【538】 有田鉄道線の貸切列車

以前に、平成の世になっても昭和時代の伊勢線以上にローカルな体験をした京福電鉄永平寺線のお話をしましたが、そのほかにも、プライベートでの旅先で、ローカル線ならではの体験をしたことがありました。それは、1995年(平成7年)に有田鉄道(ありだてつどう)へ行った時のことでした。
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この鉄道は2002年(平成14年)12月31日限りで廃線となってしまいましたが、訪問時点でもすでに廃止は避けて通れないような運行状態でした。休日には全列車が運休し並行する同社路線バスが代行輸送。平日でも列車の本数は最小限で、午前中3往復と午後1往復しか列車の運行がされず、あとはバスが代行していた時期でした。
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通常運行している車両も超小型車で、少し前に樽見鉄道から移籍したハイモ180という2軸のレールバス「LEcarⅡ」1両だけでワンマン運転を行っていました。樽見鉄道時代の水色だった車体塗り分けをそのままに、ベージュに塗り替えられた移籍後の姿を一目見たかったのが、このとき有田鉄道を訪問した動機でした。

出かけたのは、夏休み明けの9月1日金曜日。行程上、午前中の列車には間に合わなかったので、JRの接続駅藤並から並行するバスを利用して車庫がある終点金屋口まで行きました。ここから午後運行されるただの一本だけの金屋口発15時38分発藤並行列車でハイモ180に乗ることができました。

金屋口駅の出札窓口は閉鎖されていましたが、待合室には何人か人の姿がありました。
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しかし誰一人として列車に乗る気配はありません。どうやら外仕事の人たちが休憩所代わりに待合室を利用していただけのようでした。発車時刻になっても、私のほかに誰一人として乗客は現れることなく、運転士と私の2人きりで発車したのでした。そしてついに終点藤並駅までそのままの状態が続きました。列車に乗って、始発から終点まで自分以外の客が一人もなかったというのは、私はこのときのほかには経験したことは記憶にありません。それが早朝や深夜の列車でなく日中の列車であったことに、我ながら驚いたものでした。まあ確かに16時前とはいえ終列車には違いありませんが、この列車の使命は何なのか?…時間的に考えると、紀勢本線から乗り継いでくる高校生たちを迎えに行く回送的な列車だったのかもしれませんし、その9月1日は2学期の始業式の日だったでありましょうから、常連の学生たちがすでに帰宅後だったかもしれません。

さらに驚くべきことが、この列車の走行中に起こりました。
駅でもないところで、列車が停車したのです。
ワンマン列車の運転士氏、停車してすぐ立ち上がり、唯一の乗客である私に、
「誰か踏切に自転車を置いていきよったわ」
とニヤッと笑いながら一言。
そしてドアを開けて車外へ降りていきました。私は何が起こっているのか一瞬わかりませんでしたが、ハイモの広いフロントガラス越しに見た目の前の踏切の線路上に、倒れた状態で自転車が放置してあるのを見たのでした。
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これは列車妨害で、重大な犯罪行為のわけですが、普通に本線上を走っている列車の運転士が自転車に気が付いてその手前で止まれるということにも驚きました。
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このときは、非常ブレーキがかかった気配も感じませんでした。レールバスとは言っても、タイヤと路面のように摩擦係数が大きくない鉄の車輪とレールでは滑りやすいわけで、自動車が横断歩道に人がいれば普通にブレーキをかけて止まれるようなものではないはずです。1日4往復の列車しか来ないことから、踏切を渡る自動車も、ほとんどが一時停止もしないような危険な踏切なので、運転士のほうも常に停止できる体制でいたというような特殊事情としか思えませんでした。ちなみに有田鉄道の最高許容速度は時速40㎞だったはずです。
運転士氏は踏切外に自転車を出すと車内に戻り、何事もなかったように運転席に座って運転を再開したのでした。

基本的に在来線の列車は非常ブレーキを操作してから数百メートルは止まれないものです。私が乗務中に体験したケースを以前【392】あわや踏切事故(>_<) の記事でアップしたことがありますが、その原因となった現場の手前で停止することは不可能で、最後部からさらに現場を通りすぎてしまうことが普通でした。ですから事故の場合だと車掌が真っ先に現場の惨状を見る結果となる場合が多いものでしたので、有田鉄道のような例は特殊なケースであろうと思われました。

前回も、鉄道事故防止について、お願いしたところですが、このような列車妨害は絶対におやめください。そこで国鉄当時の、事故防止啓発用の下敷きの裏側をアップしておきます。
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この下敷きですが、表面はこういう写真でした。
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鉄道の場合、リニアモーターカーでなくても、運転士の前方注視に頼った危険回避など、高速になればなるほど困難なものですし、ハンドルである程度の進路が変えられる自動車とも違います。
「こくてつ なごや」からの「3つのやくそく」かならず守ってくださいね。

この記事へのコメント

  • NAO

    おはようございます。
    運転士氏はやはり報告書を一人で作成されたのでしょうね。まさか何事もなかったように乗務を終了されているとは思いませんが。
    宮脇俊三氏の時刻表おくのほそ道で、時刻表私鉄欄に、同鉄道と野上電鉄、紀州鉄道が三段ベッドのように並んで載っている、というように書かれていたのを思い出します。私は両親を連れて車で白浜へ行ったとき、御坊中心部のスーパーに立ち寄った際に一人で紀州鉄道を往復したのですが、翌日、熊野本宮からの帰りにたまたま金屋口駅前を通ったところ、残念ながら運行時間帯ではなく、結果他2社は乗ることが叶いませんでした。
    紀州鉄道は、運転士氏から「どちらから来られましたか」とは訊かれませんでした。
    2014年12月04日 08:18
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。記事を読ませていただき、早速時刻表を広げて見ました。現在は藤並-金屋口間のバスがありますね。休日は5本づつ運休しますが平日は12本づつあります。私自身地方の私鉄や第三セクターにもどんどん乗りたいのが本音です。次は兵庫県の北条鉄道あたりが本命ですね。電車
    2014年12月04日 09:14
  • C58364

    こんにちは。
    有田の文字を見て、九州の松浦線が分岐する佐世保線有田駅が脳裏に浮かびましたが、みかんの産地でも有名な紀伊半島にある有田鉄道だったのですね(汗)。
    樽見鉄道でよく見た車両は貫通型でしたが、この車両は長良川鉄道の車両によく似た非貫通型なのですね。
    2014年12月04日 10:26
  • しなの7号

    NAO様 こんばんは。
    ここは停車駅通過も普通にしてしまうような某鉄道よりさらに小規模な鉄道会社でしたから、乗務終了後に「おい、今日○○踏切で自転車もらいそうになったわ」(もらう⇒もらい事故になる)の口頭報告で、終わったような気もしますよ。
    野上・有田の2鉄道が廃止された中で、和歌山県の紀州鉄道が残っているのは奇跡的ですね。私も乗りましたが、かぶりつきで前を見ていた宮脇氏とは違いまして、隠れ乗り鉄を見破ることができなかった運転士氏から話しかけられることはありませんでした。
    2014年12月04日 19:22
  • しなの7号

    鉄子おばさん様 こんばんは。
    地方ローカル私鉄はアットホームな感じと、1回行けば全容が把握できるところがよくて、昔からあちこちに出かけました。小規模すぎて、乗るには物足らないわけですが、私の場合は終点の街を眺めたり、バスと組み合わせたりして乗継を楽しんだりします。北条鉄道を候補として挙げておられますが、私の場合は、神戸電鉄で粟生に入り北条鉄道を全線乗車後、北条町からバスに乗り継いで姫路へ出る経路を採りました。
    2014年12月04日 19:23
  • しなの7号

    C58364様 こんばんは。
    有田みかんは和歌山「ありだ」で、 有田焼は佐賀{ありた」で、紛らわしいことですね。有田鉄道で活躍したのは樽見鉄道で最初に導入された非貫通2軸車3両のうちの1両です。その後の樽見鉄道の増備車は貫通ボギー車で、長良川鉄道の同系車は非貫通ボギー車でした。
    2014年12月04日 19:26
  • ヒデヨシ

    こんばんは
    ローカル私鉄大好きでして有田鉄道、乗りました。
    私が乗ったのは元富士急の両運かキハ58
    (たしかエンジンが1台撤去されていたはず)
    清掃してないらしく水垢、赤錆状態でした。
    有田鉄道は1区間程度国鉄線内乗り入れしていたと思いますが当時行っていたかは記憶が定かではありません。
    他は時代がかった木造2軸客車の別府(べふ)鉄道、これは友人以外は乗客はいなくて車掌(仕事は列車掛)もはっきり鉄道ヲタク以外の客はいないと言ってました。
    あと南部縦貫鉄道、レールバスでしたが結構乗客がいました。
    びっくりは運転士がくわえタバコだったこと。
    鹿児島交通、線路状態が酷かった印象しかないです。
    加悦鉄道、運よくキハ08に乗車
    中はオハ61その物で鬼のように遅い!
    他にも色々乗ってますよ。
    2014年12月04日 19:42
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんばんは。
    私の場合は、別府、鹿児島交通、加悦鉄道は、すべて行きたいと思っているうちに廃止されてしまいました。残念無念。
    有田鉄道にはキハ07時代に行ったのが最初で、両運キハ58は乗入先の紀勢本線湯浅で見ていますが、乗る機会はありませんでした。
    2014年12月04日 20:32
  • ラモス

    しなの様、こんばんは。
    2年ほど前ですが、金屋口に保存されている両運キハ58に乗りました。温泉に行く途中、たまたま見つけたのですが実際にお客を乗せて動いてくれました。
    燃料代やメンテナンスを考えると、よく保てているなとホントに感心したものです☆
    2014年12月05日 02:05
  • しなの7号

    ラモス様 おはようございます。
    私はまだ有田川町鉄道交流館へ行ったことがありません。両運キハ58が動態なのは貴重ですね。たしか車掌車ヨ6000もいたと思いますが、自分の場合はそれも見たいなあと思います。
    2014年12月05日 07:19
  • 北恵那デ2

    こんばんは。かつては、なかなか楽しい零細私鉄が各地にありましたね。有田鉄道・紀州鉄道などという鉄道会社の名前を聞きますと、申し訳ございませんが、そちらの方角ならば阪和線にED60やらED61、EF15、EF58、EF60などの異形式重連がありましたよね。と、機関車命のオタとしては思ってしまう訳です(笑)。鉄道趣味も色々と幅が広いのですが、樽見鉄道から移籍した単台車のレールバスならば乗ってみたらそれはそれで感動ものでしょうね。さらに「お一人様貸切」で、踏切に自転車放置のおまけまで付いたのでは・・・。
    2014年12月05日 17:57
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    三重県南部~和歌山県のエリアは、近そうで遠いところですね。紀勢本線が全通したのが自分が生まれた後ということを考えても交通不便な地域であったことは十分に想像されますし、そういうところには古くて興味深い鉄道車両が集結します。機関車ヲタでなくてもDF50が遅くまで活躍していて魅力的でした。自分はそのころ阪和線に出かける機会はありませんでしたが、機関車電車とも寄せ集め的な様相だったですね。
    国鉄退職後、乗り鉄中心になってからは、165系の普通列車で海岸を縫うようにいく紀勢本線は最高でしたが、今は短編成105系とかでは、乗る気は失せてしまいます。一方で紀州鉄道現役のレールバスは乗る価値ありです。2軸車というのがなんとも♪
    2014年12月05日 19:45

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