木曜日は「中山道で見たモノいろいろ」の続編をアップする予定でしたが、前の荷物列車の記事の補足として「封印」のお話に変更しました。
*************************
これまでのお話で、荷物列車には車両ごとに乗務員が乗車していたことがお判りだと思います。ただし、すべての車両に荷扱乗務員が乗務しているわけではなくて、ワキ8000やスニ40、マニ44のように無人のパレット車が連結されていることも多々ありましたし、一般のマニでも締切車と呼ばれる無人車両がありました。乗務員が乗務していないのですから、荷物室は当然に荷物を積んだ駅の小荷物掛や、途中まで乗務して来て乗務終了駅で下車した乗務員が荷物室を施錠したのはもちろんです。施錠した上に「封印」をして、責任関係を明確にすることになっていたのです。
(全車両が締切車やパレット車で組成された荷物列車の場合は車掌が1人乗務しましたが、荷物は扱いません。)
封印に使用するのは「封印環」と「封印紙」でした。
これが未使用状態の封印環です。
封印環はマニの場合、荷物室の側面左右2ヵ所ずつある荷物用大扉(いちばん上の写真の左側の両開扉)に1両当たり4つ使用しました。(スユニの場合は2つ)
こちらは未使用状態の封印紙です。
封印紙は一般のマニの場合、荷物室の前位車端部左右のデッキ扉(一番上の写真の右側の小扉)と、そのほかにデッキ部の妻面貫通扉と後位にある乗務員室との仕切戸のそれぞれ鍵穴部分に貼付し、1両当たり4ヵ所に使用しました。(マニ50とスユニの場合のみ、車両構造が違うので2ヵ所使用)
封印環は貨物列車に使用されているのをご覧になった方が多いかもしれません。下の写真は、ワム80000に使用中の封印環です。(赤丸部分)封印環は金属製で、1つごとに固有番号が打ち出されています。扉のワッカ部分に通し環状にすると、中の爪が2つある穴に引っかかって外せなくなる構造で、ケーブルを束ねるときに使うビニール製の結束バンドと同じ原理です。施封者は固有番号を荷物授受証に記載して開封する駅または乗務員にわかるように車掌室内に置いて荷物を間接的に引き継ぎました。
開封する場合(一般に封印を切ると言いました)封印環は、手鉤の先を封印環の環状部分に入れてネジ切りました。鍵穴の上に貼られた封印紙は、その上から客車鍵を突っ込んで破いて開錠しました。
以下は開封後に鍵穴部分が破れた使用済封印紙です。記載すべき事項は同じながら、鉄道管理局によって様式が異なっていました。
(隅田川駅施封)
(岡山駅施封)
(北長野駅施封)
開封時に封印環や封印紙がなかったり、封印環の固有番号と授受証に記載された固有番号とが異なっていたり、封印紙に開錠した形跡がある(上の写真のように中央部が破れている)などの異状があると、「封印異状」という荷物事故になりました。
「封印異状:貨車・荷物・コンテナの封印が偽装され、又は切断されているもの、無封印のもの その他不備なもの」
これら、封印に関しては私ども乗務掛の仕事ではなく、責任者である専務車掌(荷扱)「略称ニレチ」の仕事でした。
ちなみに未使用の封印環と封印紙が私の手許にあるのはなぜかと言えば、いずれも亡父の遺品から発掘したものです。使用済みの封印紙は乗務時に集めた私のコレクションです。本来なら紙屑となるべきものですが、乗務車両がたどってきた場所と日付などが書かれていて、興味をそそりました。
列車掛の試験に合格し、荷扱の仕事から離れる時、「何年かして、車掌を経験したら、またニレチになってここへ戻ってくるだろうから、手小荷物中継方の冊子など参考書は返さなくていいから、そのまんま持っとれ」と車掌区の指導担当者が言ってくれたので、ブログ記事で紹介した資料などは返却せずに、そのまま私の手許に残りました。しかしその後、合理化で締切車がダイヤ改正のたびに増えていき、乗務員がいる「扱車」は減っていきました。そして業託化も開始され、私は車掌経験後にニレチになることなく、専務車掌(客扱)「略称カレチ」になってしまい、私はニレチを経験することがありませんでした。









この記事へのコメント
京阪快急3000
記事を拝見させていただき、しなの7号様は、一時期荷扱のお仕事を経験されたのちに、専務車掌(客扱)になられたのですね。
亡き父がお持ちになられていたものは、しなの7号様にとって「大切な宝物」だと思いました。
しなの7号
職名でいうと、乗務掛(荷扱)→車掌補(荷扱)→列車掛見習→列車掛→車掌→専務車掌→専務車掌(客扱)の順で経験しました。
私が専務車掌になるまえは、専務車掌と専務車掌(客扱)の間に専務車掌(荷扱)が入るのが、私が所属した区では一般的なコースでした。
C58364
私が見た封印環はワム80000のようなきれいな金属でした。コンテナのも見たような記憶です。
封印紙は勘違いでした、すみません。
簡単に今までのお話を整理してみると・・
「普通客車列車」はカレチさんが一人乗務で列車全体を担当する。
「荷物列車」は荷物車単位でニレチさんと荷扱乗務掛・荷扱車掌補さんたちが乗務する。他車掌区が乗務する荷物車も連結されている。
荷物車の運用は複雑。1両ごとに積載物が指定されていて締切車は封印する。
しなの7号
封印環はコンテナでも同じものを使いますね。封印紙はホームに停車中の荷物車のデッキ扉をご覧になるときくらいしか、一般の方がご覧になる機会はなかったと思います。
担当を補足しておきます。
客車列車の場合はカレチでなくても車掌(レチ)でもOK。
ただし優等列車になるとカレチ以上。
複数人の車掌職(車掌・専務車掌・車掌長)が乗務する場合(複数の扱い車がある荷物列車もその一例)は、そのうち1名が列車全体の運転に係る責任を負う職務を兼ねる。(運転兼掌という)
★乗り物酔いした元車掌
初めて着任した駅では、
貨車の封印をよく見かけました、
というか、どちらかというと、
はずされた封印が、線路端に
錆びて落ちているのをよく見ました。
ボクの着任した駅は、石油製品の発送が多い駅で、
タンク車ばかり、車扱い貨物は少なかったのです。
冬場は、35トン積みのタンク車が
1日60~70両、次々と発車してました。
しなの7号
おはようございます。
貨物駅の構内には、使用済みの封印環やら車票の類がよく放置されていましたね。封印環はすぐ錆びるので小さいながらも目立ちました。
この時期になると、今でも中央西線にも早朝のタンクトレインが信州に向けて運転されるのですが、実家に帰る用事もなくなりつつありますので、それを見る機会が今シーズンはまだありません。
北恵那デ2
C58364
昨日はコメント途中で発車してしまい失礼いたしました。
ご教示ありがとうございます。そうしますと1960年代に高山線の旧客でよく見かけた「車掌」の腕章をつけられた方はレチさんだったかも分かりませんね。
キハ82系特急ひだに乗務されている貫禄があって制服の色が違う車掌さんと、紺の制服に赤い腕章の車掌さんの違いは分かりましたがこんなに車掌職があったとは知りませんでした。
この頃の車掌さんは一見怖かったけど、話しかけるとやさしい方が多かったですね。
しなの7号
貨物輸送に適していると思われた石灰石やセメント輸送も縮小に次ぐ縮小を続けてきました。石油輸送の今後はどうなるのでしょうか。JR北海道の実態を見せつけられると、荷主は「撤退して正解だった!」なんて思っているのでしょうかねえ。鉄道の貨物輸送の前途は厳しいものがありますね。
しなの7号
すみませんが、1960年代という古い時代のことは私にはわかりません。
荷物専用列車の場合、運転兼掌のニレチだけが「車掌腕章」をしており、運転業務に直接関係ない他のニレチは腕章はしませんでした。駅員や機関士からすれば、一目で運転上の責任者である運転兼掌ニレチが特定できればいいので、問題はありません。乗客が乗らない列車ですから、乗客から識別される必要はないので「乗客専務」に相当する「荷物専務」というような腕章はありませんでした。乗客からの識別の必要がないという理由からなのか、運転兼掌でも腕章をしないニレチ氏がいたのも事実です。
C58364
車掌さんをよく観察?できたのは高校通学していた1960年初めから3年間だけでしたのでお許しください(笑)。
お聞きすればするほど車掌さんの世界は深いんですね。
しなの7号
高校生とローカル列車車掌のつながりは結構多いと思います。
喫煙や、貫通扉を施錠するいたずらなど手を煩わすのも高校生。
客車列車だと開けっ放しのデッキでたむろしたりしますし…ってこれは自分にも高校生の頃、身に覚えがありますね(^_^;)
うさお
デッキから降りて改札をパスしたり(無賃?)、タバコをふかしたり・・・。他にも怖い話(怪奇系)を聞きましたが、ここにはかけないです。50系客車は自動扉の採用でそういう心配がなくなったとか。乗務員室も輩が入ってもわかるよう窓を入れて見えるようにしたと当時の鉄道誌に設計者が書いていました。
うさお
しなの7号
まあ、高校生に限らないのですが、旧形客車では飛び乗り飛び降りなど日常茶飯のことで、車内放送で「よく止まってからお降りください」の一言が必要でした。しかし、その効果はまったくありませんでしたね。
たしかに荷物輸送というマイナーな分野についての展示物を博物館で見ることは極めて少なく、ネット上でもそう多くはありません。私も乗務時の資料に頼って書いていることが多くて、根拠となる規定等を参照したくてもままならないのが現状です。
昔鉄道ファン
当方、就職して最初の職場で、味の素九州工場送り込みの、味の素の原液製造に携わりまして…確か味タムのマンホール頂部に、封印環を使ったような?
記憶が曖昧で何だか申し訳ありません、研修時に積み込みとタンク洗浄のお手伝いを一度やっただけなので…
そういえば、しなの7号様、荷物列車の編成メモが取れなかったとの由、当方が昔取ったメモを、ここに記します。
1976年9月23日、荷41レ、岐阜駅到着時編成
EF58169[浜]+マニ602424(名ナコ、名荷6)+マニ362081(名ナコ、名荷5)+マニ602663(南トメ、南東荷5)+マニ61212(岡オカ、岡荷1)+ワキ8769(広セキ、広荷204)+マニ60521(広ヒロ、広荷21)+ワサフ8510(南トメ、南東荷203)+マニ3675(南トメ、南東荷3)+オユ111009(門モシ、門郵6)+スニ4027(南トメ、南東郵301)+スユ444(南トメ、南東郵302)+マニ3572(門トス、門荷4)+マニ6089(門ハイ、門荷5)
昔を懐かしんで頂ければ幸いです。
しなの7号
味タムは個性的な姿で人気がありましたね。あいにく貨物列車に乗務した時期に乗務列車に連結されることはありませんでした。
荷物列車については、一部の乗務した「車両」しか形式番号を記録しておりませんでしたので、「編成」の形式番号等の記録のご教示をうれしく思います。車両数の少ないマニ61やマニ35が含まれていますね。この記録の翌年になると新型のマニ50がデビューしますので、このころよりも少し近代的な様相を呈してきます。
この編成を記録された1976年9月23日の私の勤務記録を見ましたら、関西本線に乗務していまして、その4日前の9月19日には、この荷41列車の汐留~名古屋間を乗務していたことが判りました。
なつかしい荷41列車の編成を公開いただきありがとうございました。
~NORINKO~
久しぶりの立ち寄り観覧です
いつもウキウキo(^o^)oしながらPVさせていただき参考になります
(*^o^*)
しなの7号
参考になるかどうか?わかりませんが、ご覧いただきありがとうございました。
鉄道郵便車保存会 会長
【429】のコメントからここに移らせていただきます。
郵便車に乗務していても、荷物車のことは知っているようで知らなかったことに気付かされます。荷物列車の編成中にも締切車があるだろうとは薄々感じてはいましたが、どうやって施錠していたかについて、ここで学ぶことができました。荷物車では封印環と封印紙を使用しましたが、郵便車は側扉に鉄道郵便独自の大きな南京錠を掛け、乗務員と受渡員が解錠する鍵を携帯、使用しました。車内は走行中に郵袋の整理と積み上げができないので、乗務便ほど多くは積めず、あらかじめ取り降ろす駅の受渡員又は途中から乗務する乗務員が容易に判別して処理できるよう協定に従った積み方をし、宛先ごとに郵袋送致証を作成して車内に置きましたので、積み降ろしに時間がかかることから、郵袋数が多く、停車時間が長い駅に限定していました。
JR四国多度津工場になぜか南京錠が収蔵されており、イベント日の館内展示で見ることができます。
しなの7号
実際に荷物列車に乗務していても、他の車両のことまでは意識していないものですね。自分も他区乗務員の受持ち車両のことや締切車の積載状況など気にしたことがありませんでした。
締切荷物車は、乗務員なら誰でも必ず持っている客車鍵で開錠可能なのでセキュリティの甘さを感じるかもしれませんが、原則として締切車には貴重品積載禁止でした。しかし、それ以外の荷物については、規定上「動物及び腐敗変質しやすいものは、なるべく扱車となるものに積載すること」とあり、必ずしも積載禁止とはされていませんでした。いわゆる急送品に該当するので、こういう荷物は前途の運転が困難になったら直ちに別手段による輸送をすべく、指令からの指示によってどのような場面でも乗務員が直ちに開錠できる体制が必要だったものと考えられます。
締切荷物車は積載方指定で開封駅が限定されており、それなりの停車時間が設定されていました。駅の積込作業では車内の通路を意識することなく投げ込むだけですので、そういう状態の車両に途中から扱車に乗務して、荷物を各駅ごとに取卸しできる状態にすることは大変な重労働となります。
鉄道郵便車保存会 会長
荷物車にも締切車への貴重品積載が原則禁止だったのは、郵便車にも当てはまります。書留通常郵袋に限り、全区間締切便には積載しないだとか、途中駅での長時間留置(もちろん施錠します)では取り降ろして局保管の上、発車前に積み込むとかの事例がありました。
荷物車には区間により扱い車やら締切車となる車両があったように、郵便車では北陸本線などで列車ごとに複雑な締切区間設定がありました。扱い便の一部区間を護送便、締切便にするとか、護送便の一部区間を締切便にすることで、各便の輸送数に応じた乗務員運用を組み立てたり、締切区間の輸送力調整をしたためです。荷物車も郵便車も、一部区間締切車両には車両ごとの明確な使命があったものと思われます。郵便車は荷物車のように通路の両側、という積載ではないので、締切便区間の先で乗務員が乗車する場合は、郵袋を無造作に積み上げてよい場合と、協定で定めた積載位置にある程度きれいに積み分けていた場合があり、途中駅取り降ろしまで乗務員がノータッチの積載方では、他の郵袋区画と混同しないように石垣積みや掛け網の指示もありました。
しなの7号
ある程度個数がまとまる拠点駅相互間の輸送は締切車やパレット輸送に移行。
一列車に複数の荷物車が連結される荷物列車の場合は扱車と締切車の積載方指定を分けるなどして最小の扱車数にする。
非有効時間帯となる区間を走行する列車では扱車を最小限にする。
自分で思うに、そういうことで人件費を抑えたのだと思います。
荷物車の締切車でも、途中から扱車となる区間の乗務員や終着駅での取卸し作業に支障がないよう「〇〇着中継荷物は車掌室寄区分積載」のように特定の荷物の積載箇所を指定されることはありました。
鉄道郵便車保存会 会長
締切車で荷物車と郵便車を比較すると、郵便車では受渡駅を大幅に限定する上に天井まで積み上げられないので輸送量が下がる欠点があります。乗務員が郵袋を積む位置をずらしたり、区間ごとに積む場所を変化させるから、輸送力が発揮できたと思われます。何より「1車1キロなんぼのカネを国鉄に支払う以上、積まなきゃもったいない」的な考えがあり、東京門司間郵便車は、パレット車以外の扱い車、護送車は全便全区間で乗務員が乗務しました。締め切ったのは、汐留・京都から各1両の高松直通車の宇野高松間(連絡船航送区間)のほか、53・10までは年末臨時荷物列車にオユ12臨時締切便が連結されていたくらいです。
荷物車のように締切化という流れは拡大せず、59・2以降に山陰線などで一部を締切化したものの、積載量の減少で効率は問題視されなかったのかもしれません。
しなの7号
荷物では53・10あたりから列車による輸送の1単位(ロット)を1個単位から締切車1車やパレット1台を1単位とする輸送方法(ロット化輸送)に急速に切り替えられ始めて合理化が図られました。53.10当時のある資料によれば名鉄局だけでも、この合理化で760人もの減員提案が当局から出されていたようです。
国鉄財政が危機的であったことから、鉄道郵便に先行して輸送改革を進めた結果、郵便輸送が振り回されたように思いますが、そう簡単に国鉄に追随して郵政現場が改革に動くわけがないだろうことは想像に難くありませんので、結果として鉄道郵便輸送が国鉄末期まで締切化などが進まなかったのでしょうか。
それとは別に個人的に思うのは、郵便は多くの郵便物がまとめられた郵袋自体がすでに1ロットとして集約されたものですので、荷物車での締切車のような大きなロットは発生しにくく、そうした大きなロットはコンテナや貨車に依って行われていたといえるのではないでしょうか。つまりは輸送する物の大きさに由来する荷物と郵便の輸送方法の違いとなってくるので、荷物列車に連結された何両もの締切車とパレット車を1単位(どの車両に積載すべきか駅側が仕分ける)とすれば、それに相当するのが護送郵便車1両(車内で仕分ける)と捉えられ、それ以上の集約による合理化は難しかったのではないか?とも考えましたが。。。。
鉄道郵便車保存会 会長
郵政における鉄道郵便廃止を転換点とした輸送改革は、国鉄の合理化に合わせて進められましたが、現場で「国鉄小荷物がこうするから郵政もこうする」という話は聞き覚えありません。もちろん、荷物列車など連結列車の動向や駅設備と密接にかかわりますが、交渉と改正は郵政局レベルなので、現場に降りてくるときには構図は固まっていたと言えます。
そのため、合理化と人員減らしは、荷物列車化に伴う区分方法改正や59・2の扱い便(車中区分)廃止で一気に行われたところです。
ロットに関する論理はご指摘のとおりです。郵袋1個がある意味の小ロットであり、容積がまとまる大型、小包類のロットが固まると、コンテナ、ワム貨車単位の締切便が活用できます。その中間的存在がパレット郵便車で、東京門司便の上下6列車に各1両ずつ連結され、1両当たり24台のパレットを積載しました。当会ホームページでは、上下一号便のパレット配置と積載方の一覧表を掲載しています。
東門下一パレット
http://oyu10.web.fc2.com/sekisai-toumonshita1P.jpg
東門上一パレット
http://oyu10.web.fc2.com/sekisai-toumonue1P.jpg
構造はパレット荷物車スニ40と全く同じと思われます。郵便では、その日ごとの郵便物発生とは無関係に24区画の積み降ろしと積載郵便物の種別を厳格に決め、各受渡駅で開閉してパレットを出し入れしました。
この輸送の拡大で護送便を廃止して乗務員を減らせば小荷物輸送と同じ合理化ができたのですが、パレット車に積める郵袋が500個ほどで、護送車の半分以下という積載量であったのと、駅から郵便局までパレットのまま一貫輸送ができなかったことで拡大が見送られ、パレット以上の大きなロットは貨車かコンテナとなり、オユ車による全区間締切便設定は貨車よりもコスト高となったことも合わせ、締切郵便車の増加は実現されなかったと考えられます。
しなの7号
昭和50年代、主要な高速自動車道が整備され宅配便が全国ネットサ―ビスを開始します。ダイヤ改正のたびに、国鉄の荷物扱い駅は積極的に廃止されていったのですから、鉄道を見限っていくのは、郵便のみならず一般荷主に共通して言えることでしょう。「59.2」は国鉄の大きな転換点でしたから、郵便輸送の改革もそれに合わせざるをえなかったと思います。
パレット車は人件費が浮くメリットはあるかと思いますが、護送車の半分以下の積載量ということだと、効率がわるいですね。数の多少にかかわらずパレットを運用させなければならないということは、定形定量の輸送が常時ある特定の区間で効率よく運用させるしかないですね。郵便局からパレットのまま輸送できないのも中途半端で、パレット本来のメリットを生かしきれなかったとすれば、今はふつうに物流で用いられている輸送方法だけに惜しいと思います。
鉄道郵便車保存会 会長
59・2で行われた全国の扱い郵便車廃止と共に、主要幹線以外で郵便輸送そのものを廃止したのは、荷物輸送廃止に合わせた線区が多いと聞いています。
パレット郵便車の積載郵袋数が少ないのは、パレットカゴ1台に入る郵袋が大型で30個ほど、小包だと15個ほどで一杯になるし、カゴ一杯にならないで積まれるのも多くありました。室内に目一杯積む護送車と比べるとパレットの車輪の空間、カゴの上から天井までの空間がもったいなく思えます。どの車両も連結契約金は同じですから、パレット車は人件費はともかく、輸送力で費用対効果が評価されなかったのが拡大しなかった一因ですね。
パレット荷物車はパレットのカゴ一杯に荷物が積まれ、積載効率が良かったから全国に拡大したのではないでしょうか。
しなの7号
「パレット本来のメリットを生かしきれなかったとすれば、今はふつうに物流で用いられている輸送方法だけに惜しい」というのは、パレット輸送について、これまでに幾度かご説明いただいた、
「護送車の半分以下という積載量であった」
「あくまで、扱い便、護送便に連結して輸送の手助け的な存在」
「受渡駅を大幅に限定する上に天井まで積み上げられないので輸送量が下がる欠点があった」
「パレット輸送廃止後に大量のパレットが残り、トラック内には固定が難しくて使いにくい」
というデメリットを理解した上での感想です。それに加えパレット車スユ44の積載可能トン数には意外に余裕があったことからも、郵便局との一貫輸送ができなかった鉄道郵便が国鉄準拠のパレットと車両を用いたことに起因している、つまり「郵便局までの一貫輸送をするとなれば、現代の郵便輸送で使われる規格のパレットを鉄道で輸送することで、効率的に実現するだろうに」という意味の感想です。その場合、郵便輸送会社が所有するのは鉄道車両でなく私有コンテナとなり、一般の貨物列車を利用する直行輸送になるでしょう。中間貨物ターミナルでフォークリフトによる着発線荷役ができれば現実的かつ効率的に鉄道を用いた荷物列車に近いパレット郵便輸送が可能だと考えた次第です。
鉄道郵便車保存会 会長
パレット輸送の問題点は、ご解釈、ご指摘のとおりです。
現在は、当時と形状が近いパレットがトラック輸送されているほか、DM郵便物などにJRコンテナが活用されているようです。
さて、締切便で南京錠を使用と書きましたが、扱い便、護送便用の郵便車の話で、バレット車「スユ44」では、封印環を使用しました。パレット荷物車の扉やワム扉と同様の締結具でしたから、封印環も同じものだったと記憶しますが、解錠する際にはペンチのような工具で切断していたようです。
しなの7号
国鉄荷物と郵便で使われていたタイプのパレットはロールボックスパレットとか、かご台車と呼ばれているようですが、今は折りたたんで収納できたり進化しているようですね。今さらJRコンテナによるパレット一貫輸送を推進するべき理由が存在しないのかもしれませんが、CO2の削減等地球環境問題やドライバー不足等で長距離自動車便に頼る輸送ルートからの転換が不可欠な課題となれば、幹線部分での鉄道貨物による郵便輸送を主流にした一貫輸送がクローズアップされてよいかと思っています。
「スユ44」では、封印環を用いたそうですが、封印環メーカーさんのサイトによれば、封印環は郵政省の国際海上コンテナ用にも使用されたようです。
ttp://nagamitsu1950.sakura.ne.jp/container-seal.pdf
手鉤は便利なので、乗務員は封印を切る道具など持ちませんでした。駅の小荷物係もたぶん同じだろうと思います。
鉄道郵便車保存会 会長
郵便物の鉄道輸送復権は大いに期待したいですが、いま見えてくるのは、宅配便ともどもローカル鉄道、バスへの客貨混載でしょうか。
また、東京大阪間ではドライバー不足を見据えて、日本郵便のトレーラーを民間宅配便トラックに牽引してもらい、郵便局で切り離すという施策がありますが、見ていると複雑な感じです。
封印環は、スユ44のほか、国鉄コンテナ、ワム締切便にも使いましたが海外コンテナは初めて知りました。おそらく施錠部の形状が同じだったからと思われます。
しなの7号
将来に向けて末端区間のローカル公共交通機関への郵便物客貨混載は、増えていきそうですね。幹線系での鉄道輸送への転換は困難が付きまとい、夢物語になるかもしれませんが、リニア中央新幹線が大阪まで開通した後に、東海道新幹線の余力を活用して郵便輸送が可能となり、山陽新幹線とをつなげられれば、東門線の再来となります。
封印環は、合鍵を発送・到着側の双方で持つことなく、責任関係と輸送中の異状が即時にわかるので、簡易にして便利な道具だと思います。
鉄道郵便車保存会 会長
このたび東北新幹線の空席に荷物(鮮魚)を積む事業が始まりましたが、リニア開業時の東海道新幹線でも、客貨混載は試みられるかもしれないと、密かに期待しています。
パレット以外の締切郵便車でも封印環の方が安全性から最適だったと思われますが、開閉の手間がかかりそうなのと、締切便を含め、積み降ろしにあっては、郵袋個数と送致証記載数が合致しているか確認がありましたので、輸送中の異状が起こらないと見なされ南京錠の使用だったと考えられます。
しなの7号
新幹線網は物流にも活用されるべきものだと思います。高速道路網が完備した現在、道路と鉄道双方のメリットを最大限に活用し、災害時には補完もしあえる関係を構築して共存させるべきでしょう。
封印方法の安全性は、どちらが上かということは断言できないと思いますが、シール式の封印紙の信頼性は低く、今ならパソコンでいくらでも偽造が可能だと思われます。
鉄道郵便車保存会 会長
荷物車と郵便車、どちらの締切車にも適した方法が用いられたということですね。
このページも大変勉強させていただきました。
また他のページで書かせていただきます。
ここのコメントはひとまず「締切」ということで(笑)
←座布団1枚ほしいのですが…え?1枚剥脱ですか(汗)
しなの7号
ありがとうございました。うまく締めていただきました(*'▽')