【396】 思い出の乗務列車28:165系臨時回送列車 回9811M~回9812M

先週の続きになります。
車掌長Iさんとともに、名古屋から乗務した「きそ51号」で終点長野に着くと、列車は回送(回9811M)になるまで25分も停車しました。回送列車は隣の北長野駅まで1往復するのですが、これは折り返しの名古屋行きの「きそ52号」まで時間があり過ぎて、その間に長野駅に留置する場所がないため、わざわざ隣駅で留置するための列車でした。

長野到着後は次のような行程でした。

長野から臨回電9811M
運転区間・乗務区間とも長野13:34~北長野13:40

折返し北長野から臨回電9812M
運転区間・乗務区間とも北長野15:05~長野15:11

長野から臨急電 きそ52号 8812M
運転区間・乗務区間とも長野15:25~名古屋20:30


長野駅の停車中に私どもは駅裏(東口)にある弁当屋へ昼食用の弁当を買いに出かけました。当時は長野新幹線など当然のことながらあるはずもなく、駅の構造も現在とはまったく異なっていました。東口への長い跨線橋からは客貨車区や放置された長野工場栗田分所跡地が見え、駅周辺も区画整理されておらず、いかにも駅裏だといった煤けた街並みでした。今、その弁当屋さんがあった場所がどこだったのか特定すら私にはできないほどの変わりようです。このころには、「ホカ弁」が各地で増加した時期で、乗務中の食事も便利になりつつあった時期でした。この長野駅裏の「ホカ弁」はチェーン店ではなく、おかずも充実していたので、乗務員には好評だったようです。

買った弁当は、回送列車で13時40分に北長野へ着いてから車内で食べました。北長野での折返し時間は1時間25分もあって、折り返し時間にやる仕事もありませんでした。食事も時間つぶしのうちです。時間的に遅い昼食でしたが、この日の勤務が終わる名古屋には20時30分にしか着かないので、それまで夕食を食べられないのです。そのために昼食の時間をわざと遅めにずらす必要性もあったのでした。乗務員は毎日異なる列車に乗務しているわけですから、食事時間はおのずと不規則になって、さらに限られた時間内であわてて食べなくてはならない場合も多かったので、胃腸病は乗務員の職業病とも言われていました。

弁当を食べてもまだまだ時間は余っていました。回送編成はホームにそのまま留置されていますが、2人とも、こんな駅で停車し長時間過ごすのは初めてでした。長野以北は、車掌長Iさんも赤倉号がなくなってからはしばらく来ていない区間でしたし、そもそも北長野駅は赤倉号も通過していた小駅にすぎません。私に至っては赤倉号で線路見習で通過して以来初めての乗務で、停車するのも降りるのも初めてでした。前日に引き続き持参のカメラを持ち出して、車掌長Iさんとホームで交互に記念撮影をしたのでした。
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それでも暇なので、私は「ちょっと社会探訪に行ってきます」と車掌長Iさんに言って、ひとりで駅前に出てみました。現在は並行する新幹線(車両基地への回送線)高架橋の下が駅舎となり駅前にはショッピングセンターが建っていますが、当時は駅の周りには特に見るべきものはありませんでした。こんなところへ来る機会はそんなにないだろうと思われたので、出札口に立ち寄って、記念に入場券を買ってみたのでした。
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こうして過ごした折り返しの長い時間も終わり、電車は折返し回9812Mとなって長野へ向けて発車しました。左には長野運転所と国鉄長野工場が続き、留置してある車両群が見えました。どんな車両が見えたのかすっかり忘れてしまいましたが、とにかく長野にはすぐ着いて、列車はここからは急行「きそ52号」8812Mと名を変え、乗客を乗せ、名古屋へ向けて発車したのでした。
(続きは来週になります)

この記事へのコメント

  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。時代を感じるお写真ありがとうございます。乗務員さんは食事時間も不規則で大変ですね。胃腸病他腰痛、尾てい骨痛も職業病だとか…過酷な仕事だと思います。
    2013年07月29日 22:05
  • しなの7号

    鉄子おばさん様
    シャキッとしない制服に下にズレた腕章…だらしない国鉄職員の実態をご覧いただくことになってしまいました
    特に荷扱の乗務掛や専務車掌は、一段と腰痛持ちが多かったりしましたし、ほかにも乗務員は「お尻の病」ともお友達になりやすい仕事です
    2013年07月30日 06:51
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。私は国鉄の制服が好きなので、どのような形でも見せていただけると嬉しいですよわーい(嬉しい顔)鉄道展なんかあると制服も展示されたりするので血が騒ぎまくりですわーい(嬉しい顔)
    2013年07月30日 21:31
  • しなの7号

    鉄子おばさん様
    国鉄の制服も、営業職の場合は季節によっても異なったりします。
    そもそも、国鉄は輸送業ながら、業務の種類はものすごく多いですから、貸与される制服も、一般の目に触れる営業職の制服のほかに多種多様な種類があって、国鉄の貸与品だけで博物館ができるんじゃないかと思うほどです。
    2013年07月31日 04:51
  • 鉄子おばさん

    若い車掌さんの憧れは夏用の白服だったのではないでしょうか?国鉄時代は今より優等列車のステータスが高かったですものね。
    2013年07月31日 06:35
  • しなの7号

    鉄子おばさん様
    専務車掌&車掌長(客扱)と指定駅の駅長が白の麻服を着用できました。今回掲載したダブルの冬服も同様です。白の麻服は「チンドン屋みたいだ」と荷扱の父は揶揄してました。
    2013年07月31日 07:23
  • しげぞう@

    しなの7号様 こんばんは。
    懐かしい臨時列車の話を、興味深く拝読しました。しかし、上りの所要時間が長すぎますね。まるで夜行列車並ですね。臨時列車は、定期列車の合間にスジを入れますから、特に単線区間等では、行き違いの待ち合わせで、どうしても長い停車時間が必要な事が多くなりますね。
    場所は変わりますけど、山陰本線のある区間は、どうしてもスジが入らないからなのか、定期列車の時刻変更をかけてたりしますね。また宜しくお願い致します。
    2015年12月03日 22:07
  • しなの7号

    しげぞう@様 おはようございます。
    臨時列車を運転すると、定期列車も時刻変更を伴うことは日常茶飯事で、時刻表に掲載されるのは一部にすぎません。
    時刻変更だけでなく、着発線変更なども伴い、乗務前の点呼では、その変更事項有無と変更内容の確認照合を必ず行いました。
    2015年12月04日 07:03
  • しげぞう@

    しなの7号様 こんにちは(^∇^)いつも回答とコメントありがとうございます_(._.)_時刻変更は全て時刻表に載るわけではないのですね。確かに、時刻変更だけではなく、着発番線等も変更になるでしょうから、乗務員の方々も大変ですね。ホームの空きも考慮しなければならない、臨時列車の運転は、多方面の苦労の賜物なのですね。
    2015年12月04日 12:00
  • しなの7号

    しげぞう@様 こんにちは。
    いろんな制限がある中で1本の臨時列車を設定する側は大変だろうと思います。乗務員は変更を告げられるだけですから、大したことではないです。
    2015年12月04日 15:47

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