国鉄当時、大垣電車区と神領電車区を結ぶ回送電車のダイヤがありました。
その回送の目的を確かめたことはありませんが、車輪踏面のフラットやレールとの摩擦でいびつな形状になった車輪を削正する車輪転削の設備がある神領電車区へ、その作業のために大垣電車区の電車を送り込むための列車のようでした。この列車は定期列車ではなく「予定臨」と呼ばれる臨時列車で、予め作ってあるダイヤで必要に応じて運転されていました。私が所属する車掌区では、このうち中央西線部分のみを乗務していました。
1986年(昭和61年)3月2日 回8617M
乗務区間 名古屋18:14~春日井18:37
クモニ143‐ 2 名カキ
ク ハ165‐126 名カキ
クハ165を回送するために、クモニ143が牽引する列車のようです。
たった2両ですが、いずれも湘南色でお似合いのカップルのようです。クモニ143が乗務列車に連結されているのは2度目で、最初の出会いは東海道本線の定期列車1547M(【234】乗務した車両:荷電クモニ143併結列車をご参照ください。)でした。そのときは本来の用途である「荷物車」としての仕業でしたが、この回送列車では牽引車役でした。前回も今回も先頭車として連結されており、直接クモニ143に乗務することはできませんでした。シンプルながらも凛々しい顔つきが機関車みたいで私は好きです。
今のJRに2両編成の電車などは、営業列車としてふつうに存在し、珍しくもないですが、国鉄時代の電車では、特にMM'ユニット方式が主流となっていたこともあって最少単位は3両というのが一般的でした。どうしても1両単位の運用になる荷物電車クモニは例外的存在でした。そのために荷物輸送がなくなったあともこうして牽引車代用として活躍したわけですが、国鉄末期からは分割民営化を前提にして、効率化適正化を図るために短編成化の改造が行われるようになりました。クモニ143‐2も国鉄最末期に1両で運用できる両運転台制御電動車としての特徴を活かし広島工場で旅客用クモハ123-2に改造され、JR西日本に籍を置くことになります。後年小野田線本山支線のクモハ42に乗りに行った際に宇部線でクモハ123-2~4だけの特徴的なサイドビューを目撃し、琴芝~宇部新川間の1区間だけ乗車したのですが、本来の目的であるクモハ42の方に気を取られていて番号も確認しておらず、未明で暗かったため写真も撮っていません。JR東日本の中央東線の塩尻・辰野間で使用されていたクモハ123-1は先のダイヤ改正で引退しましたが、123-2の方はまだ現役のようですから、再会のチャンスはあるかもしれません。
この記事へのコメント
C58364
2挺パンタで東海道本線で80系電車の先頭に立つ湘南型のクモユニ81は格好良かったですね。この長大編成は俺様が牽引しているんだといばっているようでした。切妻のクモユニ74はお写真のクモニ143と同じ塗り分けでスピード感があり好きでした。鉄道模型で作りやすいタイプですのでペーパーで作ったことがあります。連結相手がいなくてもっぱら単行でした。クモニ143には出会ったと思いますがクモユニ74と勘違いしたのか記憶がありません。
大垣電車区は神領電車区に比べ歴史があり電車の検修設備が整っていると思っていましたがそうではなかったようですね。
北恵那デ2
しなの7号
長大編成の先頭に立つ荷電は存在感がありましたね。模型を買うことも作ることもできなかった小学3年生のころだったか、ボール紙に色鉛筆で採色して作ったのがクモユニ81でした。1両で恰好がつくというのが理由でしたが正面の流線型には工夫を要しました。。。切妻で、窓数が少なく、1両で完結というのは、自作模型だとクモニは最適ですね。
現在は大垣にもその車輪転削設備があり、ときどき美濃太田車両区のDCもそのために回送されているようです。
しなの7号
この手の列車は、営業列車ではあり得ないような編成が一番おもしろいですから、拙ブログ内の、この記事↓
【287】臨時列車の乗務(14):クモヤ90とクモユニ147
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201206article_7.html
地味な列車ながら、そういう意味では気にしていただけるのか、現段階でブログ内の記事閲覧数18位と上位に入っています。
この当時は現在のように編成単位での車両管理がされていなかったので、こうした牽引車を連結した回送方法が採られていたわけですね。
たしかにこういう臨時列車は捉えにくいですが、本文にもありますように予定臨としてダイヤが決まっています。名古屋市内へ通勤していた数年前、毎朝決まった列車を利用していると、決まった場所で時々変な列車とすれ違うことに気が付きました。それは神領での車輪転削に行く列車で、あるときはキハ75だったり、キハ85系だったり、時には「あおなみ線」の電車だったりするわけです。こうなると通勤の楽しみが増えるわけですね!(^^)!
デキ501
私も荷電としてクモニには相当乗務しました。
荷物列車としての2両組成の単独運行
汐留から伊東伊豆急行線内への継送新聞紙や
雑誌を天井に着くくらいぎゅうぎゅうに積み
大船区クモユニ74、程よい揺れ具合と奏でる
釣掛け音が相まってまるで揺り籠のようでした。
★乗り物酔いした元車掌
辰野支線で乗ったことがあります。
2~3ヶ月に一度、
伊那松島の方に所要があり
行きは、岡谷回りでしたが、
帰りは辰野支線、
そのときに乗りました。
ロングシート、乗客も少なく、
殺風景な電車だなって、思いました(笑)
車輪転削について、
キハ85系、75型は、神領ですが、
キハ25型は、大垣だそうです。
キハ25は、
ほぼ313系と同じだから、
そう聞いたことがありますが。
真偽のほどは、確認してません。
しなの7号
私の車掌時代の乗務範囲ではクモユニ74は活躍しておらず、クモニ83ばかりでした。荷扱時代には荷電の乗務はなかったのですが、新聞雑誌を満載する状態だと、一般の荷物より1個あたりの大きさが小さく数的に多いはずで、重量もそこそこありますから積卸作業はきつかっただろうと想像します。荷電は車掌時代に1区間だけの乗務行路がありましたが、積載荷物量は、それほどでもありませんでした。↓
【231】乗務した車両:クモニ83
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201112article_8.html
しなの7号
クモハ123は、乗客から見れば味もそっけもない電車ですね。辰野支線も、その気にならないと乗る用事がないですので、乗れずじまいでしたが、私は2005年から中山道の宿場を訪問し、そのとき塩尻には乗継の関係で何度も下車しました。クモハ123の姿を見るとJR東日本に入ったことを実感させてくれる存在でした。
そういえば神領と中央西線上でキハ25の姿をみたことがありません…と言いながら、もし見ても313系に紛れてしまってよほど気を付けてみていないと判らないですね。
北恵那デ2
しなの7号
こういう回送には営業運転にない編成という観点から見ると、牽引車は不可欠な存在ですね。
C56のSLほたる号の撮影の時は自動車に乗せて行ったもらったので、クモハ123には乗れず、D51の信州博アルピーの時は列車で行ったのですが、多客対応のため169系かもしか色3両の代走になっていて、この時もクモハ123には乗れませんでした。
鉄子おばさん
しなの7号
クモハ123のように、本来の荷物輸送に従事した期間がわずかで、「いらない子」になったあとに、思わぬ場所に転じて地味な線区での足となって長く働いている車両には情が移ってしまいます。1度だけでも自分で乗務した車両ならなおのことです。
RAILWAYSの映画を見てから、川跡から出雲大社前が未乗ということもあって、一畑電鉄へは行きたいと思っています。デハニ50は(乗れなくても運転できなくてもいいから)見たいし音も聞きたいと思っているのですが、今のところ計画が具体化してません(T_T)