【495】 模型…その実車の現役時代(5):DD54

DD54は亜幹線用として、三菱重工業と西ドイツのマイバッハ社との技術提携で製造されたディーゼル機関車でした。
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箱型の車体は凸型のDD51を見なれた目には斬新で、正面形状もED72/73やEF66の流れを汲んでいるようなスタイリッシュなデザインとオレンジ色の派手な塗装で外国機のように思えました。また近年の機関車ではJR貨物のEF510が似たスタイルで登場しています。
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先週、特異な軸配置を持った飯田線のED62のことをお話ししましたが、このDD54も同じように中間に1j軸の走軸をもつ軸配置の機関車でした。
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近畿・山陰地方に限定配置されていて、東海地方に住んでいた私には馴染みがない機関車であったにもかかわらず、このような特異なディーゼル機関車であることが私に模型を買わせる要因になりました。

この機関車は不運な機関車でした。大きな故障が続出し、欠陥機関車と呼ばれて一時は特急出雲を牽引していたのに、その任も解かれて早々に廃車されていきました。ですからこの機関車を私が見たことはあまりありません。初めて見たのは開館して間もないころ1972年秋に梅小路蒸気機関車館へ行った時でした。
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人気者C62の横のDD54。新旧の並びなのですが、C62のほうが車籍を復活し、今もここに動態で健在なのに、新しいはずのDD54のほうは、現在の動態車両が1両もありません。
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この斬新な機関車が、地味な旧型客車を牽く姿には違和感を覚えました。
唯一、この機関車が牽く列車に乗ったのは、その翌年1973年末の冬休み、京都発の山陰夜行普通827列車でした。寝台車が連結されていましたが、高校生の分際でもあり、寝台車のすぐ後ろの座席車に乗りました。そのときの印象は、牽き出しのときの衝撃がひどく最悪でした。各駅とも発車のときの大きな衝撃で目が覚めました。エンジン音の記憶はありません。そのとき京都駅発車時に車内放送の録音をしていたのですが、機関車の直後に寝台車が連結されていたので、汽笛の音しか記録されていません。
発車のたびの衝撃で眠られず、ひどい目に遭った一夜が明けて下車したのは倉吉駅でした。目的は倉吉線に残っていたC11混合列車の撮影でしたが、その撮影後に倉吉駅に停車中だった上り貨物列車がDD54の現役時代最後の出会いでした。
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国鉄での活躍の場は多かったとは言えないDD54ですが、1968年の福井国体時に、お召列車牽引をしているとのことです。このときのお召仕様車がNゲージ模型化されていますが、見たことがない1次形であったこともあり購入していません。
まったくくだらない話で恐縮ですが、ヨーロッパ調のこの機関車をユーロライナー色にしてユーロライナーを牽かせたら、角ばった展望車スロフとのデザイン上の調和もよく、DD51より似合うのではないかと思います。

実車は早い引退になってしまいましたが、幸い大阪市内にあった交通科学博物館にDD5433が静態保存されました。この保存機は正面窓枠がHゴム支持になった後期形で、私が現役時代に見た前期形とは印象がかなり違って見えました。
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ここの閉館後の処遇はどのようになるのか知りませんが、この形式唯一の現存機であることと、国鉄機らしからぬ、いわくつきの異色機ですので、きちんと保存してほしいと思います。ここでご披露した梅小路での画像のような出会いが、この先再現されるものと期待しています。

<2021年4月5日追記>
交通科学博物館閉館後、DD5433は京都鉄道博物館に移設されて展示されています。2016年7月に再会の機会がありました。エントランスホールから本館に続く上屋があるプロムナードに展示されており、今後も安泰な人生が送れるようで何よりです。

この記事へのコメント

  • NAO

    しなの7号様、お早うございます。
    実家にいたときと、いま住んでいるところからも、最寄りのJRの線路は山陰線です。子供の頃はよく乗せてもらいましたが、まだ蒸気が健在で、ディーゼル機関車や気動車がやって来たときはがっかりしたものです。DD54牽引の客車列車には何度か乗っている筈なのですが、あまり記憶がありません。唯一鮮明に記憶に残っているのは、並河という無人駅(今はベッドタウン化で2面2線の綺麗な有人駅ですが)に初めて行ったとき、単線の本線にたった1本だけのホームに蛇が這っていて、エライところへ来たなあ、なんて思っていたら、DD54牽引の貨物列車が轟音とともに高速で通過してゆき、列車が見えなくなってもしばらくの間、ジョイント音が聞こえ続けていたことです。
    あと、すでにDD54は引退していましたが山陰夜行も懐かしいです。2回乗ったことがありますが、どちらも寝台券を奮発して乗りました。2回めは鳥取から乗った上りでしたが、次の駅に着かないうちに寝こんでしまい、各駅発着時の衝撃があったにもかかわらず、起きたのは終着京都の2駅手前の二条で、このときは寝台料金の払いごたえがあるなあと思いました。旧型寝台に乗ったのは山陰夜行のみですが、2回めに乗ったときは座席車は12系化されてしまっていました。
    2014年06月19日 07:41
  • 北恵那デ2

    おはようございます。DD54ですか、出発の引き出し時の衝撃もそうでしたが、走行中も変速のたびにガッシャーンと衝撃が来るのに閉口しました。とても眠れるような状態ではなかったですものね。とのかく旧型客車の自動連結器の遊間をうらめしく思ったものですが、ブルトレなどの密着自動連結器であっても似たようなものだったかもしれませんね。DD54のユーロ色は似合いそうですが、仮に模型を入手できたとしても高価な模型を塗り替える勇気はありませんですけど(笑)。
    2014年06月19日 08:04
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。DD54のお写真見せていただきありがとうございます。それに中国勝山と結ばれ、南勝線?となるはずだった倉吉線。残業ながら廃止されましたが、花見を兼ねて倉吉に行くと必ず倉吉線の記念館に立ち寄っています。交通科学博物館にも行きましたが、展示車両が多くてあまり記憶にないのです。お写真を見せていただき専門誌で復習したところです。美人薄命だったのですね涙
    2014年06月19日 08:47
  • なはっ子

    幼少から小学生時代、福知山線近くにおりましたので、この機関車覚えております。当時、列車の運行については詳しい知識がなく、変な機関車だと思っていました。一度、発車するDD54を眺めていたら、機関助手の方が、足を前面に投げ出して発車するのを目撃し、普通列車の乗務員の方は特急とは違うな、と今から思うと子供の偏見(❓)のようなものが芽生えていたことを思い出しました。
    2014年06月19日 08:47
  • C58364

    おはようございます。
    凸型のDD51を見慣れていましたので、ヨーロッパ調デザインのDD54を鉄道誌で見た時は衝撃を受けました。さっそくデザインを真似て自由形のDLをペーパー車体で作っています(笑)。箱型ボディのため作りやすく、実車と違い快調に走ってくれました。
    DD54不具合の最たるものは、本線走行中に推進軸が折れて線路に突き刺さり脱線したケースでしょうか。DL・DCの故障事例集を見て驚きました。西ドイツメーカーとのライセンス契約のため故障原因発見や修理に難航したのが、引退を早めた一因でもあるようですね。故障車が増えて機関車不足になり蒸機を再び使用したとも聞いていました。
    形式番号が同じ”54”をつけたC54とともに不運な機関車と言われていましたね。
    2014年06月19日 09:27
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    山陰本線筋の方ですとDD54の地元ということですが、SLとDD51に挟まれた時期の活躍だっただけに、その関わりは限られていたということですね。
    私の普通山陰夜行乗車は1度きりの経験で、牽引がDD51になってからのことはわかりません。その一度の経験がDD54の印象と同時に普通夜行列車そのものの印象となって残ってしまい離れないでいます。
    2014年06月19日 15:45
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    走行中のショックは変速時にもありましたか。忘れてしまいましたが前後振動があれほどひどかった列車は、乗務で乗った貨物列車と特定の103系電車を除いては最初で最後でした。
    特定の103系電車とは、こちら
          ↓
    【73】乗務した車両:103系電車(2)
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201009article_13.html

    まあ、うちはNゲージですからユーロ塗装にしてもいいのですが、ウチでは模型他の処分実施中の折でもあり、脳内変換で我慢しておきます。
    2014年06月19日 15:46
  • しなの7号

    鉄子おばさん様 こんにちは。
    たしかに美人薄命と言えますね。ドイツ人の血筋?を引いていたばっかりに、よそ者扱いされて嫁入り先でイビられ嫌われもして、かわいそうな一生でした。
    倉吉線ですが、当時C11の混合列車は終点の2つ手前の関金までで、終点の山守まではDC列車しかありませんでしたので関金までしか乗っていません。乗り鉄を意識して当時の時刻表を紐解きますと、山守まで撮り鉄のついでに乗ってこられる行程が組めたのに、当時はそんなことは考えもせず、そのまま倉吉線は全線廃線になってしまい、末端区間だけは永久に乗れなかった区間として残ってしまいました(T_T)
    2014年06月19日 15:48
  • しなの7号

    なはっ子様 
    DD54をご存知でしたか。それは助士さんだったか、あるいは便乗の乗務員だったかもしれませんが「足を前面に投げ出して発車する」とは言語道断!と言いつつも、いかにもありそうな光景として自然に思えるから不思議です。
    機関車は客車と隔離されているから、乗務員はけっこう油断しますね。でも特に子供は機関車を注目していますし、今時は高解像度の映像機材を持った鉄ヲタから、ちゃんと見られて晒されてしまいますので怖い時代ですが、やっぱりその態度はないだろう(-"-)。同じ職員として許せない態度で客室に便乗する国鉄職員を私はよく見かけました。接客している側になってみろと一言言ってやりたいと思ったことは幾度かありました。
    偉そうに言ってますが、緩急車の中でゴロ寝していたのは内緒です^^
    2014年06月19日 15:50
  • しなの7号

    C58364様 こんにちは。
    さっそく模型化されていたとはさすがです。
    ハコ物は模型化しやすいですが、DD54の場合は正面の造形に少しく工夫を要しそうです。
    不思議と国鉄の機関車では54形式は皆短命ですね。DD54クラスの代替にはDE50が量産されてもよかったのではないかと個人的に思いますが、電化までのツナギ的だったDLの宿命に加え貨物輸送の縮小といったことが影響しているのでしょう。
    SLからDLやELへの転換期の国鉄運転現場の状況を察するに、私どもが平成になってから経験したIT革命と呼ばれるコンピュータ・情報機器の急速な発達で、仕事の質が一変してしまいとまどったことと似たようなものだったのではなかろうかと思います。若い人は試行錯誤しながら使い方を習得していく一方で、年寄はわからないものだからついて行けない。そんな中、たとえばメールのbccと㏄もわからず個人情報流出でえらい目に遭ったりしながら、それでも対外的にはどうにか取り繕っていたような時代でした。そんな中ではWindowsとMac OS のどちらがいいか?とか言われても、選択の根拠は、使ってる人が多いWindowsのほうがいいや(使い方も人にすぐ聞けるし…)…くらいなもので、結果としてWindowsが増殖しちゃった的な感じがします。同じように、当時の国鉄ではDD54なんか故障しても誰にも教えてもらえないからDD51のほうがいい(安いし…)といった感覚であったようにも思います。DD54もちゃんと保守して、癖を理解してあげればいい機関車に育っていったかもしれないとも思うのですが、こういうのは単なる思い入れかな…
    2014年06月19日 15:53
  • 北恵那デ2

    こんばんは。全く余談になりますが、Nゲージなので塗り替えてもいいとおっしゃるご意見は分かります。しかし、ユーロライナー色の「ヘロングレー」とかいう色、あるいは似た色のスプレー塗料が無いのです。カトーのEF65あたりなら塗り替えてもいいかなと思うこともありましたので。
    2014年06月19日 19:19
  • 北恵那デ2

    すみません、訂正です。色の名称ですが「ライトブルーイシュグレー」という長たらしい名称の色だそうです。
    2014年06月19日 19:45
  • ★乗り物酔いした元車掌

    ★DD54は、写真でしか見たことがないと思います。
    電気式のディーゼル機関車でしたっけ?
    特異な風貌は、印象に残っています。

    発車時の衝撃で思い出深いのは、
    211系0番台でしょうか。
    とにかく、「ガツン」と衝撃がくるので、
    嫌いでした。
    そう、電車にもかかわらず、
    車掌スイッチに、「カギ」が必要なことも、
    嫌いな理由のひとつでした。
    当時は、「カギ」がいるのは、
    気動車くらいでしたから。
    2014年06月19日 20:07
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    あの青味がかった白(灰色)は難しいですね。時代によっても微妙に色味が違います。模型でもユーロ色の機関車については各社から複数製品が発売されましたが、それぞれ微妙に色が違っています。どれが正解というより好みのような気がします。
    DD54はともかく、中央西線ですと中津川までユーロ色EF65とDD51は入線しているし、お手元に一つユーロ釜はあってもよろしいのではないかと。
    2014年06月19日 20:10
  • しなの7号

    乗り物酔いした元車掌様
    自連のガツンは、もっと強烈でしたねえ。
    カギがある車掌スイッチは、いざというとき中間運転台でドア扱いできるので安心感はありました。DD54は液体式でした。
    2014年06月19日 20:25
  • 北恵那デ2

    こんばんは。何度もすみません。鉄道趣味の方であっても、DD54は、電気式であると言って譲らない方がいて困ったことがありました。液体式ですと車体が凸型でなければならないと思い込んでいらっしゃる方もいらっしゃるようで。DD54だけでなく新幹線の911型も箱型で液体式ですのに。さらにマイナーですが、片ボンネットのDD90は、電気式だったんですよね。ユーロ釜は確かにお手元にあってもいいですので、どなたかが苦労して塗装されたDD51を数年前にヤフオクで激安ゲットしたのですが。相当ボロですがまともに動きます。ナンバーがなつかしの592号機なので良かったです。
    2014年06月19日 22:05
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    おっしゃるような思い込みは、普通にありそうなことです。
    そのくらいセンターキャブ液体式DD51の一族が普及し、箱型DLは電気式DF50以外は国鉄において普及せず、さらにJRのDF200が電気式となれば、大いに惑わされる結果になろうかと考えます。
    ジョイトレ全盛期に奇抜なまでの色や塗り分けを採用した車両がいくつも登場しましたが、そのなかでは、ユーロ色はDD54に限らず、どんな機関車にも馴染むように思います。
    2014年06月20日 06:20
  • やくも3号

    こんばんは。
    1枚目の写真を拝見して思ったのですが、屋根上にZ型(または「く」の字)パンタが載っていても違和感のないスタイルですね。自由形で電機を作ってみたい気がします。
    マイバッハは自動車としてはメルセデスベンツの最上級車種として昨年まで販売されていましたが、販売不振からブランドは廃止されてしまいました。
    2014年06月22日 20:02
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    今でも十分に通用するスタイルですよね。そう思われるのもよくわかります。
    輸入車のことはサッパリわからないのですが、以前、仕事で、輸入自動車を扱う業者さんと関わったことがあって、そこで「マイバッハ」という言葉が出てきたことがあり、それが自動車ブランド名であることを、そのとき初めて知りました。自分の場合はそのとき鉄道車両をイメージしてしまい、自動車とは結びつきませんでした。
    2014年06月22日 20:54

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