【433】 3日乗務「クイチ」

荷36列車は、荷扱時代にもっとも多く乗務した列車だと思います。
それもそのはずで、大阪乗り出しが2組6名(往路荷41・荷31)と京都乗り出しが1組(往路は荷31)でした。
当時、私が所属する車掌区荷扱班にあった最長拘束時間の行路はこのうちの1組で

1日目  名古屋16:19―荷31列車―大阪19:54(泊)
2日目  大阪 5:10――荷36列車―汐留14:43(泊)
3日目  汐留 9:33――荷31列車―名古屋15:59

という3日行路でした。
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行路的には2つの行路を合体させたもので、名古屋~大阪間往復と名古屋~汐留間往復をそのまま通して乗務していたのです。
(名古屋到着時刻は厳密にいうと15時59分30秒です。上の画像では、勤務時間計算上、秒単位は切り上げ計算する関係で16時00分とされています。下の1行路の行路表についても同様です。)
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翌々日に乗り出しと同じ荷31列車で名古屋に戻るまで正味48時間拘束される勤務でした。9行路が終わった瞬間1行路が始まるわけで、この「行路番号9~1」のセット行路を、乗務員は「クイチ」と呼んで、もっとも嫌な行路の一つとされていました。同様に荷31列車で京都に泊まった組も荷36列車で名古屋を素通りして汐留まで通して乗務し、その日の深夜荷41列車に乗務し翌々日朝名古屋に戻りました。これも39時間拘束されるきつい行路でした。

少し前、大阪で有り余るほどの時間がある8行路の話をしましたが、実は聞くところによると、私が就職する前、「クイチ」と並んで3日行路であったというのです。上の画像の「」が打ってないほうの2行路と8行路を結合した形態です。

1日目   名古屋8:56――荷36列車―――汐留14:43
1~2日目 汐留 23:41―荷41列車(夜行)―大阪12:33
3日目   大阪  5:10――荷36列車――名古屋8:43
(就職前のことは不明な点が多いので、便宜上行路分割後のj時刻を記載)

9行路+1行路を「クイチ」というなら、こちらは2行路+8行路で「ニッパチ」と呼ばれ、上下逆パターンながら、名古屋で乗務した同じ列車で翌々日に戻る48時間行路であったということです。「ニッパチ」は夜行が入りますから、「クイチ」より確実にきつい行路だと思われます。おそらく現場で問題になり、その結果2行路と8行路を分割したのだと思われます。この「ニッパチ」行路の場合、汐留から夜行で通し、翌日の昼過ぎまでの乗務で疲れてたどりついた大阪では、遊び歩く気にもなれず夕方まで休養するのが普通でしょう。そのため折り返し時間を長く取ってあったのが、分割されたことによって間延びした行路になってしまったのだと推察できました。

このように、行路の乗務開始駅である名古屋では列車を降りたくても降りられず、そのまま通して乗務する行路を、その行路表の形がアルファベットのS字状になることから「S行路」と通称されていました。「S行路」は本線の中間に所在する乗務員区の宿命でした。

下の例は荷物列車ではなく、国鉄時代季節運転で167系が使用されていた急行ちくま2・3号(くろよん号併結)の車掌長(客扱)行路です。
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「名古屋~大阪~長野~名古屋」と夜行を挟んでの乗務です。行路表がS字型になっています。
上の例は2日間で完結する行路ですから、まだいいのですが、3日間に亘るS行路全廃を組合側も要求していたこともあって「クイチ」のほうは私が就職した約半年後に分離され、乗務掛(荷扱)に関してはS行路が全廃されたのでした。しかしその後も専務車掌(荷扱)班だけは存続し、荷36列車では乗務掛2人は朝方に名古屋で乗務終了でサヨナラ。名古屋で交代した別の乗務掛2人と一緒に、前日から仕事をしてきた専務車掌(荷扱)一人だけはそのまま翌日夕方までゴクロウサマという変則的な形態になったのでした。

一番上の画像をご覧いただくとわかりますが、「クイチ」行路の次の日は必ず非番日になりました。これは1日当たりの勤務時間があまりにも多すぎてしまうので、非番日で勤務時間の調整をする意味合いを持っています。言い方を変えれば4日分の仕事を3日でこなしたということにもなります。これを2つの行路に分ければ、4日間の勤務時間自体が大きく変わるわけでもないので、9行路で2日間、1行路で2日間を使いますから非番日がなくなってしまうことになります。休みが多い方がいいと思う人には3日行路も悪くなかったのかもしれません。

この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    しなの7号様 おはようございます。

    これらの業務って、おっしゃる通りかない「きつい」ですね。

    今の「職業労働法」(?)でいうと、恐らく「違反」になるのではないか・・・と思いました。
    2013年11月25日 06:39
  • 北恵那デ2

    おはようございます。昨日(24日)飛騨の高山で法事があり、高山線のキハ48で往復しました。周りの者には、ワイドビューひだで往復していると思われているので内緒ですけれども(笑)。これだけの乗務?でも相当疲労しましたので、おっしゃるような2日間やら3日間に亘る乗務は、私には考えられません。しかも荷物の積み下ろし管理とは・・・寝ぼけ眼でやるのでしょうか?一番きついのは夜中に着いて、翌日早朝の折り返しでしょうね。お疲れ様でした。
    2013年11月25日 07:57
  • しなの7号

    京阪快急3000様
    労働基準法のことをおっしゃっているのでしょうか?
    現行労基法上でも、鉄道による旅客又は貨物の運送事業に従事する労働者には、従前から「労働時間及び休憩の特例」が適用されていますので違法性はありません。
    2013年11月25日 09:55
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    おはようございます。
    キハ48は身近なところで走っている数少ない国鉄型ですね。
    この冬も雪見に飛騨へ行きたいと思います。もちろん普通列車で!

    利用者サイドからは速達性が歓迎されるわけですが、鉄道会社サイドから言えば車両運用効率化と労働時間短縮による人件費削減の効果が得られますから、両者の利益のため速達列車が増えてしまい、ローカル列車旅の楽しみが減ってしまいます。
    労働者側から言えば、速達列車によって、同じ仕事をより短い時間内で完結する必要が出てきますので仕事の密度が高まり余裕がなくなるわけです。
    「乗務員は40過ぎてやるもんじゃないよ」と国鉄在職中に言われたことがありますが、不規則勤務は体力がないと務まりません。国鉄退職後はあまり風邪をひかなくなったようにも思います。
    2013年11月25日 10:11
  • ★乗物酔いした元車掌

    ★ボクが車掌になった時は、
    そういう乗務はありませんでしたが、
    金星の乗務は
    もっと長いものだったと聞いたことがあります。
    それから、カメレクの場合、
    ボクが車掌になった時もまだ
    3日間行路があったようです。
    2013年11月25日 12:48
  • ★乗物酔いした元車掌

    ★そういえば、2日間行路ですが、
    明けの日に名古屋を3回、
    通過する乗務がありました。
    みんな、嫌ってました。
    2013年11月25日 12:51
  • しなの7号

    乗物酔いした元車掌様
    電車の金星号廃止は57.11でした。そのころ私は普通車掌でしたので乗務することはできませんでしたが、暦日4日行路でした。
    短区間乗務が増えてくると、どうしても行ったり来たりの行路が増えますね。乗務員ならではの特殊勤務形態については、いずれ本文で少しずつ紹介していきたいと考えています。
    2013年11月25日 13:23
  • C58364

    こんばんわ。
    名古屋を通過しての長時間勤務はきついですね。こんな行路は機関車運用だけでいいと思いますよ。そういえば深夜勤務される国鉄職員さんで太った方にはお目にかかりませんでした。乗客の安全を預かるご職業のため神経使われたのでしょうね。

    帰宅ラッシュ時間に出勤するのが一番イヤでしたね。朝から出勤する夕方まで自由な時間があったことは忘れてのことですが、人間はやっぱりお日様がでている間に。
    名古屋を通過しての長時間勤務はキツイと思います。
    2013年11月25日 18:31
  • しなの7号

    C58364様 こんばんは。
    名古屋を「翌日通り過ぎて」さらにその「翌日」しか戻れないというのが、気分的に悲しい仕事でした。
    不規則勤務なので、胃腸病は乗務員の職業病とも言われていました。
    多くの人が帰宅する時刻に出勤。多くの人が休みの日に出勤。盆正月はかえって忙しいとくると、鉄道の仕事は好きじゃなくてはできないかもしれませんね。
    2013年11月25日 20:13
  • 昔鉄道ファン

    こんばんは。どんな仕事でも大変なものですが、不規則きわまりない乗務員さん、大変でございます。荷物や貨物の乗務は夜間もあるので、大変でしょうね。

    荷36レですか…宮原のゴハチ牽引でしたね。1976年9月23日、岐阜発車時の編成がこれです↓
    EF58125[宮]+マニ36109(南トメ、南東荷1)+マニ60505(四コチ、四荷1)+マニ60514(四カマ、四荷2)+オユ1231(四カマ、四郵1)+マニ36312(大キト、大荷34)+ワサフ8013(門モシ、門荷201)+オユ125(門モシ、門郵1)+マニ60133(大荷?)+マニ6072(天リウ、天荷10)
    郵便車はオユ12のみ、四国車が多く見られます。
    ついでですので、年末繁忙期の列車を一つ。米原から青森まで設定のあった、荷9048レ(品川から荷9031レ…だったと思います)1977年12月17日、岐阜発車時の編成です
    EF5894[宮]+マニ372156(盛モカ、年臨荷5)+マニ362033(大ミハ、年臨荷6)+ワキ8961(名ナコ、年臨荷3)+ワキ8509(大ミハ、年臨荷2)+スニ412001(金サワ、年臨荷1)+マニ602240(旭アサ、年臨航1)
    岐阜で昼間、スニ41はお目にかかれないので喜んだ覚えがあります。やっぱりカメラがあったらなぁ…です。
    2013年11月26日 21:03
  • TOKYO WEST

    以前読んだ鉄道ピクトリアルでは、昔の札幌車掌区のS字行路が紹介してあり、札幌~(おおとり)~網走~(おおとり)~函館~(おおとり)~札幌というすさまじいものでした。札幌からの乗り出しの列車が大幅遅延のため、網走での睡眠時間がほとんどなくなり、フラフラの状態で函館まで乗務した様子も語られていました。
    2013年11月26日 23:34
  • しなの7号

    昔鉄道ファン様 おはようございます。
    貴重な資料のアップありがとうございます。
    荷36列車については来週月曜日以降に触れるつもりですが、ご披露いただいたように、四国からの航送車があるのが特徴でした。最後部の天荷マニは臨時変運用で、記録された9月は鳥取の二十世紀梨の収穫期ですので、その波動輸送用として京都から増結された車両だと思われます。その前の大荷?は大荷34です。荷36列車には編成中ほどにも大荷34があり、大荷34が2両別々に連結されていたことになります。このことについても来週本文で触れることにします。

    年末には臨時編成が組まれ、臨時荷物列車が運転されました。なかなか記録する機会がない列車だけに貴重な編成記録だと思います。臨時編成はご披露いただいたとおり寄せ集めでしたが、この列車には私はまったく仕事でタッチしておらず、その編成などは存じませんでした。新聞用パレット用マニ37も動員されていますが、おそらくこの列車の場合は一般荷物運用と推察され、構造上「水物積載禁止」だったと思われます。拙ブログ記事【229】乗務した車両:その他の荷物車https://shinano7gou.seesaa.net/article/201112article_6.htmlでその積載制限について触れています。
    2013年11月27日 10:00
  • しなの7号

    TOKYO WEST様
    「おおとり」の事例のご紹介ありがとうございます。
    これはキツイ行路ですね。現在のように会社間で乗務員が頻繁に変わると引継で却って手間がかかるようなこともあろうかと思いますので、通し乗務はそれなりにメリットはあるのですが、この場合は所属区を通り過ぎてからの距離と時間がハンパではありませんね。
    2013年11月27日 10:01
  • 和車

    おはようございます。和歌山車掌区の専務3班にも、和歌山1438D五条440M王寺451M五条1453M和歌山泊124新宮▲921という行路がありました。キハ35とクハ111の一部を仕切って、駅間の業務用送達を行って、翌日は、本当の荷扱いをやっていました。親父は、和歌山線だけ乗って、紀勢線は、休暇行使でした。嫌な系統みたいでした。和歌山線は、沿線でもあり、よく付いて行きましたが、五条から先は、和歌山車掌区ではなかったので、乗務員室にはいれてもらえませんでしたが、のんびりした感じがとても好きでした。
    2013年11月28日 06:38
  • しなの7号

    和車様 おはようございます。
    コメントありがとうございました。
    私が荷扱のころには、東海道本線と関西本線をセットにして3日間乗務になる行路もありましたが、この「クイチ」も含め原則として片方だけ休むことはできませんでした。1日だけ年休を希望する場合には、2日で完結する別の行路が割り振られました。
    キハ35は構造的に荷扱には適して?いますね。武豊線では車掌班時代にキハ35での荷扱を経験しており「【248】思い出の乗務列車1:武豊線940D」https://shinano7gou.seesaa.net/article/201202article_4.htmlでその様子をご紹介しています。よろしければご覧ください。
    2013年11月28日 07:11
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    荷物車「クイチ」行路を拝見しますと、大阪⇒汐留は、郵便車の倍の長さです。郵便車は4つの鉄道郵便局が汐留~(東京鉄郵)~浜松~(名古屋鉄郵)~大阪~(大阪鉄郵)~糸崎~(広島鉄郵)~門司(東小倉)と交替していました。
    特に36列車で早朝起きして汐留まではきつかったと想像します。
    参考まで、当会ホームページに大阪糸崎間乗務行路(53・10以前)を掲載していますのでご覧下さい。
    http://oyu10.web.fc2.com/kouro-1.jpg
    長い横線は大阪~糸崎往復、半分ほどの長さのものは大阪~岡山往復、また途中で段落ちしているものは行き又は帰りに岡山で乗り継ぎ(事務室で休憩)を示しています。行路に▲が2つあるのは「クイチ」のように足掛け3日間の行路で「3日服務」と呼びました。さすがに日帰りはなく、その他は糸崎事務室で宿泊を伴う2日服務です。
    荷物車乗務では、往復する行路ごとに番号が付いているようで、9と1を連続乗務するから「9⇒1」で「クイチ」ですが、郵便車は往路便と復路便に数字を付け、それを合体した数字が行路番号となります。護送便は頭に1を付けた2ケタ、1~5表は担務ごとの区分けで、( )内の数字は定員と思われます。荷物車の専務車掌(荷扱)、乗務掛で乗務区間が違うのと似ています。各表とも上から下へ行路順に乗務しますが、途中に○(公休)、△(待機)をはさみ、待機は連絡がつくように自宅にいるなどして、急な欠乗に代わり乗務できるようにしていました。
    2020年09月05日 11:55
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    他の車掌区の行路番号のことは知りませんが、私が所属していた車掌区では、方面別に行路番号が区分され、それぞれ区分ごとの出勤時刻順に付番されていました。50.3の例では、東海道上り(1~7行路)・東海道下り(8~11)・中央(13~14)・関西紀勢(16~21)という区分でした。専務車掌(荷扱)と乗務掛とは基本的に同じ行路内容であり同じ行路番号でしたが、乗務割(シフト)はまったく別でしたので、「クイチ」のように、ニレチだけが3日乗務のままになる例が出る結果となりました。勤務操配をする助役は、専務車掌(荷扱)と乗務掛とが同じ行路番号だと区別できないので、それぞれ「荷〇行路」「扱〇行路」というふうに一字を冠して区別していたようです。
    日勤行路は、他の行路とセットにして運用されましたので、事実上日勤はありませんでした。セット行路にすることによって3日乗務になる例もありました。
    2020年09月05日 20:46
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    荷物車乗務行路の番号にも意味があることがわかりました。前回は大阪鉄郵第一乗務課の行路表を示しましたが、むしろ第二乗務課(阪青線、阪福・阪鶴線、亀阪線)の方が荷物車行路と同様に方向が行路番号でわかる仕組みでした。
    第二乗務課行路表 http://oyu10.web.fc2.com/kouro-2.jpg
    行路や番号の法則については、
    鉄郵塾 乗務員 http://oyu10.web.fc2.com/jyoumuin.html の 4服務 (2)行路
    のところで説明しています。
    乗務を続けていると、行路番号だけで何時に出勤してどの便に乗り、いつ帰着するかがわかったし、月間勤務シフトが指定されると自宅のカレンダーに行路番号や休日を書き込んだものですが、これの誤記は欠乗につながるので妙に緊張したものでした。しなの7号様も同じことをされたのではないでしょうか。
    2020年09月06日 00:32
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    家族に勤務割を周知するため、カレンダーへの書き込みは必要なことでしたが、日常生活では行路番号より、行先(「京都」・「新宮のダラ」・「新宮の夜行」という表現)で行路を特定し、それを日常の会話などで使用することのほうが多かったように思います。そのほうが家族や、同じ職場の他の組の人、他の職種の人にも理解されやすかったという理由です。荷扱職場限定で、乗り出しの列車番号とかも行路全体を指す意味でよく用いました。「明日は7行路」ではなく「明日は30(列車)」のほうが通りがいいのです。(画像にある1行路(荷36~荷31)と2行路(荷36~荷41)のように、帰りの列車が違うときは、それぞれ「三十六の三十一」「三十六の四十一」と往復の列車番号で表現する場合もありました。)この傾向は1往復で乗務が完結することが多いカレチ班の特急・急行の行路でも同じでした。普通列車や貨物列車の行路は折り返しが多かったり、行先が同じでも似たような行路が複数あるので、さすがにそういう特定の仕方は無理で、「昨日〇行路だったんだけど…」という行路番号による表現より、「昨日はオタケ(武豊)の終(列車)だったんだけど…」というような、行路上にある特別な列車で表現したほうが、行路内容そのものが特定がしやすいわけですし、ダイヤ改正で行路番号が変わってしまっても、そういう列車の特徴は変わらないので便利でした。
    2020年09月06日 20:51
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    なるほど、荷物車乗務では行路番号とともに、独特の言い回しで通じたようです。
    前回お示しした第二乗務課行路表ではおおまかに3方向ありますが、行路番号で見分けがつきます。各乗務員には月間の予定が記載された用紙が配布されますが、カレンダーへの転記のあとは折り畳んで携行していました。
    家族に言ったかどうかはわかりませんが、乗務員どうしの会話では、互いの行路をしゃべるとき、例えば31行路を「サンイチ」と呼ぶ程度で、亀阪便行路だと1111(上一~下一)、1212(上二~下二)のいずれかでしたので、「カメのイチイチ」、「カメのニーニー」で通じました。
    もしかすると「新宮ダラ」や「オタケ」に匹敵する呼び方が、全国の鉄郵のどこかにあったかもしれません。
    2020年09月07日 01:30
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    私どもは、月間の乗務予定表の類が個別に渡されることはなく、ダイヤ改正などで決められた組ごとの乗務割表が渡されておりましたので、勤務シフトが翌月以降もわかりました。10月にダイヤ改正があれば、正月の予定もそのダイヤ改正時点でわかるわけです。ただし予備勤務に指定(希望者優先で、希望者が少ないと組内の建制順で指定)されると、半月先の勤務さえ確定できなくなりました。
    カレンダーへの転記とおっしゃるのは家族のためではなかったのでしょうか。私は自分用にはプライベート用の手帳に乗務行路を転記して携行していました。不規則勤務である乗務員の家族は、大変だったろうと今になって思います。うちは乗務員が父と2人おりましたから、母は毎日どのくらいご飯を炊くかなど迷ったでしょうし、連日不規則勤務に付き合わされて辟易していたと思います。
    2020年09月07日 20:56
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    乗務行路を書き込んだカレンダーは台所と自分の部屋で、台所は母が食事を支度する目安のためでしたが、確かに不規則な勤務で、食事の支度だけでなく深夜乗務明けで昼寝もするので、気遣いさせていたと思います。
    あらためて別ページでコメントさせていただきます。
    2020年09月09日 01:23

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