【528】 国鉄伊勢線3:ローカル列車のお客さん~第三セクター化

先々週、先週とご覧いただいたような状況で、伊勢線での普通列車乗務は、名古屋近郊の本線筋に比べれば気休めのような仕事でした。
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観光客は特急や急行で通過して行ってしまうので、わざわざ普通列車に乗られる旅行者風の方は少ないので目立ちました。わざわざ伊勢線の普通列車に乗られる観光客といえば、たいてい行先は鈴鹿サーキットでした。現在の伊勢鉄道「鈴鹿サーキット稲生」駅は文字どおり鈴鹿サーキット最寄の駅ですが、国鉄当時の名称は「稲生」駅でした。駅名が変わった今も、この駅の付近には何もなくさびしいところで、バスやタクシーが常駐することもなく、鈴鹿サーキットまで徒歩なら30分はかかる場所でした。

稲生でホームに降り立って、呆然とされるお客さんをときどき見かけました。

そのほか旅行者風といえば、当時の国鉄が行ったキャンペーン「いい旅チャレンジ20000キロ」の乗り鉄さんをよく見ました。ちょうど、私が普通車掌で伊勢線に乗っている頃に、青春18きっぷの前身にあたる「青春18のびのびきっぷ」が発売され、若い方々の乗り鉄さんが増えてきた時期でもありました。
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こういう企画乗車券は今ほど一般に知られていませんでした。

そんな中で、フルムーン夫婦グリーンパスを使って、いい旅チャレンジ20000キロに挑戦中の熟年夫婦の方に出くわしたことがありました。ローカル線の普通列車ですからもちろんグリーン車はありませんので、がら空きのキハ45の4人ボックス席を占領したご主人は、私に「○○線に乗ってきて、これから××線にのって…」と、うれしそうに話してくださるのですが、奥さんの方はそうとう退屈しておられるとみえ、離れたボックス席で居眠り中というご夫婦でした。フルムーン夫婦グリーンパスのダシとして使われた奥さん、お疲れ様。これは自分の老後と重なる姿だなとそのとき思いましたが、まさにそうなりつつある自分がここにいます。。。

そんなふうに、お客さんとお話ができたり、のんびり仕事ができる伊勢線は当然のように、第2次特定地方交通線として廃止対象になっていました。結果的に分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月26日限りで国鉄での営業は廃止され、翌日から第三セクター「伊勢鉄道株式会社」へ営業転換されたのでした。

ところで伊勢鉄道線の営業区間は「河原田~津間」なのですが、国鉄伊勢線は「南四日市~津間」であって、「南四日市~河原田間」は関西本線と線路名称が重複していました。単線だった関西本線の南四日市~河原田間に伊勢線が並行する形で建設され、両線を複線として共用するという考え方であったと思われます。今でもJR東海の南四日市駅には国鉄伊勢線の起点を示す0キロポストがそのまま残されています。
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この記事へのコメント

  • 急行真田丸

    しなの7号さま、はじめまして。

    いつも楽しく拝見させて貰っています。

    私も青春18切符で、伊勢線を乗り潰している時、記念にと車掌さんに車内補充券を求めたところ、「自分で書いてみる?」と言われ、作らせて貰い、今でも大事に保管しています。

    余裕がある勤務で、この様なファンサービスが出来たのですね。

    当時の車掌さんに感謝です。
    2014年11月03日 07:12
  • しなの7号

    急行真田丸様 ご覧いただきありがとうございます。
    私も一時期、他車掌区の車内補充券を収集していたことがあったので、他車掌区の車掌氏に車補を書かせてもらったことがあります。逆にお客さんに書かせてあげたこともあります。もしかしたら急行真田丸様かも…とも思いますが、同僚の車掌でも、ときどきそういう話は聞きましたから、特定は困難です。発行日付と列車番号がわかれば調べてみますよ。
    それにしてもいい時代だったなあと改めて思いますね。
    2014年11月03日 08:32
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。「青春18きっぷ」の前はどう言っていたか?と言う問題は鉄道関係のクイズによく出されるようです。長閑なローカル線の旅は至福のひととき。歌の文句にもあるように「こんな時が100年続いてほしい」と思います。伊勢鉄道も死ぬまでには乗りたいです。元日限定の乗り放題きっぷが西日本のエリアだけでなく、日本全国だったらすでに線内は実費を払ってでも乗っていると思います。電車
    2014年11月03日 10:24
  • NAO

    おはようございます。

    私が大判の交通公社監修時刻表を本格的に見るようになったのは、ごおさんとうダイヤ改正を控えた昭和53年夏ぐらいからだったと思います。
    伊勢線の時刻表はページの隅に小さく載っていて、どの時期か定かではありませんが、全列車時刻を載せるのは必須ですから、特急「くろしお」「南紀」の席種のマークは詰め込んであったものの、急行「紀州」のそれは収まりきらず、確か他のページには使われないような、通常より半分くらいのサイズのグリーン車クローバーマークが載っていて、なんだか近道というより、裏通路みたいな感じのする線に見えました。特急は線内無停車でしたので、時刻表という感じがしませんでしたね。

    フルムーン切符で乗り鉄ですか。特別車両利用頻度が少ない使い方って太っ腹ですね。
    宮脇俊三氏が、とある受賞式列席のために夫婦で金沢へ往復されるため、グリーン車往復で旅費の計算をされたらフルムーン切符の方が安くてさっそく購入されたのを思い出しました。受賞された作品も読んだのに、ドラマ化されたときは、氏の原作であることをエンディングのテロップを視るまで気付きませんでした。

    しなの7号様が伊勢線に乗務されているまでにF1鈴鹿グランプリが開催されていたら、ブログ内容ももう少し変わっていたのではないでしょうか。
    2014年11月03日 10:55
  • しなの7号

    鉄子おばさん様、こんにちは。
    至福のときはいつも一瞬で、「100年続く」ことはなかなか難しいですね。3年間、昼休みに通い詰めた中央西線沿線のお宅にあった玄関先のハナミズキは復活することなく、跡地には新築の家が建ちました(T_T)
         ↓
    【367】春日井貨物と私 ~この3年間~(前篇)
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201304article_6.html
    JR東海の青空フリーパスを使うと、伊勢鉄道も別途運賃不要で乗れます。
      ↓(JR東海HP)
    http://railway.jr-central.co.jp/tickets/aozora-free-holiday/
    果てない夢がちゃんと終わりますように
    2014年11月03日 11:03
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    時刻表上での伊勢線の取り扱いですが、私が乗務していたころは、伊勢線部分が紀勢本線と一体化して編集されていたと思います。そこで、さきほど手持ちのさらに古い時刻表を確認しましたら、仰るように伊勢線だけ単独掲載の時代がありますね。小さいグリーンマークは手持ちの号では見つかりませんでしたが、設備関係をまったく省略して「急[紀州○号]」と列車種別と愛称名しか記載していない号もありました。

    宮脇俊三氏が受賞式列席のために夫婦で金沢へ行かれたのは、泉鏡花文学賞だったですね。ドラマ化されたものは見たことがありませんが、推理小説まで書ける作家とは思っていなかったので驚いたものです。

    鈴鹿F1が開催されると、首都圏から団体でジョイフルトレインが入線したりスゴイことになったのは、私の退職後でしたので、私にとっては信じられないようなことです。
    2014年11月03日 11:48
  • ラモス

    しなの7号さま、こんばんは。
    写真の「指導資料」とは、職員向けの広報みたいなものでしょうか?

    毎日見ていた駅や列車ですし、こうして国鉄自身の出した文章を見返すと何かほろ苦く感じますね☆

    小学校のジョギング行事は、伊勢線の駅名で距離を競わせる、なんて事もありました。
    そんなに乗っていないのに身近だった、不思議な鉄道のお話…ありがとうございます。
    2014年11月04日 19:59
  • しなの7号

    ラモス様 おはようございます。
    「指導資料」は業務上で必要な変更があった時などの注意事項を関係者に周知徹底するために、関係従事者全員に配布され、同時に同内容の掲示が一定期間車掌区内の掲示板にも掲示されました。

    乗務区間に全く関係のない例えば北海道のローカル線の営業廃止であってもその周知がなされました。それによって携帯している運賃早見表から該当線区を抹消訂正をする必要があり、それは各自でやったのですが、国鉄末期には路線廃止が続き、その作業はさみしくさせるものでした。

    ジョギング行事に伊勢線の駅名を使う先生は、「鉄」だったのでしょうか? 社会科の要素もあったのでしょうかね?
    少なくとも、地元小学生が国鉄伊勢線に乗る機会などほとんどなかったと思います。
    2014年11月05日 06:09

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