先週ご紹介した神領電車区のクモヤ22に乗務した1985年(昭和60年)12月には、169系と165系混成の団体列車にも乗務しました。
1985年(昭和60年)12月25日
9521M
運転区間・乗務区間とも 高塚8:00~名古屋11:04
(高塚~豊橋間 回送)
1 クモハ169- 21 長モト
2 モ ハ168- 21 長モト
3 ク ハ165-144 長モト
4 ク ハ165- 40 長モト
5 クモハ169- 5 長モト
6 モ ハ168- 9 長モト
7 サ ハ165-102 長モト
8 ク ハ169- 6 長モト
このあと中央本線に入ります。
9825M
運転区間 名古屋~長野
乗務区間 名古屋11:14~中津川12:21
(編成は9521Mの逆)
団体名 ○○地区高体連スキー教室 536名
前回の試運転列車に引き続いて高塚始発の臨時です。
今回は浜松工場とは関係なく、前日から留置してあった編成への乗務でした。高塚駅のホームがない中線は、豊橋や浜松が始発終着となるべき臨時列車が折り返すための留置線としてよく使われていたのです。この列車も団体の乗車は豊橋からでしたので、高塚~豊橋間は回送扱となっていました。団体名でお判りのように高校生のスキー教室の団体さんで、下車駅は松本と長野に別れていました。上に示した運転時刻で、高塚~名古屋間の運転時間が異常に長いのは蒲郡で51分もの長時間停車があったためでした。この駅でほとんど席が埋まりました。
(画像は分割民営化後の中央西線を行く169系松本車です。)
乗務した列車は165系と169系の混結編成でした。169系はご承知のように信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠で補機EF63との協調運転用の急行形電車で、165系を基本として製造されました。両先頭車(1.8号車)とも169系でしたが、外観・内部とも165系に酷似しており、それらしかったのは、運転室内に碓氷峠専用のEF63との協調用機器のスイッチがあったりすることくらいだったと思います。車掌が扱う機器ではないので知識もありませんでしたが、非常用として車掌が取り扱う車掌弁には、協調運転時に使用すると電気系統にも連動する機器が付属していました。もっともこの時点で松本運転所に配属されていた169系は、本来の信越本線の運用からはすでに退いていました。
いつも乗務する他の165系とは編成そのものが逆向きで、クモハが東海道本線内で下り方になるよう連結されているのが目新しく思われました。これは碓氷峠で横川方(麓側)に車両重量の重い電動車を組むことによって浮き上がり脱線を防止するために組成された結果でした。
一つ、編成を書き写したあと疑問に思った点がありました。それは5号車クモハと6号車モハのユニットの番号が揃っていないことです。169系はクモハ+モハのユニットは1号車と2号車のように同番号(この場合21番)がペアになっているはずですが、5号車と6号車はクモハ169-5とモハ168-9。書き写し間違いかと思って放置しておいたのですが、最近になって調べてみると、クモハ169-9とモハ168-5はいずれも早い時期に廃車になっており、余ったクモハ169-5とモハ168-9が、お互い早くにパートナーを失った者どうしで再婚したという事情のようです。
松本運転所の169系や165系は中央西線名古屋口ではあまり見かけず、定期列車の乗務では縁がなかったのですが、団体列車や臨時急行列車で時折見られ、このようにヘッドマーク付きの列車もありました。



この記事へのコメント
中央西線
しなの7号
確証はないですが、乗務当日の編成は最後の写真と同じ編成のように思います。
掲載した画像は縮小してあるのでわかりにくいですが、元画像では2両目3両目の屋根上に集中式クーラーが乗っかっているように見えます。
この車両はモハ164-901→モハ168-901→サハ165-102という経歴のようです。しかし冬場のため仕事では冷房は関係がなく、当日は集中クーラーには気付きませんでした。夏場ならこの集中クーラーは他車より温度差が激しく室温に気を遣いますので気付いたはずですがね。
C58364
高校生500人以上の大団体が乗車するとあれば時間がかかるでしょうね。自分の経験からも引率の先生がいくら声をからして叫んでも群集心理でトロトロしか行動しませんので。
153系と違う165系の先頭車前面の塗り分けが好きでした。
それに気づくと「お~165や」とうれしかったですね~。
碓氷峠での浮き上がり防止のため麓側に重いクモハ169がくるよう編成したというのは、峠のシェルパEF63を必要とした横川~軽井沢間ならではのお話ですね。
しなの7号
団体輸送は、時間的に融通が利くバスの方が引率する側としては楽ですね。それでも高校までの学校の行事で列車を使ったときのことは、すごく印象に残っているのですが、これは鉄道ヲタク以外には当てはまらないのでしょうか?
中央西線の中津川電化(43.10)で153系快速が1往復できたのですが、ときどき混じってくるクハ165を「最新型」のイメージで見ていましたね。
横軽と中央西線の縁といえば、過去にエアサスキハ57の転用がありました。
★乗り物酔いした元車掌
とボクのことは別にして。
165系の臨時列車は、
大垣夜行の救済列車で
乗務したことがあります。
それも急きょ運転が決まったようで、
22時過ぎに勤務が終わる
臨時行路で呼び止められ、
春日井で神領の165系6連を迎え、
回送で浜松、東京夜行を若干先行して
名古屋まで乗務、
そのまま春日井までの回送となり、
便乗で戻りました。
一睡もしないで。
普通班が、
こういった臨時に乗務することは、
当時、あまりありませんでしたので、
結構、緊張しました。
でも、楽しかったです。
浜松で、車内が通勤電車のような
大垣夜行を見たときは、
ビックリしました。
もうひとつ、あった。
トラックの荷台の荷物と接触して、
助士席側の窓ガラスがない破損車両を
大垣まで、乗務しました。寒かった。
北恵那デ2
C58364
エアサスのキハ57ですが、会社帰りに真夏の高山本線で乗ったことがあります。いつもはクーラーが付いていないキハ58に乗っていましたので、窓を開け扇風機を回していました。
この日はキハ57が初めて連結されており、車内は窓を閉めてクーラーがかかっており汗も引いて快適でした。
やがてエアサス車の特性かこの車だけだったのか分かりませんが、左右の揺れがあって車酔いになり脂汗が出てきたことを覚えています。
それからはキハ58に乗って窓を開け、扇風機を回していました。育ちが分かりますよね。
しなの7号
国鉄末期から大垣夜行の救済列車が検討されるようになりました。青春18きっぷが一般に浸透したことによるのでしょう。旧国鉄の体制では臨機応変な臨時列車の特発は難しかったことでしょうが、それが変わってきたのが、この昭和60年ごろでした。乗務員にとっては大変になりましたね。
事故ったことはありますが、ガラスが割れた事故車に乗務したことはありませんでした。ご苦労様でした。
しなの7号
乗り物酔いは、エアサスもそうですが、当時の喫煙と締め切られた車内の換気の悪さに起因しているのかもしれませんね。
小学生の頃、いとこが高山の親戚の家に高山線に乗って行く機会があって、その時に乗り物酔いをしたと聞きました。当時の私は、バスは酔うものだけれど列車には絶対に酔わないものと思い込んでいまして、そのとき初めて「ディーゼルカーは酔うものなんだと知りました。それ以後、ディーゼルカーの匂いとバスの匂いに敏感になったのでした(+o+)
その後381系の登場で、電車でも酔うんだとわかり、絶対乗りたくないと思っていた「しなの」に仕事で乗るようになってしまったのでした(+o+)
しなの7号
「特急に乗るのが当たり前みたいな陰口」とは誰が言ったのかねえ?
でもそのころ、すでに中央西線では「381系しなの」ばかりで、よほどその気にならないと165系という選択肢がなかったですね。前のコメントにも書いたけれど、当時は381系なんか乗りたくないと思ってましたから。(これが今は快感(^_^)/)
165系は3両ユニットが基本だったので、先頭車が中間に入ることが多くて、「気動車的?」でしたね。編成の中間に先頭車(クハ又はクモハ)が4両も連続するというへんてこな編成にも当たりました。クハ164にも、何度か出会いました。そのへんのことは
【242】乗務した車両:165系電車(1)
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201201article_10.html
で、編成をアップしています。
TOKYO WEST
しなの7号
169系に乗務したのはこのときだけでした。
プライベートではその3年ほど前に信越本線1301M妙高3号・志賀1号に乗ったのが最初でした。上野を朝出る列車で夏休み期間中だったため満員で、上野~小諸間をモハのデッキ部分で過ごしました。
北恵那デ2
しなの7号
うちの嫁さんは振り子恐怖症です。鉄道も高速になるにつれて、性能的には格段にアップしたものの、速達性優先で、特急でも振動や高速走行による乗り心地の低下は見られますね。
一昨年亡くなった義父が、生前に四国へ行った折、特急に乗って「鉄道で初めて酔った」とこぼしていました。ああ、あれは振り子車なんですよと教えてあげたら納得してました。
すみません。似たような記事をいくつか書いてますので、自分でもどこで何を書いたか忘れることが多々ありまして、その確認ついでに過去記事の紹介することで、コメントに代えることが今後もあると思いますが、悪く思わないでください<(_ _)>
サンダーバード46号
しなの7号
日根野の165系は松本からの転属車だったと思います。
自分も青春18きっぷ+αで日帰り紀伊半島一周を企て、165系に乗ったことがあります。串本付近では国道42号線を走る軽トラックと抜きつ抜かれつを演じ、海を眺めながらの快適な普通列車の旅はもうできないものだと思っています。
おんたけ号
こんにちは。
連投失礼します。
臨時とは言え、中央西線に169系が入線していたとは知りませんでした。
まあ、小生の場合、目撃しても165系と思ってしまうでしょうが。
信越本線及び、169系が残っていた時のしなの鉄道に乗った事が無いので
169系には縁がありませんでした。
坂城駅に保存のS51編成、訪問した時の軽井沢方のクモハの正面幕、この
地にあって何故に「大垣」なの?(長野方は「臨時」)
定期的に幕回ししているのかな?
(管理人様のようにトンネル内でこそっとやる必要はないですね)
それともわざとエラー狙いか?
エラーと言えば去年のいつだったか?
東海道本線の朝の刈谷行き311系(3月ダイヤから313系)で、前から2両目、
側面幕が本来「普通」「刈谷」なのに「ホームライナー」「刈谷」だった
のは驚きました。
何かトラブルでしょうが、今でもあるのですねえ。
LED表示でもそんなのあったら更に驚きますが。
以上、失礼しました。
しなの7号
中央西線の169系は、分割民営化後に松本の169系が神領の165系に混じって中津川以北のローカル列車に使用されるようになりましたが、長野色になってからは識別が容易になりました。
保存された169系は湘南色に戻されたことによって165系と見紛うものですが、その169系に言わせれば、「大垣」幕に不本意な思いをしているのかもしれないですね。165系に見立てられて人気があった大垣夜行をイメージしていたのでしょうか? 中央西線絡みで信州発着大垣行165系ですと、長野大垣間に臨時急行きそ(81・82号)と、松本発大垣行(上りだけ)の定期普通列車がありましたが、どちらも長続きしませんでした。「きそ」には「急行」幕が使われたと思いますが、普通列車のほうは「大垣」幕だったと思います。まあ、それらはJR東海の165系のことゆえ、169系とは何の関係もないことではありますが・・・