この日は名古屋から中央西線中津川までの14系客車の回送列車でした。列車自体は長野まで運転されましたが、私の乗務は臨時回送列車の乗務範囲として決められていた中津川までで、その先は他区乗務員と乗継になりました。
1986年(昭和61年)3月3日
中央本線 回9821列車
運転区間 名古屋~長野(名古屋臨回303)
乗務区間 名古屋7:36~中津川9:08
EF64 51(篠) 変臨A301
オハフ15 2 名ナコ
オ ハ14 7 名ナコ
オ ハ14 2 名ナコ
オ ハ14 3 名ナコ
オ ハ14 144 名ナコ
スハフ14 42 名ナコ
奇しくも、この記事をアップした28年前の同じ日のことになります。
回送の目的は不明ですが、長野鉄道管理局への貸出なのではないかと思われます。当時の長野鉄道管理局の団体用座席車は12系2編成しかなかったのに対し、名古屋鉄道管理局(配置区は名古屋客貨車区)には14系のほか12系も多数配置されていました。名古屋客貨車区の14系は多客期に運転される臨時特急金星に代表されるような「波動輸送用」車両でしたので、その運転期間以外は使用されることは少なく、その間は車両の置場に困ることから、関西本線の蟹江駅や永和駅で長期間留置(これを「疎開」といいます。)されていることが多かったものです。そんな状態でしたから、閑散期には他局からの貸出にも応じられる状況にあったと考えられます。
14系客車は特急用なのに、名古屋客貨車区の14系は特急としての活躍の場は事実上臨時の金星だけで、ちょっとかわいそうでした。乗務中に疎開中の14系の姿を見ると、まだ新しい車両だったのに閉めっぱなしのカーテンはすっかり日焼しているのが哀れでした。
12系座席車が車軸発電機を装備し、冷暖房のみ電源用エンジン直結の発電機で賄っていたのに対し、14系には車軸発電機がありませんでした。窓が固定式なので客扱い時には常時冷暖房のいずれかが必要となることと、12系のように旧型客車との併結を考慮することなく製造されたことが、その理由だと思われます。このような全区間回送の運用であれば、客室室内灯は必要なく、必要なのは乗務員室の電灯と尾灯。そして3月では寒いので乗務員室の暖房はほしいだけという運転形態でも、14系の場合はエンジンをかけなければなりませんでした。これはものすごく燃料費が無駄だと当時思ったものです。さすがに民営化されてからは問題意識を持ったと見え、緩急車が省略された貨物列車に準じ、最後尾車両に赤い反射板を2つ装着するという、極めて安易ともいえる方法で、これをクリアしたのでした。
私がこのとき乗務した編成のうち最後部のスハフ14 42と中間車のオハ14 3は、JR東海へ移管後しばらくしてから座席がグレードアップされ、ユーロライナーと同じ塗装に変更されて「ユーロピア」と呼ばれる編成の一員になりました。車両番号もスハフ14 701とオハ14 701に改番されユーロライナーと併結されたり、ときには快速「さわやかウォーキング号」としても使用されましたが、この2両も含め、このとき乗務したときの6両は現在全部廃車されてしまって現存していません。
この乗務のときのことは、来週もう一度アップします。



この記事へのコメント
京阪快急3000
この14系客車は、当時の電車で言えば、183系と同じ設備を持っているのに「波動輸送用(この言葉もほとんど、専門用語ですね)」として製造されて、同じ14系の寝台車と比べて地味な印象ですね。
「尾灯が民営化後は反射板に替わった」ことにより経費削減になったのは、初耳でした。
でも、この記事に登場した1両が今は無き「ユーロライナー」用の客車に生まれ変わったことは、この1両(オハ14 3)はとても幸せものだと思いました。
北恵那デ2
★乗り物酔いした元車掌
留置車両のエンジンを
切らない理由のひとつに
「再始動の困難」が
あったと聞きます。
いったん、エンジンを止めると、
次にエンジンが起動しない
そういった事態が
結構、あったそうです。
それが車両区ならまだしも、
出先の場合、
運転士では対処が困難、
そう聞いたことがあります。
ちなみに今の車両は止めてますね。
車内清掃のときなど、
エンジンをかけていただくよう、
お願いをしています。
しなの7号
14系座席車は、特急仕様なのに活躍の舞台は急行とか団体とか一段下の格の列車に使用されることが目立ちました。
ユーロピア改造車はこの編成中2両です。(本文参照ください)
ちなみにユーロピア編成では、のちにこのスハフ14 42改の701が廃車された後に、車内は14系オリジナルのままでスハフ14 5が外部色だけユーロピア塗装にされて代替役を務めています。
しなの7号
客車と気動車のサービス電源用のエンジンの騒音は、とくにSL列車の場合には興醒めですね。
基地でエンジンかけっぱなしの理由は、すでに「乗り物酔いした元車掌」様のコメントで明確にされていますので記述は省略します。
キハ28やキロ28の冷房エンジンでも車掌が起動するケースが多々ありましたが、起動しないことがあり焦ったことが幾度もありました。
しなの7号
前コメントにも書きましたが、気動車の冷房エンジンには、起動するかどうかといった不安感が常につきまといました。「油圧」とか「水温」の異状ランプが点いてアイドリング自動停止を何度も経験しました。
トシ@グッズマニア
子供の頃、485系や12系と同じ形のクーラーなのに、なぜか14系のクーラーだけ頂部に台形のカバーらしき物が付いているのを何だろうと不思議に思っていました。
北恵那デ2
サンダーバード46号
しなの7号
名古屋の14系若番車は秋田からの転属車で、新製時には臨時「つばさ」で活躍したのでしょう。
冷房室外機のカバーはキハ181系で採用されたものでした。カバーがない車種は冬季に雪害対策のため蓋をしてしまうので、春先の異常に暑い日があったりしても冷房使用ができませんでした。
しなの7号
そんなもんです。比較的新しい12系や14系では経験していませんが、前述のように気動車の冷房エンジンではトラブルはよくありました。旧車のエンジン始動同様、エンジンがかかったときは安堵感というより達成感に近いものがありましたから、駅で「エンジンがうるさいから冷房切ってくれ」と言われても切りたくないわけです。
しなの7号
14系の簡易リクライニングは不評でしたね。
回転するときの手間を考慮した結果なのでしょうが、中途半端で夜行では最悪だったようです。私は昼行の利用しか経験がなく、高校生のころには北陸本線で臨時急行「加賀」で14系に乗ったことがあり、急行料金で特急車両に乗れるのがうれしかったものです。
ぱす
しなの7号
前の私のコメントに誤りがありました。申し訳ありまませんでした。
1974年のGWのことで、私も高校生でしたが、当時の時刻表で確認しましたら、そのとき乗った14系臨時急行は「兼六51号」でした。同日に撮影したのが14系の「加賀」で、EF70が牽引してきました。当時は臨時客車急行が北陸線に何本もありましたが、臨時列車は全車指定が多かったようです。私が乗った「兼六51号」も全車座席指定で、指定席券として発行された車内補充券が手元に残っています。
ちなみに、この「加賀」は臨時急行のくせに米原~福井間、時刻表上は無停車となっていて、今さらながらちょっとビックリしました。
昔鉄道ファン
14系はかつて九州で働いていた時、岐阜への帰省でよく使いました。
金星51号や阿蘇、あかつき51号などは愛用列車でした(貧乏でしたから、はやぶさやみずほにはなかなか乗れず…)
あの簡リク、夜行では確かに…
シートを倒した時は快適ですが、寝返りをうった瞬間、大音響と共にリクライニングが元に戻ってしまう。
九州から乗ると、それは決まって徳山到着前、石油コンビナートの妖しい光が揺れる夜景が広がっていて、今でも14系というとあの光景を思い出します。
名古屋の14系は、90番台や140番台のクルマを思い浮かびます。他区のクルマに比べてカーテンの色が褪せて思えたのは、そういった事情だったのですね。かなりの数が北海道向けの種車になったと記憶しています。
ある日の高山線臨時列車。詳細は一切不明ですが、車窓に「萱場工業」と書かれた紙が貼ってあったので、現KYBの慰安旅行か何かの列車でしょう。
1975.10.10 高山線上り岐阜10:15着
DD51556+スハフ1426+オハ1496+オハ14144+オハ14145+オハ1494+オハフ1537
機[美]客[名ナコ]
しなの7号
九州方面への移動は、今では座席車どころか寝台車もなくなってしまい、列車なら新幹線以外に選択肢がなくなってしまいました。山陽本線筋に特急急行すらなくなってしまう世の中になるとは時代も変わったものです。トンネルばかりの山陽新幹線では、知らないうちに九州入りしてしまい、味気ないですね。
ご覧になった編成には、私が乗務したオハ14144の姿もありますね。この車両はJR東海へ残ったのですが、1番違いの143は504に改番され北海道に渡っているようですので、兄弟で運命が分かれたと言えます。
cojp4839future
14系も今では絶滅危惧種になってしまいました。団体需要の多くがバスに奪われた今では信じがたいですが、かつてはお座敷列車も多く、客車の保有が多かったのはそれだけ輸送が華やかだった証拠に思います。
12系のお座敷列車にも乗務の経験をお持ちとのことですね。そういった人も少なくなったのではないでしょうか。取り上げられていませんが、長野支社の「白樺」はエリアが隣接している関係から頻繁に入線していたと思います。
しなの7号
ご覧いただきありがとうございます。
今頃は私と同世代の方は定年前で、それなりの要職に就かれている時期ですので、数年後に退職された後にもっと奥の深い元JNR職員のブログが林立するような気がします。
時代背景が変わったということはもちろんですが、旅客会社が分割されたことによって長距離輸送とともに団体輸送とか列車を仕立ててのツアーが会社によってはお荷物になってきたという実態もありそうです。
長野局のお座敷列車「白樺」は地元ではよく見ましたし、写真も撮りましたが、意外にも乗務の機会がありませんでした。特に改造時の薄緑の塗装は国鉄客車のイメージからかけ離れ、好きなJTでした。
猫じゃらし
急行廃止後も 臨時特急あかつき、彗星、明星 北海道の
大雪 まりも 14系改造のシュプール 臨時快速ムーンライト九州 山陽 やえがき etc 思い出に尽きる車両でしたが 今は無くなった事が年数の重みを感じます。
夜行で混み合うと最悪でした。足元の暖房カバーに足があたり 中途半端な感はありましたが 一杯引っ掛け休むには申し分なかったですわ。
特急車両を急行 さらには快速に乗れる 乗りドク感はありました。
空いてる時なんか 最高!ムーンライト八重垣の自由席
の思い出せす。12系ボックス席とは違いましたね。
あと、冬の暖房の効き過ぎが難点だった。
シュプール型の車両は座席に関しては申し分なかった。
特急電車485系と遜色なかったですね。
展望車、座席の足上げが付いてた車両もありましたね。
14系客車 40年近い思い出の詰まった車両でした。
しなの7号
14系座席車は、名古屋の車両以外でも、急行用に使用されるケースが多かったですね。そのほか、JR各社では特色のあるジョイフルトレイン化やグレードアップもあって、バリエーションが増えていきました。
樽見鉄道に譲渡されたものもありましたが、あれには驚きました。考えてみると14系より12系のほうが窓が開くことでSL用を中心に有効に使用されていますね。
ねこじゃらし
14系 あの 青いブルーと 白線 の 編成美 は 忘れられません。
1978年5月2日 急行くにさき 自由席が 初めての乗車。
大阪から淀川を 渡る時の 加速時の引っ張られる感覚と 14系の発進時の振動 客車って こんなんかいなって
14系初めての感想でした。
今となっては懐かしい思い出です。
EF58 76号牽引でしたか (間違ってたらごめんなさい)
最後部10号車最後部の自由席座席にこだわり 2時間待ちました。
ほんまに 懐かし思い出です。高校友達と3人で 2人は小野田 私は 下関まで 時間の関係で折り返し 宇部まで 周遊券のおかげで 宇部駅では 折り返し列車 寝台特急安芸と間違えられないよう 改札駅員に説明したのも 思い出・
1981年1月4日の明星53号 徳山から大阪EF58 80号 徳山から広島までの機関士と駅の立ち食いうどん
会話も懐かしい。
律儀に指定席に子供を抱きかかえてるお父さん
私は隣の ガラガラの車両で2人分のせきを 占領。
夜行列車の要領を教えてあげました。
1987年1月1日元旦 当時 関西から九州への臨時夜行特急は14系でしたが 当日の山口線臨時快速津和野行 当時の小郡駅でみたのは
なんと14系5両堂々たる特急車両
14系3が日の1日のみの運転。
広島所属の14系。
最高のサービスでしたわ。
竜華所属の14系 1982年の夏 関西本線で通勤していた頃
いつも見ていた14系 どこで使うの?
臨時あかつき号長崎は諫早から大阪まで お世話になりました。驚きの一言。
14系座席車の思い出でした。
しなの7号
思い出話、ありがとうございました。
14系座席車に乗ったのは↓
【158】臨時列車の乗務(4):品川の14系座席車
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201105article_2.html
【169】臨時列車の乗務(8):広島の14系座席車
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201105article_13.html
プライベートで初めて乗ったのは上り「しおじ53号」でした↓
l【653】あの場所は今…2015年(2)高鍋・下関https://shinano7gou.seesaa.net/article/201512article_7.html
おき2号
12系には車軸発電機があったのですね。同時期の客車でも設計思想の違いってやつでしょうか。
やまぐち号の車掌さんの話ですが、寝台列車ではエンジントラブルに一番悩まされ、オーバーヒートせず終点まで動いてるのが不思議だったそうです。その車掌さんの頃なら老朽化というのもあったのかもしれませんが。
しなの7号
車軸発電機がない14系は電源エンジンがダウンすると室内灯はじめ、ほとんどの電気機器が使えないので、やまぐち号の車掌さんの話はよくわかる話です。12系と14系座席車は6両までの編成だと前後のハフのうち1両にエンジンと発電機がないオハフ13またはオハフ15が標準でしたので、特に14系座席車は全車にわたって室内灯も点灯できなくなりますからコワイです。
(のちに両端ともスハフ14の編成が増えました。)
このエンジンはキハ28・キロ28に搭載された冷房用電源エンジンと基本は同じで、まずエンジンが起動できるか心配でした。
【506】冷房車(後篇:不具合(-_-;))
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201407article_9.html
この記事↑でそういうことを書いています。