2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。
旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。
ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。
歩いていると、昭和の時代を走り抜けた自動車たちに出会えました。
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セリカLB
名車です。
なぜか「重要文化財駒形神社」の碑の前に停まっており、正しい中山道歩きの旅人には邪魔くさい存在なのでしょうが、私には展示品のように思えてしまいます。その昔、これを買いたいなあと思った時が私にもありました。
2005年7月23日 岩村田宿~塩名田宿で撮影
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パブリカ
もともとこういう軽快な自動車も自分は好きでした。自家用車の原点というかベーシックモデルとして、今の自分が使用するとしたら、セリカのような自動車よりお似合いでしょう。だんだん夢がなくなっていく自分がここにいます。
2006年4月15日 加納宿~河渡宿で撮影
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同じくパブリカですが、朽ち果てています。私自身も朽ち果てつつありますが、元気な現役パブリカも老体に鞭打ってつらいのでしょうが、こちらは見るからに哀れです。しかし本人?に言わせれば、やすらかな時間を過ごしているのかもしれません。
2006年6月1日 柏原宿~醒ヶ井宿で撮影
上の写真のそばにはトラックもいました。ダイハツの軽トラックでしょうか?パブリカの茶飲み友達かもしれません。屋根も腐食して穴が開いています。もう、体が病気だらけで寝たきりなんですわ…
2006年6月1日 柏原宿~醒ヶ井宿で撮影
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こちらもトラックです。かなり古そうです。
ダイハツのベスタのようで、第二の人生で倉庫として活躍?しているのでしょうか。
2006年6月1日 今須宿~柏原宿で撮影
以上の3つの廃車体は滋賀県下で見かけたものです。やっぱり滋賀県は「昭和」なところで、自動車に限らず古いモノが多く残っているように思いました。
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次は、碓氷峠の山の中で発見した驚きの2台です。
これは昭和~平成初期のマークⅡでしょうか。驚くのはこの自動車が放置されている場所で、登山道のような細い山道のわきに停まっているのですが、ここまでどうやって乗り入れてきたかが疑問に思えるような山中です。付近に車道はありません。ヘリコプターなどで空輸されてきたのでなければ、登山道を木々をなぎ倒しながらでないと自力走行では来られない場所です。
ハイキングコースでもある碓氷峠には、こうした廃車体はいくつかあって目障りな存在らしいですが、この意外性は自分にとっては面白いと思います。そう簡単に撤去できない「粗大ごみ」化していますが、美観を壊しているということで、少しずつ撤去されつつあるようです。
そしてこちらもすごいのですが、ツーマン仕様の路線バスです。千曲バスの旧商号である千曲自動車時代の車体です。復元も解体もできないような山中の廃車体は哀れです。
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続いてのスポットは有名かも。
倉賀野宿と新町宿の間で2007年11月17日に公道上から撮影。
業者さんのようです。歩いていたらとても目立つ位置にありました。ここは高崎線の線路端で、新町・倉賀野間の上下線が離れた部分の上下線間です。旧中山道がオーバークロスする場所で列車からもよく見える位置です。2台のフェアレディZのほか奥にはスバルのてんとう虫も見えます。このブルーバードも大変古いものですね。
中山道歩きからもうすぐ10年近くたってしまいます。これらの画像も一昔前のものということになろうとしているわけで、ご紹介したもののうち、現在も健在な自動車がどの程度あるのかはわかりませんし、家からも遠いのでそう簡単に再確認しに行くわけにもまいりません。
そこでYoutubeの車窓動画のうち比較的近年の映像で確認すると、てんとう虫は朽ちてはいるものの健在みたいですし、このブルーバードらしき姿も見えました。
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犬も歩けば…「昭和」な自動車にあたる?
街道には歴史的なモノ以外にも価値がないながらも、それでいて見て楽しめるモノがたくさんあります。
このシリーズ、来週(木曜日)に続きます。
(このシリーズ記事中の写真には、一部旧中山道そのものではなく、その近傍で撮影したものも含んでいます。)
この記事へのコメント
北恵那デ2
しなの7号
そんな場所がありましたかねえ?まったく思い出せないです。
中央西線名古屋~高蔵寺間の駅とその周辺は、昭和50年ごろと比べると各駅ともすっかり変わってしまいましたね。
金山・大曽根はターミナル駅化
新守山は貨物用地の商業施設化
勝川は高架化
春日井(工事中)・神領は橋上駅化
高蔵寺は半地下駅化
駅とその周りがとあまり変わっていないのは、もともと立体交差化されていた鶴舞・千種くらいでしょうか?
昔鉄道ファン
物心ついた時に父親が乗り回していたのはパブリカ(若草色)でしたし、
小学校高学年の時は、写真のタイプの白いブルーバードでしたね。
小生、通勤の途上で、ちょくちょく懐かしいクルマに遭遇します。
最初期のプレジデントを大事に乗り回している人は常連で、
GT800や117クーペなんかは時々見かけます。
昔のクルマは個性が強烈で、良かった気がします。
そういえば、勤務先の近くにある某大手航空機製造会社は、割合最近まで、社用車がフローリアンでしたね。
個人的には、いすずの乗用車が好きです(ベレット、ホンダOEM仕様になる前のジェミニ…)。
★乗り物酔いした元車掌
畑の横に古い車が放置?されてて、
倉庫がわりに使われている光景を見ますよね。
ボクのかみさんの実家の近所にもあります。
車の名前がわからないくらい、
朽ち果ててますけど(笑)
パブリカは懐かしいです。
父の、最初の車でした。
そしてボクの最初の車は、
その後継車?らしい、
スターレットでした。
しなの7号
おっしゃるように昭和の時代には自動車にも個性があって、さらに自分の個性に合わせてドレスアップする楽しみが豊富でした。そのため自分が所有する自動車への愛着もより深かったように思います。こうした自動車を「動態保存」して維持するのは大変なことでなのでしょうね。
しなの7号
畑で物置として使われている自動車はよく見かけますが、団地の貸駐車場に廃車になった自動車が物置として置かれているところがあります。これは非常に目障りです。
C58364
軽自動車から普通車に乗り換える時にこの軽快な二代目パブリカと、ダイハツから販売されていた兄弟車コンソルテを検討したことがあります。初代パブリカからの大きな変化には驚きましたね。
迷ったあげく、きれいなお姉さんが運転する格好いいサニー1200クーペGXを町で見かけて一目で気に入り、他車よりも高価でしたが無理して購入してしまいました。若き日の一ページです。
しなの7号
私が自動車運転免許を取得できる年齢になったころ、このパブリカやサニーあたりは「中古車として購入検討」という時代まで進行します。それで、たまたま見つけた6年落ちのサニークーペ1200GLに落ち着きました。GXは人気車種でなかなか出物がなく、しかも中古車価格も高価でした。
★乗り物酔いした元車掌
そういえば、昔、乗務してた頃、
庄内川鉄橋の手前、ビール工場のかたわら、
何かしら廃車がいっぱい、放置?
されていたような記憶があります。
今でもあるのかなぁ。
最近はロングシートばかりなので、
窓の外を見る機会がないので。
(着席通勤をモットーとしてまして)
しなの7号
そういえば、15年くらい前、下呂からの帰り、
岐阜県内でヨ5000とワム80000が国道41号線のかたわら、
廃車体がガラクタとともに、放置?
されていたような記憶があります。
今でもあるのかなぁ。
うさお
横川の駅近くに絶対数が少ないと書いてあったジムニーのトラック版が止まっていたこともありました。
しなの7号
ジムニーのトラックはなかなかお目にかかれないシロモノですね。私は見かけませんでしたが、一時期林道走りをしてたことがあって、ジムニーはセカンドカーが持てるなら欲しい自動車の№1でした。