【485】 模型…その実車の現役時代(3):EF64 77

先週ご紹介した、ラウンドハウスから発売されたNゲージ「EF64 77タイプお召仕様」。
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実車のお召列車牽引時の姿は知りませんでしたが、稲沢機関区に転属(のちに愛知機関区)したあと、中央西線で活躍する姿は、目立つ側面の白線の存在で77号機であることが一目でわかるので、印象に残りました。それでも写真となると、それほど撮っていないものです。

77号機は、一般塗装に加えられた白線のおかげで、地味な貨物列車より青い客車を牽く姿が似合うと思いました。
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1986年秋から初冬にかけて再就職候補に決めた先の筆記と面接試験がすべて終わると、中央西線にスキーのための団体列車が運転される時期がやってきました。団体客車列車は12系、14系のほかに、その前シーズンからは団体用に格下げ使用されるようになった20系寝台客車も中央西線に姿を現すようになっていました。できれば青い客車のなかでも、EF64と同じ青15号の20系寝台客車を牽く77号機を見たいと思っていました。

年が明け、国鉄最後の年を迎えると、退職することを決めていた私は、休みや明けの日の日中に20系の臨客が運転される日は地元の線路端に出向くようになりました。このころになると、鉄道雑誌で臨時列車の運転期日や、おおまかな時刻がわかるようになってきたこともあって、地元沿線にも時折撮り鉄の姿が見られるようになりました。それまでは、めったになかったことでした。そんななか、ついに77号機の20系団臨牽引が実現したのでした。
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午前中の下り列車でした。私はその日、午後の出勤でしたので、そのまま木曾方面へ追いかけることはできず、走行中の写真を撮った後に、停車中の写真を大急ぎで撮ってから出勤しました。
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このあと、77号機は国鉄の分割民営化の際にJR貨物の所属となりました。稲沢機関区の一般公開時に、2両の元お召列車牽引機にお召装備を施しての並びが披露されたことがありました。
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EF64 77 …1986年(昭和61年)10月「かいじ国体」お召列車牽引
DD51 820 …1977年(昭和52年)4月「和歌山植樹祭」お召列車牽引 


その後の全般検査時に、側面の白線は前面とおなじクリーム色1号に変更され、正面のナンバープレート上の文字が赤になり、そして窓枠のHゴムは黒に変わって趣が変わりました。
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EF64 77号機は貨物列車牽引の地味な仕事に就いていましたが、深夜の「急行ちくま」の牽引はJR貨物のEF64が担当していました。77号機が担当したこともあったようでしたが、時刻からして撮影は困難でしたので、それを見たり撮ったりする機会はありませんでした。

そして、JR貨物更新色に塗り替えられてしまうと、その個性はすっかり薄れてしまい、他のEF64との区別がつきにくくなってしまいました。
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EF64 77号機は、私が国鉄に入社した同じ年に誕生しています。そして国鉄末期に私の近くにやってきました。
きっと、そのいちばん美しかったころの姿で、再会できる機会があるだろうと、私はその時が来るのを楽しみにしています。

<2019年11月12日追記>
この記事を書いてから5年以上が過ぎましたが、EF64 77が愛知機関区の解体線に入ったのと報が流れましたので,昨日11月11日に現地確認してきました。その時点ではまだ解体されてはいませんでしたが、パンタグラフをはじめ、ヘッドライト・ナンバープレートなど主要パーツ類が外され、DD51 1147・DD51 1146 と連結された状態で解体線に移動されていました……(/ω\)

<2019年12月20日追記>
昨日12月19日、東海道本線の列車内から見た限りでは、EF64 77は2両のDD51とともに解体線にそのまま留置中でした

<2020年4月13日追記>
本年1月中に、EF64 77は2両のDD51とともに解体されました。もう見ることはできませんが、国鉄最後のお召し列車牽引という輝かしい履歴は永遠に残ります。お疲れさまでした。そしてありがとう。

この記事へのコメント

  • 管理人しなの7号

    さきほど、ある方からコメントをいただきました。
    「同機の現在の姿は、同機側から見れば「少しかわいそう」に見えました。」とのことでした。
    どういうことを指して言っておられるのかわかりませんが、私は全く正反対の思いでおります。
    そのほかのコメントの内容については、記事に関係がないと思われましたので、削除させていただきました。
    2014年05月15日 10:39
  • C58364

    こんにちは。
    私も待ちかねていましたEF64牽引の20系客車列車がついに出ましたね。それもお召し機77号機というオマケつきで・・。この頃は鉄を休んでいましたが、このことを知っていれば撮影に出かけたでしょうね。大好きな中央西線のEF64でお召し機+20系客車となれば行くしかありませんから。
    お召し装備機の並びもすごいですね~。高山本線でDD51 554が牽引するお召し列車を見ていますので、この場合だけはやっぱりDD51のほうに先に目がいきます。国旗の大きさが機関車によって違うのですね~。並べてはじめてわかることですね。
    2014年05月15日 14:59
  • しなの7号

    C58364様 こんにちは。
    この時期は、20系の団臨が多く入線していました。
    あまりの臨客設定本数の多さに、中津川までEF65PFの乗り入れもあったとのことを、「りゅう太様」から過去記事にコメントをいただいています。以下、そのコピペです。
    「90年代のスキーブームの折、多数の団体列車が中央線に設定されてEF64が足りなくなり、苦肉の策ですが中津川までは平坦線扱いにしてEF65の入線を可能として、九州からの20系を牽引してきたEF65PFが中津川まで入線、ここから先は霜取り運用で中津川に冬季常駐していた東海のEF64と交換してしのいでました。
    その後も団体列車が中津川までの運転の場合は、東海道からの通し運転でEF65が入線していましたが、ダイヤの都合からか中津川駅での機廻しが出来なくなったのを機に旅客会社のEF65の入線は無くなりました。」
    今では信じられない世界ですね。

    お召機の旗竿の長さが違いますね。あまり意識しませんでした。ご紋章の位置は揃っていますね。私は知らないのですが、装飾については事細かに規定されているのだと思います。
    2014年05月15日 15:35
  • なはっ子

    今朝、総武快速線で新川崎を通った時、EF64が数台留置されていましたよ。特定の機関車に思い入れがあると、鉄も一層楽しくなりますね。小生の場合、好きだったのはことごとく廃車されており、寂しい限りです。
    2014年05月15日 18:34
  • 北恵那デ2

    こんばんは。EF65の入線がそれほど頻繁にあったとは知りませんでした。ところで当時は雑誌「鉄道ダイヤ情報」などの情報を元に地元近辺をうろつきましたが、定期列車と違い臨客はあまり撮影できませんでした。また、遠い山の上から撮影したりするのをまねて写したのは、機関車のナンバーが何号機なのか写した時も分かりませんでしたし、写真を見ても判別できないので今さら残念に思っております。私の様に機関車命みたいなマニアは、線路脇で撮影しなくてはいけないと悟った今では超アップばかりです(笑)。また電化完成の頃、D51の引く貨物列車の前にEF64が付いてきて残念に思いました。そのときには、今は憎いEF64が無くなる頃も我々は同じようにカメラを向けているのだろうかと思っていました。0番台は無くなってしまいましたが、相も変わらずカメラ向けてますけれども(笑)。
    2014年05月15日 18:53
  • しなの7号

    なはっ子様 こんばんは。
    今、首都圏でEF64(1000)が見られ、それも愛知の機関車であることが、昔人間の私には信じられない気がします。
    今はなくなりましたが、逆に中央西線で新鶴見のEF65PFが当たり前に見られた何年間は、不思議な気持ちでおりました。
    2014年05月15日 19:57
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    私もEF65の中津川までの入線例は、JR東海車の0番台しか見たことがありませんでした。
    もう撮り鉄を標榜しなくなって10年以上経ちますが、お互い写真の撮り方は昔から変わらないですね。パッと見て何号機かわからなくても、どこで撮ったかわかるメリットはあって、自動車なんかが写りこんでいると時代もわかったりしますので、自分的にはいいんですが、いろいろ付き合せてしまい、申し訳なかったです<(_ _)>
    中津川以北でD51の前にEF64が付いて来たのを初めて見たのは坂下~田立間で、真新しいEF6471だった。たぶん1973年5月27日で北恵那デ2様と同一行動だったような? ついに来るべき時が来たなという気がしました。
    EF64には、いろんな思い出がありますね。0番台独特のブロア音なんか,
    西線ではもう聞けないんですよねえ…
    2014年05月15日 20:02
  • 北恵那デ2

    おはようございます。しなの7号さんが、「どこに車輌が写っているのか分からないほどの風景主体の写真」を求めていたということは、記憶しておりますが、「いろいろ付き合わせてしまい」ということがそんなにあったのかは記憶にありません(笑)。頭にEF64が付いてきた写真を撮影した時は、おっしゃるとおり、私も同行していたと思います。最近では、最後の最若番の4号機を廃車直前に目撃しましたが、もう壊れそうな古い機関車だなあという感じの走行音でしたよ。0番台の時代は終わったと思いました。この頃は機関区内の展示会というのを行うのかどうかを知りませんが、77号機は多分そういう時に展示される程度のことだとは思いますが、再会したいものだと思います。
    2014年05月16日 05:44
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    早起きですね(゜o゜)
    撮影地がいろいろなアングルを選べるところならいいですが、そうでないところだと、お付き合いいただいたことがあったと思います。高山線のキハ91の最終日なんかそうじゃなかったですか? あれは雨が降ったし自分は壊滅状態でした。

    EF64 0番台の音は、買ったDVDで楽しんでいます。77号機は先月あたりは庫から外に出ていたとの話をネットで見ましたが、私は最新の状況を知りません。
    このコメント欄冒頭(削除済)の「同機の現在の姿は、同機側から見れば「少しかわいそう」のコメントはどういう状況を言おうとされていたのか具体的に書いていただいていなかったので、たぶん現状把握をされずに書かれたものと考えますが、かわいそうな状況がほんとうにあるのか気になってしまいますね。
    きっと、現状をご存知の方がフォローしてくださるような気がしています…と期待。
    2014年05月16日 06:42

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