【568】 北斗星

寝台特急「北斗星」が、定期運行を終えました。
青函トンネルと瀬戸大橋を通る鉄道が開業して4島がレールで結ばれたのは、全国ネットだった国鉄が分割民営化された翌年でした。そのとき登場したのが「北斗星」でしたので、北斗星は国鉄には直接関係がないJR時代の列車です。青函連絡船を介してした北海道へ列車で直通できるという、国鉄時代から待たれていた列車であったわけですが、当時はすでに航空機の時代になっていました。そんなわけもあって、個室車を複数連結した豪華列車という付加価値を付けて新生JR期待の星としてデビューした長距離寝台列車なのでした。
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地に足がついていない交通機関が苦手な私は、青函トンネルが開通したら北海道へ行こうと以前から思っていました。そうして開通後2年近く経った1990年(平成2年)の2月に「北斗星」に乗る機会を得たのでした。
そのときの同行者は、国鉄時代の独身寮で一時同室で過ごしたTさんで、切符の手配は彼に一任しました。
当時の北斗星は3往復体制で、私が乗ったのはJR北海道車で組成された北斗星3号でした。これが、そのときの特急・寝台券です。
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その日、乗車前の上野駅で、先行する北斗星1号の発車風景をビデオカメラで撮影しました。
素人映像で、たいへん見苦しいですが、よろしければご覧ください。

そのあと私どもが乗った北斗星3号が上野を発車しました。こちらはそのとき乗った個室のカードキーです。
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上野発車時刻は17時17分でした。
発車後の車内放送を移りゆく車窓とともにご覧ください。尾久の車両基地を通過してもまだ車内放送が続きます。ただし音量が小さめですので、ボリュームを上げてお聞きください。

車内ではシャワールームを試してみました。こちらはそのときのシャワーカードです。
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夜が更けて、車掌さんも一段落して落ち着かれたかと思われる時刻になってから車掌室を訪問して、乗車記念オレンジカードを購入しました。
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そして車内補充券を1枚作成してほしいとお願いして、こんな乗車券を記念に作っていただきました。
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この夜はほとんど寝つけず、未明の青函トンネルでもしっかりと目を見開いたままで北海道入りしました。
長万部到着前に、青森で交代されたJR北海道の車掌から「おはよう放送」がありました。こちらはさきほどより音声が大きいですから、再生に当たってはボリュームにご注意ください。後半は、音声はそのままに、映像だけを長万部で「北斗星トマムスキー」号を追い抜く場面から、長万部機関区の扇形庫を過ぎるあたりまでの車窓映像に振り替えています。そのため後半の音声と映像はシンクロしていませんのでご承知おきください。「北斗星トマムスキー」号は、横浜始発トマム行の臨時列車で、長万部まで私が乗った北斗星3号に先行していました。

この旅の後に、私は3回渡道しましたが、往路は毎回青函トンネル経由でした。しかし東北新幹線との乗継でしたので、北斗星に乗車したのはこの一度きりになってしまいました。
国鉄分割民営化後に誕生した列車とは言っても、カタカナの列車名でなく、装いも最後まで国鉄譲りの青い車体を最後まで貫きとおし、私としてはJR化後に誕生した列車としては異例ともいえる存在として好感を持っています。ブルートレインは、子供のころから自分の中で特別な存在でありましたが、国鉄在職中にも乗務する機会はありませんでした。そうして最後まで残った北斗星も臨時列車化されて、活躍できるのもあと少しの間ではありましょう。最期の日まで無事故でその使命を全うしてほしいと願っています。

この記事へのコメント

  • NAO

    4島が線路で結ばれていると言っても、今のところ四国だけは新幹線とは縁が無いですね。このことは四国出身の家内が不公平だと嘆いています。
    青函トンネルは快速「海峡」で一度通ったきりですが、北斗星にお乗りになったことがおありとは羨ましいです。海峡線は客車主体で開業しましたが、考えてみれば珍しいことですね。と云っても改造車ばかりですが。
    ハイケンスのセレナーデ、久しぶりに聴かせていただきました。ずっと前、来社されたお得意様の携帯が鳴ったのですが、着メロがこの曲でした。私が鉄とは悟られないように、でも確認もしたいので、通話が終わられてから「寝台車か何かで聴いたことがあるような曲ですね」と言いましたら、「そうなんです、今度の時刻改正で(関西発)九州ブルトレがなくなりますから、乗るのは今のうちですよ」なんてヒートアップしそうな展開になりはじめたので、私の返事は「へえ~、そうなんですか(知ってますけど)」。
    次の来客を控えていたのですが、それさえなければもっと話しを脱線させてお昼もお誘いしたかったのですが(列車の運行は脱線せぬよう安全第一であることは普段から祈っております)。
    2015年03月19日 09:20
  • しなの7号

    NAO様 本籍地が四国の宮脇俊三さんも四国の地味さ?を綴っておられますね。旅行ガイドブックは四国が一番売れ行きがわるいとか、「瀬戸内海はいいですね」と相手がフォローしてくれるが、「瀬戸内海は四国ではない」とか。
    かく言う私も、四国へ行ったのは北海道より後だったりします(^_^;)

    会社の帰り、満員の電車の中で、ある駅につく直前にその手の着メロが鳴りました。誰かの携帯であるのですが、該当者不明。鉄に違いない!
    で、しばらくして同じ電車に乗ったら、またしても同じことが… どうやら毎日乗り過ごし防止用にアラーム設定しているらしい。迷惑だけどどこのどいつなのか気になりました。
    オルゴールで目覚める寝台列車の朝の雰囲気も簡単には味わえない世の中になりました。
    (北斗星の朝の放送ではオルゴール部分の収録に間に合いませんでした(+_+))
    2015年03月19日 10:29
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。仕事を持っているし、なかなか切符も取れないのですがいつか乗るつもりだった「トワイライトエクスプレス」「北斗星」共々定期運用に幕をおろしてしまいましたね。まだトワイライトロスから立ち直れないです。立ち直れないのに秋には紀勢本線の381系が引退と言うさらにショッキングな事が待っています。北海道内の牽引機であるDD51もだんだん引退していると鉄である学生さんが寂しそうに言っていました。私も気持ちは同じなので、スケールモデルを買いました。鉄の人はお若くても国鉄型の車両の方が好きなんですね。彼らとの国鉄車両談義は白熱しますよ。パンチ
    2015年03月19日 19:09
  • サンダーバード46号

    こんばんは。北斗星は10数年前に1度だけ、B個室ソロを利用したことがあります。トワイライトには3回乗車したことを考えると、新幹線で東京まで出てくるのが面倒臭かったこともありますが、実情は北海道旅行は特急白鳥と急行はまなすの乗り継ぎで、旅費を節約していたのが実情です。北斗星やトワイライトに乗りだしたのは特急白鳥が廃止になった2001年以降で、切符の拝見が終わって部屋のカギを受け取れば、そこは誰にも邪魔されない自分だけの空間になり、パンツ一丁で酒を飲んで寝るなど好き放題やってました。初夏~秋の頃の下り列車に乗車すると、早朝に青函トンネルを抜けて海沿いを走っているうちに、車窓に函館山が近づいてきて、はるばる北海道にやってきたと実感したものです。来年は北海道新幹線が函館まで開業すると同時に、江差線の五稜郭~木古内間が3セクに移管されますが、津軽海峡線と瀬戸大橋線の開業した当時は、「日本列島が一本列島になった」というキャッチコピーがテレビで流れていましたが、また在来線の分断が進んでしまうと感じ、大変残念でなりません。
    2015年03月19日 19:11
  • しなの7号

    鉄子おばさん様 こんばんは。
    いつの世でも、失うものと新しく生まれるものがあり、世代交代が常に行われていることは、わかってはいるものの、いざ別れとなるとさみしいものです。

    同じ車両への思いを世代を超えて話せることは、趣味の世界ならではでうれしいことですね。我家のNゲージはどんどん数を減らしていますが、うちに4台もいるDD51は、思い入れがあるのでなかなか整理できずにいます。
    2015年03月19日 21:30
  • しなの7号

    サンダーバード46号様 こんばんは。
    何度も寝台車に乗られているようですね^^
    もともと私は夜行は得意ではないのですが、北斗星は別格でしたね。個室も2人用のこの時が最初で最後でした。まあキモイ男2人での利用でしたが…こういう個室列車の旅の機会は奪わないでほしかったと思います。

    自分もそのほかの渡道時は快速海峡か、新幹線八戸開業時のスーパー白鳥でしたので、遠くに函館山が見えると北海道に来たぞ実感する感覚は同様に味わえました。
    テレビではお祭り騒ぎの新幹線開業の華やかさの陰に隠れてあまり報道されませんが、三セク化された在来線は、いずこも前途多難を思わせます。
    2015年03月19日 22:01
  • ぱす

    青函連絡船末期に、乗車券は往復で買っていたので、帰京するのに、お昼頃の札幌駅窓口で当日の函館までの急行券を申し込んだところ、出札で「すずらんですね」と確認されました。既に、急行は夜行のすずらんだけになってました。
    2015年03月20日 01:02
  • しなの7号

    ぱす様
    「急行」というだけでどの列車に乗るのかわかってしまうのは、国鉄全盛期ならローカル線でしか考えられなかったですが、特急全盛になると、急行と変わらない特急が全国にあふれる結果となりましたね。JRになってから「スーパー○○」とか速達タイプの特急が出たりしますが、その存在や廃止が全国ニュースとして取り上げられるような在来線特急は、着実に数を減らして現状に至ったことを改めて感じます。
    2015年03月20日 07:53
  • 北恵那デ2

    こんにちは。私が寝台車に乗ったのは、高校生の研修旅行(修学旅行)の帰路だけのような記憶です。たぶん583系かな。九州SL撮影の帰路は「音戸1号」だったけれども普通車に乗ったと思いますし。しっかり地面の上の布団で寝ないと次の日に活動できない人間ですので、寝台車など乗りたくはない。などと言っていましたが、一部を除き乗りたくても乗れなくなったのですね。先日も最近乗った人の話を聞きましたが、やはりしっかり寝られないし、シャワーは時間制限でお湯が止まってしまうので快適な旅ではないと言ってましたが。遠ざかって行く赤いテールライトを見ることに旅情を感じている程度の方が幸せだったりして(笑)。
    2015年03月20日 17:36
  • 急行 陸中

    北斗星乗られていたのですか、
    結局乗らずじまいで定期運用終了ですか、
    最初に北海道に渡ったのは、青函連絡船でした。
    寝台特急だと、日本海に1度函館から
    乗ったくらいでしょうか。
    ますます鉄分うすくなります。
    東北新幹線が、1982年盛岡開通で大騒ぎして、
    こんなふうになるとは、想像してませんでした。
    2015年03月20日 17:44
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんばんは。
    自分も自分の家の布団でないと寝られない人なので、夜行はあまり使いませんでしたが、夜が明けて見知らぬ景色が見えてくるというのは、夜行ならではの良さです。高校生の時の九州の帰りは「阿蘇」のスハネ16で、あれが初めての寝台車でした。
    サンダーバード46号様のコメントにありましたが、寝台も個室だと他ではできない「パンツ一丁で酒を飲んで寝る」ようなことができるのが魅力?じゃないでしょうか。
    「遠ざかって行く赤いテールライトを見ることに旅情を感じる」と、乗りたくなってしまうのは病気でしょうかね?
    2015年03月20日 20:59
  • しなの7号

    急行 陸中 様
    私は、四国も北海道も連絡船時代には行っていません。単純に船が好きでなかったことに拠ります。でもその後は飛行機には乗るようになりましたし、宇高航路の廃止後には、四国フェリーに「わざわざ」乗りに行きました。今のところ北海道行の場合、往路は、毎回鉄道利用の私ですが、今後は北海道に行くことがあったとしたら、1度くらいは新幹線に乗ることはあっても、以後は往復とも飛行機になりそうな気がしています。
    ちなみに、この北斗星利用の帰路は、快速海峡で青森に戻った後に、日本海Bネで大阪を経由して戻りました。
    2015年03月20日 21:01
  • 大井町の住人

    こんにちは。
    私にとって、「博多あさかぜ」が廃止になった時点で、ブルートレインの歴史は終わった感がありました。
    以降、食堂車も連結されず、老朽が目立つ車体はむしろ痛々しさすら、感じました。
    そうゆう意味をでは、「北斗星」は減便と多少短編成になりましたが、最後まで食堂車を連結し、栄光の1レであり続けたことは、良かったと思います。
    歴史上最後の1レになることでしょうね。
    おしゃる通り、「北斗星」はJR発足後の列車です。しかし、車両の一部は将来の北海道直通寝台特急向けに、国鉄が準備し、「ゆうづる」で暫定使用されいましたので、「北斗星」は国鉄により着手され、JRに引き継がれたと言えなくもありません。
    記憶が曖昧なのですが、青函トンネル開業直前の新聞記事に、北斗星に乗務する車掌のコメントが載っいて、その中に「終着まで乗務できなくて残念」というくだりがありました。
    確かに、当時は会社間越境乗務は珍しくなく、むしろ寝台列車が夜中乗務員交代を行う方が、国鉄の常識では考えられないことであったと思います。
    「分割」を実感した思いがありました。
    当初の担当車掌区は、東日本が上野、青森、北海道が函館、札幌と、沿線車掌区に花を持たせたのではと思います。
    2015年03月21日 10:53
  • 大井町の住人

    ちょっと話題が変わりますので、別投稿させて頂きます。
    「トワイライトエクスプレス」上りラストラン北海道車掌のお別れ車内放送が、動画サイトにアップされています。
    あたりさわりのないあいさつではなく、自分のことばでお話されているように感じました。
    このご時世字面だけとらえ、揚げ足を取るやからもおりますので、逆に心配になるくらいです。特に、JR北海道は風当たりが強いですから。
    さて、このお別れ放送で、「トワイライトの車内温度調整には大変苦労した」と、お話しさせています。
    「カシオペア」は車掌室で集中管理ができるが、「トワイライト」は車両ごとに「入」か「切」かで、調整しなければならなったと、貴ブログでも取り上げたような話しをされていました。
    車掌氏は「世話のかかる子ほどかわいい」と付け加えられ、ぐっときました。
    2015年03月21日 11:52
  • しなの7号

    大井町の住人様 こんにちは。
    おっしゃるように、食堂車を従えた九州ブルトレがあったころが、最もブルートレインらしい時期でありました。私のお気に入りは20系客車でしたので、Nゲージで往時を偲ぶしかありません。
    北斗星はゆうづるの延長みたいな性格の列車ですので、国鉄の延長と言ってもいいですね。
    国鉄時代、特に夜行列車の場合は一車掌区が受け持つのが常識みたいだったのですが、この3月ダイヤ改正からサンライズ出雲瀬戸も、車掌乗務は旅客会社ごとのこま切れ乗務になったようです。
    ご教示いただいた「トワイライトエクスプレス」上りラストランの車内放送の動画、拝見しました。まさに古い車両の改造車だけに、そのお守りは大変だったと思います。温度調節ひとつとっても手間がかかるだけでなく、長い経験を積んでないと車両個々のご機嫌がわからない列車だったのでしょう。それだけに誇りを持って乗務されていたことが伝わってきました。
    肉声放送は個性が伝わってきて好きなのですが、それも聞くことが少なくなり自動放送が多くなりました。その少なくなった肉声放送でも、昨今では自動放送のような画一的な内容で面白みが半減です。今はマニュアルどおりの放送が正しい放送なのでしょうが、私などは「お忘れ物ございませんようご注意ください」という放送はありきたりで誰も聞かないだろうからと、雨上がりだったりすると、「傘をお忘れではないですか?お忘れにならないようご注意ください」などと、乗客のみなさんがあれっ?というような言い回しで、効果が上がるよう工夫して放送していたつもりです。
    2015年03月21日 15:59
  • TOKYO WEST

    今回のダイヤ改正は、「北斗星」「トワイライト」の廃止もさることながら、コメントにあるようにサンライズ瀬戸・出雲の車掌(JR西日本岡山車掌区・米子車掌区)の他社管内への通し乗務の廃止に一抹の寂しさを感じました。近年では運転取扱実施基準(運転取扱実施基準規程)も内容・構成が各社で差が出ているようですし、電車列車の出発合図も知らせ灯式なのはJR東日本のみになってしまいました。さらに津波発生時などのことを考えると、地元の車掌を乗せたほうがよいとの判断があったようです。
    名古屋運輸区が浜松・米原間、東京車掌区が東京・熱海間を担当しているようで、いずれも久しぶりの寝台列車への乗務復活ということにはなりますが、昔のような長距離乗務の醍醐味からは程遠いでしょうね。
    2015年03月22日 21:35
  • しなの7号

    TOKYO WEST様
    異常時の対応のため、地元に精通した乗務員に任せるという趣旨には異論がありませんが、旅客会社には運転車掌を別に乗務させるという発想はないと思いますから、そういう乗務形態に落ち着くのでしょう。逆に接客上のデメリットが異常時を中心に発生することが懸念されますね。特に末端の接続関係に疎く車両そのものにも疎いと思われるJR東海区間の乗務員区では問題でしょう。今、拙ブログでも急行「のりくら」に編成を引き継ぐ武豊線列車の記事を連載しているところですが、長距離優等列車への引継には気を使いましたし、就職当時に乗っていた東海道の荷物列車でも他車掌区との引継の際には、その引継内容の良し悪し(きめ細かいか雑か)をよく言われました。今回の改正でうまく運用されることを願っていますが、東海区間でも浜松停車があることですし、老婆心ながら心配します。
    2015年03月23日 06:25

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