当時、遠藤商店(→エンドウ)の無蓋車は200円台の車種さえありました。ドアの開閉ギミックがありプレスによる凹凸がある車体のワム80000とか、ハコモノでないタンク車など製作コストがかかっていると思われる車種でも400円台でしたから、ほかに小遣いを使うことが少なかった私は、貨車の増備に力点を置いていました。
最初に買ったワム80000とセ6000に続いて、増備されたのはレ12000・カ3000・トムフ1・ツム1000・タム500・ヨ5000・ワフ35000・トラ45000といったところでした。黒ワムが欲しかったのですが、在庫がなくて買えない状態がしばらく続きました。
手持ち車両が少ない事情から、模型鉄道ではヨ5000とワフ35000は客車代用としても運転しましたし、トムフ1に至ってはDD51代用という信じられない妄想運用がありました。
見たこともないトムフ1は、まったく買う予定がない車種でした。母が名古屋に行った折に、ワムを買ってきてくれるよう頼んでおいたとき、店頭在庫がなかったらしく、何もなくてはかわいそうだと、母が独断で買ってきてくれたものでした。
このころ見栄えがしない厚紙の箱だった遠藤商店製の貨車群は、のちにきちんと印刷された紙箱に入るようになりました。そのころになってやっと黒ワム各形式を複数そろえることができました。
またボギー車もタキ3000・トキ15000・レール積チキ2500・コキ5500・シキ60を増備して、それらしい貨物列車が組成できるようになっていきました。
この貨車群も、箱だけでなく車両本体の仕様が次々と変わっていきました。別々に買った2両のコラ1が今もありますので両者を比べてみますと、コンテナにスタンプされた文字の大きさが違いますし、シール選択式に変わった車両形式番号、床下の仕様も大きく違っています。
実物とは違う立方体に近いコンテナを載せていますが、EB電機にはお似合いで、Bトレインを見ているようで、非常に好感が持てます。
この時期の16番の2軸車には鉄道模型の原点のような趣を私は感じます。
この記事へのコメント
やくも3号(仕事中)
このほか、チ1000とかいう木の枝3本をエナメル線で括り付けてあるものがありましたね。自分はエナメル線をタコ糸に換えていたような気がします。現在はエンドウもプラ製になったのですか。下の広告を見て初めて知りました。時の流れを感じます。
ところで、関西⇔長野はしなのではなくサンダーバード+北陸新幹線に誘導したいのでしょうかね。大阪しなのと『人質交換』されていた大垣⇔京阪神直通電車もなくなるのですか。貴兄のコメントを見て初めて知りました。時の流れを感じます。
北恵那デ2
北恵那デ2
しなの7号
チ1000はここにはありませんが、一時期2両在籍していました。積荷なしチ1000のカツミカタログ(発行年不明)に表示されている価格が210円というのも驚きなのですが、そんなころにプラ製トム50000が写真入りで掲載されていたのも驚きで、それには価格が記入されておらず¥__となっているので、生産中止で在庫がなかったのでしょうか。もちろん現在のプラ製品とは別物でしょう。
関西⇔長野は北陸新幹線へシフトですね。分割民営化後、関西発の信州方面スキー臨が中央西線経由から、北陸経由にシフトした例を思い起こします。
関西の風邪を拾ったらしく、ひさしぶりに3日ほど寝込んでいました(-_-)zzz
しなの7号
いつの世も、売れ行きの良い形式と店頭不良在庫となる形式は必ずあるものですね。
そう言われてみれば、中央西線電化工事たけなわの時期には、電柱積チキに遊車のチがつながっているのをよく見かけました。
キハの回送を再現するとき困るのはカプラーの違いでした。イレギュラーな編成を再現したい者にとって、カプラーの不統一は永遠の課題のようです。
EB10を入手する前にやったことですが、中津川発稲沢行貨物列車を再現するのに、当時は多治見でD51からEF60に牽引機を変えなければならないのに、ELがなく、SLは天賞堂のCタンクだけ。D51代用のCタンク機の貨物列車はエンドレスを7周(1周で1駅)回って多治見に着くとCタンクを切り離し名古屋方?へ引き上げ、そこでヨ5000の箱をCタンクにかぶせ、箱型ELに早変わり!させ、本連結。その先を運転したということがあります。今回冒頭にアップしたヨ5000の箱に、その名残があります。箱に緑色のクレヨンでELの窓や屋根上の2個の「□」(パンタグラフを表現)が書かれているのがお判りでしょうか。さすがにそれはみっともなくて、EB10の投入となったわけです。
NAO
薄めの厚紙パッケージ、懐かしいです。
ベーカー型カプラーは遠藤さんところでも、最初はカワイさんところのと同じかたちだったのですね。実物とは全然違うカプラーなのに、あれを雑誌の広告で見るたびに大人の仲間入りをしたいなあ、と思いました。
コラ1のコンテナはフリーランスだったのですか。初めて知りました。後期商品にはちゃんとカプラーの復元スプリングも付いていたのですね。
しなの7号
後期は上からのプレス加工だったベーカー式カプラーも、当初は各社とも帯材を曲げ加工して、根元でハンダ付けという構成だったのではないでしょうか。もっとも当時のカワイモデル製のベーカー式カプラーの形状(上から見ると「Ф」のように連結部が左右に広い)は、カツミ・遠藤製(「Ь」のように片側にしか連結部がなく小型)とは一見して外観が異なりました。
復元スプリングが入り、ウエイトが平型となったあとは、フレームがダイキャストになったと記憶しますが、そのころには、もう模型鉄から撮り鉄に軸足が移っていました。
コラ1のコンテナはフリーランスとは言えないまでもかなり寸詰まりです。コンテナ3個積のコラ1の実車は国鉄最長の2軸車で、通常の2軸貨車より3m近く長いです。模型ではワム80000と同じ長さに圧縮してあります。
国鉄時代に実車が走行しているのを見たことはありませんが、木曽福島で長期留置中の姿を目撃しています。
ヒデヨシ
子供の感覚での代用は面白いですね
私は小学生のころHO台車を板に着けてボール紙で上回りを自作していました
まあ悲惨なものでしたけど
模型ではないですが
旧5tコンテナ3個積みコラ1は新12ftコンテナですと大きさ的に中央に1個が最大だと思いますがそうやって運用していたのでしょうか?
また同じく5個積みコキ5500は新12ftを2個しか積めないと思いますがどうなのでしょう?
しなの7号
車両の代用感覚ですが、しょせん本物になり得ない模型のこと、実物と似たものをどの程度まで求め納得するか。私のそのレベルは、かなり低いです。それでもトムフをDD51に仕立てる感覚に比べれば、50年経てばはるかに進歩したと言えましょうから、それでよし?
12ftコンテナの積載個数はそうなりますね。規格が変わったあとも、コラ1をその先も継続使用するつもりがあったなら、2個積用に改造されてしかるべきですね。かなり特殊な車両なので、制限があったらしく、Wikipediaにもコンテナ積載制限について触れられています。
TM
当方が買い始めたときは800円位の時代でした。
確か古い箱には「遠藤商店模型製作部」と表示されていたように思いますが、いかがでしょうか。
当方、車掌車が欲しかったのですが入手できず、代わりにトムフ1を車掌車代わりにして楽しんでいました。
当時のカプラーは当然ベーカー式で、2軸車はカプラー同士をバネで引っ張り、中心を保つ構造でしたね。
エンドウの貨車は頑丈で、塗装もしっかりしていましたが、せめて標記は車番だけでなく、形式、荷重、自重、換算を国鉄書体で表現して欲しかったです。その点、当時のNゲージはしっかり再現されていました。
チキ2500は現在も所有しており、これは標記等、手を加えれば現在でも通用すると思います。
しなの7号
ここにアップした紙箱(青と橙)はすべて「遠藤商店模型製作部」と書かれています。また、手持ちの貨車は、ほとんどはカプラー同士をバネで引っ張る方式が採用される前の製品ばかりで、2軸車の場合、カプラーは固定式で首を振りませんから、急カーブでの脱線事故が起こりやすかったです。
車体長の長短によって箱も色が分かれていましたね。青箱は車長の長いワム80000、タム500、コラ1など。橙箱は黒ワムほか多くの貨車でした。
おっしゃるように、エンドウの貨車は塗装も構造も丈夫で、国鉄書体ではない車番がスタンプされていました。Nゲージは小さいのに関水から2軸貨車が最初に出たとき(ヨ6000・レ12000・ワム80000)から車番以外の諸表記が再現されていました。ただ初期には印刷された書体は国鉄書体ではありませんでした。
門鉄局
私もプラレールのヨ6000?を客車代用としたり、京都のN電に見立てて市電ごっこをしていました。絵本を卒業すると保育社のカラーブックスシリーズが鉄道知識の源でした。昭和50年頃名古屋市栄の県立美術館で行われた鉄道模型イベントで、「こんなすごい物があるんだ」と興奮し名残惜しくいつまでも見ていた思い出があります。実際鉄道模型を始めるのはこれから数年後、トミックスのCタンクに貨車3両とエンドレス1周の基本セットからでしたが、車番をはじめ換算両数や形式などがきちんと表記されていて、これだけでもずいぶん精密に感じたものでした。トムフ1はNゲージのこのセットにも入っていて「こんな貨車見たことない」と不思議な存在でした。いわゆる戦時型車両で戦後まもなく消滅したにもかかわらず、模型の世界で人気なのは形態的に面白いからでしょうか?私鉄では同系列の車両が昭和50年代まで使用されていて、驚くとともに見るからに居住性が悪そうで乗務員さんに同情したものでした。
しなの7号
ヨと京都のN電、オープンデッキが似ていますね。
私の幼少時にはカラーブックスの鉄道物はまだなく、初めて買ったのは廣田尚敬著の「蒸気機関車」で、中学生の時でした。香港製トミー製品は、国鉄退職後にかなりあちこちを探し回りましたが、Cタンクには、ついに会えずじまいでした。NではKATOからもチビ貨車トムフが製品化されていますので、やはりあのスタイルが人気の理由なのでしょうね。私は私鉄の類似車も含め実車をみたことはないので、どうも空想の世界の車両みたいな感覚になってしまうのですが、一度でも見てしまえば強烈な印象として残りそうなヤツです。しかし乗務したい環境ではなさそうですね。
北恵那デ2
しなの7号
上下振動の吸収をしてくれない硬い台車の真上にあるマニ60とかコキフ50000の乗務員室が、非常に乗り心地面で不利だったのは確かです。
おっしゃるように車体中央部の揺れは最小になろうかと思われますが、中央部に乗務員室がある凸型ヨ8000ですと、ヨーイングで車体前後部が大きく左右交互に揺れていることが目視だけでなく、2段リンクばね吊装置が規則的にキュッキュッと鳴くことでも、実感できました。
もっとも、ワフ21000以降の広い緩急車の場合、車端部に乗務することはなく、もともと短いホイールベース上のことですし、ゴツゴツと細かい振動を直接拾ってしまう2軸車である以上、トムフのほうが乗り心地の良さが実感できるとは言い難いと思いますが、見たこともない昔のワフ25000のような車端部に狭い乗務員室があったワフよりは振動が少なかったと想像できます…
北恵那デ2
しなの7号
いえいえ、そうやって考えることは無意味ではありません。
ヨ9000に乗ったことはもちろんないですが、時速100㎞で走ったら、どのような乗り心地だったのか興味はあります。
2軸車はばね装置が直接車体フレームに固定されますから、細かい振動は伝わりやすんでしょう。まずガン!ガン!というジョイント音といっしょに振動が来ます。ブレーキ時の制輪子との摺動音と摺動で発するガガガガ!という細かい振動が。
これらの振動や騒音は、狭い車内のどこにいても避けられないです。空気ばねを用いて1軸ボギー車にすることでかなり改善できると思われますが、もう鉄道車両に2軸車の需要はほとんどないのが実情のようですね。
~NORINKO~
(=^_^=)
ちょっと可愛い存在の♪トムフ♪君は‥
(*^_^*)親戚の叔父:現83才が大事に書斎の硝子棚に飾ってあるのを思い出してしまいました
(*^o^*)
私もNゲージだけど‥♪トムフ♪探してみよう!と思ってます
\(^ー^)
もちろん、買う気は無かったけど‥このブログの影響かも‥
ウフフ(^。^;)
発見、購入したらブログ紹介しますね
(^_-)v
しなの7号
ユニークな形に惹かれました?
なかなかトムフのN模型は見かけないですけど、意外と中古で掘り出し物があるかも。