【569】 思い出の乗務列車49:武豊線922D(後篇)

先週に引き続いて、私が乗務していた昭和50年代後半、朝の名古屋発武豊行二番列車9両編成922Dのお話です。
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このころの武豊線で無人駅だったのが、尾張森岡と石浜でした。また、東成岩は駅員こそいたものの、運転従事要員のみ配置ということで、出札改札を行わない駅でした。これら3駅での下車客の集札と乗車客の乗車券発売は車掌の仕事でした。こういうときも2人乗務の場合は打ち合わせをして、「ドアと放送」「集札」を分業で行いました。
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特に客扱担当の場合は、長編成の車内を前へ後ろへと行ったり来たりしたものですが、そのときには常に車内温度計に目を向け、冬場なら暖房のバルブ調整、夏場なら冷房故障などがないか、さらに便洗面所の出水状態など、急行になることを前提にして点検をしていきました。

この列車に使用されていたキハ58系は、この時点(昭和56年~昭和60年ころ)で、すでに製造後少なくとも15年以上経過した車両がほとんどで、古い車両だという印象を持っていましたが、そういう印象を持ったのは不具合がよく発生したからでした。
多かったのは、ドアの開閉不良でした。車掌スイッチを閉位にしても、車側表示灯がなかなか滅灯しない車両があったりしてイライラするわけです。なにか挟まっているのかと、再び車掌スイッチを開位にしてから改めて閉位にしたりしますが、やはりダメ。しかたないので、そのドアの状態を見てこようとホーム上を走りだすとパッと車側表示灯が消灯するという類。これがホームから外れている車両であれば、どうにもなりません。
そんなときはもう一人の車掌にドアと放送をお願いして、その車両へ車内から出向いてドアの開閉状態を見に行ってくるということもありました。そうすることで初めて、何かが挟まっていたのではなくドアの開閉速度が異常にに遅かったのだと分かったりします。
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だいたい気動車のドアは電車のそれに比べると、開閉のために使用する空気圧の関係からか動きは鈍いのですから、何度も車掌スイッチで開閉を繰り返すと、空気圧が回復せず却って閉まりが悪くなるようでした。こういう故障は、潤滑油の粘度が高まる寒冷時が多いように思いました。

このほか、故障とは違いますが、早朝の列車ですので、横から日が当たる東側(進行左側)の車側表示灯は、点灯しているのか消灯しているのか、日光が表示灯に入り込んでいてわからないということもたびたびありました。下の画像は117系電車(左)と111系電車(右)の車側表示灯です。新しい117系のほうは、大きくて電球が2個内蔵され明るくて見やすいものでしたが、キハ58系は画像右側の111系に似た小さいタイプで、電車のそれより排煙や鉄粉で汚れていたので、さらに見にくくなっていました。
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長大編成ですから、前のほうの表示灯など確認不可能な状況もごく普通でした。「滅灯…オーライ?」と自信なさげに称呼して出発合図のブザー 「―」 を運転士に送ると、 「・・」 (車掌スイッチをを扱え)と返ってくることもありました。どこかの車両でドアが閉まらず点灯しているはずですがどのドアなのか特定できません。一度車掌スイッチを開閉して、表示灯の点灯状態の変化を確かめてみても、よくわかりません。再度 「―」。 こんどは先頭車で運転士が顔を出して後ろを見ています。運転士自らが確認してくれているようで、運転士からすぐに電話にかかれという 「―・・―」 の合図。
「パイロットが来んぞ」(運転室のパイロットランプが点かないぞ)
「運転士さんから、何両目が点いとるかわかりますか?」
「こっちからもわからん。どっかドアが開いてるかもしれんから1両ずつ見てくれんか」
こういうことになると、9両もの車両を確認している間に列車は遅延することになります。
ドアが完全に閉まらない車両がどれかがわかったとしても職員が一人、そのドアに張り付くか、施錠する必要が出てきます。

そのほかによくあった故障と言えば、便洗面所の水が出っぱなしで止まらないとか、逆に水が出ないとかの出水不良。室内蛍光灯の球切れ不点灯。放送機器の不具合。音量が小さいとか、常にスピーカーから耳障りな発振音が入るとか。そして冷房故障。冷房電源のエンジンが起動しなかったり、オーバーヒートによる停止や、ユニットクーラーからの水漏れ。これらは以前に【506】冷房車(後篇:不具合(-_-;))で書いたことがありますので、省略しますが、夏場のいちばんの心配事でした。
こんなドタバタ劇をしているうちに終点の武豊駅に到着するのが922Dの乗務でした。こうした故障をそのまま放置はできません。折り返しの最混雑列車927Dでももちろん困るのですが、名古屋に折り返した後に、そのまま急行になる編成でああることが、この列車の特殊事情でした。指定席が3両もあり、そのうち1両はグリーン車なのですから、夏場に冷房が効かないまま引き継ぐことな絶対できませんでした。
車掌で対処できない故障は、武豊の折り返しの時間に運転士にも協力をお願いしますが、専門職に頼るケースが多々ありました。最大の助っ人は、名古屋客貨車区の「旅客車サービス班」でした。「旅客車サービス班」は旅客車両の上回りの応急修理屋さんでした。このことについても前述の【506】冷房車(後篇:不具合(-_-;))で少し触れていますが「旅客車サービス班」は、冷房の故障、点灯しない室内灯の交換、割れた窓ガラスの応急処置とか車両のサービス機器の故障・不具合があった場合に、乗務員が出先から直接、または間接的に途中駅の駅員を介して出場依頼の電話をすると、その列車が名古屋駅に着くとホームに出場して対応してくれました。停車中に修理できなければそのまま乗車して運転中に修理してくれることもありました。この922D~927Dの1往復は、「旅客車サービス班」のお世話になる常習列車といってよく、不具合があったときは武豊駅に着くとすぐ、乗継詰所から電話をしました。
「もし!(「もしもし」というのももどかしい)サービスさん? 927Dの車掌ですけど」
「またかね!今日はどうした?」
「ドアが閉まらんのですけどぉ。えーと、4号車でキハゴーハチの734、太田の車で海側神戸方のドア!」
東海道本線では下り列車に対して、進行方向前方を「神戸方」後方を「東京方」、進行方向右方を「山側」左方を「海側」と言いました。
「どんな感じ? なんか引っかかっとるふう?」
「そうやなくて、動きがすごくノロくて、手で押しつけてやらんと閉まらんのですが。」
「はい、じゃあ名古屋で出ますで、通告券作っといて。」
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私が乗務していたキハ58系乗務列車には、美濃太田機関区所属車のほかに、他局を含めて3か所の所属区車両がありましたが、こうした故障の確率がきわめて高いのがこの列車でした。美濃太田機関区所属車が主体の編成でしたので、「美濃太田の車両は故障が多い!」という印象が自分には強く印象付けられてしまいました。当時の美濃太田所属車はかなり広域に運用されていましたし、幹線系で高速運転に機会も多かったはずですし、豪雪地帯にも運用されていましたから、それなりに酷使されていたのかもしれません。

余談ですが、「カレチ 5 (池田邦彦作【コミック】)」では、この 「旅客車サービス班」の検査係が特急雷鳥の冷水機を走行中に修理をした際、その出張経路を、当事者である検査係の意と関係なしに、実際より水増しして出張旅費が支給されたことを発端として、国鉄分割民営化へ一気に進んでいくストーリーになっています。もちろんフィクションですが、「旅客車サービス班」のことを書きながら、そのコミック本を思い出してしまいました。

この記事へのコメント

  • NAO

    しなの7号様、おはようございます。
    「またかね!今日はどうした?」は笑っている場合ではないのですが、今となっては笑ってる場合のお話しですね。苦労された乗務とは思いますがお赦し下さい。
    美祢線大嶺支線に乗ったとき、終点大嶺駅で折り返しの際、ワンマン仕様キハ30の車側灯が上手く消点せず、運転手さんがドアを手で開けたり閉めたりしてしばらく首を傾げておられたことがありました。夜の無人駅で永い折り返し時間、私は少し離れたところから眺めていて、あっという間に発車時刻になりました。
    一度、上越腺に1往復だけ残った昼行特急上り「鳥海」の食堂車を利用したとき、食堂車から先頭車まで編成前半分の暖房が故障したことがありました。雪しか見えない景色を見ていだけで寒そうで、車内の暖気が残っているうちにビールを飲んだのが懐かしいです。レチチ氏のお詫び放送が入り、次の停車駅越後湯沢からヘルメットを被った係りの人が2人乗って来て対処されましたが、厨房の調理には影響していなかったので、電気系統が別だったのかもしれません。幸いにも私の指定席は故障していない編成後ろ側でした。
    2015年03月23日 07:42
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    そのキハ30もそうとう使い込んだ車両だったのでしょう。大嶺支線に私が乗った時はキハ23でした。廃止間近のころでしたから、これもかなりのボロでした。折り返し時間は宮脇俊三さんがバスに轢かれそうになったところ(崖があるはず)がどこか気になっており、駅付近をウロチョロしましたが、それがどのあたりなのか、わからずじまいでした。

    鳥海が485系だった時代が、そういえばあったですね。名古屋で「しらさぎ」のサシ481のそばを通ると、独特の香りとヒューンというMGの音がしましたから、食堂車単独の電源があったと思われます。
    本文の方に戻りますが、長距離列車「のりくら」に引き継ぐこの列車には、ほんとうに気を使いました。この鳥海で遭われたような故障で、乗客から叱られるのは「のりくら」車掌長と専務車掌でしたから。
    同じ車掌区の人ですし、次に車掌区であった時には、挨拶もできませんし、呼び止められて「この前は往生こいたわ!!」とはっきり言われても何とも言い返すことができません。
    どうやら922D~927Dは61.11以後に1人乗務になっていたらしいので、そうなると、完璧な状態で引き継ぐことは物理的に困難になっただろうと思わざるを得ません。そういう中では、自分が納得のいく仕事ができなくなるわけですから、その意味では、私自身がもう乗務員を職業とすることには限界であった時期とも言えるのかもしれません。
    2015年03月24日 06:05
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。小さなトラブルでも連続するとかなり心身共にこたえますよね。経験を積んだベテランさんは鼻歌まじりで処理できるような事でも経験の浅い方には重荷になるのは確かです。坂本衛さんも急性肝炎を患ったとか…自分の仕事は乗務員さんのように人の命を預かるのではないですが、やはり電子レンジが途中でエラーになって温めなおさなければならない、お客様に押していただかなくてはならないレジ面のボタンが作動しないといらっとくる事はたびたびです。
    2015年03月24日 10:08
  • しなの7号

    鉄子おばさん様 こんにちは。
    往々にして、機械に弄ばされることがよくありますね。
    会社はもっと使いやすい最新式の機械を入れればいいのに!!
    ということなのですが、愛する381系を例にとれば、国鉄時代でさえ、しなの号の乗務では揺れまくる職場環境は最悪でした。いまだに西日本で使用されていることを考えると、現場で381系に関わっておられる大多数の方が、早く廃車にして新車を入れろ!!という気持ちで働いておられるのでしょう。趣味の世界とは視点が変わってしまいますが、手がかかる車両を操ることができる腕をお持ちで、それを仕事としてきたことに誇りをお持ちの方々には、そうした車両たちも愛着という気持ちとなって心に残るものと信じています。
    2015年03月24日 11:51
  • 大阪の愛知県人

    こんばんは。引き続き927Dにまつわるお話、懐かしみながら拝読致しました。
    先週のホームはみ出しの件、当時は当然に受け止めていた程おおらかな時代でした。しかし車掌にとっては乗客の安全のために神経を削る思いだったのだと再認識した次第です。
    乙川駅でも9両編成の場合、後部2両半がはみ出します。高校通学時はわざとホーム後部のスロープ部から7両目後ろ扉へよじ登る事もありました。
    国鉄時代は列車本数が少なく、毎朝同じ車両の同じ席に同じ顔ぶれが見られました。従ってホームはみ出しも地元では余り気にならなかったのかも知れません。

    ドア故障のトラブルは時々ありましたね。車掌さんがホームを疾走したり、駅員さんと遅延の連絡?をする光景を目にしました。急行用2扉車なので、元々乗降に時間がかかる上に空気圧低下や経年劣化による苦しい開閉で、定時運行が厳しかったのは感じていました。
    ただ、名ナコと名ミオで保守レベルに差があったのは事実のような気がしますが。歴史だけでなく、保守対象の車両でも91系や82系・181系も面倒を見ていたのですから“それ相応”の技術が求められた職場だったと想像します。

    ちなみに、武豊線の急行間合い仕業について、数年前に見つけた「碧海電子鉄道」さんのブログにも記述がありますのでご参照ください。
    http://www.ne.jp/asahi/hekkai/rail/kinu_take/taketoyo-11.htm

    1985年4月から社会人として再度927Dを通勤利用し始めたのですが、熱田駅で下車しており鉄分も薄まった時期だったので、残念ながら詳細の記憶が残っていません。
    そしていつの間にかJRになり、【みえ】【かすが】仕様の58系へ置き換えられたのでした。
    2015年03月25日 21:23
  • 北恵那デ2

    おはようございます。以前に乗車後ドアが閉まっているのに、車掌氏が後ろから前までドアを点検して回っておられました。ドアは閉まっておりますので早く発車してくれんやろか、と思いましても延々と待たされた挙句、さしたる車内放送も無く遅延するというようなこともありました。確かに古い車輌を走らせるのには苦労が多いものだと思います。ましてやSLともなりますとやりたくないというのが現実のようですね。さて、他のブログでもついつい昔話を書いてしまいますが、自分がブログを立ち上げた暁には話題が皆無とならないようにこの辺にしておきます(笑)。
    2015年03月26日 07:33
  • しなの7号

    大阪の愛知県人様
    武豊行922Dについて2回にわたりご紹介しました。来週から引き続き折り返し927Dについて3回にわたって、その実態をお伝えしてまいります。その中で、ホームからの乗車が徹底されないことや、亀崎までの回送締切の件も当然に盛り込む予定にしています。乗客であられた立場でも、ホームにかからないことがさほど気にされないような雰囲気が当時にはあったのですね。ホームを走って行ったり来たりする車掌や駅員、ほんとうに困った列車でした。
    ご紹介いただいたサイト、私も以前に拝見しています。トップページに管理人様からリンクについて画像との直リンクでなければリンクも構わないような記述がありましたので、いただいたコメントのURLはそのまま公開しておきます。(ただし、コメントからは直接リンクできない仕様です。)
    所属区所による保守レベルの差は、私には経験上の印象であって断定するほどの確証がありませんでしたので、本文のような表現としましたが、おっしゃるようなことも考えられるでしょう。別の例になりますが、新ニイの「赤倉」は長距離&豪雪地域の運用でしたが、中央西線の間合運用で乗務した際に、ドアが閉まらず走った経験はありませんでした。
    2015年03月26日 09:57
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    国鉄末期には当時は新車であったキハ40・48のドアの閉まる速度が各車とも均一で編成中の車側灯が同時に滅灯するので、ものすごく気持がよかったものです。キハ58系ときたら車側表示灯が滅灯するまでの時間が各車バラバラで、なかなか消えない車両があるとイライラしたものです。ドアが閉まらないときは、現場へ走っていって蹴っ飛ばすと閉まるなんてこともありました。苦労して育てた子はかわいいらしいですが、育てたほうはその子に振り回されて成長したわけで、後でそれに気付くというのは、いつの世も同じのようで、この922D~927Dは忘れられない列車です。
    2015年03月26日 10:13
  • 茶色い電車の元学生班

    お邪魔します。
    かれこれ20年ほど前ですでに経年30年だったバイト先の電車(つい先日、ようやく廃車)。
    満員電車で無理矢理押し込んで閉扉したら車側灯は消えてもパイロットランプが不点灯と言う事がよくありました。

    両開きドアが左右非連動とかそれをチェーンで連動させていたからか怪しいドア(もう車番とか車側灯の消え方で推測可能)を前から後ろまで学生班と助勤の運転助役が駆けずり回ってドアを蹴って、叩いていたのを記事を読んで思い出しました。
    同じ形式でも更新工事していたのは良かったんで、保守レベルと言うよりも経年劣化と言うのは機械物には付き物なんですね~
    2015年03月26日 23:42
  • しなの7号

    茶色い電車の元学生班様
    首都圏のような「殺人ラッシュ」みたいなことは、名古屋界隈の国鉄では限られた駅や列車でしか見かけませんでしたが、ドアが閉まらなければ蹴っ飛ばすとかのアナログ的な対応は同じですね。車側灯は消えてもパイロットランプが不点灯という事象もありました。経年劣化といえば、わが家の自動車は初度登録から14年になります。動けばいいので使っていますが、パワーウインドウが動かなかったりするつまらない(走行には問題がないが困る)故障が出たりします。来年には新旧交代予定です(*^^)v
    2015年03月27日 07:14
  • 大井町の住人

    こんにちは。
    毎回興味深い話題を、ありがとうございます。
    国鉄最晩年まで、普通列車用気動車は非冷房でしたので、シートピッチが広く、冷房付きのキハ58系の普通列車運用は、利用者の立場からすると、むしろ歓迎でした。
    しかし、その裏では乗務員の方、車両整備の方のご苦労があったことをはじめて知りました。
    2015年03月28日 13:27
  • しなの7号

    大井町の住人様
    冷房は優等列車のモノという感覚が国鉄時代にはありましたから、普通列車でキハ58系が当たればうれしかったですね。
    多くは冷房後付で、しかも自前で発電しなければならなかったキハ58系には故障のリスクが電車よりも多かったように思います。前に書きましたがターミナル駅で長時間停車していると、ラジエターがプラットホーム側壁にかかってオーバーヒートしたりしましたね。走行用エンジンのように停車中はアイドリングならいいんでしょうけどそんなわけにはいきません。原始的ながら、給水用のホースでラジエターに水をぶっかける応急処置も名古屋駅で見たものです。
    設備関係が複雑になればそれだけ人手がかかるわけですが、逆に人は減らされていきました。
    2015年03月28日 13:58

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