東海道本線 荷41列車の3回目です。
「【420】東海道本線 荷41列車(2):乗務するまで」の続き になります。
この列車の乗務車両である「南東荷9マニ」には専務車掌(荷扱)1人と、私を含む乗務掛(荷扱)2人の計3人が乗務し、大阪までの荷物の積卸と整理を行っていました。
この荷物車「南東荷9マニ」の積載方は以下のように定められていました。
1 荷物。ただし八田以遠及び四国着を除く。
2 汐留発は急送品(A)及び横川以遠着に限る。
3 九州着荷物は急送品に限る。
4 「〇モ4」着区分積載<大阪~東小倉乗務員>
5 沼津発名古屋着中継は急送品に限る。
6 米原発広島着中継は急送品に限る。
積載方がこのように細かく定められている理由は、この列車に連結された荷物車1両ごとに、それぞれ行先や用途を分散させてあるからです。私は他の車両の積載方を資料として持っていませんが、各車両の行先(「【418】思い出の乗務列車24:荷41列車(1)…その編成など」の記事中に編成と行先を示してあります。)から、この「南東荷9マニ」の積載方から除かれている荷物が積載されるべき車両が推察できます。
たとえば、「南東荷9マニ」から名古屋で中継すべき関西本線の八田以遠の荷物を除いているのは、名古屋で切り離す2両のうち1両は、そのまま八田以遠の関西本線経由で百済へ直通する運用(私が名古屋から乗務すると同時に切り離しになる車両なので、「【418】思い出の乗務列車24:荷41列車(1)…その編成など」の記事中の編成表には記載していませんが、運用番は「南東荷8」。)でしたので、八田以遠の荷物はその車両へ積み込む方が、名古屋での中継積卸作業が省略でき合理的であるから、南東荷9には九州方面への荷物を優先して積載し、関西・紀勢本線方面の荷物は積むなという意味合いであります。
同様の理由で、四国着を除いているのは、岡山で切り離す「南東荷5」または「岡荷1」を使えという意図と読み取れます。
「急送品に限る」というな制限は、ワキなどのパレット車やマニの締切車(無人で特定駅まで封印して輸送する方法で主要駅相互間の直行便のような輸送形態)を利用できる駅では、一般の荷物は、直行で無人のパレット輸送や締切車を優先的に活用し、急送品だけを有人車両に積載して、労力を軽減するとともに、事故や列車遅延の場合に臨機応変に対応できるように定められたものと思われます。
急送品は、文字どおり急いで輸送する必要性がある荷物で、列車の遅延が発生した場合には、腐敗や変質などしないよう迅速に輸送する必要があったのです。
「南東荷9マニ」の積載方のうち、4番で「〇モ」と表現してあるのは、実際には丸印の中にに「モの字」と1~4の区分数字を書いた表示で、九州線内を1~4の地帯別に分けた輸送区分のなかの一つでした。「モ」は「門司局」の意味かと思われます。(画像は日本国有鉄道旅客局発行 荷物事務用鉄道線路図の一部)
北海道内も同様に「〇ホ1~2」が規定され、こちらの「ホ」は北海道総局を表していたのだと思います。
「南東荷9マニ」の積載方にある「〇モ4」は日豊本線とそこから分岐している枝線と九州横断線区の東側部分で構成された範囲でした。この車両は荷41列車の終点東小倉に着いた後も、引き続き日豊本線大分まで直通であることから、「〇モ4」着の荷物だけは東小倉で取り卸す必要がないわけです。そこで大阪以西の乗務員にあっては、その範囲着の荷物だけは区分しておきなさいという意味合いを持っていることがわかります。
これに関しては<大阪~東小倉乗務員>と指定されているので、私ども大阪で下車する乗務員には、区分積載する義務はありませんでした。しかしこのように乗継になる場合では、引き継ぐ車掌区が同じ車掌区どうしであれば、きめ細かく区分積載しておいてあげるのは暗黙の了解事項でありました。、「お互い様」というわけです。引き継ぐ車掌区が異なる車掌区の場合であっても区分積載してあげることもありました。そうしておけば、逆の上り列車の場合に、その車掌区の乗務員から引き継ぐ車両では、同様に気を利かせてきちんと区分積載された状態で引き継がれるため、お互いに非常に仕事がスムーズに進みます。「○○車掌区はきちんと仕分けてくるから、きめ細かく仕分けして引き継げ。」「××車掌区は、いつもなんにもしてくれないから、気を利かす必要はない。」というような、明文化されない「しきたり」的な部分もありました。
さて、積載方に「急送品」という用語が何度も出てきました。
「急送品」とは具体的には、どんな荷物を指すのか。実際に現場にいた者として知っている範囲で「急送品」についてご説明することにします。専門的なお話が続き、よほど興味ががある方以外には面白くないことこの上ないと思いますが、ご辛抱ください。
国鉄の手荷物と小荷物の輸送については、旅客及び荷物営業規則、荷物営業取扱基準規程ほかの関係規程で輸送方、輸送経路及び中継方が細かく規定されていました。
積載方には「急送品(A)」「急送品」という用語が出てきましたが、これらもその中で規定され、荷41列車の南東荷9の積載方のように、すべての荷物車ごとに積載方が定められている関係上、輸送現場では絶対覚えておかなければならない用語でした。
「急送品」という括りのなかに「急送品(A)」が品目別に指定され、これは急送品のなかでも、特に急いで輸送する必要がある品目でありました。
<急送品{赤文字は急送品(A)}>
野菜類・果実類・苗木・生花・血液(精液類)・動物・鮮肉・鳥卵・活鮮魚介類(乾魚を除く)・かまぼこ類・映画(写)フィルム・ドライアイス・酵母類・貴重品・報道用原稿類
以上のように、納得できる品目が列挙されていますね。
これは私が就職した昭和51年当時のものですが、宅配便の拡充によって国鉄の荷物輸送が一気に減少傾向にあった時期であるばかりでなく、国鉄全体が合理化されつつある時期でもあったことから、規定がダイヤ改正ごとと言っていいほど、つまり毎年のように大きく変わっていきました。
「かまぼこ類」が急送品からはずされたことに始まり、「急送品(A)」は「特殊荷物」と呼称が変わるとともに、その括りに「列車指定荷物」が加わったりしました。また客荷分離が押し進められ、荷物扱が多くの主要駅から、新設された荷物基地へ移行していきました。同時に荷物基地を中継点として、その周辺駅との荷物輸送はトラックによる代行輸送に切り替えられました。このことから輸送経路や中継駅の変更が各地で行われ、そのたびに規定が変わっていったのでした。
急送品は、列車が災害や事故で遅れた時の対応が重要です。
駅に着けば勝手に乗り降りする乗客と違って、人の手をかけないと荷役ができない宿命の荷物列車は、中間停車駅はもちろん特に終点駅では編成が荷役のために長時間荷物ホームを占領します。あまりに長時間遅れてしまうと、駅の作業ダイヤにも影響してしまいます。次の荷物列車が荷物ホームに入線できなくなって本線上で待機さざるを得ないことにもなりかねません。さらに荷物列車は長距離運用であることに加えて1両ごとに運用が異なる車両の集合体のようなものなので、あまり遅れると、その後もずっと遅れが末端まで及んで、いつまでも回復できず運用サイクルも乱れてしまうことになります。そこで遅延でターミナル駅での作業に支障すると見るや、東海道山陽本線内で極端に遅れた荷物列車は、途中駅で運転を打ち切り、翌日の定時ダイヤまで編成ごと途中の小駅で遊んでいる副本線に編成ごと留置する指令が下るのでした。その場合には「急送品」だけを後続の荷物列車に積み換えて輸送するような措置が採られました。当時はこの手配を「1日落とし」と呼び、おおむね2時間以上遅れるとこのような指令が下るようでした。この場合、急送品が無人の「締切車」や「パレット車」に積載されていると、急送品の積み替えができませんので、乗務員が乗務している「扱車」に急送品を積載する必要があったのでした。
現在のJR貨物でも、大幅に遅延すると途中駅の副本線に編成ごと翌日まで留置して翌日の所定ダイヤで目的地まで運転する「24時間手配」という取扱いがありますが、まったく同じ趣旨です。



この記事へのコメント
C58364
荷物車の運用は本当に複雑ですね。私の頭では分かりづらいので荷41列車(1)その編成・・に戻りノートに書き出してみて少しだけ理解できました。
名古屋切り離しのマニ2両の南東荷8から始まっていて、1両は百済まで行っていた。そして穴埋めに岐阜への回送2両が繋げられ機関車は定数一杯の運行をしていたようです。
東小倉着の荷物車7両の内、1両が鳥栖へ・1両が佐賀へ・2両が大分へとさらに旅を続けたのですね。
荷41列車13両の内、岐阜までの回送2両と郵便車2両と締切と思われるパレット車2両を除くと列車全体では何組何人くらいの乗務員さんが乗っておられたのでしょうか?
しなの7号様達は南東荷9で手一杯で、他の車両までは無理な気がします。既にご公開されておられたら申し訳ございません。名古屋駅で荷物列車が停まっていましたが、荷扱いしているところは見てませんのでまったく分かりません。ご教示をお願いします。
しなの7号
趣味の域を超えた?内容と拙い表現であるにかかわらず、ご理解いただきありがとうございました。
当時、この列車の扱車はどの車両で、担当車掌区はどこであったかという資料は手許になく、私ではわかりません。そうした資料については直接仕事に関係がなく配布や貸与もされておりませんでした。リニア鉄道館に、そうした資料等を閲覧に供するサービスがあるとありがたいと思います。
この後にいずれ触れることになりますが、その後のダイヤ改正で原則的に1列車1車掌区で一定区間を乗務するようになり、業務委託~荷物列車廃止へと進んでいきました。
C58364
元郵政職員さんが個人(現在は大勢のようですが)で郵便車の車内での現役当時の作業を再現し公開されているようです。かって運輸の重要な一翼を担った荷物列車の歴史についても、ぜひともリニア館で公開いただきたいですね。
昭和50年頃、中央西線電化によりD51がいなくなり虚脱状態にある私を、国鉄に就職した友人が千種区にある交友社本社へ「国鉄の現場や学園に使う書籍を売っている会社だ」と連れていってくれました。社名は鉄道F誌を発行していることで知ってはいました。
鉄道本で見たことがある専門書が並んでおり、興奮して運転取扱基準規程や旅客営業取扱基準規程やDD51教本などを大人買いしました。ですが荷物関係の規定類には関心が薄かったことと、相談した受付のお姉さまのお勧めもなく持っていません。持っていればもう少し会話に加われたのでは・・と思います。
★乗り物酔いした元車掌
「1日落とし」を何度か経験しました。
ボクが経験した頃は、
コンピュータによる制御でしたから、
データの書き換えが大変でした。
その列車だけではなく
関係する列車のデータすべてを
メンテする必要があり、
「前日」なのか、「当日」なのか、
制御データの入力を間違えると、
大変なことになるので、
複雑で、イヤな作業のひとつでした。
うさお
ご無沙汰しております。見るだけでコメントできず申し訳ございませんでした。
大宮の鉄道博物館には優等列車乗務員担当区表という書籍があります。昭和53年版、55年版、57年版があったように思います。荷物列車についても担当車掌区、受け持ち区間の記載があります。
昭和55年版は書き記しましたが、荷41列車の記載が見当たりません。すみません。
しなの7号様のいうように乗務員運用表には荷物輸送晩年につれて委託とか書かれるようになりました。
北恵那デ2
しなの7号
いただいていたコメントのアップが不手際で遅れました。申し訳ございませんでした。
私が手持ちの荷物列車に関する資料は、実はまったく大したものではなくて、そのほとんどが当時の時刻表とか実務に必要であったため乗務員に配布された資料です。車掌区や駅には当該現場でまったく必要がないだろうと思われるような内部資料は豊富にあったはずで、当時それなりの職務に就いているか組合役員の立場にあれば、かなりの情報が入手できたはずです。
「私に資料の手持ちがないこと」=「当時の国鉄が現場への周知は不要であった」とお考えいただくのは誤解ですので、よろしくお願いいたします(冷汗;)
C58364様がおっしゃる「郵便車を保存公開されている方」からは過去に何度かコメントを戴いたことがございます。この方々の活動のように、すでに失われた荷物輸送の実態を解明保存することは意義のあることと考えますが、行動を起こす予定はございません。自分なりに調べ、それをこうした記事等の方法で残しておければよいと考えていますが、これ以上の資料がありません。比較的近くにあるリニア鉄道館で、特に名古屋鉄道管理局とその隣接局の資料があるのなら、ぜひとも公開を望みます。
千種の交友社。私も一度行ったことがあります。別にそのとき専門書を買ったわけではありません。専門書を買うほど熱心に仕事をしたわけでもなく、また荷物関係の規程集すら私は貸与されていませんでしたので、貸与または配布された資料(直接の業務に必要な部分を抜粋したもの)だけで荷扱に携わっていました。ですので実際に荷扱に関わった時期の規程集すら現在まで手許にはありません。
しなの7号
国鉄~JRのように列車の運転範囲が全国に及ぶと、時刻だけでなく日の管理を1つ列車で行う必要が出てきます。運転面・営業面いずれにおいても、いちばん間違えやすく現場では嫌な作業でしょうし、会社としても手間がかかりトラブルの種ばかりでしょうから、JRの複数会社間にわたるような長距離列車を積極的に育てる気風が生まれにくいでしょうね。これが国鉄のように中央に本社組織がある一会社体制で民営化されたとしたら、また違っていたのではないかと思います。
しなの7号
よく「交通博物館の図書室で云々」といった話を聞くと、関東圏の方はいいなと思ったことが幾度もありました。鉄道博物館のほうに引き継がれた資料には荷物車関係資料もあるのですね。機会があれば閲覧したいです。ご教示ありがとうございました。
さて、荷41列車ですが昭和55年には存在しませんでした。昭和53年10月のダイヤ改正で、そのスジは荷2031列車と変わり急行化され、その時には乗務する車掌区も変更になりました。昭和53、55、57年版の乗務員区や編成などの資料を閲覧比較されると、一気に荷物輸送の合理化と衰退の過程がわかると思います。私が荷物輸送に関わっていたのは昭和54年春まででしたので、以後の実態については何も資料がなく存じませんし、調査も全くしていないのが現状です。
しなの7号
難解な部分までお付き合いいただき、ありがとうございました。
鉄道博物館の所蔵については、うさお様のコメントのとおりです。リニア鉄道館は歴史が浅いですので、どうでしょう。そもそもコンセプトが違いますと一蹴されるかもしれないですね。自分で携わった業務ですので、資料があれば閲覧をしたいものです。
ヲタク的観点で貴重な資料と、会社で貴重な資料とは、双方にとってただのゴミみたいな部分がどの分野でもありそうですね。北恵那鉄道についても、拙ブログでは廃線跡徘徊のシリーズ終了後はご無沙汰になっていますので、いずれやらねばと思っていますが、まったく予定が立ちません。
自己紹介にもあるように、鉄道趣味に関して「広く浅く」ですので、ブログ内容も一貫性がなくつかみどころがないですが、申し訳ありませんです。
うさお
こんばんは。ご教示ありがとうございました。
急荷2031レ見てみました。名古屋からだと名航1,名荷4(
共に岐阜止まり)名荷2(熱田~鳥栖)、南東荷5(汐留~大分)、門荷2(汐留~東小倉)とあります。乗務員は名荷2と門荷2に乗っていますが、門荷2は汐留~大阪間が京都区、名荷2は名古屋~大阪間が大阪区で運転扱いと記載があります。
急荷2033レ 羽沢13:46~名古屋20:09が盛荷2、名航1、名荷4、天荷3に名車区が4車に乗務しているようです。
余談ですが、鉄道博物館の図書館に移管された資料は国鉄本社にあったPRコーナーの蔵書も運ばれてきたようです。
しなの7号
ご教示ありがとうございました。お調べいただいた昭和55年当時には、私は列車掛をしておりまして、転勤があったこともあって、実態はよく知りませんでした。
荷2031の南東荷5が、荷41の南東荷9の後継運用のようです締切化のようで、各駅の荷扱は他車で対応ということでしょうかね。このころは車両もマニ36からマニ50中心であっただろうなと推察します。
横浜羽沢駅の開業は前年昭和54年の秋でしたから、荷2033列車乗務中に建設中の様子を見るばかりで、開業後のことはまったく知りません。荷2033列車は、荷2031列車とともにその前の昭和53年10月に誕生しており、その時から約半年ではありますが乗務経験があります。いずれその実態を記事でご披露したいと考えています。
鉄道郵便車保存会 会長
ここのコメントにあります、鉄道郵便車を保存公開しているのは、当会であります。
「南東荷9」の積載方は実に具体的で、日豊本線に直通することから「○モ4」方面は重点的に積載された一方で、他の荷物車も他線直通車両ごとに優先積載荷物が決められていたとがわかります。
一方、荷物列車に連結されていた郵便車に乗務しますと、ずいぶん状況が違いました。何しろ、2両、3両連結していても、東小倉までいっしょで、53・10以降で申せば、荷39列車に限り、オユ10(南東郵3「東門下四号扱い便」)は東小倉行であるのに、オユ12(四郵1「東岡下護送便」)は高松行(宇野高松間連絡線航送)であったため岡山で解放した関係で、沿線局には四国宛の郵袋を重点的に積載し、倉敷以西は積載しないよう指示されていました。このあたりが、各荷物車ごとの積載方に近いものかもしれません。郵便車は1列車あたりの両数が荷物車よりも少ないので、とりあえずどの郵袋でも受け入れ、あとは乗務員がそれなりに降ろしていく、停車駅ごとに他線に積み替える郵袋は、駅の受渡員と他線の乗務員が引き受けるという構図でした。
しなの7号
荷物専用列車の場合は1個列車で複数の荷物車が方向別の荷物を分担していたことがわかると思います。それは地方線区で複数の荷物車が連結される旅客列車でも同じで、【480】思い出の乗務列車40:関西本線 荷44~224列車(後篇)
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201404article_9.html
で書いた関西本線の224列車に連結されていた2両のマニ(天荷3・天荷4)の積載方の内容をご覧いただくと、積載すべき範囲が分けられていたのがわかります。旅客列車に併結運用される荷物車が1両なら、原則的には郵便車と同じように異方向にならない限りすべての荷物を扱わなければならなくなります。
鉄道郵便車保存会 会長
224列車のようにマニが2両だとそれぞれ違った積載方になることがわかりました。
荷物にも種別があって、急送品が明記されていますが、郵便物はさすがに領域が狭く、生き物は完全NGでした。郵便物で急送品に当たるのは何か?と問うと「速達」というお答えを受けがちなのですが、実際は「高等信」というグループでした。高等信とは、通常郵便物のうち、「普通定型郵便物(50gまで)及びはがき」、「定形及び定形外の速達及び書留郵便物」をひっくるめてそう呼称し、郵袋に付けられた宛先、種別を示すトランプ大の紙札(郵袋標札)を見れば判別できました。鉄道郵便当時(59・2改正合理化まで)の郵袋、車中扱い郵便物の優先度は
高等信 >
普通定形外郵便物(通称「大型」)及び速達小包 >
普通小包
となっていました。急送品が荷物の中で特に優先して運ばれたように、高等信は東京~大阪~福岡間などは航空便に積載されたり、大阪~三重県各地は近鉄で運ばれるなど、速い輸送手段が使われました。普通小包になると、まとまった数量がある大都市間では、郵便車だけでなくワム貨車やコンテナに積んだり、瀬戸内海航路の船舶に積むなど、安価で遅い手段が使われる、といった格差がありました。
荷41列車の「南東荷9」は大分直通のため、○モ4方面の荷物は積んだままで届きましたが、郵便車内の大分県宛郵便物は種別で運命が分かれ、名古屋⇒大阪間車内で仕分けられた結果、高等信は大阪駅で降ろされて航空輸送され、大型・速達小包は積まれたまま、門司で日豊本線(門司鹿児島東回り便)に積み替えられ、普通小包は大阪駅で降ろされて小包集中局経由で大阪港から水路便(船舶)で別府港に届けられました。小包の送達日数は小荷物よりも数日遅かったと想像できます。こういう理由から、上り下りを問わず東海道線荷物列車の郵便車は大阪駅の取り降ろしと積み込みが多く、車内の半分が入れ替わるほどでした。
しなの7号
荷物輸送は国鉄の「営業」の一部であって、郵政省は国鉄の顧客であり鉄道郵便は「輸送手段」であることが根本的に違っているので、郵便輸送では当然に必要に応じて鉄道以外の航空機、船舶のほか貨車、コンテナなども輸送手段として利用することになるのですね。国鉄の荷物営業では、荷物車を使用しての輸送だけでは量をさばけない繁忙期などは拠点駅間で自前のコンテナや貨車を使用して直行輸送をすることはやっていました。また国鉄が全国ネットであったとはいうものの限りがあるので、民営の鉄道や自動車路線、航路を用いる連絡運輸は旅客同様に幅広く行われていましたから、別の意味で荷物輸送に国鉄以外の民間交通機関は使われていました。
郵便輸送の優先順位について拝読すると、限られた輸送力で小型の郵便物を優先し大量かつ効率的に輸送したというように思えます。
鉄道郵便車保存会 会長
荷物輸送も繁忙期に貨車、コンテナの活用があったようで、荷物車の輸送能力を超えた分をフォローしていた点は郵便小包と共通しているようです。
小型郵便物を優先したのは確かですが、前回コメントで、速達通常郵便物がそれほど優先されていないような記述でしたので補足しますと、鉄道に限らず、輸送便の積める数量を超過する郵袋があると、一部を次便回しにしなければならないので、速達通常郵袋は最優先で積載し、その他の郵袋も優先順位を付けて積載したことがありました。
あと、国鉄荷物車に運んでもらう託送便を利用したのはほとんど高等信の郵袋であるため「通常託送」と呼称されていた便が多く、一部の便では国鉄に払える予算の上限がある関係で、「当便に差し立てる各局宛郵袋は1個ずつを上限とし、通常速達郵便物は必ず納入すること」といった指示がありました。
また速達と速達書留を納入した通常郵袋だけを積載する「速達託送」もあり、58・3改正後で見ると、京都福知山下り速託便(837列車)や、東京甲府下り速託便(437M)は荷物車のお世話になることで、後続の郵便車よりも早く輸送して当日中の配達(おおむね20時まで)を可能としていました。
しなの7号
速達通常郵便物についての補足ありがとうございました。
視点を輸送手段やルートに置くと昨日いただいたコメントのとおりになり、郵便物が輻輳する場合は、決められた経路の中で速達通常郵袋が最優先されたということですね。託送郵便物の中身など知る由もありませんでした。
鉄道郵便車保存会 会長
速達だけでなく、はがき、封書など小型の郵便物が優遇された理由は、郵袋1個当たり在中する郵便物に払われる料金が高額だからで、はがき封書だと1500通ほど入りますが、小包だと2~3個くらいしか入らず、容積、重量と料金を比較して「カネが多く払われる郵袋」を優先したと考えています。
一方、急送品のご説明で品目はわかりましたが、急送品の特別料金がどのように計算されたのか興味あるところです。当時の時刻表で小荷物の案内では動物が一般小荷物の倍額とされていますが、急送料金の記載がありません。郵便の速達料金に相当するものがなかったでしょうか。
しなの7号
急送品とは運送取扱上の規定ですから、急送品に即料金がかかるというわけではありませんが、動物・易損品・貴重品のように、品目によって、それぞれの「割増運賃」が設定され、運賃に反映することはありました。郵便の速達料金に近いオプションとしては「列車指定料金」がありました。
鉄道郵便車保存会 会長
時刻表であらゆる料金の詳細は書ききれないようで「…は運賃が割増になります」とか「荷物窓口にお尋ね下さい」とありますから、そのあたりですね。
次回は【425】(4)のコメントを書かせていただきます。
しなの7号
割増小荷物運賃適用物品の品目とその意義だけでも規定本10ページ以上も割いているので、時刻表のピンクページに書きだすときりがなくなるでしょうから駅で尋ねろと書いておくのがいちばんいいと思います。