先週は、コキフ50000の落書について書きましたが、よく乗務したコキ50000系の列車で、特に揺れた思い出の列車の一つが、深夜の東海道本線74列車でした。2ケタの列車番号だけあって、貨物列車としての格?は上位といってよく、運転区間は梅田~汐留間。深夜帯のうちに関西圏から首都圏への物流を担う高速貨物列車なのでした。
機関車は吹田第二機関区のEF65で、時には500番台のF形にも出会うことがありました。だから何か変わるかと言えば、最高時速95㎞の「高速貨B」という速度種別のコキ50000系の場合は何も変わらず、ただヲタク的にF形の方がカッコいいというだけのことになります。
EF65の500番台F形は、EF66就役までの短期間、重連で東海道を貨車のブルートレインとも言える青い10000系を牽くための機関車でした。10000系貨車で組成される「高速貨A」の場合は、機関車から10000系専用のジャンパ線による電磁ブレーキ回路と、密着自動連結器に付属した高圧の元空気ダメ管を、貨車に引き通すことが必要でした。EF65F形にはその装備があり、それによって10000系は初めて時速100㎞を許されていたのでした。このように牽引機を選び、かつ重装備の10000系貨車に代わって、時速95km以上で走行できる機関車でさえあれば牽引機を選ばず、貨車そのもののブレーキ機器も簡素化して、従来のコキ5500の最高時速85㎞より10㎞上げ95㎞としたのがコキ50000系というわけです。ですから、私が乗務していたころはEF65 500番台F形は本来の役目はEF66に譲り渡し、その特徴を活用することなくEF65一般形と共通に運用されていたのでした。
この74列車での、私が乗務していたのは運転区間の一部だけで、稲沢~西浜松間118 kmでした。
東海道本線の上り貨物列車は、稲沢~五条川信号場(清洲~枇杷島間にある無人の信号場)間は、一般的には通称「稲沢線」と呼ばれる貨物線を走るのですが、この高速貨物列車74列車は旅客線を走りました。稲沢発が1時33分、西浜松着は3時07分で、その間90分以上無停車でした。計算するとこの区間における表定速度は時速75.3㎞程度になり、貨物列車としては俊足でした。ちなみに、この時代153系快速列車は名古屋~豊橋間72.4㎞をきっちり1時間で結んでいました。(表定速度72.4㎞/h)
同じ区間で比較すると、74列車の名古屋通過時刻は1時45分で豊橋通過時刻は2時41分。1時間かかっていないのです。
停車時間も惜しむようなダイヤになっていて、乗務員乗継のために停車する稲沢、西浜松駅ともに、乗継のための最低確保時分として定められた3分間だけの停車でした。この間に後部標識の確認と乗務員同士で引継事項確認、さらに無線機の通話テストと無線機による機関士との変更事項等の確認を行うことになっていました。
この列車は編成両端にコキフを連結した19両編成で、固定編成を組んで東海道本線を行き来していたらしく、中間車両の車票は省略とされ、ほとんどの場合、乗務するコキフは汐留客貨車区の所属車でした。汐留客貨車区のコキフの多くは、振動が激しいコイルばね台車装備車でした。走り出すと、まだ高速にならないうちから上下にゆらゆら揺れだし、その上下動は高速になるとガツンガツンと叩きつけられるような激しいものになりました。豊橋付近では特にひどかったように思います。そういう地盤(土質)が軟弱な地域では線路の保守も大変だったのだろうと想像します。
コキフの話から外れますが、私はそれ以前にも、東海道を戦前製の旧式台車を装備して時速95㎞で走る荷物車マニ60で行き交った経験がありました。このときは大阪~汐留の乗務でしたので、豊橋付近のほかに、沼津付近でも激しい上下振動を感じました。こういう所では、景色が見えない深夜でも「振動」でどの辺を走っているかわかりました。同様に景色を見なくても「臭い」でわかったのが、製紙工場がある島田と富士で、この2ヵ所の近くには大井川と富士川の長い鉄橋もあるので、その「音」でも場所が特定でき、目をつぶっていても走っている場所がわかるのでした。
話を74列車にもどします。
この高速貨物列車の編成をぜひ記録したいと私はかねがね思っていたのですが、途中無停車で、乗り継ぎ駅の稲沢と西浜松ともにわずか3分停車ということでは、機関車を入れると20両もの長大編成の記録を取ることは無理でした。それでも一度だけ挑戦したことがありました。
記録するとしたら、稲沢で列車が到着するときに機関車から順に車両のナンバーを書き取る方法を思いつくわけですが、長い編成なので、最後尾のコキフの停車位置は、12両収容の旅客用ホームよりさらにずっと大阪寄りの暗闇の中でしたから、待機している位置で汚い車体のナンバーを読み取ることは不可能だっただけではなく、列車の進入速度が速すぎて、とても読み取れるものではなく、せいぜい機関車の正面のナンバーを、操車場の照明塔の灯で読み取るのが精いっぱいでした。そうなると、西浜松で乗務終了し、次の列車掛と引継を終えてから、発車までの3分間に前の方へ線間を小走りに移動しながらナンバーを書き取るしか方法がありませんでした。
引継は異状がなければすぐ終わりますが、七つ道具が入った重い鞄を肩にかけた状態で、先頭まで400mほどを引継後の3分未満で走ることは困難と思われましたが、どこまでできるかやってみた結果が以下の表です。
昭和55年6月5日
東海道本線74列車
運転区間 梅田~汐留
乗務区間 稲沢1:33~西浜松3:07
牽引機 EF65 517(吹二)
コキフ 不明 不明
コ キ 不明 不明
コ キ50657 ―(車票なし)
コ キ53002 ―(車票なし)
コ キ51267 ―(車票なし)
コ キ50268 ―(車票なし)
コ キ50083 ―(車票なし)
コ キ51515 ―(車票なし)
コ キ53058 ―(車票なし)
コ キ51244 ―(車票なし)
コ キ50473 ―(車票なし)
コ キ52191 ―(車票なし)
コ キ50602 ―(車票なし)
コ キ53003 ―(車票なし)
コ キ53215 ―(車票なし)
コ キ52898 ―(車票なし)
コ キ52887 ―(車票なし)
コ キ52578 ―(車票なし)
コキフ50043 梅田~汐留(南トメ)
現車19
延長49.0
換算68.1
稲沢で先頭の機関車のナンバーを読み取り、西浜松で乗務終了後、線路脇を前方へ走りながら写し取ったものですが、惜しいことに先頭の2両を確認できないまま発車時刻になり、列車は発車してしまったのでした(T_T)
この日も空気ばね改造のコキフ51000番台には当たりませんでした。





この記事へのコメント
NAO
特急電車と変わらぬ慌ただしいダイヤですね。
先日、家族旅行で久々に京都-福井無停車のサンダーバードに乗りましたが、それでも走行時間は約80分でした。それ以上に止まらない時間が長い貨物列車での揺れとの戦いも大変ですね。
突放職人
113
北恵那デ2
しなの7号
京都~福井間無停車というのも、今時の停まりまくる特急が多い中では出色ですね。乗客にとって、速達化は喜ばしいことですが、鉄道会社にとっても、宣伝効果のほかに、車両運用の効率化が図れ、従業員(乗務員)の勤務時間も削減できていいことずくめです。一方で、乗務員個人にとっては、短い時間内で車内改札や精算・案内業務をこなす必要が出てくるので、業務の密度が濃くなるだけでなく、勤務期間が減った分、他列車にも余計に乗務させられることになり、いいことは何もありません。
ただ、高速貨の場合は乗務中にすべき仕事は特にありませんでしたので、旅客列車のように密度が濃い作業内容になることはなく、深夜の眠気に耐えていればそれでよかったわけです。
しなの7号
貨車の「5ケタナンバー」が減って、「3ケタの形式の後ろにハイフンで結ぶ製造番号」が増えましたが、旧形国電と新性能国電の関係を連想します。
コキフの向きについて、以前にもご質問のコメントがありました。
昭和50年代半ばの7か月間に私が東海道本線の高速貨Bコキフ50000乗務した列車での実態は、、
最後尾の緩急車が逆向きの列車 16例
最後尾の緩急車が正方向の列車 17例
となっており、ほぼ半々ででした。乗務した複数の列車に対し複数回記録した結果ですが、いずれの列車でも向きは特定されていませんでした。
固定編成かどうかについては、「車票省略」という観点から、専用編成的な扱いだった列車が存在していたと言えましょう。コキフのみならず常に編成中のコキ全車が常備駅が指定されている車両ばかりで組成され、かつ車票が省略されている高速貨も存在しました。
しなの7号
私が思うのは、貨物列車の場合、車票の記載内容(行先・積空別・積車の場合は品名)を把握しておかなかったことを後悔しています。実際に「春日井貨物」に乗務する場合などは、仕事として書き写す必要があったのに、それをほぼすべて廃棄して遺していないのです。こういう記録を遺していれば、当時のヤードを介しての貨物輸送の実態が見えてくる資料となり得たはずでした。
しなの7号
碓氷峠鉄道文化むらは、鉄オタとして行ったばかりでなく、中山道歩きでも立ち寄っています。改めてそのEF65 520の写真を見ますと、F形独特の密着自連と、その四隅にある元空気ダメ管とブレーキ管もそのまま健在です。おっしゃるように末期には、こうした特殊設備も宝の持ち腐れ状態だったので、撤去された機関車もあったと記憶しています。P形かと思い込み、実はF形をご覧になっていたということもあろうかと思いますよ。
深夜の勤務ですと、何もすることがないばかりか乗り心地も良いとなれば、確実に寝てしまいますね。
編成の記録をしたのは、自分の場合も一部を除いては乗務列車に限っていました。そういえば高校生のころ、当初通学時に乗った列車番号と車両の記号番号席番を記録していたのですが、それも1年くらいしか続かなかったです。もう今はそんなことはしませんし、特にJR東海線以外の鉄道に乗っても、車両の知識すらないですから、その気にもならないです。
ヒデヨシ
またまた遅レス失礼します
東海道線筋では高速貨BもすべてEF66が牽引しているのかと思っていました。
EF65 500Fが普通貨を牽引してたまに入換列車で入って来たのに当たったことがあります。
連結器に付属している元空気ダメ管が邪魔で自分から遠い反対側のエアー締めコックが回しにくい、エアーホースも切ったり繋いだりしにくいと作業上は嫌な機関車でした。
列車掛さんにとってコキフ50000は大変だったんですね。
同じく列車掛さんは乗務の列車の貨車車番は把握しているのかと思っていました。
引き継ぎに時間的余裕無いこのような列車は始発駅で記入されて交代時に受け渡されるというように
重要ではないからしないのかもしれませんが
しなの7号
EF65 500Fの件は、構内の方ならではの感想ですね。
私が乗務していたころは、解結貨物列車で駅へ到着予報をするために、列車掛が車種や積載品名の拾い出しをすることはありましたが、東海道の列車掛に車番の把握は不必要でした。引き継がれる書類は貨車解結通知書だけで、情報として重要なのは、重量換算と延長換算くらいでした。
風旅記
今日も興味深く拝見させて頂きました。
車掌室が付いていても、貨車は貨車、旅客用の車両とは違っていたのだと思います。夜通し乗っているのは、肉体的には大変なことだったのだろうと想像しています。
一般の私には経験することのできない世界、興味津々ですが、職員の方にしか分からない苦労もあったことと思います。
俊足な貨物列車ですね。在来線を走る列車が普通列車ばかりになりましたが、横を走る貨物列車が他よりも速く走っている、ということがあるのかもしれません。どのようなダイヤで走っているのか、なかなか分かりませんが、鉄道の力を出し切るような貨物列車もあると思えば、興味が湧いてきます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
しなの7号
人が乗る交通機関で、あれだけの振動は今はないと思います。運賃を払って乗っているのではありませんから、少々のことで文句は言いませんが、労働環境としても最低でした。ご承知かもしれませんが、長距離旅客列車がなくなっていく今でも長距離貨物列車は健在で、札幌貨物ターミナルから福岡貨物ターミナルまで2000㎞以上を走る貨物列車が最長列車とされています。ただし貨物列車が残っているのは幹線系統中心になってしまったことに加えて、物流の宿命上、深夜の運転が多いので、一般に知られざる部分が多い分野です。