【616】 思い出の乗務列車59:篠ノ井線~中央西線2836~836~荷5044列車(後篇)

先週はリンゴの収穫期に、積込の応援に来ている農家の方からリンゴをいただいたお話をしました。
農家の人にしてみれば、「満載であろうともなんとしても運んでほしい」「今度もお願いだからうちのリンゴだけはお願いします」との気持ちが込められていたのでしょう。とにかく収穫期になると長野発の荷物車はりんご箱で埋まりました。リンゴの収穫期は年末の荷物繁忙期に重なるので、ふだん30秒停車の駅では、荷扱のため列車が遅れてしまうこともよくあったのです。
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それでも、停車時間も特別多く鈍足の列車でしたから、少々の遅れは大駅の長時間停車で帳消しになって、すぐに定時運転に戻りました。
8時間以上の乗務になりましたから、車中で昼食と夕食とが必要になります。お湯は往路と同じく木曽福島駅ホームのソバ屋さんの大ヤカンから補充し、夕食用としますが、名古屋到着は20時前でしたし、後に熱田まで乗務するようになってからは、仕事が終わるのがさらに遅くなりました。こうなると車内での夕食パターンはまちまちで、家が近い人は家での晩酌に差し支えるから夕食は遅くなっても家で食べるから、車内では食べないとい人もありましたし、長野で2食分の食糧を仕入れる場合もありました。以前レチ弁の話をしましたので、それと同じ話になりますが、この列車では中津川駅で夕食用のレチ弁が手配できました。自由購入で3時間以上前(時間的に松本か塩尻停車中)に中津川車掌区に必要個数を電話しておくと、中津川駅の上りホーム上にあった弁当業者さんの詰所に、格安の弁当を用意してもらえました。
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中津川では、冬場には灯油ストーブの返却もしました。ここで翌日の5043列車までに給油しておいてくれたのです。ここまで来ると名古屋まであとわずかだという気になりました。

冬場のリンゴだけでなく、夏には塩尻で特産のブドウが積まれ、秋には松本や塩尻から生花が積まれました。ブドウは箱が小さいのですが、りんどう、ききょうなど高原の切り花は1m以上ある細長い段ボール箱の中に大切に紙に包まれて輸送されていました。重量は軽いけれど場所を占領しました。

面白半分に、段ボール箱で荷物車の内部の積み付けの様子を再現してみます。
中央は通路です。ここは作業用にいつでも荷物を持って行き来できるようにする必要があるので、必ず開けておかなければなりません。
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一般の荷物を積んだ状態です。ミカン箱やリンゴ箱を、振動によって崩れないように積みます。
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荷物車内では中央通路を開けておかないと仕事に差し支えますが、細長い生花の箱は、進行方向に直角に置くと通路を支障します。そこで線路と平行に並べて積むと積載効率は最良になりますが、この積み方では振動でブロック塀が崩れるように倒れやすくなります。
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上のような積み方では問題になることがあります。それは奥にある箱が、通路側の箱の後ろ側に隠れて完全に見えなくなってしまい、数の管理ができないばかりか、行先駅が書かれた荷物切符が即座に確認できないのです。生花は急送品に指定されていますので持越したら大変ですし、もし途中で事故などによって運転休止になった時には真っ先に卸して、他に指示された方法で輸送する必要があるので管理上よくありません。そこで教わったのが、通路を支障しないよう、斜めに箱を並べて井桁状に積んでいく方法でした。
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斜めの積むことで、見た目がよくないものの通路の確保ができ、前後左右の振動に耐えることができ、荷物切符も通路から確認でき、積載効率も上がるのでした。

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就職して約半年して、仕事も自分で段取りを考えてできるようになったころ、この列車に乗ったときのことを書きましょう。
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その日のメンバーは、「専務車掌(荷扱)」は普通車掌から昇格して日も浅く若い△△さん、車掌補(荷扱)は古株の○○さんでした。「車掌補(荷扱)」という職名は私の就職時の職名「乗務掛(荷扱)」の延長線上にあって、給料上の区分けみたいなものにすぎず、仕事自体は乗務掛と全く変わることはなく、部内試験もありませんでした。一定の定員枠があって、乗務掛(荷扱)は、ある程度年数が経てば自動的に車掌補(荷扱)になれました。車掌補になると給料表の職群が上がりましたから給料もわずかでしたが上がり、私も就職後2年8か月で車掌補(荷扱)になれました。ちなみに乗務掛(客扱)・車掌補(客扱)という職種もあり、その仕事は寝台車のセットと解体を主とした「乗客案内」の仕事で「レボ」と呼ばれていました。私が就職したころにはレボの合理化が進んでいて、その人員補充はされていませんでしたから、皆ある程度の勤続年数がある方ばかりでしたので、職場には乗務掛(客扱)を職名とする人はおらず、全員車掌補(客扱)でした。

さて、その先輩車掌補○○さんは、長野を出てから「今日あたりは松本塩尻で花がドッと積まれるぞ。積まれたら荷物室の中が外から見えんように荷物で窓をふさぐように積め。駅の者を中に入れてはいかんぞ」と指示を出しました。その真意はこういうことでした。
軽くて大きい生花の箱で外から荷物室内が見えないように隠してしまえば、中はがらんどうでも、外から見れば満載のように見えます。塩尻から先は満載で積めないと各駅に伝えておけば、木曽の各駅ではみんな他の車両に荷物を積み込むから、名古屋まで遊んで行けるぞというのです。そんなことは冗談だと思って笑って聞いていたのですが、その○○さんは本気でした。一気に塩尻で積まれた生花の箱を、覚えてまもない斜めに井桁に組む積み方をしていったところ、○○さんは「何をやっとるんだ!俺の言うとおりにせんか!」と怒り出し、私が井桁に積み上げた生花の段ボール箱は、全部窓際に線路と並行方向に一列に積み換えさせられることとなりました。
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その車掌補(荷扱)○○さん、こんどはこの名荷24の責任者である専務車掌(荷扱)△△さんに向かって、「坂下の駅まで満載だと各駅伝言してもらえ!」
この場合は「836列車 名荷24 塩尻・坂下間荷物満載」という伝言を、伝言ゲームのように、塩尻から次駅へ順番に電話で伝達してもらうよう塩尻駅に依頼するわけです。最後の坂下駅からは塩尻駅にその内容を伝え、正しければそれでよしというもので、特別重要な事項でなければ、鉄道電報を使用するより便利なので、簡易な方法として使われていたようでした。
こうすることで、積み込まれるべき荷物は他車掌区担当の別の車両に誘導され、すべての車両で満載になってしまえば後続列車まで待つことになってしまいます。しかし荷物が多い時はどの車両も満載かそれに近い状態であることは当然ですから、何としても積んでやるという方向に力を注ぐべきです。それなのに自分たちだけラクをしようという考えには納得できませんでしたし、なんとかして積んでやろうとしていた職人魂の持ち主を私は何人も見てきました。そのとき同乗したのが若い専務車掌(荷扱)△△さんでなく、年配の車掌長(荷扱)氏だったら、そんなことを言う車掌補(荷扱)○○氏に一喝したのでしょうし、私も新人でなければ意見を言うくらいのことはできたはずですが、就職後半年の新人だった私にはできませんでした。せめてもの反抗は、「1個だけでも頼めんかなあ」と乗務員室のところへ荷物を持って現れた小駅の駅員氏から、私の独断で乗務員室の扉から積んであげたことでした。それを見た車掌補氏「えらい安請け合いするなあ。」と嫌みたらたらの発言。私は黙って荷物室にその荷物を持っていきました。

中央西線には単線区間もありますから駅への進入進出時には線路の分岐があり横揺れがきます。そんな積み方では振動で段ボール箱は崩れ、化けの皮がはがれるわけですから、○○さん、常に荷物室の様子をを気にして、崩れそうで積み直す場面もあり、まったく情けないやら腹立たしいやら、そんなことがこの列車の一番の思い出だったりします。
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<2023年3月9日追記>
先日、花屋さんの店先で生花が収められた段ボール箱を見かけました。下がその画像です。背景の黒いクルマはハイエースですので、箱の長さがどの程度なのかお分かりかと思います。
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この記事へのコメント

  • なはっ子

    2週間前、上野から高崎まで普通電車に乗りましたら車内放送で、最後尾の半室は荷物車になっているとのことでした。覗くと、新聞の束がまばらに置かれていて、大駅ごとに売店の方が束を下ろされていました。その様子を見ながら貴サイトのことを思い出しておりました。今朝書かれているような複雑な扱いはないようでしたが、それでも鉄道の昔ながらの役割を見ることができ、思いを新たにしたところです。
    2015年08月24日 07:36
  • しなの7号

    なはっ子様
    そういう場面で、拙ブログを思い出していただけるとは、うれしいことです。
    【248】思い出の乗務列車1:武豊線940D
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201202article_4.html
    で、JR東海の211系電車による中央西線名古屋口での新聞輸送の様子の画像をアップしたことがありますが、今でも大都市のターミナル駅を午後出ていく列車に乗ると夕刊輸送に出くわすことがありますね。
    2015年08月24日 07:54
  • NAO

    おはようございます。
    これは難しい先輩ですね。しかも専務に指示を出す。
    私の職場でも様々な事情があって、私の管理下で仕事をされる先輩が居られるのですが、急に敬語で話しかけられる立場となりますと、これはこれでやりにくいものでして...。
    レチ弁専用の掛け紙なんて作れないと思いますが、画像右上の標語を、「ゆずりあい 輸送を楽しく明るい荷物車内」に変えれば専務氏の考え方も変わったのではないかと。家で晩酌の方なら意味無いですか。 
    積載された模型が実際に画像のように荷崩れしたら泣き叫ぶと思います、私のだったら(他人のでしたら黙ってそのままにしておきます)。
    2015年08月24日 09:40
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    そのとき、専務はたぶん30歳前後、車掌補40代、乗務掛の私は未成年という年齢構成ですから、専務としては難しい立場だったことでしょう。

    先日NゲージのC12を通販で購入しましたが、段ボール箱がハゲしく潰れていて開封して走らせるまで心配でした。無事でしたけど、まさか○○さんが□□急便に再就職して、こんな積み方をして荷崩れしたのでは…。

    荷物車のレチ弁に書く標語
    「筍の 質素なおかず クイチの昼飯」
    2015年08月24日 10:29
  • NAO

    連コメ恐れ入ります。
    ○○さんでしたらまだ積めても他の便に振替えされたかもしれませんね。
    すみません、毎日のことでは無いので面白く読んでしまいますが、筍好きの私はクイチの鉄の食を再現して拙ブログにアップしたくなってしまいました。
    2015年08月24日 10:55
  • しなの7号

    NAO様
    そうか、C12は早く届いたので○○サンではないですね。

    筍は1㎝角くらいに四角く切り、甘い味付けで柔らかく煮込んでください。
    今、その業者さんのサイトで幕の内のお品書きを見ると「白飯・煮物(ちくわ・椎茸・人参)・シュウマイ・鶏そぼろ・大根醤油漬け・鰺フライ・鮭塩焼き・玉子焼・蒲鉾・金時豆」となっていますが、内容は昔の幕の内とも違うみたいです。当時は定価で買う幕の内にも筍は入っていた記憶です。
    筍のほかに何が入っていたか覚えてないです。
    2015年08月24日 11:38
  • あさしお3号

    初めてコメントいたします。
    いつも楽しく見させてもらってます。
    私は今でこそ愛知県に住んでますが、生まれ育ちは向日町運転所の真横でした。
    古き良き国鉄時代のお話、これからも楽しみにしております。
    2015年08月24日 14:22
  • しなの7号

    あさしお3号様 
    ごらんいただきありがとうございます。
    国鉄時代のことを、車両とか列車以外の角度も交えて、しばらくは書き続けていくつもりですので、よろしくお願います。
    2015年08月24日 15:36
  • NAO

    レチ弁レシピありがとうございます。
    筍を煮詰めましたらまたアップさせていただきます。
    2015年08月25日 04:15
  • しなの7号

    NAO様
    それは、たのしみですねえ
    そこのレチ弁の掛け紙は
    「おたのしみ弁当」でした。
    2015年08月25日 06:13
  • 天鉄竜機

    しなの7号さん おはようございます。
    何処の職場でも仕事をしない英雄がいました。当局の言う事を聞かないことが「闘い」的な。楽する事ですから一定の支持を得てましたね~。私のような准マニアの組合活動家は困りました。働いて(労働して)こそ労働者なのに。彼等は職場内の様々な事をよく知ってました。色々な矛盾も。テレビ局が取材に来てるのに勤務時間内に入浴すべきではありませんでした。たとえ機関車の潤滑油を浴びていたとしても。
    国鉄と言う特殊な職場の話かと思ってましたが、民間企業でも大きな声で言う人はいませんが同じです。作業マニュアルが勝手に変更されていて調査しても犯人は出てきません。営業車に小さな傷が発見されても誰も名乗り出ません。
    荷物車内で一生懸命サボタージュをしていた先輩の方が可愛く見えます。
    2015年08月25日 09:38
  • しなの7号

    天鉄竜機様 こんにちは。
    国鉄退職後にも、一生懸命サボタージュに努力をされる方は何人も私の仕事場でお見受けしました。特に転職した直後には、国鉄末期の職場の緊張感から昭和50年代に戻ったようなユルさを感じ、どこも同じなんだと思いました。
    そういう方は、当局の言うことも聞かないし、組合の言うことも、ラクすること以外には耳を貸さず、役員がダメなんだみたいなことを言ってるだけで動かないですね。
    まあ私もエラそうには言えないクチですが、新人2人の前では、そんなことはしなかったです。
    2015年08月25日 14:28
  • 急行おが1号

    こんばんは。
    私も「楽して早く仕事を終わらせたい」タイプですが、サボりはよくないですよね^^;
    短い時間に、能率よく、如何にたくさんの仕事をこなすか、と言うことを常に考えていました。

    東京で教員と会社員をしていましたが、職場への出勤は他の人より1時間早く出てきて、朝の時間を有効活用していました。通勤に池袋、新宿という乗り換えの「難所」を通りましたので、早い時間の方が「痛勤」にならずに済んだので、体力的にも楽でした。帰りは出来るだけ「定時+30分」を心がけて、早く家に帰り家族との時間を大事にしました。
    朝の1時間は夕方の2時間に匹敵するな、と思います。

    楽するのはいいことですが、サボりは、それで生活の糧を得ている以上は良くないことですね。

    余談ですが、今回の台風15号は久しぶりに「恐怖」を感じる台風でした。家が揺れて畳が持ち上がり、久しぶりの風速50mを体感しました。周りは倒木や飛ばされた看板や瓦が散乱しており、信号も違う方向を向いていたり、フェンスが倒れていたりと・・・もうしばらくは台風はコリゴリです^^;
    2015年08月25日 19:19
  • しなの7号

    急行おが1号様
    台風で畳が持ち上がるとは、想像もつきませんでしたが、昨日たまたまテレビで畳が浮き上がる映像を見たばかりです。風は鉄道車両も転覆させるような威力があるということは国鉄末期の餘部の事故で思い知らされました。お見舞い申し上げます。

    「仕事がのろく、記憶力わるく、能率わるく、そのかわり間違いは最小限」という私には、「短い時間に、能率よく、如何にたくさんの仕事をこなすか」ということは苦手で、「とりあえず人並みに」が目標でした。そのため、国鉄退職後は、こっそり無給残業風呂敷残業休日出勤でカバーして追いついて、記憶力の悪さのカバーとして資料のコピーをとり整理して覚える。それで周りに追いついていました。
    乗務員は、終点までに密度が濃い仕事を無事故でいかにやるかという面があり、その場で完結。残業もできませんから適性に欠けるかなと思っていました
    2015年08月25日 21:49
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    【611】(前篇)からこちらに移ります。
    郵便車では車掌補○○さんのような人とは接しませんでしたね。その考え方が通じるなら、郵袋で窓を塞いで「満載や、積まれんで」と駅で言いたいところですが、先のコメントでも書きましたように郵袋は送致証とセットで持ち込まれ、しかも駅駐在の積込み数は「定数(規程による上限数)以下である!」という「伝家の宝刀」があるので、責任者の便長が「これ以上積めん」と言おうものなら、駐在長が車内に入ってきてすき間を見つけようとしました。
    生け花の長い箱を井桁に積むのもいいテクニックです。郵袋をつかむと長いのやら丸いのやら不規則に続くので困ったものでした。慣れないうちは、自分が積んだ山を崩されて、積み直しの指導を受けたこともあります。
    もっとも、車中の作業一切は便長の指揮で行うので、困った指示を受けたことはなかったのですが、自信が持てないうちは、乗務のたびに責任を果たせるか…の不安がありました。
    2021年01月08日 00:52
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    ○○さんの事例は、あまりにも印象に残っているので書きましたが郵便ではそうはいかないでしょう。この列車は重複する積載方指定の扱車が複数あったことに加え、その扱車が他局の車掌区の担当であったことが、こういうことをやる背景にあったと思います。53.10以降は扱車が減り、複数車両の乗組がある列車では「1列車1車掌区」という原則ができて、そうもいかなくなります。

    おっしゃるように「自分が積んだ山を崩されて、積み直しの指導を受ける」のは屈辱的なことで自信を無くします。924列車の最後のところでも書きましたが、自己嫌悪に陥って悲しくなったこともありました。一般には、たかが荷物の積み付けと思われるでしょうが、どんなに単純そうに見える仕事でも奥は深いですし、長年の経験で培われた技術には敵いません。
    2021年01月08日 20:12
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    郵便車内では新人の足らない点は居合わせた先輩が指導してあげる、という伝統が息づく職場だったからでしょう。
    このたび感銘を受けたのは、レチ弁の標語です。川柳の五七五ではいささか字余りですが…。筍がメインディッシュのお弁当が浮かびます。
    鉄道郵便の現場でも文学?をたしなむ面々がおられ、廃止記念の写真集では味があるポエムが掲載されていますし、いつだか区分棚上にある用具箱の奥から「しもやけの手に氷付く郵袋でまた赤ぎれ」(記憶があいまいで正確ではありません)とかいう詩?が書かれた紙片が出てきました。乗務交替時、終着前の残留点検は区分区画は徹底してやりますが、原則使わない用具箱からはどなたかの忘れ物がたまに出てきたりします。(忘れやすいからみんな使わないのですが) 旭川から直通してきたのでどこか北国の鉄郵の方でしょう。忘れたというより故意に置いたと思われます。凍てつく駅を結んで郵便物輸送に従事する方の作品に思いを寄せながら、紙片は箱に戻しました。
    こういう職場での小作品は別として、クラブ活動は当時の郵政省全体でも盛んで、大きな郵便局で定期的に作品展があったので、鉄道郵便局も写真部、書道部、職員個人や家族などが参加していました。
    鉄道郵便よもやま話 某鉄道郵便局喫茶室 クラブ活動
     http://oyu10.web.fc2.com/club.html
    このページでは、当方が当時の勉強ノートに書いた短歌を2つ披露していますが、あの夏井先生に読まれるとこきおろされそうです(笑)
    2021年01月08日 23:54
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    国鉄でも本社、鉄道管理局のほか車掌区単位でもクラブ活動がありましたが、荷扱職場で文芸活動をされていた方は身の回りでは思い当たりませんし、自分もそういう活動をしたことがありません。短歌を拝見しましたが、職場を知らない人にでも詠み人の想いは伝わってきますね。乗務員であれば背景まで詳細に蘇ることと思います。長距離運用の郵便車で、最果ての地からその先の乗務員にあてた1枚の紙片に託された想いが伝わっていくとは情緒がありますね。荷物車で前の乗務員から引き継がれるものと言ったら、読み終えた週刊誌や新聞くらいですから情緒もあったものではありません。それでも、そういう新聞は、ふだん見ることのない地方紙だったりしますし、荷物室の片隅に捨てられたコーラの空き缶も、いつも見る「中京コカコーラボトリング製造」でなく、「四国コカコーラボトリング」とか「仙台コカ・コーラボトリング」などと書いてあり、遠距離を走ってきたことを無言のうちに教えてくれていました。
    2021年01月09日 20:02
  • 鉄道郵便車保存会 会長

    しなの7号様 
    交替乗務員の引継品は規程では郵便物と書類、備品に決まっていますが、それ以外に休憩席の頭上の網棚に読み物があり、週刊誌はめったにありませんが、たまに北國新聞や中国新聞が残されていました。「おらが町のニュースを読んで」というメッセージに思えたもので、この点は、荷物車でも同じだったようです。ところがコーラ空き缶となると「ゴミを残して交替した」とみなされ、最悪は郵政局を通じて注意喚起を受けますので、清掃は念入りにしました。
    荷物車は郵便車よりもおおらかさを感じます。荷物室の片隅というとごみ箱ではなかったかもしれませんが、車内に残すことができたのは、終着で客車区入りしてから回収してもらえたからではないでしょうか。
    2021年01月09日 21:41
  • しなの7号

    鉄道郵便車保存会 会長様
    郵便は車両を賃借しているという立場上の違いで意識が高かったのではないでしょうか。
    荷物室の床にある桟木の間に捨てられた空き缶が挟まっていたのは四国と東北からの列車で記憶しています。それぞれ宇高連絡船区間、首都圏の締切区間を介しましたので、乗務員同士が直接引き継いで顔を合わせるわけではないので気にしなかったのかもしれません??? 
    そもそも荷物室は氷詰めになった鮮魚の木箱から出る水のためか、魚市場のような臭いがして埃っぽくきれいな印象がありませんでした。(荷物から落ちた水は、ところどころにある排水穴から線路上に垂れ流す構造になっていました。)
    そうかといって生ごみ臭の類の悪臭はありませんでしたが、もとより郵便室より汚い空間であったのは間違いないでしょう。
    2021年01月10日 20:55

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