長らく「臨時列車の乗務」シリーズを続けてまいりました。これまでで30回。乗務列車を完全網羅できていませんが、それでも乗務したほとんどの種類の臨時列車についてご紹介できたので、臨時列車については今後も断片的に書く機会もあろうかと思いますが、シリーズとしての展開は今回で終了とします。
これまでの内容は、昭和59~61年までの専務車掌時代の約2年間のことでした。
私が最後に乗務した臨時列車は1986年10月23日の関西本線の9230列車で、その車両は地元のジョイフルトレインであるユーロライナーでした。
(画像は中央西線での別の列車で、乗務当日のものではありません。)
ユーロライナーについては、すでに何回もブログ記事で取り上げましたので、あえて今回は詳細を記しませんが、このときは「加佐登駅旅行友の会」180名様の旅行帰路の列車で、加佐登・河原田・四日市・桑名とお帰りの方々を降ろしたあとは、名古屋まで回送扱となる列車でした。
この列車に乗務したのは、翌月に国鉄最後のダイヤ改正(61.11)を控えていた時期で、このダイヤ改正によって事実上分割民営化へ移行する体制が完了したのでした。
このときのダイヤ改正を機に仕事上の取扱方が大きく変わり、運転取扱も一変しました。例えばEB装置を装備した回送列車等の場合、複線区間で列車防護無線を装備し列車無線等による連絡網が整備されていれば、車掌の乗務が原則省略されることになったのでした。
具体的に乗務していた範囲で車掌省略列車の該当になったのは、381系しなの編成の回送、485、489系の7両しらさぎ編成の回送、臨時に運転する回送客車列車、試運転列車、工事列車、配給列車とされました。これで臨時乗務の機会が格段に減ったのですが、私の場合はそのあと予備勤務の機会がなく、退職までの半年足らずの間は、定期列車ばかりに乗務していたのでした。
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今回の臨時列車の乗務シリーズの最後にあたっては、これまで取り上げなかった臨時貨物列車の編成をご覧に入れようと思います。このユーロライナー乗務から遡ること6年、列車掛時代に1度だけ乗務した列車でした。
1980年(昭和55年)11月25日
東海道本線 8852列車
EF66 54(関) [発駅 着駅]
ワラ 8987 小城 田端操
ワラ 5715 小城 田端操
ワラ 7072 小城 田端操
ハワム286803 多久 田端操
ワラ 12527 多久 田端操
ワム 64819 多久 田端操
ワラ 9503 多久 田端操
ハワム282986 多久 田端操
ワラ 9819 多久 田端操
ワム 62272 多久 田端操
ワラ 9776 多久 田端操
ワム 63512 相知 田端操
ワラ 12298 上伊万里 田端操
ワラ 12351 上伊万里 田端操
ワラ 6929 上伊万里 田端操
ワム 66550 西唐津 田端操
ワラ 13291 西唐津 田端操
ワラ 5490 西唐津 田端操
ヨ 13588 (大スイ 車票なし)
(現車19/延長現車19.4 換算44.6)
編成確認場所 稲沢駅
乗務区間 稲沢~西浜松
(画像は牽引機がEF66ではなくEF65牽引の別列車ですが、ワムワラを連ねた類似の列車として掲載しました。)
国鉄時代、まだ10000系高速貨車が健在のころ、東海道本線でワムワラで組成された臨時列車を牽くEF66の姿がそこにありました。この列車は佐賀県内の筑肥線と唐津線内駅発で首都圏へ向かう臨時貨物列車で、この時期の積荷は全部みかんでした。収穫期にはこうしたワムワラ編成の臨時列車が仕立てられていたのです。高速貨物用のEF66が牽引するべき列車ではなく、私自身、コンテナ列車以外でEF66牽引列車に乗務したのもこれが最初で最後でしたが、この時期、すでに一部のEF66は、広島機関区へ転属して不本意ともいえる高速貨物以外の仕業についていました。(画像は高速貨Bコキ50000系を牽くEF66です。)
この時の列車ダイヤを見ますと、この列車が稲沢を未明の3時台に発車したあと、笠寺から先は30分以上も上り列車の設定がなく、その次の列車は高速貨A コキ10000系の52列車でした。こちらはEF66限定で時速100㎞で走る列車で、これこそが本来EF66が牽くべき貨物列車なのでした。これだけの時隔があっても最高時速75㎞の8852列車が西浜松まで逃げ切ることができず、直前の舞阪駅で同僚のEF66が牽く52列車とその後を追ってくる10列車あさかぜ4号にまとめて抜かれるダイヤになっていました。余談になりますので、ダイヤの画像掲載はしませんが、時速100㎞の52列車も、時速110㎞の10列車あさかぜ4号に東静岡で抜かれています。このころの九州ブルトレは、まだEF66が牽いておらず、EF65PFが牽引していた時代で、ご承知のようにその後1985年にEF66に置き換えられています。この牽引機交代時から、九州ブルトレならぬ九州ブラックトレイン?8852列車でワムワラをゴロゴロ牽いたEF6654も九州ブルトレ牽引機の一員になり、私は偶然にも国鉄末期に、EF6654が特急「はやぶさ」牽引している姿を撮影しています。
EF6654は、分割民営化後も引き続いてJR西日本に所属し、貨物用として誕生したことなど忘れられたかのようにブルトレ牽引機を続けていました。しかし長い年月の間にはいろんな出来事があるものです。EF6654はブルトレ削減の影響で、その後JR貨物に売却され、再び貨物機として活躍をはじめたのでした。そして、国鉄時代には考えもしなかったEF66の地元中央西線への仕業ができたことが幸いして、2011年8月22日に春日井貨物のワムを牽くEF6654に地元で再会する機会を得たのでした。(画像は「【263】春日井貨物の牽引機関車たち」の再掲画像)
このときは、EF6654はJR貨物更新色に変わり、ワムのほうもブルーに変わり、どちらも国鉄時代の装いではなかったものの、「ブルートレイン」でした。現在、この機関車は休車のようですし再度稼働したとしても、すでに春日井貨物のワムはコンテナ化され、その後のダイヤ改正の運用変更によって最近EF66自体が中央西線へ入線した実績がないようなので、たぶん私が二度とこの機関車を見ることはないのだろうと思います。







この記事へのコメント
NAO
以前、なぜかNゲージ14系座席車を衝動買いして、ユーロピア塗色に塗り直したのが懐かしいです。部品取りに買ったオハネ25もユーロのオロ12に改造しましたね。中学生のときに買ったEF65も15年ぶりに通電したところ、高いモーター音とともに走ってくれましたので、これもユーロ色に塗り替えたのが思い出されます。
唐津線の駅名もヘンに懐かしいです。九州を旅行したときに唐津線のとある駅で財布を落とし、意気消沈で乗った線で、確か委託化されていたと思いますが西唐津駅員さんが一生懸命いろんな箇所へ電話連絡して下さいました(結局は見つからず仕舞いでしたが、分けて所持していた現金の一部でしたので旅行は継続しました)。あの気持ちが本当に嬉しかったです。
EFの60番台は似たような車体が多いなか、EF66は今でも洗練されたデザインだと思います。
ところで細かいお話しで恐縮ですが、ダイヤの東刈谷、弁天島の下部が実線ではなく破線なのは何か意味があるのでしょうか。弁天島は乗り降りしたことがあり、退避出来ない駅だったように思いますが、そんな理由ではないでしょうね。
C58364
九州から首都圏まで運転された8852列車のミカンのように、年末になると日本各地から正月用品が、大都市へ送り込まれたのでしょうね。
EF66は高速が出せて格好いいので、ブルトレを牽かせりゃいいのに・・と思っていましたので、本当にそうなった時は驚きました。
しなの7号
14系ユーロピアは旧製品が品薄で、かつて中古市場で高騰しました。塗り替えで対処された方も多かったのではないでしょうか。近年T社からはユーロライナーとユーロピアともにリニューアル製品が発売されるに至り、わが家にも配置されています。
西唐津は10年ほど前に、目当ての地酒を買うつもりで酒屋を探したものの、折り返すべき列車の時刻までに見つからず意気消沈して折り返した駅です。そのためその翌年に再度唐津行きを企て、こんどは直接蔵元へ行ってみたのですが、そこで待っていたのは蔵元さんの廃業という事実でして、工場があったと思しき場所は更地になっていました(T_T) お互い、よからぬ思い出ながら忘れられない駅でありますね。
東刈谷、弁天島の件は正解に近いです。両駅は「閉そく区間の中間停車場」です。それを破線で示したものと思われます。両駅には分岐器等はないため、場内信号機や出発信号機はなく運転取扱要員がいませんでした。
しなの7号
貨物列車乗務時代の私どもは、約4週間の決められたスケジュールの繰り返しでしたが、最後の週に「予備」勤務があり、そのときには年次有給休暇取得者の代替乗務のほか、年末をはじめとする繁忙期には、臨時貨物列車の乗務も割り振られました。東海道本線の「みかん臨」は、この8852列車以外にもありましたが、「みかん臨」は阪和線の異形式重連や三重連があったので鉄道趣味誌によっても紹介されたので知られています。
この「みかん臨」に乗務したころには、EF66がブルトレ牽引機になろうとは思いもよりませんでした。
鉄子おばさん
ヒデヨシ
昭和55年あたりは普通貨物や解結貨物を引いていたEH10の最晩年になりEH10は予備機を作らず全機運用があり予備機はEF66にしていたと聞いています。
た確かに反対のパターンは無理がありそうです。
この後のダイヤ改正では大量の貨物列車削減で新しい機関車さえ仕事が無くなる訳ですが。
ダイヤで弁天島、東刈谷が破線なのはそうだと思いますが同じ様な駅である大高が実線なのはかつて地上駅で側線があった頃の表示を訂正していないのでしょうか?
よく分かりませんが
しなの7号
EF66とEF81は分割民営化を挟んで増備されていますので、その前後で形態が変わっていますが、自分はどうしても国鉄形に目がいきます。JR貨物色は嫌いではないですが同じ形式の機関車でも思い入れに相当の違いがあります。
EF66の0番台車はほんとうに少数派になってしまいました。
しなの7号
自分の乗務記録でも牽引機にEH10が登場するのは昭和54年末までです。このころが前世代のEH10最末期と言えますね。
列車ダイヤ上の大高駅の破線の件ですが、55.10時点の乗務資料を見ますと大高にはまだ運転取扱要員がいました。これがなくなるのは57.5改正時からになっています。しかしおっしゃるように55.10の時点では側線はなかったと記憶します。
★乗り物酔いした元車掌
少し、説明をさせてください。
まず、刈谷・大府・笠寺などの駅名の左にある
「K]は、「貨物取扱駅」の意味です。
名古屋・豊橋・西浜松にある、
上半分だけの「○」は
車両基地等最寄り駅の意味です。
列車のスジ(線)ですが、
基本的に実線は旅客列車、波線は貨物列車
点線は専用貨物列車です。
実線の太線は優等列車、
点線の太線は高速貨物列車。
五条川の駅名左にある「R」は、
「リモートコントロール」の意味
「RC非制御駅」と言いました。
画像では「切れて」ますが、
清洲駅に「○」で囲まれた「R」があり、
五条川は、清洲駅から遠隔制御される駅
(信号場ですが)でした。
こういった鉄道の世界から遠ざかり、
違う会社で仕事をしてますが、
「しなの7号」さんのブログを見るたびに、
懐かしい思い出でがよみがえってきます。
そういえば「8852列車」は、
暖房用燃料を補給に行く臨時列車のひとつでした。
懐かしい限りです。
しなの7号
ダイヤを作成するお仕事ならではの知識ですね。一般の方が趣味的にこうした知識を仕入れるきっかけの多くは、SLブームのころ出版されたSLダイヤ情報なる雑誌ではないかと思います。実際のダイヤグラムが掲載され、そういう記号の解説も誌上でされていました。自分も実はそこで初めてダイヤグラムの記号に接しました。その際には、今回掲載した東海道本線にはないですが、△を90度右へ回転させた記号が添えてある列車は補助機関車付であるという知識など、SLファンの重要なチェックポイントでした。
また、今回掲載した画像中にある荷2031列車はスジが「コ」の字を入れた太い実線で表現されており、これは「急行荷物列車」です。(小荷物のコ?)今はない国鉄時代ならではの列車です。
いただいたコメント中の「波線」は「破線」の誤変換だと思われますが、あらためて記号に着目するとさまざまな情報が凝縮されているものですね。参考書をひも解いてみましたら「波線}(~~~)も規定されていて、ダイヤ表の最右側欄に「交流電化区間」であることを示す記号で縦に表記されるそうです。(画像では写っていません。)そんなことはたった今、知りました(~_~;)
北恵那デ2
しなの7号
2009年には春日井貨物でもEF6627号機を複数回見ています。中央西線では、↓この時期くらいまでは時折入ってきましたね。
【72】鉄分補給2010.9.23 EF66 27@中央西線
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201009article_12.html
ということは4年にもなるわけです。。。
あのころはEF64の1000番台が4両入ったあとでしたが、EF64の0番台にも国鉄色は健在でしたし、EF65PFの入線もあって多彩な顔ぶれになり、撮り鉄でなくてもカメラを向けたくなった時期でした。
さきほど、昔のSLダイヤ情報のページを久しぶりにめくってみましたら、かなり詳細にダイヤの記号について解説されていて、三重連の場合の表記にも触れられていました。つい、ほかのページもめくってしまい時間を浪費してしまうことに(+_+)
交直機関車
皆様のように鉄道の知識はまるで無いのですが
貨物(特に2軸貨車)が好きで、当時どのような
運行だったのかよく解り面白いです。
私が幼いころ近くの国鉄ヤードで引き込み線に突放
やってたのをずっと眺めてました。
仕事が終わったおっちゃん達が「ボウズ、貨物好きか?」
なんて言って色々話しかけてくれて、駐車している
貨車をいじらせてくれました。
いま考えるとあんなに重たい、動きだしたら止まらない貨車
連結器や足ブレーキで指や足飛ばす様なものに触らせてくれたもんだと思います。
いい思い出です(歳がばれます)。
しなの7号
ご覧いただき、ありがとうございます。
国鉄があったころ、「汽車」が好きな子ですと、現場の方が話しかけてくれたり一般には入れないところに立ち入らせてくれたりといった思い出をお持ちの方は多いですね。また駅には植込みや桜並木があるなど、乗降客の心をなごませてもくれました。いずれも本来の仕事でないところでのことであり、それは仕事が楽で暇だったからできたんだろうと言われればそれまでですが、今では考えられないことばかりです。
私は貨物に関わった期間は1年半足らずに過ぎませんが、2軸車中心の解結貨物列車については、ぜひ記録として残しておきたいと考えています。いつになるかわかりませんが、今回の臨時直行便とは正反対に、切り離し突放し連結するといったことを各駅で繰り返す貨物列車の編成などもアップする予定です。