【516】 臨時列車の乗務(28):EF65123牽引「ゆうゆうサロン岡山」

「ゆうゆうサロン岡山」は1985年(昭和60年)11月に12系座席車からの改造によって誕生した欧風客車でした。
私が乗務したのはその翌年の2月でしたから、改造後まだ日が浅いうちに乗務する機会を得たのでした。ですから、実車を見たこともない状態での乗務でした。
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そのときの編成は以下のとおりです。

1986年(昭和61年)2月10日
東海道本線 9402列車

EF65 123(岡) 2/9臨A2382
6.スロフ12 704 岡オカ
5.オ ロ12 710 岡オカ
4.オ ロ12 709 岡オカ
3.オ ロ12 708 岡オカ
2.オ ロ12 707 岡オカ
1.スロフ12 703 岡オカ

(岡臨513)伊勢初詣の旅(162名)
運転区間(新見)大阪~豊橋(豊橋~高塚回送)
乗務区間 名古屋5:30~豊橋~高塚7:37

折返し 回9445列車
機関車同じ・編成同じ(逆編成)
乗務区間 高塚11:54~名古屋13:54

乗務した2月の名古屋駅では、日の出まで1時間以上もあって、まだ暗い早朝5時17分。0番線に初めて見るジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」が入線してきました。専用機として客車と同じ色に塗り替えられたEF65 123号機が先頭でした。身近なジョイフルトレインだった「ユーロライナー」が、せっかくEF64 66号機を専用塗色に塗り替え用意されていたのに、実際の「ユーロライナー」運用にはなかなか使用されなかった時期でもあり、暗いホームで待っていて、ヘッドマークを掲げた茶色の車体が見えたときは、専用機と客車との一体感に感動した一瞬でした。列車は夜行ではるばる伯備線の新見から来た団体列車でしたので、まだ車内は静まり返っているようでしたが、こうした団体列車では、お客さんのことは添乗員に任せておけばいいので、車内の様子も特に気にすることもありません。ここまで乗務してきた車掌から暖房の状態を簡単に引継を受けたたけで尾灯の点灯を確認し、携帯している乗務員無線機で機関士と通話試験と運転関係の変更事項がないことの確認をして、5時30分に発車しました。

乗務員室にいる分には普通の12系と全く変わりありません。違うのは妻面にあるべき窓がないことくらいでしょうか。お客さんは豊橋で全員下車され、そのあと列車は回送扱になりました。団体名が「伊勢初詣の旅」となっていましたので、団体さんが豊橋で下車されたということは、ここからバスで伊良湖へ出て、フェリーに乗換え鳥羽泊まりという行程だったのかもしれません。こうした旅程も車掌には全く関係がなく、それを知らされることはありませんでした。
豊橋までに、蒲郡で9分停車しましたが、これは後続の4列車ブルートレイン「はやぶさ」の待避のための停車でした。このころには夜も明けて、下車準備でお客さんがざわついてきます。
豊橋6時47分着。客扱いの後、ドアを閉めてしまえば、回送中の客車の中は無人になりました。「サロンカーなにわ」乗務のとき(【166】臨時列車の乗務(7):EF58牽引「サロンカーなにわ」後篇)には回送区間内も車内販売員等の乗車がありましたが、この列車ではそういうことはありませんでした。
列車の終点である高塚まで回送運転中に、鷲津で11分停車。ここでも後続の6列車ブルートレイン「みずほ」の待避でした。

ところで、乗客は豊橋ですべて下車したのに高塚まで回送する理由ですが、これは車両の留置場所が豊橋駅にないためだと思われました。高塚駅には上下本線の間に中線があり、ここはよく臨時列車の折り返しによく使われる駅だったのです。その高塚着時刻は7時37分で、いったん乗務は終了となりました。この編成は折返し11時54分発 回9445列車として運転されることなっており、発車時刻までかなりの時間がありました。留置扱いになるので、スロフの電源エンジンは停止させ、最後尾スロフの手ブレーキを緊締しました。機関車の方では、機関士がパンタグラフを下げて手歯止めを使用して転動防止をしました。
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その機関士氏、「米原で乗り継いだとき、あれっ?EF81じゃないか?ってびっくりしたわ」と言って、便乗で所属区へ戻って行きました。なるほど、暗い未明のホームで、専用色の存在を知らなければ、そう思っても無理はないだろうと思いました。

さて、車掌の方はと言いますと、そのまま車掌区へ便乗で帰ることができず、この編成の折り返し回送列車に乗務することになっていました。機回しの入換作業が始まる11時過ぎまでは拘束されてはいるものの勤務時間ではありません。何もすることがないばかりか、高塚駅は中間駅なので乗務員の乗継詰所の設備さえありませんでしたので、駅で居候を決め込むか、適当な喫茶店を探してそこで時間をつぶすしかありませんでした。私の場合は言うまでもなく?、そのどちらも選択せず、留置中の「ゆうゆうサロン岡山」の中で過ごすことにしたのでした。車内で過ごすとしても、時期は真冬の朝です。走行中は暖房が入っていたのですが、電源エンジンを切りましたので暖房は入りません。もちろん自分で電源エンジンを始動して暖房を入れることは物理的には可能ですが、乗継詰所代わりに勝手に使用している客車の燃料を個人的に使用するわけにはいきません。幸いに天気は良くて、展望室はガラス張りなのでサンルームのように陽が入りました。固定窓の車内は極端に冷えることはなく、コートを羽織っていればなんとか過ごせました。このときの「ゆうゆうサロン岡山」は、展望車のテールサインと車側の行先表示字幕は「ゆうゆうサロン高梁」と表示されていました。
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「ゆうゆうサロン岡山」以外に何種類か、こういう字幕が用意されているようでした。一般には回送になった時点で「回送」字幕を出すべきでしたが、車掌室にある字幕制御盤には、回送時にも「ゆうゆうサロン」を出しておくよう注意書きがありました。これは一般客への宣伝効果を考えてのことだったのでしょう。

お客さんが一夜を明かした後なので、きれいとは言えない車内でしたが、座席は2人席と1人席が交互に配置されていて、45度の角度ごとにロックできる構造になっていました。
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そんな設備を触ったり、通り過ぎる列車を見たりして過ごしました。
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このような状態でしたので、今回掲載した画像はすべて乗務当日に撮影したものです。

この記事へのコメント

  • 黄色い車掌

    ゆうゆうサロンの茶色に金線の塗装は今のE653系「なごみ」を彷彿させますね。
    専用機のEF65も確かに暗い中で見るとEF81に見えなくないですね(^^)/

    確かに回送列車でもジョイフルトレインは名称を出したままですね。回送となってるよりかはより誇らしげに感じます。
    2014年09月01日 06:58
  • NAO

    しなの7号様
    おはようございます。久しぶりの国鉄乗務ネタが聞けて楽しいです。
    すごく長い待機時間ですね。喫茶店があっても一軒のお店でもつものかわかりませんが、貴ブログを拝見しておりますと、ときどき喫茶点のお話しが出てきて、激務のなかのひとときのようなものを感じます。
    学生時代に、大きな駅のレストランで永くアルバイトをしていたのですが、勤務明けの方々なのかわかりませんが、朝によく国鉄職員さんに利用してもらっておりました。たまに盛夏服のカレチさんが来られたときなんか、他の職員さんが、専務さん、どうぞどうぞ、と手招きで席を勧めておられたのを覚えています。
    今だったらコンプライアンスの観点から制服での一般のお店利用はなかなか難しいと思いますが、あの頃は全国的にみると国鉄職員さんの飲食業界その他への経済的貢献度が大きかったのでしょうね。今さらで恐縮ですが、厚く御礼申し上げます。
    2014年09月01日 07:42
  • しなの7号

    黄色い車掌様
    おはようございます。「ゆうゆうサロン岡山」は、おっしゃるようにお召列車でも使えそうな落着きと風格がある外部塗色でしたね。
    当時はジョイトレ専用塗色機が珍しい時期でしたので、機関士の言にも納得です。
    従来の国鉄だと字幕は団体列車は「回送」でなくても「団体」「団体専用」という味気ない字幕が一般的でした。
    2014年09月01日 09:51
  • しなの7号

    NAO様
    おはようございます。乗務員の宿命は、出先での勤務時間にならない拘束時間があることです。もちろん深夜にかかる乗務や長距離乗務ですと、休養時間を入れる必要が出てきますが、特にこうした臨時列車だと効率の良い乗務員行路の作成は難しく無駄な時間ができがちです。必然的に食事や喫茶店で過ごす時間が生まれ、私が就職したころには、パチンコ・映画鑑賞などなどで時間つぶしをすることさえあり、旅費は給料とは別に支給されていたものの、まるで金を使うために乗務しているような人もおられました。そういう実態を鑑みれば経済的貢献度が大きかったとも言えますね(^◇^)

    出先で街へ出るときには、貸与品とは別に自前で入手した紺系のウインドブレーカーを羽織って制服を隠すか、制服を脱ぐかどちらかでした。盛夏は半袖開襟シャツのままで何者かは判りませんでしたので、そのまま街へ出ていましたが、大阪の飲み屋で貸与されていた水色の開襟シャツを見て「水道屋さん?」と言われたことがありました。
    2014年09月01日 10:04
  • なはっ子

    臨時列車の旅の楽しみには格別なものがありますね。

    小生にとっては、小学校6年の日光行き修学旅行では153系だったことを思い出しました。非冷房の窓からはしゃいで顔を出したところ、雨が降っているわけでもないのに顔に水滴があたり、友達に大騒ぎして報告していました。もちろんそれはト●レ流し管からの排水なのでした・・・
    2014年09月01日 12:49
  • しなの7号

    なはっ子様 
    小学校の修学旅行、私どもの場合はあいにく貸切バスでした。でもそのころ列車に乗ると、走行中に洗面所の洗面器に水をいっぱい溜めて一気に流すといった遊び?は、何度かした覚えがあります。それはトイレの水じゃないのでまあ許されるでしょうが、白いシャツの袖が窓側だけ黄ばんだという話は聞いたことがあります。
    2014年09月01日 16:02
  • やくも3号

    こんにちは。
    そういえば20年ほど前、夏休みに母の実家の新見に帰省した際、祖母に連れられて郵政主催の阿波踊り見学ツアーに参加しました。
    新見始発のジョイフルトレインで徳島まで直通でしたが、車両がこれであったかどうか、記憶にありません。
    引率の郵便局長さんのカラオケが猛烈にうるさかったのは覚えてますが、機関車がEF64だったか四国直通のDD51だったかも全く思い出せません。。。
    2014年09月01日 16:52
  • しなの7号

    やくも3号様 こんにちは。
    始発地が新見のジョイフルトレインですと、この車両だった可能性が高いですね。団体列車では貸切ならではの雰囲気がありますし、そういう旅行形態は今ではあまり好まれないでしょうけれど、この車両はユーロライナーのような個室車がないので、一般客扱としても売りやすく使いやすい車両だっただろうと思います。
    2014年09月01日 17:46
  • 北恵那デ2

    おはようございます。私は、ゆうゆうサロンはおろか地元のユーロライナーやユーロピアさえ現物を見たことがあっただろうか疑問ですが。考えてみれば、なぜユーロ色の機関車が牽かないのだと思ったことがありましたので、たぶん1回は撮影していたかもしれません。みやびは転落事故の前に撮影した記憶ですが。ところで、空車になったジョイフルトレインでリラックスなんてうらやましいですね。
    2014年09月02日 08:09
  • ★乗り物酔いした元車掌

    ★久しぶりのコメントで、申し訳ございません。
    ただ、毎回、必ず拝読させていただいてます。

    同じ「クラ」にいましたが、
    着任したばかりの「田舎の新米車掌」
    そういったジョイフルトレインは、
    乗務の時に眺めるくらいでした。

    朝、1番、2番くらいの上りに乗務すると、
    あちらこちらで、ブルトレに追い越される。
    懐かしい風景です。
    「さくら」に抜かれる乗務の時、
    「特急が先に行くなら、なぜ、案内しない!」と、
    お叱りを受けたことがあります。

    「ブルトレに乗るくらいなら、
    新幹線の方が安くて早い」
    そう、ご説明をしたのですが、
    ご納得いただけませんでした。

    「使わなくても、寝台料金がいりますよ」
    コレがわかっていただけなかったみたいです。
    懐かしいです。
    その寝台特急も、東海道スジでは、
    ほぼ、全滅ですものね。
    2014年09月02日 21:25
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    国鉄末期、中央西線でも信州方面への団臨が多く運転されていまして、私は「ゆうゆうサロン岡山」も複数回見ていますが、私が見た列車もユーロ釜ではありませんでした。他局の団臨と地元の機関車の組み合わせは面白いものですが、運転日や時刻を捕捉すること自体が難しいですね。
    乗務の折り返し列車内でリラックスできればいいのですが、実はこのときはそうでもありませんでした。そのことは来週書くことにします。
    2014年09月02日 23:31
  • しなの7号

    乗り物酔いした元車掌様 
    61.11ダイヤ改正で列車無線の整備されたことによって車掌省略列車が激増しましたので、臨時列車乗務のチャンスは激減しましたね。東海道本線では普通列車がコンテナ貨物列車に抜かれるケースで、お客さんから嫌味をいわれました。
    国鉄の「特別急行列車」を名鉄特急あたりと同格に考えているお客さんはけっこう多かったのではないでしょうか。もっともエル特急なるものが登場したあたりから、国鉄でも特急という種別には役不足の列車が増えました。本来の特急らしい特急は、在来線でどれだけあることでしょう。
    2014年09月02日 23:31
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。「ゆうゆうサロン岡山」の話題並びにお写真をありがとうございます。記憶は曖昧ですが、平成6年にそれらしきを伯備線内で「やくも」乗車中に見ました。隣席の女性の方と「この電車の型じゃないとカーブの連続区間は速く走れんのよ。豪華列車でもやくもの真似はできん」なんて負け惜しみとも捉えられる話題で盛り上がったのははっきり覚えております。
    2014年09月03日 20:07
  • しなの7号

    鉄子おばさん様 こんばんは。
    ご覧になった前後に、この編成は白基調に明るい色を配した外部色にリニューアルされていますが、個人的には国鉄時代のこの塗色のほうが断然好きです。

    国鉄末期に、381系しなの5号が9:00に名古屋を出た直後9:02発の「ユーロライナー赤倉」(運転日によっては「赤倉」)という臨時客車列車がありました。この列車は名古屋を約1時間後の10:00に出る「しなの7号」より停車駅が少ないながらも、長野に着く時刻は「しなの7号」到着のわずか6分前でした。機関車牽引の臨時客車列車と381系電車では速度の点では比較になりませんね。
    2014年09月03日 21:11

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