【657】 Youtube「リニア鉄道館の381系電車~国鉄車掌との再会」について

■最初におことわり■

今回の記事は、昨年「中央西線を走った車両2:381系電車(1)~(4)」に埋め込んだYoutube「リニア鉄道館の381系電車~国鉄車掌との再会」の静止画像4本(のちに1本にまとめて「中央西線を走った車両2:381系電車(4)」に埋め込み)をご覧いただいた方へのメッセージです。


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Youtubeにアップした「リニア鉄道館の381系電車~国鉄車掌との再会」(←クリックするとYoutubeに遷移します。)をご覧いただきましてありがとうございました。よくある実況映像集とは違い、自分の心の中にあった国鉄と381系をこのように、381系のセリフだけをテロップで表現し、元車掌からのコメントは一切なしにして、30年近い時を経て再会した男女に例えて元車掌の心情を表現できるものかどうか、面白半分で作った画像集でした。

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(画像はリニア鉄道館に保存されているクハ381-1の説明版です。)


実はブログ記事に比して、Youtubeのほうはまったくアクセス数が伸びませんでしたが、折しも引退目前だった福知山電車区の381系に最後のお別れに行かれたとおっしゃる元運転士の方から、共感したとのコメントをいただけました。わかる方にはわかっていただけたとうれしく思っています。別の元国鉄職員の方からも、「再会できる車両があることは、うらやましい」とのコメントもいただきました。リニア鉄道館のクハ381-1は、貫通形0番台のクハのなかでただ1両保存された車両です。私が国鉄の車掌として現役だったころに乗務した車両が、会いたくなった時に無理なく日帰りできるところに公開保存されているということは、たいへん幸運なことだと思っています。

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国鉄分割民営化に際して、多くの国鉄職員が鉄道の世界から身を引いて、新しい道を歩み始めてから、まもなく30年。みなさん、さまざまな思いを胸に国鉄在職中を思い出されることでしょう。30年を過ぎても決して許せないこともあるでしょうし、30年も経ってしまうと、どうでもよく思えること、すでの忘却の彼方になったこともあるかと思います。そして、私ども元国鉄に在籍した者が30年を隔てて実際に仕事でかかわった車両を見たとき、鉄道ファンや一般入館者の方々とは違った視点で眺めることになるでしょう。そしてその車両を通して、国鉄時代に経験した他のことも思い出されるものだと思います。


特に地元民として国鉄就職前に、そのデビューから381系を見てきた私にとって、最初は憧れの特急電車だと思ったのもつかの間、その揺れと乗り物酔い多発ということが言われるようになってからは、小学生時代にバスで乗り物酔いを経験したことがある私にとっては乗りたくない特急として定着してしまいました。381系のセリフにあるように、乗務するようになってしばらくの間は乗り物酔い止め薬を乗務前に服用しましたから、「いっしょにお仕事するのがいやそうだったもの」のいうのは事実でした。そしてそれは私だけではなかったようでしたが、私が所属した車掌区では専務車掌(客扱)になれば、381系「しなの」の乗務は避けて通れませんでした。

「みんなによく思われていなかった」というセリフも事実で、揺れる車内での仕事は、他の列車に比べて疲れるというのは、乗務員共通の感想でした。

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いただいたコメントの中には、「なんだか久しぶりに会うスナックのママさんとの会話みたい」とのご感想もいただきました。381系には、高速化を使命として振り子構造を持った期待の新人としてデビューしたという自負があったはずです。ママさんのような喋り方なのも、若いころから水商売に就いていて、いつかはお店を持ちたいと頑張ってきた自負とつながっているかもしれないですが、「これでも信濃路のクイーンなんて言われたことがあったのよ」というセリフは、地元名古屋のママさんなら「(今は港区のはずれでお店やってるけど)これでも錦三(錦3丁目)のクイーンなんて言われたことがあったのよ」ってところでしょうか。


ただし作者としては、そういう設定ではなく、20代、愛し合っていた2人が別れた30年後の会話です。新しい事業体に協力すべく酔っぱらい相手の夜のホームライナーの仕事に手を染め信濃路のクイーンだったプライドを捨てた381系に対し、車掌の方はそれを拒否して鉄道を去ろうとする。それがわかった381系は車掌を裏切者呼ばわりし、車掌は最後の乗務で車内巡回中に転倒します。再会して「思いっきり揺すってやった」と381系から意地悪をしたことを告白されました。乗務最終日、2人の信頼関係はすでに崩れていたのでした。私が最終乗務で転んだのは実話ですが、このあたりは、国鉄末期の職場の人間関係を写し取るつもりでの表現でした。「わたし、定年で引退するまで、あなたといっしょに信州を走れると思ってた」と言う381系。国鉄在職中の11年のうち、最後のたった1年くらいの間に、それまで強固な地盤の上に築かれたものが脆くも崩れ去っていったことは、多くの元国鉄職員が感じ取ったことでしょう。何処の職場でも、本音でモノを言えない空気が蔓延し、信頼し合って仕事をしていた同僚たちの信頼関係は、新しく作られた勢力によって崩され、壊れていった人間関係は、数知れません。

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381系は、その後のことを吐露します。「分割された新会社が発足した後、お仕事がとってもきつくなって、そのうち、あなたのことなんか忘れてしまっていた」と話すのですが、必要に迫られて買った安いスーツを着て通勤しているのを、「あいつはどこの会社に転職したのだろう?」と思いつつ声を掛けるまでもなく、どこかで見ていた旧知のJR社員はいたはずでした。私はほんとうに、ホームライナーの直後を走る普通列車で毎朝通勤していた時期がありました。(まったく自己中心的な感想ですが)わずかな距離の通勤にJR線を使う私にとって、整理券を必要とするホームライナーは迷惑な存在でしたから、客としてホームライナーに乗ることはありませんでした。整理券を購入したわずかな数の乗客のために、大勢の通勤客を運ぶ通勤列車の時隔が開いてしまい、特にホームライナー通過駅の乗客へのしわよせは大きかったと感じます。同時に、当時毎日通勤で使っていた駅にまで「信濃路のクイーン」だったはずのホームライナー381系が停車して通勤客が乗り込んでいくのを複雑な気持ちで眺めていたのでした。「公共の福祉」を掲げた国鉄はそこになく、民営企業に生まれ変わった地域別に分割された鉄道会社の当然あるべき経営方針を感じながら通勤していました。
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381系は、そのうちに編成美も感じられなくなり、貫通ホロむき出しの改造車も出てきて、新会社に残れたものの、苦境の中を懸命に生きながらも疲れ果てていきました。これは、もちろん車両のみならず、人も同じような境遇に置かれた方もあったと思います。
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あのとき喧嘩別れした2人は、お互いに正しいと信じた道を歩んで30年近く。けっしてどちらが悪いというわけでもなく、ただ周りに翻弄された結果でした。

こうして逢うと、思い出話だけでなく、お互いが別れてからの愚痴話なども出てきましょうし、車掌の方は、色目を使って、車体のみならず足回りなども舐めまわすように見るし、381系の方は車掌が何を求めているかもちゃんと知っていて、「もう一度、私の乗務員室見たい?」などとチョッカイを出すものの、「東海旅客鉄道」という銘板を背負っている立場上、「じゃあ、ちょっとだけよ!」などとはぜったいに言いはしません。
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そこに、別れた2人の間に埋めるすべもない深い溝があることを表現したかったわけですが、「元恋人同士の男女になぞらえたやり取りにクスリと笑わされつつも、二人の関係がJR組と離脱転身組の間に出来た越えられない壁を表しているようで、悲しく感じました。」というコメントをくださった方がありました。そこのところが伝わったことを、私はうれしく思いました。


ご視聴いただいた皆さま、ありがとうございました(^^)/

よろしければ、1年前にアップした「僕と381系しなの号」(←クリックするとYoutubeに遷移しますのでご注意ください。)もご覧ください。


この記事へのコメント

  • 阪急3154

    しなの7号様
    動画拝見させて頂きました。まさか愛し合っていた2人の設定だったとは驚きました。この動画を見ていて当時信濃のクイーンと呼ばれて誇らしく特急マークを掲げて走っていたのが、今は新型車に追いやられ、挙句の果てにはマスコミや乗客などから「げろしお」などと言われて、車体もまともに修繕されずにサビが浮いたままで走らされているのがかわいそうで仕方がありませんでした。私事で恐縮ですが、私が初めてひとり旅をした時に、どうしても乗りたかった381系の特急こうのとりにのりました。走り出したらそこらじゅうからまるで悲鳴のようにも聞こえる車両が軋む音がしていました。車内はリニューアルがされ国鉄時代の面影はほぼ消えていましたがいい思い出になりました。長文失礼しました。これからも動画の方も記事の方も拝見させて頂きますのでよろしくお願いします。
    2016年01月04日 19:59
  • ★乗り物酔いした元車掌

    ★今年も、よろしくお願いいたします。

    ボクは、ホームライナーでしか
    乗務したことがない381系ですが、
    それでも、好きではありませんでした。

    そう言えば、国鉄末期、
    臨時列車の車内販売員として、
    妙高高原行きの臨時しなのに乗りました。
    長野までの担当で良かったのですが、
    長野車掌区の場所がよくわからないし、
    手持ちぶさたになることは、わかっていたので、
    妙高高原まで、乗っていきました。
    そのとき、乗り物酔いをしましたね。

    復路は良く覚えていませんが、
    往路は、定期列車の2分あとに発車するけれど、
    40分近く遅れて、長野に着くダイヤでした。
    姨捨のスイッチバックを
    専務車掌さんから、
    教えていただいた思い出があります。
    2016年01月04日 20:58
  • しなの7号様、こんばんは。
    なんというか、私、言葉には言い表せないものがあります。
    すみません。元来、表現するのが苦手なものですから。
    まず、一般人の目からですが、国鉄がJRに変わった頃、明らさまに目に映ったのは、列車の運転士が制帽のあご紐を掛けて運転してる姿です。「安全運行」というパフォーマンスのようでした。2,3年ほどで無くなりましたが。
    昭和63年頃飛騨高山へ行ったとき、特急「ひだ」の車掌氏がしきりにオレンジカードのセールスをしてみえました。若い私でさえ「JRって相当ノルマがきついんだろうな。」と思いました。

    マスコミでも国鉄からJRになって良いことばかりというようなことばかりでしたが、しなの7号様のブログを拝見して、「言うに言えない思い。」とは外野の私からは想像できませんが、今まで信頼し、友情まで壊されてしまった恨みは想像を絶します。

    一昨日、郷里の三重県から北関東の栃木県へと戻ってきました。津から名古屋まで快速「みえ」を利用したのですが、乗ったのは運転席のすぐ後ろ、客席が満員だったので息子に見せるため仕方なしに立っていたのですが、20代とおぼしき運転士氏は指差確認も頼もしくキハ75を操ります。
    30年という月日は確実に昔を消去してゆきます。私が10代半ば頃国鉄に憧れ、そしてその夢が叶わなかったことも、JRになり夢自体が消えてしまったことも。
    関西線の長島から春田の間は、まだ辛うじて「国鉄」が残っていますが、これも「リニア中央新幹線」が出来た後は「JR」になってしまうんだろうなぁ。
    すみません。しなの7号様、とりとめのない長文申し訳ございません。
    2016年01月04日 23:26
  • 管理人 しなの7号

    昨年12月25日に、第9代の国鉄総裁 仁杉巌氏が亡くなったとの訃報。
    仁杉氏が更迭されたとき、国鉄は終わったと思った。そして分割に執着する中曽根首相の本気を感じ取った。
    しなの号に乗務するようになって1年くらいたった時期で、その仕事も慣れてきたころだった。
    そのあと、急速に国鉄は変わっていった。
    クハ381-1はその変革を受け入れ、元国鉄車掌との溝は埋められなかった。今もJR仕様のままでいるけれど、彼女は国鉄時代の思い出をいっぱい秘めて来館者たちを出迎えていることを元国鉄車掌は知っている。
    2016年01月05日 07:50
  • しなの7号

    阪急3154様
    ご覧いただきありがとうございました。
    381系「こうのとり」には一度だけ乗りに行きました。
    【160】381系こうのとり号で「大手食堂」へ 鉄分補給+α 2011.5.7
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201105article_4.html
    塗装はくすんでしまっていましたが、アルミ合金の車体は錆による塗装剥がれがなく、経年の割には「見かけ上」は鉄製他系列車と比べてきれいでした。
    申し訳ありませんが、動画の新規アップの予定は当面ありません。また変なことを思いついたらアップします(^_^;)
    2016年01月05日 13:30
  • しなの7号

    乗り物酔いした元車掌様
    381系における車内販売は、揺れだけでなく連結部の段差がネックでした。車内販売員の方々が何度も車内を往復されているのを見ては、いつも重労働だなと思っていました。また民営化後6両基本になってからサロがなくなったことで、車販準備室が無くなってしまったのもお気の毒だと思って見ていました。
    2016年01月05日 13:32
  • しなの7号

    天様 こんにちは。
    国鉄末期から、車内でもオレンジカードの販売を始めました。しなの号の乗務では、私もやりましたし、自分でも買いました。国鉄最終日のテレビはお祭りムードの特番ばかりで、一部の放送局しか内面を報道していませんでした。新聞も同じでした。
    私は先日、駅前の「トレインビュー」ホテルに宿泊する機会があり、次々と停車しては出ていくる電車の車掌氏の仕事ぶりを窓からぼんやり見ていました。どの列車の車掌氏も、まるでビデオ再生しているかのように、そしてロボットのように、皆きちんと基本動作を励行しておられました。
    国鉄のころは各人個性が出ていましたけれど、JRなんですね。やがてJRから国鉄就職組が定年退職してしまえば、国鉄は良くも悪くも完全に伝説の世界になるでしょう。
    2016年01月05日 13:34
  • やくも3号

    こんばんは。設計職は続かず、今は教壇に立つ仕事をしていますがこれは職業病でしょうか。


    問1.映像の中で、作者が伝えたかった心情はどれであると考えられるか。次の中から適切なものを選び、記号で答えなさい。

    ア.それぞれが辛い日を過ごすことも多かったが、艱難辛苦を乗り越えた現在は二人とも平穏で幸せな日々を暮らしており、そのことに対する安堵の気持ち。

    イ.袂を分かった相手が辛い日々を過ごしている姿を幾度となく目の当たりにし、これならば最後まで苦労を共にしてやるべきだった、と思う後悔の気持ち。

    ウ.大きな溝を感じるまでに離れ離れになったのは、自分たちだけが原因ではなく不可抗力ともいえるとてつもなく大きなものにまきこまれたからであり、これで良かったのだと得心した気持ち。

    エ.久しぶりに会ったけど相変わらず色っぽいやないか〜、下の方やら中の方やらちょっと覗かせてみ、ぐふぇぐふぇ、というスケベ極まりない気持ち。
    2016年01月09日 21:45
  • しなの7号

    やくも3号様 


    非常によくできた設問でした(*^^)v
    あ~、エには笑えた。
    _________________
    問2.設問者が「最も」管理人に訴えたかったことは、上の設問に対する選択肢ア~エのうちどれか。適切なものを選び、記号で答えなさい。

    問3.選択肢エについて、映像作成者の気持ちを15字以内で書きなさい。
    _________________
    <解答用紙>
    1年7組 なまえ しなの7号

    問1.こたえ
       ア~エ全部

    問2 こたえ
       工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工

    問3 こたえ
       (*゚∀゚)=3ハァハァ
    2016年01月09日 22:43
  • 門鉄局

    こんにちは、しなの7号様。
    国鉄消滅から来年で30年、あと数年で国鉄職員の経歴を持つ方が退職していなくなってしまうほど、時間は流れたのですね。「決して裕福な生活ではないけれど、安定していてご飯は腹一杯食べられるイメージだった」という職員の奥さんの言葉を思い出します。世の中がバブル景気に沸いた時代、多くの人々にとっては「他人事」であったリストラや不正規雇用の波はこれが嚆矢だったと思います。将来に希望を持ちにくい社会になり、身分的に安定している公務員や大企業の社員が怨嗟の対象となる現状を見るにつけ、(そういう庶民を扇動する政治家や文化人もいる)残念な風潮と思います。
     381系も時代の移り変わりに必死で付いて行ってたのでしょう。短編成化やホームライナーは不本意だったでしょうが、天寿を全うしたと言えるのではないでしょうか?久々に自然振り子の乗り心地(の悪さ)を体験してみたくなりました。残るは「やくも」かぁ、どうも塗装がなぁ。「年増の厚化粧」と言ったら381系に怒られるでしょうね。
    2016年01月10日 12:33
  • しなの7号

    門鉄局様様 こんにちは。
    あのころにリストラという言葉はありませんでしたし、勤め人は終身雇用が当たり前でした。労働者の立場からモノが言えなくなって30年経ち鉄道はもちろん日本も変わりました。次の選挙では憲法論議が取りざたされましょうが、このあと20年30年スパンで日本の将来を見たとき、今の当り前が当たり前でならなくなることばかりのように思えます。それを国民皆が考えて、特に若い世代の方々が悔いを残さない選択をしていただきたいと思います。JRに国鉄を知る者がいなくなるように、戦争をリアルタイムで経験し伝える者が、日本にはいなくなるのは、近い将来です。

    時代の流れに合わせ、用途も変えていきがちなのが鉄道車両ですが、「やくも」に関しては電化時から一貫して381系が用いられています。4両編成が主流で厚化粧になってしまいましたが、悪い乗り心地を楽しむ?つもりで乗りに行けば、381系のご機嫌を損ねて誰かのように、転倒させられたりはしないと思いますがどうでしょ?
    2016年01月10日 15:27
  • 雷鳥23号

    しなの7号様 初めてお便りさせていただきます。
    2年ほど前に貴ブログに出会い、いつも楽しく拝見させていただいております。
    先日初めてリニア鉄道館に家内と2歳半になる孫と行ってきました。オープン以来行ってみたいと思っていたんですが、しなの7号さんの動画を見たことと「大阪しなの」に廃止前にもう1回は乗っておきたかったので平日に休暇を取って、往路は大阪→名古屋、復路は米原→大阪にしなの利用(名古屋→岐阜羽島→米原は新幹線)で行ってきました。

    申し遅れましたが私も元国鉄車掌で現在は鉄道とは縁のない仕事に就いております。しなの7号さんより5年後に国鉄に入社し、操車場で構内係→59.2合理化で職場廃止、運よく列車掛合格→車掌区配属→人材活用センター収容→民営化直前奇跡的に同じ職場、職種で復帰→分割民営6年経過後1993年に退職という経歴でした。余談ですが最後の乗務まで動画でしなの7号さんが着用していたのと同じネクタイを着用してました(笑)
    ちなみに最初の職場はしなの7号さんが列車掛時代によく来られた⑥の信号場のあたり、退職時までいた車掌区は乗務係時代によく来られた乗泊があったところです。
    私が新米車掌時代から乗務していた201系、117系については多少の改造はあるものの、その車両がいまも周辺線区において現役で健在というのはうれしいことです。

    8年ほど前から乗り鉄も再開し、分割民営当時のことが振り返れるようになりましたが、しなの7号さんの2本の動画はもちろん記事を読んで当時のことを思い出し涙することもしばしばです。
    これからも楽しみにそして応援しております。

    私が優等列車に乗務した期間は退職前の1年半くらいと短かったんですが、しなの7号さんに習って本番行路で乗務していた新潟行きの列車をペンネームとさせていただきました。
    2016年03月04日 23:12
  • しなの7号

    雷鳥23号様 コメントありがとうございました。
    国鉄に在籍した人々は星の数ほどあり、その職種や職場もさまざまなわけですから、ご覧いただく方は、決して私が持っている国鉄の印象や想いと一致することばかりとは思っておりませんが、たかが仕事で関わった一車両、一列車に過ぎないものの、記憶から切り離せない無形財産みたいで、そういう思いが一致する方がおられることをうれしく思います。

    JR西日本には国鉄車がまだ多くみられるのに対して、地元JR東海では国鉄車両の淘汰が早く、今後は211系0番台2編成のみが、自分が乗務した車両として残留するものと思われ、かつて乗務した車両の多くは博物館でしか見ることができなくなります。近日オープンの京都鉄道博物館にはクハ489-1が収蔵されるそうですが、雷鳥23号様も乗務されたことでしょうから、当然お孫さんと出向くことになるのでしょうね。クハ489-1には、私もたった一度だけ短区間の回送でしたが乗務したことがある車両ですので、再会を楽しみにしております。人出が落ち着いたころに出かけ、そのときにはまた記事としてブログに乗務したときのことも書いてみるつもりにしております。

    あのネクタイは職場で共同購入したものでした。しなの号乗務のときは、こちらも職場で共同購入で買ったしなの号ヘッドマークデザインのタイクリップのセットで着用していました。
    もともと国鉄時代には大鉄局で乗務していた大阪しなのは、私は公私とも一度も東海道区間を乗ることなく終焉を迎えそうですが、JR西から大垣まで乗り入れる普通列車には、61.11からの短期間、米原~大垣間の乗務をしていました。こちらには実は一昨日乗りに行ってきたところです。
    2016年03月05日 10:02
  • クハ381-111 国鉄時代の電車運転士

    しなの7号さま
    遅レスで失礼致します。

     去り行く同士381系に最後の別れを言いに福知山へ赴いた元運転士です。

     私の携わった車両、キハ58、165系、113系と次々と鉄路を去りこれまで何度も別れを言いに各地へ赴きました。

     今、私が最もハンドルを握った縁のある103系電車が関西で最後の活躍をしています。実際に乗務した阪和線の103系が最後の運用になるかもしれません、381系に比べて地味な電車であまり気にもしていなかったので焼餅を焼いている年老いた彼女達に会いに大阪へ行っています。
    2016年03月19日 01:26
  • しなの7号

    クハ381-111 国鉄時代の電車運転士様 こんにちは。
    103系、地味ながら、自分も乗務と通勤ともにお世話になった電車です。
    こちら(JR東海管内)では、キハ40系がダイヤ改正後に現役で残る乗務経験車両は、211系0番台8両だけとなってしまいます。
    2016年03月19日 14:44
  • ユウぱぱ

    こんにちわ
    YouTubeの動画を見させていただいて泣きそうになりました

    それぞれ違う道を歩んで再び再会した時の心情が表現されてて感動しました
    ありがとうございました。
    2016年04月29日 18:37
  • しなの7号

    ユウぱぱ様 
    長く拙い動画にもかかわらず、最後までご覧くださりありがとうございました。また、作者がお伝えしたかったことを受け止めていただけてうれしく思います。ありがとうございました。
    2016年04月29日 19:28

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