2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。
旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。
ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。
今回は火の見櫓にスポットを当ててみましょう。
火の見櫓は、中山道歩きでも火の見櫓が集落を見渡せるような位置に頑張っているのにいくつも出会いました。
その中から特徴的なものを抽出してみました。
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本山宿の特徴「斜交屋敷」を見下ろすように建つ火の見櫓
2005年9月17日撮影
ずいぶん細身の火の見櫓。いくつも取り付けられたスピーカがアクセント
2005年7月23日 塩名田宿付近で撮影
反対にちょっと太めの火の見櫓。塔の中ほどにも踊り場?のようなスペースがあって、東京タワーのような電波塔に通じるところがあります。
2005年10月8日 下諏訪宿~塩尻宿で撮影
あまり背は高くないですが、とんがり屋根がおしゃれです。付近に大きな建物が建ってしまって、見渡すことができるのでしょうか?
2005年10月8日 塩尻宿付近で撮影
消防庫の屋根上に建っているところがよいです。Nゲージ模型のジオラマパーツもこういうタイプですね。
2007年本庄宿~深谷宿で撮影
お国柄というのか、地域によって全く見かけない地方もありました。特に長野県下に多くあった火の見櫓。
消防団が活動しているところでは、残っているのでしょう。都市部近郊では見かけなくなった昭和の風景です。
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犬も歩けば…火の見櫓にあたる?
街道には歴史的なモノ以外にも価値がないながらも、それでいて見て楽しめるモノがたくさんあります。
このシリーズ、来週(木曜日)に続きます。
(このシリーズ記事中の写真には、一部旧中山道そのものではなく、その近傍で撮影したものも含んでいます。)
この記事へのコメント
京阪快急3000
火の見櫓ですか・・・。
昔は至る場所で見かけましたね。
最近はこの火の見櫓、役割がないのでしょうか?
あまり見かけませんね・・・。
しなの7号
ほんとに見かけなくなりました。私が子供のころには、通っていた小学校の目の前に立派な火の見櫓がありました。そこでお昼にはサイレンが鳴りました。
昔鉄道ファン
で…町内の有線を流すスピーカーがついてましたっけ。
琺瑯看板、火の見櫓、線路沿いの「ハエタタキ」…昭和を感じます。
しなの7号
火の見櫓、現在の主な役目はスピーカ塔?なのかもしれません。
「ハエタタキ」…わかる人にしかわからないと思いますが、腕木式信号機・タブレットとともに昭和40年代までの鉄道には必須アイテムですね。
C58364
昔は火の見櫓はどこにでもありましたね。現在の消防団車庫には消火や訓練に使ったホースを干すのに使うためのコンクリート柱は立っていますが火の見櫓は無いですね。消防署建物の上に建っているのは時々見ます。
私が子供の頃は火の見櫓は無くて、消防団員さんが半鐘のついた木柱に登ってキョロキョロとあたりを見回していましたが、あれは何と言うんでしょうね。皆が火の見櫓と呼んでいたような記憶ですが。
しなの7号
そうそう、思い出しましたが、子供のころには木で組んだ火の見櫓がいつも乗るバスが通る道端にありました。今でもコンクリート柱のホース干し?は実家の近くに残っていますが、そばにあった消防庫は地区の集会所に化けています。
北恵那デ2
しなの7号
私は地に足さえ着いていれば、高いところは好きです。ですから鉄道写真も、俯瞰撮影が多くて列車がどこにいるかわからないようなものが多かったりするのはご承知かと(^_^;)
地に足が着いていない飛行機はダメです。
小学生のころには、列車の車窓から通信線や電線の行方を追うのが好きだった時期がありました。2本足のハエタタキとか、その形状も気にしてました。やっぱり昔から変な子供だったですね(-_-;)
C58364
私も幼少の頃は、客車の窓に蒸機の煙が現れたり消えたりするのや、通信線が垂れたりまっすぐになる変化を飽きもせず眺めているのが好きでした。私も変な子供だったのでしょうか(笑)。ハエタタキの2本足は中央西線に行って初めて見ました。通信線の数が多かったため補強してあったのでしょうか。
しなの7号
そういう子供は多かったのでしょうか。だったら私も正常?ですかね。
ハエタタキは幹線になるほど大型になるし、斜めに支える添木?が片側にあるもの、両側にあるもの、形状も気になりました。2本足のは長い鉄橋の両岸にありましたね。長いスパンのために補強が必要だったのでしょう。
火の見櫓も、集落の規模によって大小の差があるのでしょう。トラス構造の形状は、鉄橋本体や架線柱をも連想させます。