【519】 スチール棚の企画展2:統一感がない列車たち(後篇)

部屋に置いたスチール棚のうち、一段分を利用したスペースを使って、何かひとつのテーマを持って模型を展示しています。
第2回目のテーマは「統一感がない列車たち」としました。

第1回目では「国鉄時代に東海道本線を走った列車」というテーマで展示し、これを5回に分けてご紹介しました。その際に「模型のいいところは本物と違って理想の形にして楽しめるところだけれど、客車編成の場合12系に旧型のグリーン車や郵便車を連結したり、普通列車の気動車の凸凹編成の再現も楽しいぞ」というご意見を頂きました。おっしゃるように実際には車両の向きとか塗色が不揃いであることも多く、そんな趣味的に楽しい凸凹編成を作って集結させてみました。今回はその後篇です。
例によって所有車両には限りがあるので、苦しい場面も出ますがサラッと流してください(^◇^)

前篇でご紹介できなかった列車たちです。
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下の方には先週ご紹介したきたぐに編成とJR東海313系編成も見えますが、一番手前には、そのJR東海313系の親戚ともいえる愛知環状鉄道2000系がいます。愛・地球博の観客輸送に大活躍してから、もうすぐ10年になろうとしていますが、この車両も近年は新色の青白帯に貼りかえられつつあります。その新色と旧色との連結列車は時折見かけます。
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次に、右上の方を見ていきましょう。
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画面上の方から順に
スハニ32+ナハフ11+スハフ32+オハ61+オハ35+オハフ61。牽引機は画像に収まりませんでしたが、意味もなくC55です。
その次の段には今時の中央西線をイメージしたタンクトレイン9両編成
以下、国鉄高山本線をイメージしたキハ35+キハユニ26+キハ26+キハ17+キハ58
中央西線の103系10両編成(国鉄スカイブルー+JR東海色)
国鉄時代の東海道・中央西線快速153系×4+159系×4
と、なっています。

蒸機牽引の客車列車は、特定の線区や列車をモデルにしていませんが、見たことがある類似のパターンから組成しました。荷物室が客室を分断してしまう向きで連結され、本来は急行用であったナハフ11が紛れ込み、中間の「ハ」の代用で組み入れられた緩急車スハフ32が窓幅の統一感を乱し、オハ35は丸妻戦前型のくせに青い近代化改造車。どん尻のオハフ61は逆向き。
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石油専用貨物列車は、近年日本石油輸送のグリーンと灰色に塗り分けられたタンク車と、日本オイルターミナルのブルーにほとんど統一されましたが、ときには黒いのが混入します。
牽引するのは愛知機関区のEF641000の重連ですが、広島更新色と大宮更新色のコンビとして、2両を前後逆向きにしてみました。
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その下、キハ35を先頭にした気動車列車は、中間に挟まったキハユニがアクセント。そのあと急行色のキハ26が続きます。
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その編成をさらに追っていくと、車体が一回り細身の古いキハ17が目立ちます。
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キハ26は先週登場させた1段窓キハ55(4次車)とは異なり、ここはバス窓と呼ばれる上段Hゴム固定の1次形を抜擢し、キハ17とは塗色が違えどバス窓の側窓だけは共通点とさせてみました。そして最後尾は急行形キハ58冷房車が混入。冷房電源が自車にはありませんから、冷房稼働できない編成です。

その下、JR東海の103系は分割民営化後に少しずつJR東海色に塗り替えられていきました。その過渡期の再現で、これは通勤でよく利用しました。
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国鉄時代、時折見られたのが153系の快速編成に紛れ込んだ159系でした。153系編成も今回アップした画像にはありませんが、先頭は高運転台の500番台にして、中間の159系との連結面を低運転台の0番代にしています。(先週アップした画像には先頭500番台が小さく写っています。)
その下は、381系しなの編成です。国鉄分割民営化後に従来の9両基本編成は6両基本編成に減車されました。サロと一部のクハからクロへの改造が進んだ結果、中間にクハやクロが入る編成ができ、多客時には9.10.12両に臨機応変に増結された編成が見られるようになり、中間にクハやクロが組み込まれた列車が見られるようになりました。
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スハネ16と組んでいる12系は、先週ご覧いただいた「きたぐに」編成です。夜行の「ちくま」などは、これの発展ともいえる20系寝台車と12系との異色の列車がありましたが、スペースの都合もあり、別の機会を設けて展示したいと考えています。

この記事へのコメント

  • 北恵那デ2

    こんばんは。実際に有った凸凹編成もいいものだというコメントをした張本人から何か書かなくてはと思いまして(笑)。まずはこの客車列車の凸凹ぶりには恐れ入ったというところです。スハニの貫通ドアを使って隣の車輌に行かれない向きというのに私はお目にかかった記憶はありませんが、関西本線に撮影に行った時にディーゼルカーで同様の目に合ったような気がします。また模型ですと、客貨車などの車掌室側のテールライトしか点灯しないものも多々ありますので、マニアックな編成ができなかったりします。そろそろ方向転回できないオハネフ25 100番台の正規ではない方を最後尾にした付属編成あたりが出てきたりしないかと思っていたりしますが(笑)。
    2014年09月11日 22:50
  • NAO

    しなの7号様 おはようございます。
    いろんな車両のお写真を拝見してみますと、実車に乗ったことがない旅客車両は155・159系と愛知環状鉄道車両です。
    修旅塗装の車両は中学生のときに地元中心駅へ行ったとき、当時、名古屋-京都間を走っていた臨時快速「近江路」に充当されているのを見たのが最初で最後です。
    また乗れると思ってチラ見で終わらせてしまい、翌シーズンに「近江路」に乗りに行ったら113系運用に変更されていてガッカリでした。初乗り切符で乗り越し精算をしたところ、名古屋車掌区の車補が発行され、長距離電車の貫禄は感じましたが。
    愛・地球博は同業他社の集まりの研修旅行で訪問しましたが、全てバス移動、愛環やリニモには乗れずじまいでした。近辺の宿泊施設の確保が難しいのかツアー代金確保なのか、高山泊まりの行程で、夕食後の自由時間に抜け出して乗り鉄、というワケにはゆかず、結局は街中の夜のお店でのおつきあいに合流しました。
    2014年09月12日 07:01
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    企画案提供者様から直々のコメントありがとうございました。こうして並べてみますと、国鉄客車と気動車は編成の自由度が高く、これに近い編成が限定的一時的でなく普遍的にあったこともあり、模型で再現するに当たっては、もっともおもしろいという気がします。

    私の実家最寄駅は中間駅でしたので、入換作業の実態を見ることが少なかった代わり、買物とか遊びとかで中央西線の列車を利用する機会が多くあり、小学生時代には逆向きで隔離された「ハニ」の客室は好んで利用していました。

    14系ではないですが、変な例としてJR九州の12系では中間車オハ12の便洗面所を車掌室に改造した車両があって、この場合は平妻が編成端に来ます。監視窓と尾灯はあって緩急車っぽいのですが、形式はオハフとならずオハのまま番台区分だけで区別されていました。実態を知らないうちに廃車になってしまいました。
    2014年09月12日 09:38
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    中学生の時にカメラを買ってもらった翌月、初めて飯田線に出かけた帰路の名古屋駅で、快速近江路の到着直後の写真を撮りましたが、その時は153系でした。159系もこうした臨時列車にはよく使用される機会がありましたね。

    愛知環状鉄道は、国鉄退職後に通勤で万博開催期間を含む計8年間通勤で使いました。この2000系もおなじみなのでわが家の模型鉄道にも入線させています。万博期間中は大いに混み合い通勤にも支障が出ましたが、半分お楽しみがありまして、それは愛環線内の応援でたまに運用されたJR東海113系に乗ったり、211系エキスポライナーに乗ってふだんは各駅停車ばかりの同鉄道各駅の通過体験ができたことでした。
    2014年09月12日 09:39
  • なはっ子

    小学生の頃夏休みに親の実家に帰省した折に、こうしたちぐはぐ編成の気動車がホームに入ってきたりすると、小生の親や親戚は一様に「田舎だからねえ」とか「赤字の国鉄だからねえ」などと、否定的なことばかり言っていました。小生は子供心に、「こうしたところに魅力があるんだ」と内心思い始めていました。国鉄ファンになったことを機に「少し変わった子供」に成長していったわが身のありようを思い出しながら、力作を興味深く拝見させていただきました。
    2014年09月12日 11:50
  • ヒデヨシ

    旧客編成は近代化の証
    青色(近代化されてなくて手違いで青色だったのも多数あったようです)と茶色がまざっていたのがやっぱ好きです。
    動体保存車は茶色でまとまっていますが

    高山本線でキユニが中間に入っていた普通列車のそれを通り抜けた事があります。
    2014年09月12日 12:35
  • しなの7号

    なはっ子様 こんにちは。
    「少し変わった元国鉄職員」の小学生時代には中央西線は非電化で、こうした客車や気動車を見たり、時には乗ったりして喜んでいる変わった子供でした。どの車両に乗ってやろうという楽しみは、今以上にありましたね。
    2014年09月12日 13:42
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんにちは。
    青い客車に乗ったらニス塗り内装だったりしたことがありましたし、名古屋区のオハニ36は茶色なのに室内は近代化改造車だったりしました。
    キユニの通り抜けですか。間合い普通運用のグリーン車には「ハ代用」と「通路扱」がありましたが、キユニの通路扱?は私は聞いたことがありませんが、事実上通路扱ということになりますね。
    2014年09月12日 13:42
  • ★乗り物酔いし元車掌

    ★子供の頃は、
    いつか、部屋いっぱいにレイアウトを、
    そんな夢を持ってました。
    実際、寮にいるときに、
    狭い机の上で
    簡単なレイアウトを画策し始めましたが
    HOでは限界もあり、おまけに
    転勤に伴い退寮、実家へ。

    少しずつ、お小遣いを貯めて買った、
    レールや貨車、機関車は、
    そのうち、押し入れの中、

    実家の処分を始めたときに、
    「再会」しました。
    今は、レイアウトをするような場所もないし、
    作っていたメーカーもなくなりました。

    かといって、処分するのも忍びなく、
    お気に入りや、思い入れのある車両を数両と、
    ディーゼル機関車を、
    数本の直線レールとともに持ち帰り、
    自宅の机や、職場の机の片隅に
    飾ってあります。
    2014年09月13日 09:08
  • 中央西線

    中央線の気動車雑多編成は赤倉信越線不通時に間合い用の編成が足りないので名ミオ寄せ集めが記憶にあります。159系は末期に一部前面修学旅行色塗り分けそのままに湘南色に塗り替えられ異彩を放っていました。木曽路は6連。103系は転属時ウグイス色の混色が見られました。
    2014年09月13日 13:42
  • しなの7号

    乗り物酔いした元車掌様
    私は、鉄道模型とは本物の列車乗っていた国鉄在職中には中断していたものの、けっこう長いです。その間に模型事情は大きく変わり、性能や製造技術が格段に進歩しました。自分が求める対象も変わりました。モノ減らしの一環として旧製品を中心にかなり売却しましたし、今後も相対的に縮小傾向が続きますが、模型いじりは今後もたぶん続きます。
    2014年09月13日 18:09
  • しなの7号

    中央西線様
    赤倉号が折り返し運転になった期間中キハ55が入りましたね。
    不思議な塗り分けで、ちょっとマイナーな存在のクハ159湘南色はなんと模型製品化されています。いずれ機会があればブログで登場させましょう。
    手持ちのスカイブルー103系はJR東海マーク付なので相棒はJR東海色しか組めません。ウグイス色もかつて所有していましたが、自分でスカイブルーに改装後廃棄したという事情があり再現不可能です(^_^;)
    中央西線の103系では、そのほかに豊田電車区からの橙色との混色もありましたね。
    【74】乗務した車両:103系電車(3)
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201009article_14.html
    ウグイス色との混色はこちらでアップしました。
    【71】乗務した車両:103系電車(1)
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201009article_11.html
    2014年09月13日 18:42

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