコ(前篇)からの続きになります。
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シロとヨーコが公園に来てからは、公園の人が2台のためにやねをとりつけてくれたり、きずついたところをなおしたり、黒いペンキを体じゅうにきれいにぬってくれました。
こどもたちは毎日来てくれて、シロの運転室やヨーコの車内であそびました。2人はこどもたちが楽しそうに遊んでくれているのを見ているのがなによりもうれしいと思いました。
でも2台ともほんものの鉄道の「機関車と貨車」でした。この公園ではうごけなかったから、シロもヨーコも「むかしは、すすけてまっ黒になってはたらきつづけてきたんだよ」と、そのこどもたちにつたえることができませんでした。せめて汽笛で「ポッポー」とはなせたならきっとこどもたちは2台をほんものの「機関車と貨車」だってわかってくれるのになあと思っていたけれども、蒸気も出せないので、汽笛もならせなかったのです。生まれてからこの公園に来るまでのあいだに、どんなにかたいせつなお仕事をしてきた「機関車と貨車」であるのか、それをせめて公園の人からこどもたちにつたえてもらいたいなあと2台はおもっているのです。
そんなことをおもっていたおととしの12月、シロはいつもあいに来てくれるおねえさんからクリスマスプレゼントをもらいました。
「こちら」をクリックすると「シロ」の名付け親Kayoさんのブログ「虹色鉄道」のそのときの記事にリンクします。)(こちらの画像はブログ「虹色鉄道」から転載させていただきました。)
シロはそのときとてもびっくりして、てれていました。こんなにまじまじと見られたのはひさしぶりだったのです。
「ぼくが富山で生まれたことも、あの人はちゃんと知っていたんだよ。だから富山の「ますのすし」をもってきてくれたんだ。」
そのときヨーコはやきもちをやいていたのですが、それからしばらくして、こんどはむかしほんとうに車掌さんをしていたおじさんがヨーコに会いに来たのでした。
「わたしの体のあちこちをさわりまくって、あしもとをのぞきこんだり、へんな人

「ぼくやヨーコが線路のうえをおもいっきり走っていたときのことを、あの人たちがみんなにおしえてくれるといいね。また来てくれるかなあ。」
2台はちがうところで、ちがう仕事をしてきたのに、こうして見るとうまれたときからずっといっしょに手をつないでいるように見えました。あそびにきているこどもたちも、きっとそうおもっているのでしょう。
シロには、まっ黒になってはたらいた鉱山につながる線路のうえをいったりきたりしたおもいでがあります。
そしてヨーコには、ながい貨物列車のいちばんうしろから、2つの赤いめだまで、ついとつされないようにしっかり後ろを見ていたおもいでがありました。みんなにわかってほしいなあとおもいながら、ここへ来てから、もうながい年月をすごしてきて、からだじゅうがよごれてしまいました。こころない人によって、らくがきされたり、きかいをこわされたりもしました。
すっかり、おじいさんとおばあさんになってしまったけれど、生まれたときからいっしょにいるように、おにあいの2台は、きょうもこどもたちがゴーカートにたのしそうにのっているすがたをやさしく見まもっているのです。
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<「虹色鉄道」のKayo様へお礼>
「シロ」のなまえとエピソード、そして心温まるシロへのプレゼントの写真の利用を承諾していただきまして、ありがとうございました。
<2021年3月31日追記>
大宮交通公園は明日(2021年4月1日)リニューアルオープンとのことです。
あいにくC-160とヨ6720は、リニューアル後の公園に引き継がれませんでした。2019年から公園はリニューアル工事のため休園になり、その間にこの2台は京都に別れを告げ、第二の保存地へと旅立ったとのことです。
・C-160は現役当時の地への里帰りが実現し、加悦鉄道資料館に移設。
・ヨ6720は、群馬県にある旧長野原線太子駅跡に移設。
ということで、2台は別れてしまったことになります。悲しい別れではありますが、両車とも駅の跡地という第三の人生にふさわしい地を見つけていただいて保存されることになったことは喜ばしいことです。今後、彼の地で美しい姿によみがえった姿を見せていただきたいものと思っています。
この記事へのコメント
京阪快急3000
今回の「シロとヨーコ」のお話、大変興味深く拝見させていただきました。
「2台の保存車両たちに、その歴史がわかるよう、せめて説明版を整備していただきたく思います。2台の過去の歴史を遊びに来る子供たちにもっと知ってほしいと願っています。」
おっしゃる通り、自分もその案に賛成です。
北恵那デ2
C58364
説明版の整備は必要でしょうね。
大きなC57やD51しか知らない子供さんにとって、C-160は遊園地のSLとしか思えないでしょうね。
電車しか知らない子供さんはヨ6720を何だと思っているのでしょうか。黒くて汚い訳のわからないモノ?。
せっかく貴重な車両を保存いただいているので是非とも説明版の整備をお願いしたいですね。
単なる説明文だけでなく、kayo様やしなの7号様のこのような愛情と夢のあるポエムも添えていただけると、子供さんも興味を持って可愛がってくれるようになると思いますが。
★乗物酔いした元車掌
少しだけ、自分にかぶりました。
かつてはボクもそこそこの仕事をしてましたが、
今は第一線を退いて早7年目。
遠くから、かつての「モノ」「者」たちの
活躍を眺めています。
数年ぶりに会った友人から
「時代を作ったよ!」
そう言ってもらえたことだけが、
励みになっています。
貨車区一貧乏
ヨーコさん、屋根付きのお住まいでいいですね。
ただ、長い風雨にさらされて、ところどころ錆がでていますね。
白黒ペンキがあればお化粧はできます。公園管理者の方々には、是非塗ってほしいものですね^^
下廻りは、以外にしっかりしているかもしれません。
5枚目の写真を拝見しますと、しっかり「ブレーキてこ」「ブレーキシリンダ」「補助空気ダメ」「K制御弁」「ウズ巻チリ取」など大きな錆もなく状態は良い方だと思います。
しなの7号
>>北恵那デ2様
>>C58364様
>>乗物酔いした元車掌様
鉄道車両を擬人化して表現することはキモイとか言われることがありますが、彼らに限らず、車両も含めた鉄道そのものの歴史をたどっていくと、どんなモノにも人と同じように、その一生は思いもよらないところへ行きつくことがあるものです。鉄屑にならずに、はからずも保存されたこの小さな2両にも、訴えたいことがあるものと信じます。
もちろん、鉄道の歴史を知るにつけ、身につまされるものがあるのは、誰しも同じだと思います。2両の生きてきた道を知らない子供たちや保護者の方に、彼らが訴えたいことを代弁する掲示板を復活を望むものです。
明智のC12244も「中津川の所属だった」いう記録だけから見れば、中津川での運用実態を知らない大多数の方々が、いつも明知線で活躍していたのだろうと考えられるのも無理はないわけで、そういう誤解を生じている事実も、発信していくことも必要です。
しかし、いまさらその事実を暴くと、「実はお前はお父さんの子供じゃないんだよ」と言ってるような気もして、難しさも感じてしまいます。
ヨーコ
ヨーコです。貨車区ではちゃんと健康診断をしていただき、ありがとうございました。
昨年来ていた「変なおじさん」も、「お化粧はとれてしまっているけれど、体はちょっと治療すれば大丈夫そうだね」って、まじまじとのぞきこんでいったんですよ。私はずかしくって。
走り装置ブレーキ装置ともしっかり残っているんですよ。シロが汽笛を鳴らしたいって言ってるけど、シロからエアがもらえるのならK弁の緩解音出してみたいなあ。
(ヨーコに「なりすまし」でなく代筆のしなの7号でした)
C58364
S46年頃「高山線上麻生駅前にSLを保存」という情報があり当然、高山線の主役C58それも364あたりかと期待しました。
2年前には美濃加茂市でC58280が保存されていますので。
ところが「C12」と聞きびっくりでした。越美南線(現長良川鉄道)でC10やC11が活躍したのは分かっていましたがC12は初耳です。C58でなくてガッカリでした。
C58は長さがC12の2倍近くあり、移動や建屋の建設費など経費面から小型タンク機C12が選ばれたと思います。
展示館の説明版には「戦災で転籍簿を消失した。S17.5に美濃太田機関区にいたことは確認されている」とあります。
納得できる説明ではありませんが残り少なくなった蒸機の中で地元に関係した蒸機を探し、保存に尽力された方たちに、現在では敬意をはらい大変感謝をしています。
当事者でないと分からないことが多いでしょうね。
長文失礼いたしました。
しなの7号
SLブームのころ、SLに何の関係もない自治体や民間まで保存活動が盛んで、全国にSLが保存された時期がありましたね。そのリクエストに応える国鉄も、用途廃止になったSLが地元に縁がないものであっても、出物?があれば貸与をし、それに相手が妥協すればそれでよしみたいな、役所仕事的な取引があったりしたんでしょうか。「保存に携わった担当者」=「真に保存の意義を考えられる人」ではないのでやむを得ないという事情もあるでしょうし、当事者も「早い者勝ち」「とにかくSLであればなんでも」という意識もあったのでしょうか。結果的に多くのSLが保存されたことは、良かったのでしょう。しかし、一部のSLのその後は必ずしも幸せであったとは言えないものと考えます。
ただのモノとしてでなく史実としての資料ともに保存してこそ意義のあるものでしょう。
北恵那デ2
C58364
岐阜市が「SL欲しいよ~」と手を挙げた時に中部地方に蒸機は既に運転されていなくて、ちょうどその時に廃車されていた遠方の470に決まったようですね。
でもそんな縁もゆかりもないがボロボロになった470を元機関士さんが一人で10年かけて整備し、やがて整備仲間も増えてピカピカにしたら岐阜市が屋根を付けてくれたそうです。
この元機関士さんのように大きなD51をたった一人でコツコツと整備された熱意と行動にはただただ頭が下がります。世の中にはすごい方がおられますね。私には真似ができないことです。
470は見知らぬ地に来たのですが、多くの方に可愛がっていただけることになり幸せを感じているでしょうね。
しなの7号
>>C58364様
地元に縁もゆかりもない蒸機が保存されていくのに違和感?を感じたのは自分も同じでした。
しかし当時の新聞記事を見ると、D51に何の縁もないと思われる豊田市にD51849が保存された理由を以下のように伝えています。
「市長へ手紙を出す週間というのがあって、SLを見たことがない子供が多いので見せてあげたいという中3の一少女の市長への手紙が市長を動かし、国鉄当局もそれに呼応して実現した。」
保存された事実しか知らない私ども鉄道ファンは奇異に思う事例でも、保存の経緯を知れば納得ということもあろうかと思います。
言うまでもなく、鉄道ファンしか知らない現役時代の過去は、私どもが正しく伝えていかなくてはならないでしょう。
多くの保存機は隠居時代のほうが長くなってしまうほどで、その地で愛されていれば、その機関車たちは今は幸せです。アスベスト対策など想定外の問題に直面しつつも生き残り国鉄全盛期を伝える機関車たちに、本来の姿を次世代に伝えていってほしいものと願っています。
kayo
拝見するのが遅くなってしまい申し訳ございません。
楽しみにしていた後編をやっと拝読し感動でいっぱいです。
素晴らしい鉄道員さんであるしなの7号さんにこのように愛されるシロとヨーコさんは、本当に優れたきかんしゃ・車掌車なのだとあらためて思いました。そして、鉄道に真の愛情を注がれるしなの7号さんに大きな希望をいただきました。本当にありがとうございます。
掲載していただいた写真はおととしのクリスマスですが、昨年もプレゼントを渡しました。でもその時はシロだけでなく、ともだちの二人にも贈りました。ヨーコさんへもっとしっかり伝えなければならなかったと思いました…そのほかいろいろな思い出について、ご紹介できていないことが多々あります。また私のご紹介したことをもとにしなの7号さんにものがたりをつくっていただけたら…と、厚かましいことですが夢をふくらませています。
ヨーコさんがやきもちを焼いていたとは知りませんでした(笑)これからはもっとヨーコさんのことも勉強したいです。
ふたりのことを本物の機関車たちではなく、公園の遊具のように思っている子供がたくさんいるのではないか、もしかしたら全員ではないかと、初めて考えることができました。ありがとうございます。本当に心苦しく思いました。それは自然なことで、大きくなってからわかるならいいのかもしれませんが、思い返す機会があるとも限りませんし、子供の時に本物だと感じ、汽笛やブレーキの音など聞くことができたなら、子供たちへ伝わるパワーの大きさは格段に違うとも思います。そんなことが実現したら夢のようですね。
本当にありがとうございました。説明版の設置など、シロとヨーコさんの環境が改善されるよう心から祈っています。
しなの7号
今回の記事をアップするきっかけとなったkayo様のシロへのプレゼントの記事には鉄道に寄せる想いが凝縮されていました。そしてkayo様のブログ中の写真からは、いつも117系を始めとする鉄道に寄せる想いが伝わってきます。シロとヨーコの存在もkayo様のブログで初めて知りました。そんな無名に近い保存車両たちに会いたいと思い訪れた私も無名の元国鉄乗務員。身につまされる思いもあったのかもしれません。
いずれ公園管理者様には皆さんの想いも含めてお伝えできればと考えています。
今回は私の要望を聞き入れていただいてありがとうございました。
シロとヨーコがいつまでも元気でいられますように。
しげぞう@
前編と併せて拝読致しまして、ちょっと感動しました(涙)。たまにみかける、会話調のブログ好きです(笑)
しっかり探せば、保存車両などはあちこちに有るようですが、保存状態が良くなかったり、説明板も何も無くて、ただ置いてあるだけだったりと、ちょっと残念な物も見られますね。前に少し触れましたが、現在の勤務地近くに保存されている田口鉄道の車両は、屋根付きの展示場所を用意されて、幸せな車両なんだなと思います。
シロとヨーコがいつまでも大切に保存されますように。
また宜しくお願い致します_(._.)_
しなの7号
保存された鉄道車両たちは、一時的には安泰と思えても、醜態をさらし解体されるものがあります。本人のせいでなく管理する側の責任なのですが、自分でもいろいろなものを収集して数が増えていくと、その1つずつに愛情を注ぎながら管理できなくなっていく事実に突き当たりました。ずっと段ボール箱の中で眠っているだけでは情けないので、すこしずつ整理しています。
錆びついたグッズなどを見ると済まない気持ちとともに、それをいただいた方にも申し訳ない気持ちにもなりますが、保存車両たちも同じでしょう。新天地に譲渡されて美しく復元された例などを見ると、それでいいと思えます。
木田 英夫
今回も素晴らしいお話をありがとうございました。前編のしなの7号様のコメントや後編の後書き等にある2台の経歴や現状等を「大人の皆様へ」と冊子にして、本文の写真を手書きの絵(しなの7号様と正一君の写真。側線とのゆかりに出ているような)にすると、前編の鉄子様のコメントの通り、すぐにでも絵本になりそうな雰囲気ですね。
内容は違いますが、読みながらさだまさしさんの「退職の日」の歌い出しのところも思い出されました。
さて、童謡の「おもちゃのチャチャチャ」、或いは「美術館や博物館の展示品は、夜になると動いたり話しをしている」という言い伝えの世界、今回の物語を読んでいるとあり得るんじゃないかとも思ってしまいます。例えば、リニア鉄道博物館では
流線型電車「君たち新幹線が、此処に来るのは少し早過ぎるんじゃないのかな。」
新幹線電車「そんなことないんですよ、先輩。私達も先輩方のようにもっと長く走りたいのですが、取替えの周期が短くて……。」
或いは大阪駅、現役の223系では
2000番台「130キロで走れず、地下線乗入れ対応も活かせなくて残念だけれど、冬の寒さや動物サンとの接触には気を付けて、丹波路快速のお仕事をしっかりするのですよ。」
6000番台「お姉様たちも連日の130キロ走行、身体を壊さないでくださいね。だいだい色のテープはそのままでパンタグラフを1台外してそちらに移った仲間達のことも宜しくお願いします。」
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
ずいぶん前に書いたものまでご覧いただきまして、ありがとうございました。
おっしゃるように博物館の保存車両たちや現役の車両たちも、互いに身の上話や愚痴話などをしているのかもしれませんね。車両1両ごとに、華やかにデビューしてから廃車されるまでのそれぞれに物語があるはずです。このシロとヨーコも、現役を退いてから縁あって京都市内の公園で長く一緒に暮らした仲でしたが、この物語を書いた後、また別々の地へ赴くという展開になりました。鉄道車両の一生は人の出会いや人生に何ら変わることがないと思います。
さだまさしさんの「退職の日」の歌い出しのところを思い出されたとのことですが、さださんは若いころから人生を達観されたような歌をたくさん書かれているのがすごいなあといつも思っています。