先日、旧棺桶レイアウト跡地にスチール棚の一段を利用した模型展示スペースを造ったことをお伝えしたところですが、ここに手持ちの編成モノを並べてみました。
無秩序に車両群を並べるのではなく、何かひとつのテーマを持った展示にしたいと思います。そこで、完成第1回目のテーマは
「国鉄時代に東海道本線を走った列車」
としました。
それでは、第二回目は、この中から機関車牽引時代の2種類の客車特急を…
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EF58牽引青大将客車特急「はと」・C62牽引客車特急「つばめ」
どちらもK社の製品です。
私は両列車とも、リアルで見ることができませんでした。こうして模型で再現することによって、仕事として幾度も往復した東海道本線の伝説の全盛時代をイメージするしかありません。若いころには、見たこともない古い車両を模型で手に入れたいなどとは思いもしなかったのに、国鉄を退職したあとになって、鉄道模型に求めるものが自分の中で、確実に変化してきました。自分が過去に関わった「車両」の姿を形として残したいという意識に対しては、模型として具現化するほかに、写真を撮っておくとか、映像に残しておくとか手段はいくつかありますが、自分が関わった「鉄道」が歩んできた道を思うとき、自分が直接見ることができなかった鉄道が最も華やかだった時代に思いを馳せてみるための鉄道模型という考え方が新たに芽生えていたのでした。
国鉄時代に、いつも関西本線乗務のときに車窓にあった名古屋第一機関区は、今も名古屋車両区として往時の建物のほか、転車台まで残っています。しかしながら、ここに赤ナンバーのC62が所属し、18号機のデフレクタにはツバメのマークが取り付けられていたことをリアルで見ることはできません。乗務員は誇りを持って乗務し、若き庫内手も誇りを持ってそのツバメマークを磨き、いつかはこの「つばめ」を運転したいと思っていたであろう、そんな姿や思いが、模型を見ていると想像されます。
東海道本線が全線電化されると、機関車は電気機関車EF58に代わり、「青大将」と呼ばれる明るい色の列車が走るようになりました。外部色の変更は、煤煙から解放され、鉄道車両の塗装に自由度が生じた結果なのでしょう。しかし模型で見る限り、塗装による軽快さだけでなく、旧型電機と旧型客車の重厚さが同居しているように思えます。重厚さを感じる部位の一つが3軸ボギー台車です。3軸ボギー台車は客車特急のシンボル的存在だった展望車に装備されていました。皇室用の供奉車を外国人観光客用に転用改造した座席車マイ38が青大将編成の増結用に発売されていましたので、それも編成に入れています。この車両も3軸ボギー車で、展望車と隣り合わせで連結しました。模型を見ていると実際の乗り心地と音はどんなものだったのだろうかと考えてしまいます。レイアウトで走行させて「タタタン タタタン」の音を楽しんだことがあります。
展望車には、古いタイプのダブルルーフ車も併用されていましたが、昔のことですから、お召列車に使用される車両同様に特別大切に扱われていたのでしょう。青大将編成を見ると、10系軽量客車も編成に入っていて、新旧さまざまな形態の車両が混在します。青大将時代は長くは続かず、151系特急電車に移行し、過渡期の列車と言えるわけですが、編成単位でなく1両単位の管理だった旧型客車の頂点がこの列車ではなかったかと思います。
この記事へのコメント
NAO
私の記憶が確かなら、の話しですが、東京駅で発車待ちの青大将展望車のすぐ前が、ブルトレ同一塗色ナロ?と混成のカラー写真を見たことがあります。ダイヤ改正前後或いは何かしらの運用の都合で旧客はつかり用が使用されたのでしょうね。1両単位といえば、初代「あさかぜ」もそうだったような。
あと、今ふと思い出しましたが、旧客特急・急行のニレチさんの話題ってあまり無いですね。長距離乗務だったのか何度か交代されていたのか、行路がすごく気になります。
鉄子おばさん
板ばねバス
私はこの青大将を見ると学校の旧校舎を連想してしまいます(笑)木製の窓枠や引戸がこんな色で塗られていました。
C58364
以前に「幼少の頃に青大将を見た」とコメントしましたが、ホームからでしたので展望車の3軸台車が見えなかったのは返す返すも残念でした。
C62特急といえばTVで視た映画「大いなる驀進」を思い出します。東京から長崎に向かう20系ブルートレイン「さくら」を、途中でEF58から交替して牽引したのがC62でした。三國連太郎さん扮する専務車掌さんがはまり役でした。
しなの7号
青大将色マイテ直前のブルトレ色のナロ10ですか。はつかり転用直前には十分にありそうな組み合わせですね。ブルトレ色に統一した「つばめ、はと」もあれば私には違和感なく受け入れられそうな気がします。20系以前の特急は電源は1両単位でしたから、旧形客車の特急はいくつか存在したわけですが、そのなかでも青大将「つばめ、はと」は頂点だと思っています。
「つばめ、はと」のスハニの荷物車乗務員の仕事内容には興味があります。以下まったくの想像ですが、乗客と同じ列車で手荷物を輸送することが理想の姿ですので、当該列車の乗客の手荷物で埋められていることと思います。151系では真似ができないことですから、電車化後は荷物専用列車で別送ということになったのでしょう。
しなの7号
EF58は、旧形電気機関車なのに国鉄分割民営化後も残されてイベントを中心に親しまれました。私も荷物列車乗務時にも日常的にお世話になった機関車です。そのときには、機関車の番号も控えていなかったのですが、かつて青大将色を纏っていたことがある機関車にも当たったのだろうと思っています。
EF5893号機は、廃車後に青大将色が塗装されて大宮総合車両センターに保存されています。非公開ですが、ときどきイベント時に公開されますので見たことがありますが、別形式の機関車のように新鮮に思えました。ちなみに、この93号機は現役時代には青大将色になったことはないそうです。
しなの7号
木造校舎には、こうした塗装をされる例を見かけますね。しかし私が、板ばねバス様のコメントで真っ先に思ったのは、旧北恵那鉄道中津町駅兼本社の2階建木造建屋でした。木造校舎によく似た建物に淡緑色が塗られていましたが、もちろん今はありませんが、画像がアップしてありますのでよろしければどうぞご覧ください。
【182】 北恵那鉄道14:その廃線跡(12)中津町駅
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201107article_2.html
しなの7号
私には、青大将のマイテ実物をご覧になられたというだけでも十分な思いがします。皇室用客車の供奉車も一部に3軸ボギーがあり、お召列車も何回か見たのに、機関車や御料車に目が行ってしまいまして、そのジョイント音に耳をそばだてたり台車をよく見たことがありません。
映画の中に出てくる鉄道は、ストーリーと関係なく貴重な資料ですね。「大いなる驀進」観たいと思います。自分の世代ではC62は呉線か函館本線の機関車との印象が強すぎます。
北恵那デ2
北恵那デ2
しなの7号
さきほど空家の実家から戻りました。
今日はめちゃ暑かったです(+o+)
TMSにそのような解釈があるとは私は知りませんでしたが、そのとおりですなぁ。
今のところは時間はともかく、金と場所が問題です。その問題はNゲージの範囲にとどめ、購入する車種に制限をかけてクリアしたといいたいですが、すでに限界を超えています。
今は、その制限をさらに狭めているところですが、まだ企画展?がいくつかできそうなくらい車両が溜っていますので、ブログで紹介してしばらく展示したら手放すといった運命の車両も出るかもしれません。先週のブログ本文で書きましたがサハネ581が、すでにその候補になっています。
自分の場合、制限をかけまくっていくと、乗務した車両の模型が最後まで残ることになると思います。それにしたって多種にわたるので困りますが…
辰野支線ほたる号のときはスエ78でなくオハニ36だったですよ。スエ78は使用されなくなってからボロボロになって留置されているのを吾妻線羽根尾駅?で見かけたことがありますが、自分が見たのはその1度きりで、走行中の姿を見ることなく解体されてしまったようです。
北恵那デ2
しなの7号
JR東日本のスエ78は、よくイベントに使用されたので、どこかでご覧になられたのでしょう。JR西日本のマイテ49はまだ走行の機会があるかと思いますが、3軸ボギー車2両連続でタタタンタタタンという音を聞くのは、もはや不可能と思われますので、当鉄道では青大将基本セットにない増結用マイ38を加え、それをマイテ58と連続させることによって、模型で音を楽めるようにしています。貨車の場合も3軸ボギーのタキ50000というのがあって、2両配置しています。
その昔、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線に故宮脇俊三氏が乗られた際、2軸ボギーと3軸ボギーの客車が連結されていて、そのときの車内音が文中に「タタタン テタ タン」と表現されています。
しなの7号
コメント書いてから、宮脇俊三氏の文章を見ましたら、「タタタンと鳴るのは肯けるが、なぜテタ タンとなるのかわからない」と書かれていました。ここでフト思い出したのは、北恵那鉄道の560形のジョイント音で、2軸ボギーなのに「タタタン…タタタン」でしたね。なぜそうなるかわからない…
たぶん台車間隔と10mのレール長が関係しているのでしょう。たしか名鉄510形もそうでした。
NAO
複数の乗務員担当だったのか?
後輩がお湯を持ち込んでいたのか?
お茶菓子タイムがあったのか?
先輩に、ぬるくて飲めん、と言われたりしたのか?
おかずが少ないレチ弁だったのか?
特別急行!の乗客の手荷物をテーブル替わりにしたのか?
貴ブログを読ませていただくと、青大将の客室内より荷物室内の光景を想像してしまいます。
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は宮脇俊三氏の文章を読んでから私も行きましたが、ジョイント音のことは忘れて乗っておりました。今、記事を読んで、ア、しまった!と思い出しております。
あと、これも最近知ったのですが、もっと前に観た映画、皇帝のいない八月のロケ地であったこと、撮影用14系寝台車の張りぼては三軸台車を履いていたことなど、そんなことも知らずに行った場所でした。
北恵那デ2
しなの7号
いやぁ、しっかり拙ブログをご覧いただいていることがわかります。あらためて御礼申し上げます。
スハニ35は、そのほかのスハニよりも荷室も乗務員室も小さいです。途中停車駅も少ないですから、1人乗務だったような気がします。さらに荷室が小さいブルトレのマニやカニの場合は1人乗務か無人の締切だったようですし。そうするとお湯もお茶菓子もなしか?。時代がかなり遡りますから乗組基準も異なるでしょうし、そのへんの実態は謎ですねえ。
大夕張の客車に乗られたことがおありでしたか。私は夕張へのJRキハ40の車内から思いを馳せるだけでした。映画のロケにも使用されていたのですね。存じませんでした。
しなの7号
ジョイントミュージック?は、眠れない夜の睡眠導入効果絶大です。以前、眠れない夜には北恵那鉄道の車内録音によくお世話になりました。SLの走行音は、汽笛の音が入ると覚醒しますのでダメです。
アダチのキットを組めるような自信がありませんでしたしお金もないので、手を出そうとも思いませんでしたが、貨車キット群には魅力があると思います。
東海のどら猫
しなの7号
スッキリした東海道形に赤ナンバー。名古屋機関区の1台として誇りをもって乗務されたであろう方々の気持ちを感じる1台。