その日の天声人語はブルートレインにまつわる話でした。エッセイストの酒井順子さんが10年前に「あさかぜ」「さくら」引退前に乗車されたとき、車内に男臭さを感じ、女性向けの対応さえ考えていただければ、寝台の未来は暗くないのではないか、と書いておられたことを挙げ、それに対するJRの答えが一人数十万円もする「超豪華」列車なのかという内容でした。
北斗星引退については、私は定期運転終了時に一度書いていますので、引退そのものについては、もう申しませんが、酒井順子さんが天声人語に、それも鉄道ネタに登場することにビックリしたものです。こういう場合、かつては宮脇俊三さんの著作が引き合いに出されていた時代がありました。酒井順子さん、実は女子鉄として知られ、古くからの宮脇俊三ファンなのです。20年以上前、JTB時代の「旅」誌では、宮脇・酒井両氏のローカル線車中対談もされています。
このときのカメラマンは中井精也さん。私は国鉄を退職してからは鉄道雑誌をほとんど買わなくなり、鉄道モノが特集だと不定期に買っていたのがJTB時代の「旅」誌でした。
酒井さんのエッセイには、その「あさかぜ」「さくら」以外に鉄道物が多数あり、私は女性目線で描かれている鉄道観にたいへん興味を持ちました。
鉄道が「本質的に好き」なのだなあということが伝わってきました。知識がどうのとかの次元ではなく、理屈でも説明できない。それが好きだということなのでしょう。
酒井順子さんのエッセイ、大多数の読者は女性であると思いますが、著書の中には、女性目線で見た男を描いた「女ではない生き物」とか、オッサンの私が読んでもとにかく面白い。
まあ私は、自らの考え方や行動の中に、明らかな女性的嗜好があることを自覚しているのですが、だから面白いのであって、すべてのオッサン方にお奨めするではありません。しかし多くの鉄道ファンは一点を見つめ熱心にその究極を求める濃い人が目立つわけで、自分の行動…どう見られているのかなと客観的に振り返ることは必要で、別人からの目線で日頃の行動を振り返ってはいかがかと。酒井順子さんのエッセイはいくつか読んできましたが、思い当たることがありすぎで、ニンマリしたことは数知れず。
これは今、自宅のトイレの本棚にある蔵書
本のタイトルに、興味をそそられるのも特徴ではないでしょうか。「女子と鉄道」に収録されているエッセイのタイトルも、「タンゴ鉄道で知る鉄ちゃんの含羞」「東京新名所 鉄道系グルメ巡り」「撮り鉄体験記・鉄は熱いうちに撮れ!―SLあぶくま号」「痴漢する側、される側」「鉄心あれば音心」などなど。
今回、天声人語に引用されたエッセイは「女子と夜行の歯がゆい関係―あさかぜ さくら」で、これも「女子と鉄道」に収録されています。収録された27編のエッセイの最後が「旅の終わりは宮脇さん――わたらせ渓谷鐵道」となっているのも、いかにも宮脇ファンを自称する酒井さんにふさわしいと思ったことです。
この記事へのコメント
急行おが1号
朝日の天声人語、読みました。
かつてブルトレは移動の手段のひとつでしたが、今は新幹線や飛行機にその主力の座を奪われた結果、JR九州の「ななつ星」のような、クルージングを目的とした寝台列車が生まれたのでしょうね。
ただ移動の手段としてのブルトレも、まだまだ需要がある路線や区間もあると思います。晩年のブルトレにはB寝台にも個室が出来たりして、以前と比べれば女性も利用しやすくなったとは思いますが、シャワーや洗面所など改善すべき点はあったと思います。限られた車両スペースの中であれもこれもは難しいかもしれませんが、老朽化した車両の更新もしないJRの経営方針では、ブルトレ廃止も既成路線だったのかもしれませんね。
昔(77年7月)の鉄道ジャーナル(寝台列車の特集号)が手元にあるのですが、この特集の中で寝台列車の車内設備や有効時間帯について、いろいろと提言されていました。鉄道雑誌ということで、女性目線での提案ではありませんが、酒井さんのおっしゃることと重なる部分もありました。当時の国鉄の事情を考えると、赤字削減、合理化が至上命令だったと思うので、やりたくても出来ないという事情もあったのかもしれませんが。
酒井さんの著書は読んだことがないのですが、一度読んでみたいと思いました。
しなの7号
民営化に会社の地域分割という手法を使えば、「JRの経営方針では、ブルトレ廃止も既成路線」ということに落ち着くのは当然でしょうね。国鉄時代でも私が所属した名古屋鉄道管理局管内は、東海道の中間地点で、国鉄本社が設定したブルートレイン最優先のダイヤが組まれ、遅延時に現場は「また青大将か!」と運転整理に振り回されていたものですから、民営化後、その営業による利益の恩恵にあずかりにくい中間の鉄道会社にとっては特に、長距離列車はお荷物以外の何物でもないと想像します。
民営化後は団体列車が自社完結となることが一気に増えはじめ、カートレインも普及しませんでしたが、ブルトレも含め、すべてJR各社が、国鉄が育てようとしていたそうした列車を育てにくい(=都市圏と中距離までの輸送に特化した)環境にしたのも国鉄「分割」民営化が根源にあると言えましょう。
77年7月のRJ誌、手元にあります。
今、見ますと竹島さんの「さくら行進曲」に始まり、須田さんの記事もありますし、急行能登のパレット荷物車の様子も描かれていますね。国鉄退職後、これら雑誌類にほとんど目を通していないので、少しずつ読み返して昔にタイムスリップしたいと思っていますが、なかなか…。昨日から酒井順子さんの鉄関係の本を読み返し始めました。
NAO
さきほどお昼は家内が近所でいつも行列の出来るラーメン屋さんで食べたいというので、行ってきました。回転40分前に並ぶと先頭でしたが、その後25人まで行列が膨らみました。気位が高く、コテコテのラーメンかと思いきや、「早くからお並びいただいて有り難うございます」という言葉で迎えていただき、ジャズが流れる清潔感のある店内、でもラーメン屋さんの店構え、肝心の味は動物類を使わないさっぱりスープ系。家内はこれからの時代、女性の心をつかまえないと大変と言い、よく見ればカップルのも結構居られました。
私は3Kのような鉄道がひとつの「ブランド」のように思っていましたから、JRという企業になってからのハード面、ソフト面の改革は何を今さらと思っておりましたが、商売という面で見ればこれが時代に即した本来の姿であり、実際に私が出張に行くときは平行する高速バス利用を選んでしまうこともよくありました(市内中心部まで直通し、利便性も高ため)。営業時代は本来の所要で乗る利用者であったのにもかかわらず、その目線で鉄道をしっかり見つめてこなかたことを大いに反省しております。
しなの7号
今日NAO様が行かれたラーメン屋さんに対し、頑固おやじが経営する汚い駅裏の飲み屋街の片隅のラーメン屋あたりが、鉄道にしたら国鉄車両で編成された古ぼけた列車といったところですかね。かつては駅前で大きな店を構え、ときには行列ができるこぎれいな店だったのに、訳あって家賃の安い駅裏でカウンターだけの小さな店舗に移らざるを得なくなり、今でも頑なに昔ながらの味を守っているが、女性客など寄り付かない店構えでオッサンの常連客だけしか来ない店。でも常連客は皆、ちゃんとここの味を知っている。
「私をどこか別の世界に連れていってくれる」という意味において、鉄道に乗ることは男女交際や映画鑑賞やエステ通いや麻薬吸引と似ていることを考えると、鉄道に乗ることは、決して男性だけに向いている趣味ではない(女子と鉄道「はじめに」より引用)とおっしゃるのが酒井順子さんです。
そういえば、国鉄時代にナイスミディパスというのがあったなあ。今は分割されて、かなり限られたものになりそうですが、 JR各社が団結して、女性が鉄道を思う心をつかまえるべき。
やくも3号
いつも長文申し訳ございません。
女子と鉄道の話題ですので、常連の紅一点の方がコメントにいらっしゃるかと『待避』しておりましたが、先発させていただきます。笑
酒井さんの「女子と鉄道」、早速こちらのページの広告をクリックして購入させていただきました。
なるほど今まで『鉄道が好き』という人(=たいがい男)と出会うと、「何系が好きですか?」という話にはじまり、車両の番台区分や部品の子細な相違の話にまで話が進みがちで、その点では車両そのものが興味の対象である自動車マニアと重なる部分が多かったように思います。
それに対して、酒井さんのように徹底性のない『安心して身をゆだねることのできる存在としての鉄道に接する』(ユルい)楽しみ方もあるはずで、それは、前者(男鉄)は鉄道に対する『恋』、後者(女鉄)は道に対する『愛』なのではないかと思ったりもします。
この3日間で半分読んでしまいましたが、この中でいろいろと身に覚えのあることや、思い出したことがあります。
【一瞬の喜び、車窓の景色】の節
『次の年の同じ時期に同じ電車に乗っても、同じ景色が見られるとは限らない。「この景色を見ることができるのは、これが最初で最後」…』のくだりを読んで思い出したのは、しなの7号さんが『繰り返しのようでありながら、同じ一瞬はこの世にはあり得ません。毎年見事な花をつけてくれる桜の木も、咲かせているのはまったく別の花です。そして翌年にはまた別の花を咲かせます。… 私たちも一日一日を大切に生きて、また新しい人生の花を咲かせられたらいいなと思います。』と書かれていたことです。しなの7号さんのこの一文は読むたびいつもなぜか目から汗が出て困ります。
無常さや儚さは自動車趣味ではあまり感じえないことです。
やくも3号
近所のお兄さんは姉の同級生で、鉄道研究会に所属されていました。ガリ版刷りの会報も自分で作られていて、そこには『山陰線キハ47導入で京都口の交通はどう変わるか』という、15歳の少年が書いたとは思えないような記事とともに上手なキハ47のイラストも描かれていました。
少々風変わりな方でしたが、小学生の自分には「すごいお兄さんだな」と憧れの対象でした。
数年後、そのお兄さんは予想通り京都大学に入学され、鉄道研究会で活躍されました。その後、私も同じように京大を受験しましたが、合格点にあと数点足りず、不合格になりました。
姉には「変人(=そのお兄さんのこと)と同じ学校でなくてよかったじゃない。」と慰められましたが、進学した私立大学では問題意識など持つこともなく、大した勉強や部活もせず、だらだらと5年間も過ごしてしまいました。
姉に聞いてもその後のお兄さんの進路がわかりませんが、きっと問題意識を持って交通にかかわる仕事をされていることでしょう。
しなの7号
少なくとも男性のみなさんからは、ご支持いただけるコメントがいただけないと思っていたのですが、お買い上げまでいただき、まことにありがとうございました。売上に対しポイント付与があります♪
私事で恐縮ですが、私の鉄道との付き合いは、その期間だけで言えば相当長くなりました。拙ブログのプロフィールでも、自分の趣味に関して「鉄道に関すること一般(乗り鉄、撮り鉄、収集鉄、模型鉄など多くのジャンルに広く浅く。)」と書いているのですが、鉄道に関しては多くのジャンルに首を突っ込みましたが、どのジャンルも中途半端に中断しています。特に国鉄に関しては車両のことを熱心に調べたり、こだわったりしたこともありましたが、昭和62年に国鉄の歴史が閉じられた時点で、鉄道趣味でいちばんポピュラーとも言える撮り鉄から距離をおくようになり、それまで職業として乗っていた列車に『安心して身をゆだねることのできる存在としての鉄道に接する』(ユルい)楽しみ方を見出しました。「退職後、乗客として同じ時期に同じ電車に乗っても、同じ景色が見られるとは限らない。」そういう思いで列車に乗ると、私は車窓に釘付けになり酒井さんのように居眠りができないところがちょっと違うとはいうものの、その感覚こそが旅の醍醐味だと思えました。そして酒井さんの感覚に、いろいろと身に覚えのあることをつつかれたのが「女子と鉄道」でした。
しなの7号
私は高卒で国鉄に入り、だらだら11年を過ごして退職したクチです。問題意識を持って未来の鉄道としてあるべきとされた分割民営化後の発展策を模索したわけでもなく、かといって組合活動にハマったわけでもありません。きちんと問題意識を持って仕事されていた同期の方には、大駅の駅長など、今では雲の上の高いところにいらっしゃる方がおられますし、とことん労組活動に徹し、真実とは何かを訴え続けることに、不本意だったであろう退職後の一生を捧げておられる方もおられます。私などは趣味で仕事をしていたのかと言われても否定できないような職員であったわけで、今もこんなものを書いていて、肩書もカネもないヤツですから、恥さらし以外のナニモノでもありません。
自動車に対する趣味も、多くは新型や新技術など未来志向の分野とか、F1とかスーパーカーが興味の対象になっていますね。今の私は自動車を「自分の意思どおりに目的地に行く」道具と位置づけていますが、自動車は「連れて行ってくれる」という存在ではなく、自分が「連れて行く」感覚ですから、鉄道と違ってドライブそのものはオス的感覚だなと感じてきました。しかしカーナビによって、「連れて行ってもらえる」ことの安心感に身を委ねることがまた楽しくも感じるようになりました。でも列車のように居眠りはできませんなあ。
やくも3号
結局、この本が届いてから数日間ですべて読み切ってしまいました。最近また、仕事の合間に読み返しています。
改めて思ったことですが、『自称鉄道好き男子』に「車両は何系が好きか」と訪ねてみたとき、もし、「いや、そういうのはあんまり詳しくないので…」と返されたりすると「なぁんだ(モグリか)」となってそこから先は会話が進まなかったりします。しかし相手が『自称鉄道好き女子』である場合は、「鉄道のどんなところが好きなんですか?」という訊ね方に始まって、そこから「最近どこへ出かけましたか?」「こんな電車に乗りましたよ。」などと話が進展することが多いですね。男子と女子ではまるで減点法と加点法のような違いがあるような気がします。
やくも3号
東京出張の帰り、急行銀河に乗車しました。廃止数か月前のことです。客車寝台は初めてでしたので私自身はわくわくしていましたが、周囲からは「新幹線で二時間ちょっとのところをわざわざ夜行なんかに乗るなんて変な奴だな」と言われたりもしました。その時「夜行列車自体、移動手段としてはもうオワコンなんだな」とつくづく感じました。
いざ乗車してみますと車内には自分以外誰ひとりおらず、くたびれた薄暗い車内の雰囲気と相まって「なるほどこれは女性客など乗るはずもないな」と思いました。
また、今年のお盆には新見からサンライズ出雲92号に乗車しましたが、こちらはキャンセル待ちをするほど満杯でした。ノビノビ座席はほとんどが女性で、友人と談笑する方、読書をする方、睡眠をとる方など皆さん思い思いの時間を過ごされていました。住宅メーカーと共同開発された木目調の温かい内装、停車・発車時の震度0の滑らかな乗り心地など、今度は「なるほどこれは女性客は乗るだろうな」と思いました。
やくも+新幹線だと東京には当日中に着くはずですが、特急券だけで利用できることや途中の乗り換えのないことが大いに功を奏し、(やくもや快速にも追い越されるような)この鈍足特急がこれだけ利用されていることを考えると、結局は皆がみな道を急いでいるわけではないのだと思ったりします。
追伸:ノビノビ座席の周囲は若い女性ばかりでしたので、007の主人公のようなカッコいい状況かと思いきや、左の方は部屋着のようなショートパンツでくつろがれ、右の方もなまめかしい脚を出して爆睡されていて、そんなサファリパークみたいな中で堂々と川の字に並んで横になる勇気はなく、身長185cmの私は窓ぎわで体育すわりで小さくなって景色を見ていたのでした。
やくも3号
平易かつメリハリのある文章で読者の興味を引き付け、そのまま飽きることなくすんなりと読ませてしまうことは、酒井さんのこの本としなの7号さんのブログに共通されていることで、水が流れるようにストレスなく読める文章は大いに参考になっています。
酒井さんの本をもう一冊買ってみたいと思いますが、何かオススメはありますでしょうか?
しなの7号
私は作文は不得意でしたし、読書は趣味でもないですが、宮脇俊三本は読みました。そのあとは酒井順子さんが書かれた作品は読みやすいので何冊か読んでます。酒井さんの著書で鉄分含有作だと、新潮文庫「女流阿房列車」があります。乗り鉄モノが11編+α収録されていて、そのなかに横見浩彦氏率いる鉄子の旅メンバーと5人で行く旅があり、帰路、団体行動にお疲れの酒井さんは、その疲労は「横見さん的な煮詰めたような男旅と私が好むサラサラの女旅の違いがもたらしたのではないか」と書かれています。ご自分が「好き放題に振る舞い続けてきたがゆえに、他人と合わせる訓練ができていない。」とも。
一人旅派の私も同様の疲労を感じることがあり、やはり一人旅がいちばんいい。鉄道との接し方は人によって千差万別。以前にも書きましたが、自分の鉄道への接し方は酒井順子さん的になってきたと思います。それは国鉄形車両に遭遇する機会が少なくなったからこそなのかもしれません。もうJRの車両のことはわからないですから気にならず、ただ安心して列車に身をゆだねていられるからです。
深夜のノビノビ座席はサファリパークですか! 乗ってみたいなあ(*^^)v でもそんなところで一晩過ごしたら一人旅でも疲れるかな。