【545】 旧形客車の暖房

3週続けて電車と気動車の暖房について書いてきました。旧形客車の暖房についても引き続き書いておこうと思いますが、以前にも複数の記事で客車の暖房について書いたことがあります。このため今回は、繰り返しになったり、以前の記事をそのまま引用する形になりますが、画像を多く使いながら、まとめの意味として書いておくことにします。

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自ら動力装置を持つ電車や気動車と異なり、機関車に牽引してもらう旧形客車は、暖房も機関車にその熱源エネルギーを依存していました。旧形客車では蒸気暖房が古くから採用されており、それは蒸気機関車から蒸気を客車に引き込んで、車内に設置した暖房放熱管から放熱させて車内を暖める方式でした。
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上の画像は室木線の客車列車ですが、客車からも蒸気が漏れていることがわかります。
蒸気機関車が減っていき、電気機関車やディーゼル機関車が牽引する区間が増えていくと、そういう区間では暖房車という蒸気発生用のボイラを装備した車両を冬季だけ客車列車に連結して暖房する方法が採られるようになりました。燃料は石炭でしたから煤煙が出ました。画像はその暖房車の模型です。
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その後、旅客用の電気機関車やディーゼル機関車には重油または軽油を燃料とする暖房用蒸機発生装置(SG)を機関車に装備して、その蒸気を客車に供給する方式が採られるようになりました。下の画像は蒸気発生装置を装備しているEF61です。屋根上と前端下部暖房主管連結部から暖房用の蒸気が漏れています。後ろのほうの客車からも白い蒸気が漏れ出ているのがわかります。
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これとは別に電気による暖房を採用する電化区間も出てきました。この場合には暖房用の電源装置(EG)を搭載した電気機関車が必要なだけでなく、客車には電熱器とその配線の取付改造を施す必要がありました。電気暖房改造客車は元番号に2000番を加えて区別をして、運用も分けられていましたが、蒸気暖房はそのまま存置されていました。下の画像はリニア鉄道館のスハ43の車内です。座席下に電気暖房の電熱器カバーがあり、車体隅に沿って座席下にはむき出しの蒸気暖房放熱管があるのがわかります。
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私が車掌になる前、荷物車に乗務していたころには、中央西線・篠ノ井線に電気暖房が採用されており、機関車はEF64のうち貨客両用として電気暖房装置を装備した機関車を限定して使用していました。また、東海道本線ではEF58・EF61、関西本線ではDD51、紀勢本線ではDF50がいずれも蒸気暖房を採用していました。名古屋客貨車区所属の客車(荷物車も含む)でも中央西線・北陸本線・東北本線方面への運用があったので、電気暖房併設車が配置され、それらの線区での運用に使用されましたが、逆に電気暖房併設車が蒸気暖房区間だけの運用に入ることは普通にありました。そのうちに配置車両は電気暖房併設車ばかりになっていき、東海道本線の電気機関車も、荷物列車廃止が近づいてきたころには、それまでの蒸気暖房のEF58やEF61から電気暖房のEF62に切り替わりました。

私が電気暖房のお世話になっていたのは、荷物車乗務時代だけでしたので、仕事上では乗務員室でしか経験していません。そのため乗用客車での実務は経験がないのですが、各車の出入台にある電源スイッチで電源の入切をすればいいわけですから、温度管理は比較的楽であっただろうと思います。しかし蒸気暖房のほうは大変で、関西本線では、私が車掌になってからも残っていた旧形客車で、亀山電化前の最後の1シーズンで蒸気暖房を経験しました。
【317】思い出の乗務列車6: 関西本線 223列車(後篇)~夜行寝台編成?から引用しますが、その操作と特徴は、
「各車両ごとに通路床下のバルブ(下の画像1参照↓)と中央部の座席下にあるレバー(下の画像2参照↓)を操作して供給蒸気量を調節して温度管理をしましたが、この加減は経験と勘によるところでした。前寄りの車両は温まりやすいですが、後ろのほうの車両ほど温まりにくくなります。蒸気が冷えぬうちに蒸気が最後部車両まで来るように、最後部車端部のバルブはほんの少し開けておくのもコツのひとつでした。冬場、旧型客車の最後部から少し蒸気が漏れているのを見かけたり写真でご覧になった方は多いかと思いますが、わざと少し開けてあるのです。暖房管に供給されるのは、もともとは水が気化した蒸気ですから、冷えてしまえば水となって管内に溜まってしまいます。そうなると暖房の効きが悪くなってしまいますので、蒸気圧が下がらない程度に最後部から放出するのです。」

以上の引用部分に出てくる「バルブ」・「レバー」についてリニア鉄道館のスハ43で、実物を撮影しましたので、その画像をご覧ください。

画像1 「通路床下のバルブ」
「通路床下のバルブ」は正式には蒸気暖房止弁といいます。画像の四角い蓋の中に左側用と右側用として2つのバルブが納められていますが、展示車両では蓋を開けることができませんでした。
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画像2 「中央部の座席下にあるレバー」
これも正式には「放熱管切換コック」といいます。各車の暖房放熱管に流れる蒸気は、このレバー操作により全開と半開に切り替えられ、左右各1つずつ客室中央部の座席下にありました。
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蒸気暖房でも電気暖房でも、機関車が連結されないことには暖房ができませんから、厳冬期の始発駅では発車時刻までに適温にすることができないことが不便な点でした。ここで、また【66】乗務した車両:旧型客車(3)の記事からの引用になります。
「この列車では冬場は寒い思いをしました。
亀山は意外に寒いところです。鈴鹿颪(すずかおろし)と呼ばれる北西風が列車を襲います。一晩留置されていた客車はすっかり冷え切っています。発車前の10分や15分程度暖房しても車内は暖まりません。
ある日の発車前の車内温度は4度。外はもちろん氷点下です。暖房管のバルブは全開で亀山を発車しますが、約35分後の四日市でやっと車内温度は10度。終点の名古屋に着くころにようやく適温の20度になるといった具合でした。この列車にはいつも暖房の苦情が多く寄せられました。亀山駅でもっと早く機関車を連結して暖房予熱をするよう申し入れもしていましたが、亀山駅は当時天王寺鉄道管理局。名古屋鉄道管理局に入る列車のことは後手後手に回っていたのかどうかは私の知るところではありませんが、とにかく当時は「国鉄はサービスが悪い」と、ことあるたびに言われていた時代でした。」


名古屋駅など大規模な駅と長野駅のような寒冷地の主要駅では、地上にボイラ設備があり、機関車が連結される前に、そこから客車に蒸気を供給する方法で始発前の予熱が行われていました。中央西線の電気暖房併設客車も、予熱だけは蒸気暖房で、機関車が連結されると電気暖房に切り替えていました。

このほか、蒸気暖房特有の作業として、蒸気吹抜き作業がありました。客車の暖房主管内の蒸気が冷えれば水になって溜まりますが、水が残っていては暖房効率も悪くなります。そこで暖房を切る前に、最後部の車両車端の暖房管止バルブを全開にして、管内に溜まっている水分を蒸気の勢いで大気中に放出させてしまう作業をするわけで、これを吹抜き作業と言いました。暖房主管内に水が溜まったままにしておくと、寒冷時には暖房効率が悪くなるどころか、列車が終点に着いた後に凍結してしまい、蒸気を送気しても凍結箇所から後ろの車両へは蒸気が通らない結果となりました。
下の画像で、デッキ中央部に見える蓋を開けると止弁がありました。列車最後部の止弁だけは閉めてある
か、前述のようにごくわずかしか開いていませんが、その他の車両の止弁は機関車の前部を除き開放されていて、蒸気が最後部車両まで送られるようになっています。
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汐留に入る東海道本線上り荷物列車は、終点汐留に着いた時点で機関車は切り離されますが、この切り離し作業の時点まで暖房を送気していると作業員がヤケドをしてしまいますから、その前に機関車から蒸気の送気は止める必要があり、そのタイミングを決めておき吹抜き作業をすることになっていました。停車駅が少ない荷物列車では走行中それを行っていて、蒸気が噴き出しても安全な場所ということで決められたのが、多摩川に架かる六郷川橋梁上でした。私どもが乗務していた荷36列車では最後部「大荷34A」に乗務する行路があり、冬季には、その専務車掌(荷扱)(通称ニレチ)がその吹抜き作業を行うことになっていました。本来の荷扱作業は小田原を過ぎると終わっていましたから、横浜あたりでは、作業服から接客用の制服に着替えて、急須のお茶っ葉を捨て、お茶菓子を片付け、下車の支度ができたころに、川崎駅を通過します。ニレチ氏は最後部車両の床にある蓋を開け、暖房主管の止弁バルブに手をかけて鉄橋にさしかかるときを待ち構えました。
鉄橋上に差しかかり止弁バルブを全開にしますと、まっ白い蒸気が列車のお尻からシューッと噴射します。そのタイミングで機関車の方も送気を止めたのでした。
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(以上3枚もリニア鉄道館のスハ43の画像です。)これだけのことですが、冬にこの行路に乗った場合の特別な仕事でした。私は乗務掛でしたが、ニレチにやってくれと言われればやりました。
この吹き抜き作業は、編成全体の管理のためのものでしたが、乗務員室や便洗面所へは客室用の配管とは別に支管が分岐配管されており、蒸気が送気されているのにいっこうに乗務員室の暖房放熱管の温度が上がらず寒いことがありました。これは支管に水が溜まっていることが原因で、こういう場合は停車中に外から客車床下にある支管の止弁を開いてやって支管内の水を放出することで解決しました。下の画像はその止弁です。(リニア鉄道館のスニ30の画像です。)
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ここから蒸気だけが出てくるようになるまで放出すれば、暖房効果はよくなりました。

そういえば食事の少し前に、乗務員室の蒸気暖房放熱管の上に、持参のアルミ弁当箱に詰めた弁当とか、出先で買った駅弁を置いておき、温めて食べるというような使い方もありました。
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上の画像(リニア鉄道館のスニ30の画像です。)にある座席下に見えるのが暖房放熱管です。

ここまで、客車側(車掌)の立場で書いてきましたが、蒸気暖房は最初に書いたとおり機関車の蒸気発生装置から送気されるものですので、機関車側(機関士や機関助士)の立場でも、冬場だけの余計な仕事である蒸気発生装置の運転に当たって、ご苦労はあったはずです。車掌は乗務員室の圧力計と車内温度とを見比べて、機関士に「もっと暖房(蒸気を)送ってください。」「もう暖房(蒸気を)止めてください。」のお願いをすることもありました。その蒸気発生装置そのものの調節は当然機関車乗務員側で行っていたのです。
 
蒸気が送気されると、暖房放熱管がカン!キン!と金属音を発生させた昔ながらの旧形客車の蒸気暖房も、遠い昔のことで、今では伝説の世界と思いきや、JR東日本の旧形客車・大井川鐵道・真岡鐵道のSL列車では今も冬季にはこの暖房方式を使用しているといいます。シーズンオフである冬場のSL列車ならではの見どころだと私は思っています。

本日で今年最後のブログ更新となります。
この1年間のご愛読ありがとうございました。おかげさまでこの1年間でのページビュ-数は100万を超え、対前年約80%増となりました。来る新年もよろしくお願いいたします。

この記事へのコメント

  • C58364

    おはようございます。
    客車列車の最後尾で盛大に白い蒸気を撒き散らして走ってゆくところを見たことがありますが、暖房管から水分も飛ばしていたのかもわからないのですね。
    放熱管から”キンコンキン”という金属音が聞こえると「来るぞ来るぞ!」と周りの大人たちの顔もほころびました。窓下の放熱管カバーが暑くなった頃には下車しなければならず、残念な思いをしたことがあります。
    私の職場には暖房放熱管がありませんので(笑)、冬になるとダルマストーブの上に煎餅などが入っていた四角いブリキ製の一斗缶に水をいれておき、湯気が出始めると弁当箱が4個ほど入るように網で作ったカゴ状のものに、アルミ製弁当箱を入れて温めていました。弁当はいつも冷めてましたので、弁当のおいしさを初めて実感しましたね~。
    2014年12月29日 07:46
  • TOKYO WEST

    おはようございます。
    まだ鉄道車両に関する知識が乏しかった中学1年生の冬、廃止間近の急行「桜島・高千穂」で東京・静岡間を往復しました。空いていたグリーン車の車内で専務車掌に車内補充券を発行してもらったり、いろいろと話を聞いたりしたのですが、「この時期(年末年始の繁忙期を除く冬の期間)は、暖房の蒸気が後ろまで行かないから減車しているんだよ。」と教えてくれたのを思い出します。普段は14両編成のところ、桜島・高千穂で1両ずつ減車していたわけです。この頃はナハ10やオロ11といった軽量客車の老朽化が著しく、窓枠がガタガタで隙間風に対する苦情が多く、専務車掌は隙間に詰める古新聞を持ち歩いて車内巡回をしていたそうです。
    2014年12月29日 09:09
  • しなの7号

    C58364様 おはようございます。
    おっしゃるように蒸気が冷えてできた水は、最後部から吐き出させているわけですね。
    ストーブでの弁当加熱方法は工夫されましたね。旅客車の乾燥した暖房管で熱した弁当は水分が飛んでしまいます。おいしい弁当が食べられる地上職と比べると乗務員の食生活は最悪だったと思います。
    一時住んでいた独身寮では食堂と風呂用としてボイラがあり、冬場には居室の暖房にも利用されていました。早朝、厨房で朝食の準備のためにボイラに火が入ると、部屋の放熱器から金属音がして目覚めてしまいました。
    2014年12月29日 09:11
  • しなの7号

    TOKYO WEST様 おはようございます。
    桜島・高千穂減車の理由は蒸気暖房能力にあったのでしたか。桜島・高千穂は高校生の時に一度だけ利用したことがありました。夏でしたので、そのとき隙間風に悩まされたわけではありませんが、夜行で冬場に旧形客車で残っていた急行「きそ」の隙間風はひどかった思い出があります。隙間風対策の新聞紙は特に荷物車の乗務員室では必携アイテムでした。客室ではないので体裁など関係なくガムテープを窓や扉の隙間に貼り巡らしたりした車両も普通にありました。
    電車でも軽量車体にアルミサッシのナハ10系と似た車体構造の113系の非ユニット窓車も悲惨でした。ユニット窓の165系電車でも、冬場の木曽路では窓の隙間から雪が入り込みましたし、曇ったガラス内側も凍り付きました。
    2014年12月29日 09:38
  • 天鉄竜機

    しなの7号さん おはようございます。
    明日まで出勤です。仕事らしい仕事は無いのですが。
    乗客の皆さん・列車乗務員にはご迷惑をおかけしました。
    紀勢線新宮~和歌山。関西線奈良~百済。和歌山線王寺~五条。これらの区間で寒い客車に当たった方すいません。
    機関助士・機関士でDF50(3)・EF58(1)・DD51・DE10(4)のSG(暖房用ボイラー)を焚きました。SLは高温の乾き蒸気ですが、SGは貫流ボイラーで水分の多い低温の蒸気でした。客車側でバルブが絞られると、蒸気の流れが少なくなり、蒸気温度「高」警報が働き停止します。一番苦労したのは半自動の50の3型です。新宮の予熱から串本までSGに付っきり。燃料制御装置に1円玉を挟み燃料を減らした機も有りました。ほぼ手動の1型は蒸気温度が上がると逃し弁を開ければOKでした。冬場のEF58が天井から蒸気を上げている写真見たことないですか。全自動の4型はボタンを押すだけ。停止すればまた運転ボタンを押すだけ。一人乗務用ですからどうしようもありません。
    帰区後、乗務員申告をして検修に見てもらいますが、無負荷運転では異常は出ません。冬の機関助士はSG次第でした。
    2014年12月29日 10:44
  • しなの7号

    天鉄竜機様 こんにちは。
    本文に「蒸気発生装置の運転に当たって、ご苦労はあったはずです。」と書きましたが、以前に天鉄竜機様のブログ記事を拝見してDF50のSG運転のご経験者であられたことを思い出しながら書いておりました。DF50のSG運転にも携わったご経験者は少なかろうと思います。1円玉とか、まさに現場の職人技ですね。
    冬場EF58の屋根上から吹き上げる蒸気の勢いはすさまじくて、ホームにいると水滴が降ってくることもありました。DLはSGの型がちがうのでそういうことにはならないわけですね。DF50時代の921~924列車のスユニには何回か乗りましたが、機関車でSGと格闘されていることも知らず乗務しておりました。
    そういえば、客車が暑くなったので、デッキの止弁を止めてしまった車掌がいて、機関士に「暖房要らんなら、ちゃんと言え!そんなことされたら壊れちゃうぞ!」と怒られた人がいたような記憶がありますが、『蒸気温度「高」警報』が出たというわけですね。私も含めて、案外車掌は機関車のことは知らないものです。
    2014年12月29日 11:49
  • 北恵那デ2

    こんばんは。旧型客車の暖房についてご紹介ありがとうございました。本が執筆できるのではないですか(笑)。暖房についてに限らないのですが、鉄道車両の知識に深入りしますととことん奥深いものですね。なお、下の方の国鉄鋼製客車2冊については私も大変参考にさせていただいております。たとえばオハ35系にオハフ33は当たり前に走ってましたが、オハフ35というものの写真まで載っているということに感心しました。それはスハフ32の台車振替車であるとのことですね。つまり35系ではなくて32系ということか、ややこしいことです。ほかにRMライブラリーの各号も興味のあるものだけ購入しておりますが、荷物車の詳細などお勉強させていただきました(笑)。確かに貴方の仰いますようにマニ36あたりは難解ですが。
    2014年12月29日 18:18
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    いやいや、私の場合は北恵那デ2様のように機関車関係とかメカのことはサッパリわからないだけでなく、なにぶんにも昔のことですので思い込みもあって、間違いもあるかもしれません。CanBooksの「国鉄鋼製客車」の2冊も参考にすることもありますので、紹介させていただいています。スハフ32の台車振替車にはオハフ35(⇒TR11)のほかにもスハフ36(⇒TR40B)というのもありまして、こういうことがわかるのもこの本のおかげです。スハフ36には高校通学のときに中央西線825列車(長モト運用)で2回乗車したことがあります。2度とも中央西線全線電化直前の2週間ほどの短期間でのことで、蒸機と同様、余命わずかの検査切れ車の代わりに、他局からの借入などで紛れ込んだものでしょうか。狭い窓が珍しく目立ちました。
    RMライブラリーも荷物車関連と北恵那鉄道関係は持っています。来年は中断している北恵那鉄道関係の記事も車両関係を中心に、続きを書きたいと思いますので、その節はフォローよろしくお願いします。
    2014年12月29日 19:48
  • 北恵那デ2

    話しがずれましたが、昭和48年ではありませんが46年の配置表を見ますとスハフ36は尾久・宮原・姫路に配置がありました。松本や近辺の長野鉄道管理局管内には居なかったようです。姫路にはオハフ35も居たようです。それにしても珍しい車輌が紛れ込んだことが有ったものですね。こういう少数車輌は他の形式と共通運用でしょうから、狙っても出会えるとは限らなかったと思いますので、運命的なものを感じたりします。特に貨車のトップナンバーなんかそう思ったものですが。なお、北恵那鉄道関係の話題が再登場とのこと、期待します。
    2014年12月29日 20:21
  • しなの7号

    北恵那デ2様
    ちなみに私が乗車したのは、メモによればスハフ362008で、昭和48年の配置表では西コフとなっていますが、所属までメモっていません。甲府→松本なら東線運用で貸し借りも簡単にできそうです。
    北恵那鉄道に関しては、資料をひっかき回したりしていると春~夏あたりになるかな~という感じで、やるにしても、まだまだ先のことになります。
    2014年12月29日 20:36
  • NAO

    こんばんは。
    六郷川通過に備えて他の手を止めて待機、これも失念出来ない作業ですね。
    余冷暖房といえば、ブルトレもそうでしたね。電源車が基本編成と共に外されて途中の操車場で待機する付属編成は、電源コードを引っ張ってきて空調を確保していたと思います。
    放熱管のキンコンキンの金属音は確かに聞きました。ガラガラの朝の山陰線に乗り、旧保津峡駅に停車、対向列車がやってくるまで車内がシーンと静まり返っているところにときどき聞こえてくるのはあの金属音だけ。もうあんな汽車旅は出来ないのでしょうか。
    2014年12月30日 01:26
  • 和車

    おはようございます。興味深く拝見させて頂いています。私は、気動車、客車によく乗ったのですが、28と58の効きの違いは、初めて知りました。気動車は、35と36が多かったですが、朝晩はきのくにの組成が入っており、またそれとは別に35、36に1両だけ急行型という組成で運用されていたりと、勿論、急行型はクロスシート、暖房がよく効くで、いつも、混んでいました。また旧型客車では、421に竜華から回送に乗せてもらい、王寺の中線で、2時間ぐらい中休みをして、和歌山線側の5番線に転線して17:56発で和歌山市まで・・親父は中間の車掌台に陣取っていたので、暖房がよく効いていたのかと今は思いました。422は、最後尾に乗ってましたが、こちらもよく効いていた思い出が・・。天竜電機さんの運転するDE10に牽引されて、421に乗っていたと思うとワクワクします。最後になりましたが、しなの7号様やこちらのブログにお越しの皆様方、来年も宜しくお願いいたします。駄文、失礼いたしました。。
    2014年12月30日 06:21
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    集中電源方式のブルトレ付属編成は、予冷や車両整備清掃のためには基地にそういう設備が必要ですね。瀬戸が24系ブルトレだった時代に、日中の高松駅構内で電源車スハ25のパンタが上がったままにして留置されているのを見たことがありますが、この方式なら架線下に留置すればそういう設備は不要だなと思ったことです。

    客車の静寂はいいですね。山陰本線の50系客車の乗り納めに行ったとき、カン!キン!と音がしたものの、その後いっこうに暖まらず、しばらくしたら「暖房故障のため…」と車内放送があり、寒い思いをしましたが、それが蒸気暖房最後の体験になってしまいました。
    2014年12月30日 08:34
  • しなの7号

    和車様 おはようございます。
    こちらには、どこかでつながっていたのだなあと思う方からのコメントをいただくことがあり、そのころを回顧したりすることがあります。和車様もそのなかのお一人ですが、和車様ご自身も、天鉄竜機様とも実はつながっていただろうということですね。人それぞれ歩んだ道は違うものの、特定の列車や車両に思い出をお持ちで、そういう接点に気付くことは、このブログを始めなかったらできなかったことです。ありがとうございました。
    こちらこそ、来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。
    2014年12月30日 08:39
  • ヒデヨシ

    こんにちは
    関西本線でしょっちゅう旧型客車に乗ってました。
    機関車は稲沢第1のDD51 712,713,714に当たることが多かったです。
    客車もスハ43かその軽量版がほとんど
    亀山はまだ客車列車も多く大駅ですからお話しにある予暖房の設備くらい在っても良さそうに思いますね。
    山陰本線の愛用普通列車「山陰」で京都始発の時いつまでもキンキンと音を立ててうるさかった想い出が・・・
    2014年12月30日 11:56
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんばんは。
    乗務の記録をひもときましたら、DD51 712,713,714は3機とも関西本線の客車列車で牽引してもらっていました。
    関西本線客車列車末期1981年版の国鉄車両配置表によりますと、稲沢一区のDD51SGは661,662,712,713,714,717,746.749,750,751が配置されていますが、関西本線の客車列車では749と751以外には出会っています。もっともその前の列車掛時代の貨物列車まで含めれば全機のお世話になっています。
    使用された客車は、ナハ10,オハ35,46,47,スハ40,ナハフ10,オハフ45,46,スハフ42と多種多彩、名ナコは全部電暖併設車で、天カメはほとんどが蒸気のみでした。
    「山陰」は高校生の頃、冬場にDD54時代に1度だけ乗りましたが、暖房のことよりDD54の牽き出しが荒っぽかったことばかりが記憶に残っています。
    2014年12月30日 18:20
  • 門ハイ

    こんにちは。客車の暖房話、動力車とは違った視点で面白く、ジックリと拝読しました。仰るとおり、寒冷地などでは動いていない時のパイプの処理に困るのですね。詳しい構造以上に、パイプの「キンキン」音が、私にとっての昭和ノスルジーでした。
    今年も内容のある記事を楽しませてもらいありがとうございました。
    2014年12月31日 14:08
  • しなの7号

    門ハイ様 こんにちは。
    冷暖房は自動温度調節が当たり前になりましたが、国鉄があった時代の空調にたずさわった者の話はあまり聞かないので、趣味的には面白くはないだろうと思いましたがアップしました。あの音はまさに昭和時代の冬の風物詩ですね。
    来年もよろしくお願いします。
    2014年12月31日 14:45
  • 風旅記

    こんにちは。
    六郷川橋梁について検索していたのですが、こちらの記事がヒットし、大変興味深く拝見させて頂きました。
    ご記載のありますように、写真で機関車や客車から上記の漏れ出す様子を見たことがあります。寒い駅のホームで旅情のあるその様子を、自分でも見てみたかったと感じていました。
    実際にはその操作は経験のいる難しいものだったのですね。単に機関車からの蒸気を客車に通して暖める、程度にしか思っていませんでしたが、確かに機関車の直後と最後尾では暖まり方にも差が出るでしょうし、酷寒の北海道や東北ではなおさら、凍結しないようにするにもコツがいったことと思います。
    今の車両の全自動のエアコンでは想像のつかないような鉄道の一場面、とても興味深く拝見しました。
    風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
    2017年07月02日 18:53
  • しなの7号

    風旅記様 こんばんは。
    いつもご覧いただきありがとうございます。
    今となっては、一部のSL列車でしか見られない蒸気暖房。一定の車内温度を維持するため、言ってみれば職人的な勘による作業があったことが伝わるとうれしいです。私が就職した直前には「第一次オイルショック」があり、省エネルギーへの取り組みが始まりましたが、赤字問題が取りざたされていた国鉄の無駄遣いに対して国民は敏感でしたから、過剰冷房や過剰暖房には苦情が多く、現場も気を使っていましたが、一部の新型車両を除けば車内温度の調節はたいへん難しかったです。
    2017年07月02日 20:29
  • AKI

    しなの7号様 どちらかというと乗り鉄で鉄道のことについては詳しくないので勉強させていただいています。車掌さんの仕事のご苦労が伝わってきます。
    8年も前の記事にすみません。記録によると私が日中線に乗ったのは1971年3月4日の終列車でした。積雪60cm、室温3℃で暖房は石油缶に炭火でした。津軽鉄道乗車直後だったので何とも感じなかったのですが、今思うと貴重な体験だったかもしれません。ところで終点の熱塩は無人駅だったようで、車掌が雪の中C11の付替えの案内をし、出発の際は駅の電気を消灯していました。車掌さんは大変だと思いました。
    質問なのですが、・客車列車の場合最後尾は必ず緩急車がつきますか?結構頻繁に主要駅での車両単位の解結があったように思いますが。また花輪線十和田南や五能線の川部駅のように途中で進行方向が変わる場合でもやはり最後尾は緩急車ですか?
    ・カレチ氏は乗車する車掌室は決まっていますか?最後尾が緩急車だとすれば、車掌もその車両に乗車するのが正当と思いますが、実際は駅の本屋の近くの車両に乗っていたように思いますが。
    つまらない質問ですみませんが疑問に思ったので。
    2023年02月08日 22:42
  • しなの7号

    AKI様
    石油缶に炭火での暖房とは、なかなかできない体験ですね。蒸気暖房は機関車との間に暖房管を引き通さなければならず、機関車と客車を切り離すたびに蒸気を止める必要があるので、混合列車がある線区や短区間の折り返し列車では蒸気暖房が使用されないケースがあったようです。その場合、寒冷地では軽油による暖房装置や石炭ストーブを専用の客車に装備していたと思いますが、そういう車両が故障や検査で使えないと、そんな裏技を使って暖房をしていたのでしょうか。それにしても室温3℃とは、暖房がないに等しいですね。

    緩急車は列車の最後部に連結するのが原則です。ただしブレーキシリンダを備えた車両が最後部に連結されていれば、車掌乗務省略線区(通票閉そく区間などの非自動区間で、保安上の問題がなく、他の列車・他の線路を支障する恐れのない線区が指定される。)では、貨物列車は車掌省略(緩急車も省略可能)で、旅客列車では車掌は乗務するものの、緩急車の連結位置は最後部に限定されませんでした。

    車掌の業務は、列車の運転(操縦するのではなく保安要員という意味です)と営業(車内巡回や無人駅の集札他)の両方がありますから、その乗務位置は最後部の緩急車に固定されるものではありませんが、緊急停止手配や列車防護のことを考えれば、複数の緩急車が連結されていても、業務に支障がない限り後部寄の緩急車に乗務すべきです。2人乗務の列車で、運転担務とは別に乗務している客扱担務の車掌は列車の進行方向に関係なく、たとえば中間のグリーン車の乗務員室に乗務することがあります。
    2023年02月09日 20:11
  • AKI

    ご教示ありがとうございました。
    石油缶は何かトラブルがあった結果でしょうかね?
    2023年02月10日 09:02
  • しなの7号

    AKI様
    石油缶に炭火での暖房というのは初耳でした。常時使っていたとすれば、室温3℃ではまったく実用的な方法とは言えませんね。
    2023年02月10日 14:09

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