先週はプラ製の近鉄10000系らしき電車の話をしました。その5両セットにはレール表現を印刷された台紙が入っていましたが、専用のレールはありませんでした。
このころに、私は黎明期のプラレールに出会います。冒頭の画像は私が子供に買い与えたもので、私の幼少時代のものではありません。私の幼少時はプラレールという商品名でなくWikipediaによれば「プラスチック汽車レールセット」であったと思われますが、規格はプラレールそのものでした。それが下の画像です。
踏切はプラレール用のストラクチャーではありません。自動車もブリキのオモチャです。
今のプラレールと大きく違うのは動力がなかったことで、手で押して遊ぶものでしたが、畳縁や襖の敷居をレールに見立てるでもなく、レールをクレヨンで描いた紙レールを作るでもなく、専用のレールの上を脱線せず走らせることができることに魅力がありました。そのレールも上下反転させることによって逆カーブができ、オプション線路パーツを買うと立体交差化も可能で、自由度が高いレイアウト発展の期待感もあって魅力を感じました。
動力がないので、高架へのスロープ部分は、現在のプラレールよりかなりキツい勾配になっているのが、下の画像からわかります。そして、まだストラクチャー的なパーツがなかったのか、買えなかったのか、わかりませんが、私は高架駅をカマボコの板を使って表現していたこともわかります。
このプラレールは線路を追加購入した記憶はありますが、車両の増備がないまま小学校に入った直後あたりに、私の手元から突然、姿を消すことになりました。
そのとき父は、「職場の同僚の子に、プラレールの車両と線路一式を貸してあげる」というので、私は承知して戻ってくるのを待っていました。子供の感覚ではおもちゃの貸し借りというのは1回遊んだらすぐ返すものと思っていましたし、両親からは「借りたモノはすぐ返さないといけない。壊さないように気を付けなければならない。」と言い聞かされていました。それなのに1週間経っても1か月経っても返ってこないので、何回も父にいつ返してもらえるのか尋ねましたが、「また(返してくれと)言っとくわ」と言うばかりでした。それが、もう小学生になった私に、こんなオモチャは必要ないだろうと判断して同僚の子にあげてしまったのだとわかるまでには、ずいぶん時間がかかりました。
それから二十数年後のこと、私が国鉄を退職してから再就職した会社の同僚から、「オマエんとこの子供、男の子だろう? プラレールたくさんあるからオマエにやるよ。うちの子はもう遊ばんから」と言われました。当時2歳の男の子がいた私は、それをありがたくいただくことにしましたが、自分のことがありますので、その同僚には、子供から取り上げるようなことはいかんぞと言いました。しかし、子の親として先輩であった彼は、「男坊主は最初プラレール。それを卒業するとヒーローものに興味の対象が移って成長していくもんだ。」というような意味のことを言っていました。たしかに子供というのはそういうものだということは、自分の子供が成長するとともにおのずとわかりました。
しかしわが身を振り返れば、自分は小学生になってもプラレールに未練があったばかりか、その後も、ほかの友達たちがウルトラマンとかの特撮モノや、SFアニメに夢中だった時代も、私はまったく興味を示すことがありませんでした。
一部のプラレール車両は、私の趣味で今も保管しています。それが冒頭の画像と、この下の画像です。
EF58と、なぜか1両だけ残ったブルトレ客車、それに郵便車2両。
このほかの車両や線路は、かなりお譲りしましたので、残してあるのはこのほかにもありますが最小限です。しかし、子供がプラレール卒業後に「自分用に買った」ものがありますから、これはいよいよ私が全然成長していないということを自覚せざるをえません。
「自分用に買った」のはユーロカートレイン
ユーロライナー塗装になっている客車は、明らかにサロンエクスプレス東京用スロフの使い回しですし、機関車も本来のEF65でなく色替えのDD51になっています。
シースルー構造の自動車積載車両はワキのようで、ユーロならマニ44とすべきだろうとか、突っ込みどころ満載で、既製のパーツを利用した色替え、でっちあげのセットでした。しかし私にはこういうところにおもしろみを感じてしまい、それが魅力にもなっています。
自動車積載車両にはトミカ(シルバーのレガシィ)が積載されていて、ボディを外して積卸可能になっているのも楽しい付加価値です。トミカを積載させるにあたって、車両を低床化する必要があったと見え、そのために小径車輪を採用しているのも見どころです。しかし実車が運転期間、運転区間とも限られた列車でしたから、中京地区以外では売れるとは思えませんでした。
上は2002年のトミカ・プラレールの販促用カタログの引用画像ですが、ここには、そのユーロカートレインの姿がありません。続々と新製品が発売されるとともに、生産中止となっていく製品も多いというわけで、もちろん今は発売されていません。けれどもプラレールは私の幼少時代から、基本的に規格が変わることなく、半世紀以上も第一線で存続していることは驚くべきことだと思います。鉄道模型の世界では、Oゲージ~16番~Nゲージと主力となる規格が変化していったのと対照的だなあと思ってみたりしますが、プラレールアドバンスなる規格が数年前に現れました。今後発展するのでしょうか?
この記事へのコメント
NAO
娘が小さかったときに今でも行きつけの大型ショッピングモールのキッズランドに連れてゆくと、プラレールを敷いたコーナーがありました。現在では車両のレパートリーも豊富かつリアル、JR化になってからメーカーさんもあっちこっちの車両を製品化するのに却って大変なのではないでしょうか。
お子さんたちそっちのけで私が興じてもいけないので、脱線復旧や保線担当に廻らせてもらいました。
私がプラレールに目覚めたのは、百貨店でオレンジバーミリオン国電3両編成が走っていたときで、数か月後に買ってもらいましたが、各カラーの国電シリーズは私の目には新鮮だったようです。今、好きなNゲージを買えるとなればたぶん後回しになる型式だと思います。
しなの7号
プラレールは、キッズコーナーから鉄道会社の訓練用まで幅広く普及していますね。
おっしゃるように、車種や外部色が格段に増えた国鉄分割民営化後も、精力的に新製品を導入し、どう考えても子供用と思えない車種選定による製品化も多くあって、その開発姿勢は評価されるべきでしょう。
初期のNゲージでも103系が唯一の日本形電車だった時代がありましたし、103系は造形も単純で都市部で馴染みがあるのでプラレールでも製品化に当たっては、まず選定されたと考えられますね。
急行おが1号
私も子供のころはプラレールで遊んでいました。
確か103系の山手線と中央線の車両を持っていたと思います。私の頃は電池を入れて走らせることが出来ました。4歳少し前まで東池袋に住んでいましたので、その関係で山手線が一番のお気に入りでした。Nゲージでも一番最初に買ってもらったのが103系のウグイスとオレンジでした。
最近、2歳の息子にプラレールを買ってやりました。車両は885系「白いかもめ」と787系、71系ゆふいんの森というJR九州の看板列車です。結構喜んで飽きずに遊んでいます。妻も「血は争えないのね」と言っています。
最近のプラレールは、線路のないところでも自走出来るようになっていますし、連結器部分も改良されて強化されています。無理に引っ張っても壊れません。10ヶ月の息子が投げたり、踏みつけたりしますが壊れません(2歳の息子は「壊された~」と大泣きして喧嘩になります)。
外観上は昔の物と大きくは変わりませんが、乱暴に扱っても壊れないように車両も線路も改良されているようです。
幼い息子達を見ていると、「自分がこれ位の年の頃も、こんな風に遊んでいたのかな」と思いました。時代は変わっても、自分が幼い頃に遊んだおもちゃを、また自分の子供達が遊んでいる様子を見ていると「本当に良い物は、不変的なものなんだなぁ」と思いました。
Nゲージも今年で50周年だとか・・・。KATOが一番初めに製品化したC50ですが、発売当初は「これはグリコのおまけだ」と言われたそうで、当時の社長さんはとても悔しい思いをした、というのをどこかで読んだことがあります。あれから50年経っても、男の子の心を掴むのが鉄道おもちゃであり鉄道模型なのでしょうね。
いっこうに成長しないやくも3号
趣味に生産性を求めると趣味でなくなるのと同様、プラレールに精密さを求めるとプラレールではなくなるでしょうから、『なんとなくそれらしく見えるあいまいなもの』でいいのでしょうね。
たまに、精密化と称して汚し塗装をしたり、ジャンパ栓や手すりなどのパイピングをしたものを見かけますが、まるで『大人の顔をした子供』みたいにこましゃくれた感じがして、好きになれません。
そういえば自分は、
幼児:ミニカー
幼稚園:プラレール
小中学校:HOゲージ
高校:車のプラモデル
おとな:車(実物大)+プラモデル+Nゲージ
いっときは集める側から作り出す側に回っていましたが、やはり生産性や効率を考えないぶん、集める側にいる方が楽しく思います。
急行 陸中
プラレール、自分でも買ってもらったし、
子供にもけっこう買いました。
我が家では、トーマスシリーズが数多く存在します。
はやり、やっぱりありますね。
今ふとプラレールの
カタログが見たくなりました。
黄色い車掌
かつて、プラレールと鉄道模型との間に「スーパーレール」なんてのもありましたが早々?になくなりましたね。
プラレールアドバンスも発売されてますが、車種が少ないので、もう少し充実に期待ですね(^-^)/
しなの7号
子どもだけでなく、「それなりにこだわりがある親?」も、ふだん乗ったり見ている車両に親近感を持ちますから、地元車がラインアップされているのはプラレールのそそられるところですね。
初期の103系は色替えだけでバリエーションを増やせるメーカー側と、揃えたくなるユーザー側双方にメリットがあった製品でしょう。
うちの子たちも、走らせると掴んでしゃぶる、投げる、から始まり、少しずつそれらしい遊び方になっていきました。対象年齢が幅広いのも特徴で、対象年齢を下げても危険がないまでにデフォルメされているのに、ちゃんと実車の特徴を捉えているだけでなく、世代を超えて人気が持続しているのはさすがです。
プラレールではないですが、15年くらい前?だったか津○洋○からNゲージで南部縦貫鉄道のレールバスが発売され、現物を手にしたときに、私も家内から、「これグリコのおまけ?」と言われましたが、2800円もしたのに「なるほど」と納得したことがあります。
いつまでたってもプラレールのしなの7号
まさにプラレールには、デフォルメされた良さがありますね。精密化改造をしたくなるほど、実車の特徴を捉えているとも言えましょうか。
私の場合もプラモを買っては作った時代があります。怪獣やSFに興味を示さない現実的で夢のない子どもでしたので、公道を普通に国産乗用車のモデルが好きでしたが、当時は自分が身近に見られる乗用車モデルは、あまりありませんでした。そういう嗜好は鉄道模型でも同じです。
自動車や鉄道模型を買うに当たっても、最小限の装備さえあればよくて、最上級の製品を選んだり、オプションを追加したりしない諦念はいつもあります。
しなの7号
うちの子供がプラレールで遊んでいるころは、プラレールにトーマスシリーズがありませんでした。
しかし、子どもたちがプラレールから離れた後に自分で買ったりしていますから、なんとも…
きかんしゃトーマスが流行れば製品化し、新型電車が出れば製品化し…とメーカーさんの努力があってこそ、永く続いてきたのでしょう。
しなの7号
スーパーレールをご存知でしたか。ほかの鉄道玩具同様長続きしませんでしたね。スーパーレールでは車掌車(ヨ6000)がラインアップされていました。ヨ6000には国鉄在職中に自分がいつも乗務していたので入手したくて、かなりの玩具店を探し廻ったことが一時期ありましたが、すでに製造されていなかったので発見できずに終わり、諦めました。
プラレールアドバンスにも似たような中途半端感があるように思いますが、このあとのラインアップやいかに?
門鉄局
プラレール私も子供の頃遊んでいました。なぜか真っ赤なEF15とオレンジ色が薄すぎるDD51と貨車、301系を模したと思われる103系を銀色にした「ちかてつでんしゃ」(だったっけ?)を思い出します。割とリアルに見えた貨車はワム8っぽい茶色の有蓋車と木製アオリ戸の無蓋車、ヨ6000ぽい車掌車でした。幼児の頃は車種のバラエティからか貨物列車が一番お気に入りでした。名古屋市在住時、妹が名鉄病院で出生しましたが新幹線・国鉄・名鉄が一望できるこの病院がお気に入りで、40年以上経った今でも名古屋を通る時は懐かしい気持ちになります。名古屋駅前はすっかり様変わりしてしまいましたね。「名古屋にきたぞ!」とテンションの上がった「大名古屋ビルジング」。「中央郵便局」も「マツサカヤ」「毎日新聞ビル」も過去のものとなってしまい元市民としては寂しい限りです。
プラレールより一ランク精密なバンダイ社の「ミニミニレール」というのがあり友達の影響で買い求めましたが、線路はNゲージより少し大きいくらいで車両はショーティ、単5電池使用で短時間しか走らずすぐに飽きてしまいました。
「スーパーレール」は高価すぎて買ってもらえませんでした。近所の百貨店にディスプレイされていたのを飽きもせず毎日眺めていたのと「本物の鉄道に迫る」というテレビのキャッチコピー、模型を知らない子供には前照灯がついたり
自動で逆転したりするのが衝撃的でした。それから30年ほどして息子もプラレールで遊ぶようになるのですが、サウンド付きやら色や形が実車に近くなったのを見ると、おもちゃっぽいけど大らかで独特の味わいがあったあの頃を懐かしく思います。
しなの7号
プラレールのヨも好きで、子供に買い与えましたが、子供のしわざで車輪が壊され、廃棄処分になりました。
名鉄病院へは2年前に初めて行きました。
【491】続・病院鉄
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201406article_2.html
私が子供のころに名古屋へ鉄道模型を買いに行く頃には、駅前を市電も走っていましたが、なにもかも変わりました。
マツザカヤでは模型を買ったこともありました。
いつの世もヒット作が出ると他社から追随して似た製品が出たり、グレードアップ製品が追加されるものですね。スーパーレールが出た時代には16番に手を出していたので買いたいと思ったことはなかったのですが、この前の方のコメントに書いたようにヨ6000を探しまくったのは大人になってからです(^○^)
プラレールもいつしかグレードアップと改良が繰り返され、トラディショナルなオモチャとして子供はもちろん親まで楽しませてくれます。
北恵那デ2
しなの7号
プラレールは、本文で書いたようにわざわざ買ったものもありますが、コレクションしているわけではありません。
私の場合、古い16番鉄道模型の保存にも挫折して、ほとんどを手放しましたが、わずかに残った車両と以前撮っておいた画像を用いて、今後も私の鉄道模型遍歴のシリーズを続けたいと思っています。カツミの16番EB級電機も登場させたいと思っていますので、またよろしくお願いします。
北恵那デ2
しなの7号
要するに、これまでモノをそう簡単に捨てられなかったことと、いつまでも子供のままであるというだけのことです(^_^;)
古いジャンク鉄道模型をレストアする作業は面白そうですね。そもそも当時の16番は手作り感がイイ味を出していますので、部品取りやニコイチで修復して遊びたいものです。
ヒデヨシ
プラレールのオユ?スユ?が面白いです
カマボコ板はガキだった私もホームや立体交差材料として大量に持っていた口です
Nゲージとの出会いは熊本から愛知に越して来て中学に入学した時近所のおもちゃ屋でシーナリー付レイアウトを見た時です
小判型の配線でお金を投入すると(金額忘却)一定時間走行するというもの
その店では関水金属のEF70、EF65、C62、キハ20系、20系客車、103系、30系客車、スニ40など当時の関水金属のラインナップほぼ全てを買いました
関水金属以外でHOWA金属製ナハフ11、ナロ10も買いました
普通のおもちゃ屋なのに後から調べるとすごいものも売っていたんですね
しなの7号
プラレールにはマニのような荷物車がありません。郵便車で代用?です。
カマボコ板はメーカーの焼印が入っていて、それ自体がコレクションにもなっていました。
私の場合は、Nゲージを扱うお店がないところに住んでいたので、刺激が少なかったです。雑誌で見る鉄道模型社→HOWAの金属製客車もリアルタイムで見ることすら叶いませんでした。もし見たら買っていたと思います。
しかし国鉄就職後、ブルトレブームがあって、地方スーパーの模型売り場でもNゲージが売られるようになりましたが、一時的な現象で、そのころすでに、私は模型から遠ざかっていて、国鉄退職までの長い休眠期に入っていました。
NORINKO
が
鉄道模型Nゲージや16番入門の年少からのビギナーアイテムって知りませんでした
(-"-;)
伯父に聞けば昭和45年販売=購入したビンテージの山手線101系と165系でした
機会あればblog紹介しますね
\(^ー^)/
しなの7号
プラレールは鉄道模型のビギナーアイテム的でもありながら、鉄道模型とも一線を画しています。たとえば101系と165系のように長く生産されたモデルには、製造時期によって、改良が加えられ、バリエーションの展開に歴史を見出すことができ、こういうことにもプラレールそのものへの研究心?をそそられる方も多いものと思います。
東海のどら猫
しなの7号
「同級生」とおっしゃるのは、小学生になってもプラレールで遊ぶ子はいたということでしょうか?
数ある限定品の多くは明らかに大人のコレクターがターゲットにされていますね。これもメーカーさんの戦略なんでしょうね。
東海のどら猫
しなの7号
プラレールはパズルのように配線を考えるのが、組立式のブロックおもちゃのように面白くて、そういう意味では鉄ヲタでない小学生でも楽しめたかも。
ユウぱぱ
ユーロライナー懐かしいですね
北斗星やカシオペアの定期運行終了を機に動画撮影の撮り鉄を引退しました
次なる趣味としてプラレールアドバンスを始めました
「大人も楽しめるプラレール」を謳っておきながらアドバンスは懐かしい車両のラインナップをどんどん廃盤してしまい今一つ市場マーケットを把握していないように思いました
しなの7号
撮影すべき被写体が少なくなっていくのはわかりますが、引退なんですか?
プラレールアドバンス、リアル感は一枚上手ですが、どこまで車両のバリエーションが増やせるかがカギですね。
ユウぱぱ
カシオペアはクルーズトレインとして、まだ走りますが、運行する日は、どこに行っても撮影者が多数いる状況は目に見えているので…
思い残す事がないぐらい沢山撮影出来たのでもういいかなって思ってます
あ!埼玉に北斗星の食堂車を使ったレストランがオープンしたので自分で撮影した北斗星の動画を編集したものをアンドロイドタブレットに入れてって食事しながら映像を見て懐かしんで来ます(^_^;)
アドバンスについてはYouTubeで専用チャンネルを作って廃盤になった車両の再販をリクエストしていきたいと思ってます
しなの7号
被写体を特定された場合、撮影者が集中して動画撮影は物理的にも不可能な状態になってしまいますね。私もそういうことがストレスになるので、撮り鉄をやめたクチです。
ただ、鉄道そのものは好きなので、コンデジは手放せません。
一度だけ乗った北斗星では食堂車を利用しました。動かないけれどレストランとして末永く列車食堂というものがあったことを、伝えていっていただきたいものです。
ポケトレインとかデジQトレイン、ミニモータートレイン、スタートレインダイキャストスケールモデルと、発売され、消えたものもいくつか。おもちゃの世界とはそういうものでしょうが、そういう需要はプラレールとBトレあたりに集約されたような気がします。ラインアップの豊富さとバリエーション展開をどこまでメーカーさんがリキ入れて売る気になるかにかかってますね。鉄道も、鉄道おもちゃも、時代とともに変わっていきますので。
ユウぱぱ
プラレールアドバンスの演出面を強化しようと思い
ビデオ撮影は止めてもっぱら最近は
ICレコーダーで駅のホームやモハユニットに乗って
軽い音撮りしてます(^。^;)
駅のホームやレールも自作してみたくて
普段利用している路線でじっくり眺めたりして
ビデオ撮影していた頃よりも
ゆっくりとではありますが
鉄道に対する興味が沸いて来ました
しなの7号
鉄道との向き合い方は多種多様だと常々思います。
それは人それぞれということは当然ですが、自分自身が多種多様な向き合い方をしてきたと思うわけです。ここに書いたプラレールもその中の一つ。音録りも、撮影も、乗り鉄も。
それぞれの分野で、鉄道の新しい楽しみ方を見出し、新しい側面から鉄道を感じるようになりました。
のんパパ
私のセットはワムの側面になぜか穴が開いていまして、当時は「何かの熱で溶けた?」と思っていたのですが、いま思えばプラの湯回り不良品でした。あと、レールの爪がすぐに折れてしまい、父親がボンドで付けてくれたけど全然くっ付かず、繋げられなくなってしまいました。
やがて自分も父親になり、できたのは女の子でしたが、構わずプラレールを買い与えてやりました。トーマスやミュースカイは喜んで遊んでいました。動力の電動化はもとより、停車させられる駅とかトラス鉄橋とか、進化の度合いにビックリしたモノです。
しなの7号
私はプラスチック汽車レールセットをどこで買ってもらったのか記憶にありません。親が買ってきてくれたのかもしれませんが、地元にはデパートどころか大きな玩具店もありませんでしたから、名古屋市内のどこかのデパートで買ったのだろうと思います。レールの爪が折れることはよくありましたが、今は材質がかなり良くなったのか折れにくくなったように思います。
この記事を書いてからかなり経ちまして、その後に孫が生まれて、家に遊びに来た時には、このプラレールでよく遊んでいました。そろそろそれも卒業で最近は出番がありません。車両には(孫の)パパの名前が書いてあります。2代にわたって遊んだわけですから、うちのプラレールも充分活躍したことになります。