1985年(昭和60年)は、12月28日に臨時特別改札行路で関西本線と東海道本線に乗務した後に名古屋で泊り、翌29日早朝に臨時列車で名古屋から東海道本線岡崎まで1往復する行路でしめくくりとなりした。
臨時列車は、165系の回送で岡崎まで行き、その編成で折り返し一般客扱の普通列車として名古屋へ戻ってくるといった行路でした。
昭和60年12月29日
東海道本線回9440M
運転区間・乗務区間とも 名古屋4:10~岡崎4:40
ク ハ165- 50 名カキ
モ ハ165-509 名カキ
クモハ165-132 名カキ
(垣変302)
折り返し同編成で
東海道本線 9441M
運転区間・乗務区間とも 岡崎5:23~名古屋6:06
時刻表にも掲載されていました。
(当時の名古屋鉄道管理局のポケット時刻表より)使用された車両は大垣電車区の165系の3両編成で、朝の関西本線に運用される前に岡崎まで1往復する変運用でした。往路回9440Mは送り込みの回送なのですが、復路の一般客扱9441Mは、こんな早朝にどのような目的で運転されたのかおわかりでしょうか。
<ヒント>
この9441Mの岡崎発時刻の5分後5:28には、東京始発の大垣行夜行普通列車345Mが運転されていました。そして同様に9441Mは終点の名古屋へ345Mの4分前に到着するダイヤでした。
もうおわかりでしょうか。
時は年末の多客期。そもそも大垣夜行は中京地区の朝の一番列車としての使命がありました。多客ピーク時には通路からデッキまで満員状態になりましたから、一番列車に乗ろうとする乗客が乗ることができなくなる可能性があったので、その大垣夜行の直前を名古屋まで運転された臨時列車なのでした。この年は私が乗務した12月29日のほか、その前日の12月28日に運転されました。
青春18きっぷが一般に浸透してきたことによって、大垣夜行の人気が高まってきつつあった時期でもあったのでしょう。のちに混雑期には、この大垣夜行臨時救済列車は豊橋始発に延長されたのに始まって、最終的には東京(品川)始発の列車が設定されるようになったのです。このときの9441Mは青春18きっぷ対策の大垣夜行救済臨のルーツといえるのではないでしょうか。
(上の画像は分割民営化後のJR東海の165系で、東海道本線とは関係ありません。)
この年の仕事はこの列車で終わり、30日31日は休み。明けて元日は緊急対応の出勤予備でした。元旦に車掌区へ出勤し、万一の事態に備えて夕方まで待機する要員で、どのような列車に乗せられるかわかりませんでしたが、幸いにも、この日は事故も起らず、突発休や出勤遅延者もありませんでした。平穏に新しい年の初めを車掌区で過ごせたわけですが、この昭和61年は国鉄改革が大詰めを迎えていた年で、すべての国鉄職員にとって大波乱の年になったのでした。
この記事へのコメント
北恵那デ2
しなの7号
長い特別改札行路に短い臨時列車の行路を組み合わせて、効率よく乗務員を使う勤務操配はこのころから増えてきました。
なお、この行路の場合は単独行路だと朝の3時25分に出勤しなければならないことになります。
車両ですと検査周期が問題になりますが、一人ずつ勤務時間が異なる乗務員の場合は、おっしゃるとおり、勤務時間や休日などを個別に管理する必要がでてきますから、帳尻合わせみたいな勤務は出てきます。
類似の乗務行路について、先週の「【453】臨時列車の乗務(22):169系・165系団体列車」でも「乗り物酔いした元車掌」様からの実体験をコメントしていただいています。
「Out of Service」は駅ホームのLED表示でも見かけますが、乗客にとっては回送だろうが試運転だろうが、とにかく乗れないんだということがわかればいいやという感覚でしょうか。「Not in Service」というのもあるようです。
C58364
大垣夜行の救済列車があったことは鉄道誌で知っていましたが、東京発になるまでにこんな経緯があったとは知りませんでした。中京地区での下り一番列車利用者の救済が発端だったとは・・。この時刻表を見ただけで大垣夜行と結び付けて考えることは私にはとても無理なことです。今は亡き、宮脇俊三さんの世界です。
しなの7号
青春18きっぷがヒット商品?のようになり、潜在需要を掘り起こした実績は大きいのですが、既存の輸送力では賄いきれず、臨時の設定を余儀なくされた一例ではないでしょうか。
宮脇俊三さんは、作品中で時刻表から運用まで推測してましたね。鉄であることを恥じらい隠すようにしながら、筋金入りであることが面白く、文庫本を乗務中にも持ち歩いて乗泊や詰所で読んだものです。
★乗り物酔いした元車掌
ありがとうございました。
ところで、
この行路は覚えています。
乗務はしたことはありませんが、
仲の良かった先輩が、
「帰れるはずだったのにぃ」と
笑顔で愚痴を言いながら、
乗務してました。
コレの発展系が、
ボクの乗務した、浜松始発
さらには、
「救済臨」と呼んでいた、
品川始発かな。
しなの7号
「青春18きっぷ」の前身である「青春18のびのびきっぷ」が登場したのは昭和57年で、この臨時列車乗務は昭和60年の年末。以後の年末の臨時運転の実態については、
昭和61年末も岡崎~名古屋(国鉄最後の年末輸送)
昭和62年末は岡崎~大垣(名古屋~大垣は定期列車・JR最初の年末輸送)
昭和63年末は豊橋~名古屋
平成元年末は東京~大垣(一部名古屋止の日あり。年始にも豊橋~名古屋で運転)
以上、時刻表から拾い出しましたが、その他のシーズンについては未調査です。このほかにも大垣夜行がらみで「乗り物酔いした元車掌」様のように、実態に応じ特発があったということですね。