【436】 中山道歩きで見たモノいろいろ(21):自動車関連の看板

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。
旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。
ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。

今回は自動車関連の看板にスポットを当ててみましょう。

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ヨコハマタイヤ
タイヤの絵のホイール部分の顔が印象に残ります。
某巨大掲示板にアスキーアートでよく登場しましたね。
2006年3月11日 太田宿~鵜沼宿で撮影


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何の関連性もないパラゾールとブリヂストンタイヤ
決してパラゾールというネーミングのタイヤではありません。
2007年12月22日 深谷宿~熊谷宿で撮影


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トーヨータイヤとナショナル電球。
外壁はきれいに補修されているようですが、看板は撤去せず復元したように見えます。一般的にはその時点で撤去の憂き目にあうことでしょう。こういう看板は目立つ場所に「動態保存?」されてこそ価値があるものだと思いますが、本来の使命は果たし終えたようです。
2005年9月19日 贄川宿~奈良井宿で撮影


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ニッサン・ダットサンの取次店。この赤青白のマークも懐かしいもの。ミツウロコは燃料屋さんで、自動車屋さんとはまったく関係がないんじゃないかと思っていたのですが、グループ会社で自動車ほかの保険代理事業を行っているとことを、この記事を書いているときにネットで検索して初めて知りました。しかし地方のこのようなお店は、燃料や自動車など、他業種を一手に引き受けていた「よろずや」的なお店だったのでしょう。
2006年6月1日 柏原宿で撮影


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スズキアルト。今でも通用している看板。1979年から生産されているスズキの軽。
2006年9月28日 守山宿で撮影


続いて自動車学校の看板を2つ。
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大原自動車学校 この自動車はセドリックか?
自分は自動車学校で、この型のセドリックで教習を受けたような気がします。
2006年3月11日 伏見宿~太田宿で撮影


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こちらは、さらに古いセドリック。
この記事(【92】 中日球場アクセスの記憶……国鉄×自動車)に登場します。
それにしても古い看板!
2006年10月8日 和田宿~下諏訪宿で撮影


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犬も歩けば…自動車関連看板にあたる?
街道には歴史的なモノ以外にも価値がないながらも、それでいて見て楽しめるモノがたくさんあります。

(このシリーズ記事中の写真には、一部旧中山道そのものではなく、その近傍で撮影したものも含んでいます。)

この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    しなの7号様 おはようございます。

    この記事ですが、「トーヨータイヤ」の看板は昔見た記憶があります。
    あと「自動車学校」ですが、今は「自動車教習所」もしくは「ドライビングスクール」(地元)などの呼び方に代わっていますね。

    自分もここ最近、歩ける範囲内は徒歩で移動する習慣が付きました。
    自分はまだアラフォー直前なので、体力を付けることと、血行を良くする効果があることが分かったのが主な理由です。

    こういった「街歩き」って、「新たな発見」が出来て楽しいですね。

    自分の場合、「なみやは国体」の廃れた看板などや、「大型道具」のお店の看板代わりに「招き猫」やこの時期になると「サンタさん」になっていたりなど、「散歩がてら」に時間がある時は、「歩いて何かを発見」する楽しみができましたよ。
    2013年12月05日 06:31
  • 北恵那デ2

    おはようございます。私はオロナミンCぐらいしか存じませんが、都電荒川線に用もないのにわざわざ乗りましたら、駅にホーロー看板が貼ってありました。動態保存というよりはイベント列車のような話しではありますが(笑)。
    2013年12月05日 07:52
  • しなの7号

    京阪快急3000様
    「自動車教習所」が法的には正式名称のようですよ。自動車学校を始めとする名称は屋号になりますが、昔普通に使われていた「診療所」が「クリニック」になったり、いろんな業界で屋号商号が変わってきているのも、古い看板からわかりますね。そんなことを考えながら歩くのは楽しいです。
    そういえば、「自動車教習所」のことは、私が住む地域では「車校」と呼ばれていりのですが、地域限定の方言のようです。
    2013年12月05日 08:37
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    豊川稲荷の参道沿いに、ホーロー看板がたくさん「展示」してあり、懐かしい空間を演出していますが、同じようにイベント列車感覚ですね。旧街道の看板もSLも、本来の場所本来の仕事をしているときが一番美しかったと思います。
    もちろん保存活動はそれとは別の次元で意義があるものと思っています。
    2013年12月05日 08:44
  • 昔鉄道ファン

    こんにちは。製作中のNゲージ、165系JR東海車がレタリングを入れたら完成…の昔鉄道ファンです(汗 両端大目玉ですが…まいっか…

    懐かしい看板を探して歩くのは自分も好きで、高山線沿いにある勤め先のそばの農機具小屋に「起き上がり最中」の大きな看板と「御代櫻」「マル○ク」の小さな看板があります。昔は高山線の車窓からよく見えたと思います。(今は線路と小屋の間にアパートが建ち、探しづらくなりました)

    通勤の道中見かける、昭和40年代前半くらいと思われます「東芝チェーンストール」の看板が、商いをやめた電気屋さんの入り口にあります。「スーパージェッター」を下敷きにしたようなイラストがあり…
    年々、風化してきて、いまは何の看板なのか一目でわかりにくくなってます。

    昔は線路沿いに、立派な広告塔?がいたるところでみられましたが…(ナショナルが多かったような?)いつの間にかなくなってしまいましたね…ハエタタキ消滅と同じ位の時期かなぁ…

    私のごときオールドマンには、看板はたまらないアイテムです。
    2013年12月05日 12:06
  • C58364

    こんにちは。
    ホーロー看板でよく見たのは浪花千栄子さんのオロナインH軟膏、大村崑さんのオロナミンC、松山容子さんのボンカレーでした。TVのCMとともによく覚えています。どこでにもありましたね。
    列車の窓から見える野立て看板で気になったのは、カンコー学生服でした。カンコーは漢字ではどう書くのだろう、カンの字はコーの字は?色々考えましたが分かりませんでした。
    知ったのはそれから40年余りたったつい最近、ある鉄道紀行番組でその会社が紹介されたのです。菅公でした。
    岡山県にある学校制服と学校体育衣料のトップメーカーでした。だから遠く離れた高山本線沿線でも見られたのですね。
    2013年12月05日 12:24
  • しなの7号

    昔鉄道ファン様 こんばんは。
    「起き上がり最中」「御代櫻」は岐阜地方の定番で、いずれ拙ブログで登場する予定です。
    「マルフク」は「電話の金融」。電話加入権担保でお金を借りられたのですが、今となっては信じられない話です。
    ナショナルの広告塔も車窓からあちこちで見かけましたね。うちの近くの線路沿いには、昭和48年ころまでダイワハウスの広告塔がありました。
    2013年12月05日 20:19
  • しなの7号

    C58364様 こんばんは。
    大塚グループには名作がいくつかありましたね。学生服業界も種類豊富です。
    浪花千栄子さんは「【312】中山道歩きで見たモノいろいろ(1):ホーロー看板・薬品系」https://shinano7gou.seesaa.net/article/201209article_6.htmlで、
    官公は「【345】中山道歩きで見たモノいろいろ(12):ホーロー看板・衣料系」
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201301article_2.htmlで、登場させています。
    よろしければ、ご覧ください。
    2013年12月05日 20:22
  • ★乗り物酔いした元車掌

    ★「しなの7号」さんのご実家の駅より
    少し西側の駅が父の実家。
    そういえばダットサンの看板があった。
    でも、実家はお米やさん。
    「しなの7号」さんがおっしゃるとおり
    「よろずや」だったのかな。

    それから、そのすぐ近くにあったボクの家、
    ホーローと思う、殺虫剤のメーカの看板、
    あった。たぶん、
    今思えば、手に入れておけば、、、、
    2013年12月05日 21:12
  • しなの7号

    乗り物酔いした元車掌様 こんばんは。
    地方へ行けば行くほど兼業が多くなってきて、最後は「よろずや」に行きつきますね。私の実家の近くもそんなお店がいろいろありました。豆腐屋でプラモデルを売ってたし。

    キンチョール・金鳥ですか? そういえば一時期、東海道新幹線沿線に金鳥の野立て看板がやたらと多かった時期があったんですけど、いまはなくなってしまいました。そんなこと知ってるほうが恥ずかしかったりしますが…
    2013年12月05日 21:57
  • 木田 英夫

    しなの7号様、おはようございます。
    以前に通巻第928号「アルトアレコレ」で教えて頂きましたスズキの看板、ようやく辿り着けました。

    本当に懐かしい看板ばかりです。「ナショナル」はパナソニックに社名変更され、「松下」と共になくなりましたし、「ダットサン」も今日では死語ですね。この写真の中でまだ現役なのはスズキのSの社紋、そしてアルトくらいですね。

    日産セドリックですが、私も昭和53年に教習を受けたのがセドリックで、場内が230形、おそらくしなの7号様と同じです。路上は当時新型と言っていた330形でした。
    いずれも前席はセパレートシート、コラムシフト(ハンドルチェンジ)、サイドブレーキはステッキタイプ、勿論バックミラーはフェンダーミラー。しなの7号様のセドリックの方は如何でしたでしょうか。

    3ヶ月近くも教習で乗って(乗らされて)いると、愛着も湧くのか、その車に慣れるのか、「いつかはセドリックに」と思っていたのですが、数年前のタクシー用セダンの製造終了によって、見果てぬ夢となりました。
    鉄道車両だけでなく、自動車の世界でも世代交代が進んでいるようで、昭和の時代がこのところ急速に遠ざかっているような気がします。  木田 英夫
    2021年09月15日 10:30
  • しなの7号

    木田 英夫様 こんばんは。
    昭和の面影が急速に失われているのは確かなようですね。30年前の日常は今となっては非日常のものとなり、旧道沿いにある看板たちはほとんど役割を終えています。時代が停まったまま掲げられた看板がある街並みは、並行する新道とは違った空間で、私はこういうところを歩くのが好きです。

    自分が教習で乗ったセドリックは貴殿が教習を受けられた230型より古い130型だったと思います。それは自動車教習所の「12号車」で、ボディに「12」と大書してあり、免許取得後に公道上ですれ違うとすぐに気が付きましたが、古い車ゆえに、じきに見なくなりました。
    当時の教習車はコラムシフト、ステッキ式サイドブレーキが標準でしたね。しかし当時でも市販の乗用車のほとんどはフロアシフトにレバー式サイドブレーキで、実態とはかけ離れた感じでした。
    2021年09月15日 19:58

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