【480】 思い出の乗務列車41:関西本線 荷44~224列車(後篇)

さて、亀山で客車列車に併結され、長編成に組まれた224列車はこんな編成でした。
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DD51+マニ(天荷4)+マニ(天荷3)+スハフ+オハ(以上2両 名附11)+スハフ+オハ+オハ+オハ+スハフ(以上5両名11)
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マニは2両とも天リウ、その他の客車は名ナコでした。往路の225列車同様、現実の編成ではスハフはナハフ・スハフに、オハについてはナハ・スハに置き換わることは普通にありました。
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この編成で百済から直通の荷物車は2両なのですが、私どもの乗務車両「天荷4マニ」は名古屋で折り返す運用でした。
乗務車両の天荷4マニの積載方は先週書きましたが、再度確認の意味で書いておきます。

<<「天荷4マニ」積載方>> (50.3改正時)
1 荷物。ただし大船以遠着を除く。
2 永和、弥富発京都以遠着金魚及び生鳥(名古屋中継)
3 隅田川以遠着 貴重品の積載を認む。(名古屋中継)

名古屋へ着くと、駅の小荷物係の手によって、荷物車内のすべての荷物は取り卸されてしまいます。私たち乗務員は名古屋駅での取り卸しの便宜をはかるために、名古屋駅到着時点では
1 名古屋着
2 中央線
3 東海道下り
4 東海道上り
に荷物を仕分けることになっていました。
先週書いたように、難しい大船以遠の荷物は除かれていましたので、これは、べつに難しいことではありませんでした。
積載方に「金魚」「生鳥」という文言が出てきます。
この百済行路は、奈良県の郡山駅と愛知県の弥富駅と2ヵ所も金魚の特産地を通ってくる珍しい列車でした。
金魚については先週も書きましたが、「水入金魚」と赤く大きな文字が印刷された段ボール箱の中に酸素と水とともに金魚が入れられたビニール袋が入れられていました。
永和駅で積み込む生鳥(文鳥)も特産でした。小さい穴が開いた段ボール箱にヒヨコが何百羽も入れられて輸送されていたのは、私と同年代の方はご存知かもしれませんが、それを二回りは小さくした段ボール箱に入れられていました。

それでは私どもの担当車両ではなかったもう1両の「天荷3マニ」の積載方はどうかといいますと、西日本を拠点としている車掌区の乗務員にとっては非常に難しい仕分けが必要なのでした。
その天荷3のマニは、天荷4のマニのように名古屋では荷物を取り卸すことなく、そのまま東海道本線の荷40列車に連結されて、首都圏すらも通り過ぎて青森までの長距離運用なのでした。わざわざ直通させるのですからそれなりの行先の荷物を積載されていたのです。その積載方を見てみましょう。

<<「天荷3マニ」積載方>> (50.3改正時)
1 蓮田~仙台間及び盛岡~青森間着中継荷物
2 北海道着急送品(青森中継)
3 隅田川着中継荷物
4 東仙台~仙北町間着中継荷物(隅田川中継)
5 北海道着一般荷物100個特認(青森中継)
6 3、4は車掌室寄区分積載

これは、「駅名がわからなくても県名を見ればなんとかなる」レベルではありません。「6」で「3 隅田川着中継荷物」と「4  東仙台~仙北町間着中継荷物」を区分積載せよと言っているのが曲者です。簡単に言うと、「高崎線方面と常磐線方面は隅田川で取り卸すから区分しておけ。さらに東仙台~仙北町間(仙台~盛岡間にある中間駅すべて)の荷物も隅田川で別の列車(または車両?)に積み替えるから区分しておけ。」という意味です。高崎線、常磐線、東北本線の東仙台~仙北町間、東武伊勢崎線の久喜以北(それ以外の東武線は汐留中継となるので積載対象外)は全部の駅と、その接続線を覚えていないと完璧な仕事ができないことになるのでした。

下の画像は隅田川着中継の範囲を示した図(上越線方面は省略)です。
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東日本の地理に詳しい方ならば、ある程度可能なのかもしれませんが、この積載方どおりに誤りなく仕事をするに、は少々駅名を知っていても務まりませんでした。

実は亀山~名古屋間において、この天荷3マニの乗務は、同じ車掌区の上位班であるA組の行路になっていました。その行路は、名古屋から当日急行列車の便乗で亀山まで迎えに来て名古屋まで短区間だけの乗務でした。駆け出しの若い者には務まらんから、上位班のベテランの仕事ということだったのでしょうか。
それでも天荷3と天荷4の車両は2両連続しており、亀山からは同じ車掌区の乗務員どうしでしたから、貫通扉を一時的に開けて、お互いに手伝いました。
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片方の車両に荷物がどっさり積まれるのを見れば、貫通路を通って手伝いに行くという訳ですが、天荷3の仕事は難しくて、オイソレと手が出ないことがありましたが、私が実際に本務で天荷3に乗務したことは予備勤務の場合など数回しかありませんでした。

天荷4の話に戻します。
天荷4には、名古屋を目前にして、永和駅では「文鳥」、弥富駅では「金魚」がどっと積み込まれました。特に夏場は金魚の積込が多く、これで名古屋到着前に大汗をかくことになり、天荷3の先輩たちに手伝ってもらうことになりました。積込の数が多い場合は、弥富駅から「予報」といって、事前に四日市あたりで積込予定個数の連絡が入りましたので、そのスペースを確保しておく必要がありました。生き物は「急送品」に指定されているので、満載の場合でも断ることはできず最優先で輸送することになっていたのです。

上の方に示した天荷4の積載方を改めてご覧いただくと、
「2 永和、弥富発京都以遠着金魚及び生鳥(名古屋中継)」
の文言があります。これは、「永和・弥富から京都以遠への荷物は、距離が短い亀山・草津線経由で輸送すべきものであるが、生き物である金魚と生鳥だけは特別に逆経路となる名古屋経由として、速達となる東海道本線の急行荷物列車に名古屋で中継せよ」という意図がうかがえます。ですから、積載方の「1 荷物。ただし大船以遠着を除く。」のなかに、もとより京都より手前の金魚や生鳥が含まれることになりますので、かなりの広範囲の輸送を224列車が担っていたことになります。特に夏場には、積込の数が多いと、終点の名古屋を目前にして荷扱のため発車時刻が遅れることになりました。

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この百済行路は午後の出勤で、睡眠時間はたっぷりあり、時間に追われることもなく、長時間停車もあり、東海道本線のように高速で走るわけでもないので振動も少なくて疲れず、足が遅いので距離の割に勤務時間はたっぷりあり、しかも夕方の良い時間に終わる仕事だったので、嫌がられない仕事でした。ただし夏場には一番つらい行路でした。暑い日中に、のろのろ走り、途中の長時間停車中には屋根が焼けて車内は蒸し風呂。最後にオンシーズンにあたる弥富の金魚の積込で精根尽き果てるわけで、夏場に限っては東海道本線の急行荷物列車で窓を全開にして走る行路や、夜行列車の行路の方が涼しくていいと思ったものです。

この記事へのコメント

  • 京阪快急3000

    しなの7号様 おはようございます。

    当時の国鉄が今と違って「車を積んだ貨車を牽引した貨物列車」は、自分が子供の頃鉄道関係の本で見た記憶がありますが、金魚や生鳥(文鳥)といった「生きもの」も貨物列車として運んでいたのは初耳で正直、驚きました。

    仕事自体も(特に夏場は)過酷であることがよく分かりました。
    2014年04月28日 06:57
  • NAO

    おはようございます。乗務には本当にいろんな苦労があるものですね。
    前回コメントさせていただきましたが、営業時代に静岡以西の顧客を廻っておりましたが、小口顧客訪問先は広範囲に点在しており、特に近畿・中京圏のJR以外の私鉄・地下鉄の駅を覚えるのには苦労しました。
    私は夏が苦手ですが、現代では冷房車が普通ですから、乗り物好きである点も手伝って、電車で移動するのは全然苦になりませんでした。
    それより、1日に10~20回位電車に乗降する際の駅の階段の昇降には閉口しました。健康には良さそうですが。
    2014年04月28日 08:16
  • しなの7号

    京阪快急3000様
    荷物車は貨物とは異なります。これは現在の鉄道輸送の概念では難しい区分になりますので、拙ブログでも、ごく初期に
    【2】荷物列車
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201005article_2.html
    にて、簡単にご説明していますので、必要があればご覧ください。今回の記事の場合、決して「貨物列車として運んでいた」わけではありませんが、
    【404】父の遺品 ~乗務記念品???これは何でしょう?~
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201308article_8.html【402】 牛乳嫌いな車掌
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201308article_6.html
    で例を紹介していますが、大型の動物の「貨物輸送」は昔からありました。また貨物輸送の範疇でも活魚輸送が国鉄時代にはありまして「ナ」という水槽付の貨車が存在しました。JR貨物でも一時期活魚輸送を手掛けていたみたいですが、現状は???です。
    2014年04月28日 08:20
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    私の場合も、会社線と自動車線の駅名には、国鉄線のように予備知識がありませんでしたので悪戦苦闘状態でした。西武・京王・東急は全線が汐留中継でしたから、わかりやすかったですが、東武線は広範囲であるがゆえに、区間によって汐留中継と隅田川中継との区分けをするので、個々に駅名を覚える必要がありました。
    夏場や冬場に温度差のある電車とホームを何度も乗り降りすることは、心臓と脳血管には負担がかかり、最悪だと思いますよ(^_^;)
    2014年04月28日 08:36
  • 北恵那デ2

    こんばんは。金魚や生鳥の荷物というものがそんなにもあったということが今では想像できません。出荷元からは、ある程度の荷があるような状態でなければ商売が成り立ちませんから、そんなものだったのでしょうが。ところで活魚車「ナ」は、子どもの頃の絵本で知りましたが、あとあと調べてみるとそれほどの両数があった訳ではなかったようですね。かつて貨車には、家畜車「カ」のほか、家禽車「パ」やら豚積み車「ウ」など動物を運ぶ珍しいものが結構ありましたね。
    2014年04月28日 20:19
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    中央西線では金魚は少数でしたが、ヒヨコの類は小学生のころに駅の改札脇によく置かれていて、ものすごい鳴き声で存在感がありました。活魚車「ナ」は実車を見た経験がありません。少数が特定区間を往復していたのでしょう。
    ナ・パ・ウ・カに相当するトラックは見たことはありますが、さすがにいつでも見かけるほどではないですから、鉄道貨車でも絶対数が少なかったのもうなずけるのではないですかね?
    2014年04月28日 21:57
  • NAO

    しなの7号様 
    自身の身体のことを真剣に考えないといけない年齢ですが、私の健康・医学的知識はこのように幼いもので、本当にお恥ずかしい限りです。
    営業時代の最後の1年間は、優等行路(小生命名)に組み入れられ、出張先は主に
    豊橋~東京間新幹線停車駅及び清水・新宿の各駅周辺(熱海・小田原駅周辺を除く)の大口顧客
    というテリトリーでした。本当に何年振りかで、首都圏という「ナウい」地域にも行けることになり、数字を上げる上げないはさておき、嬉しいものでした。
    清水駅周辺というのは、静岡市に編入されたためで、また新宿にも大口顧客訪問先があったため、静岡~清水間と東京又は品川~新宿間は在来線に「便乗」する出張行路でした。
    こだま号主流という移動(会社からすれば交通費のかかる営業員「回送」)環境は改善されましたが、いずれにしても車内・外温度差は身体コンディション改善にはつながっていなかったということですね。
    今さらながらですが、今後は健康管理には充分留意致します。ご教示有難うございました。
    2014年04月29日 01:39
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    専務車掌では、優等列車1往復の車内切符の売り上げが、ローカル乗り越し精算とかの少額切符ばかりの普通車掌の1ヵ月分に相当してもおかしくないような金額でした。1枚の車内切符発行の手間は高額でも少額でも同じですが、同じ労働でも(国鉄への)実入りは格段に違いました。
    同様に近年勤めていた会社では、「大口」を専属で任されたりしたことがあります。この場合、会社としても、数字がよくないときには大口担当の尻を叩けば数字が簡単に上がるので、標的にされたりして大変でした(+o+)
    お互い健康には気を付けましょう。
    2014年04月29日 07:49
  • ★乗り物酔いした元車掌

    ★荷物列車。ボクがいた駅、
    当時、まだ客車が現役でしたけれど、
    荷物列車とは分離されていました。
    たしか1日2往復。
    午後に来る上りは3両編成。
    当時まだボクの駅いた駅には
    委託こそされていましたが小荷物があって、
    ターレットに荷物を載せて、
    ホームまで来ていましたね。
    それから、その上りは、郵便も運んでいて、
    リヤカー何台にも積まれた郵袋をよく見ました。
    そのほか、天王寺局からの局報も到着しました。
    懐かしいです。
    2014年04月29日 09:52
  • しなの7号

    乗り物酔いした元車掌様
    関西本線の名古屋口では53.10ダイヤ改正で、客荷分離が行われ、旅客列車への荷物車の連結はなくなりました。それ以降225、224列車とも旅客車だけの編成でした。
    ターレットのエンジン音が懐かしいですね。
    本日、用事があってその駅に行きました。まだ関西本線の駅は国鉄臭が残っている部分が多いと思いました。
    2014年04月29日 21:31
  • hicky

    こんにちは。224列車に青森行きの車両が連結され多方面の荷物が運ばれていたんですね。荷物車の窓から段ボウルの山が見えたのを覚えています。この列車は名古屋から荷40列車につないだとありますが遅れた場合どのような扱いになるのでしようか。
    2014年05月02日 18:41
  • しなの7号

    hicky様 こんばんは。
    関西本線224列車の名古屋着は17:20
    東海道本線 荷40列車の名古屋発は18:56
    余裕時間がかなりありました。
    それでも時間的に不接続になるようであれば、急送品だけを名古屋で取卸し別列車に積み換えて輸送し、荷物車はそのほかの一般荷物を載せたまま、翌日の荷40列車に連結させることが一般的な取扱でした。当日の荷40列車は「天荷3マニ1欠運用」となります。
    この手配を「1日落とし」と通称し、
    【423】思い出の乗務列車31:東海道本線 荷41列車(3):積載方と急送品
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201310article_7.html
    の最後のところで少しだけですが触れていますので、よろしければご覧ください。
    2014年05月02日 19:47
  • hicky

    お返事ありがとうございます。リンク見せていただきました。貨物は今でもそのような扱いですね。石山や膳所でパンタを下して停車しているのを見かけます。
    2014年05月03日 19:31
  • しなの7号

    hicky様
    東海道本線の荷物列車の場合、荷物車を副本線に置いたまま機関車だけ単機で行ってしまうことが多々ありました。機関車だけは次の運用に間に合わせる必要があったのでしょう。
    2014年05月03日 19:42

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